自分は、女の味方をする事が多い。しかし、女の悪いと思う点については、人の上に立ちたがる所だ。
やらせて、やらせた男が従うのを趣味にしているオンナも周りにいた(ただ、誰とでもやるという訳ではなく、いい男とやった場合で、その男を従わせるオンナ)。自分は、自分が正しいと思った事しか従わないので、彼女とはやらなかったが、勿論、彼女はやらせる気もなかったかもしれないだろうが。ただ、自分の意見も主張せず従っている男と見て、こんな男にはなりたくないなと強く感じた。
嘗て、就職先として色々考えて、その中の一つに公務員も考えた。しかし、自分は意見を主張して、ケンカをしてしまうのを、大学4年生の頃には自覚していたので、公務員は自分の意見を主張できないし、ケンカするとしても凄く体力を使うだろうから、公務員は就職先として考えなかった。
因みに、大学は早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修に通っていて、大学4年生の時に、教育実習生として、母校の早稲田大学系属早稲田実業高校高等部普通科の高校3年生のクラスを担当した。そして、担当になった日本史の教師とケンカの様になった事がある。しかし、自分は教員免許は取らなければならない様な状況にあり、朝、始発で学校にいったり、始発の必要がないと感じたら、教員達より早く、学校に着く様に行って、担当の教師に「オマエ帰れ」と言われても、「自分は、先に来てるんですけど(後から来て、帰れはないでしょう)」と言った事をを思い出す。その時は、生徒達は、自分に味方してくれた。そして、江東区立江東図書館に通い、高校3年生の日本史の本を読んで、講師の為の勉強を夜にした。
そして、早稲田実業学校の教育実習生としては、最後は一番人気になり、最後の金曜日や土曜日の授業では、お偉いさんのギャラリーが多かった。よく、「みんな、勉強して、早稲田大学に行こう!」と授業で言っていた。
そして、教育実習生だった時に、学校の経営者・理事長と面談をお願いして、推薦入学のテストの一つに、河合塾の模試を加えて欲しいと陳情した。今はどうか知らないが、当時の推薦入学のテストは過去問題が公表されておらず、どこまで勉強すればいいかの目安が分からなかった。そして、河合塾を選んだ理由は、自分が中学2・3年生の時に利用していた塾・早友学院の伊藤先生にお願いして、大学入試の模試で良いのはどこか調べてもらったら、河合塾の模試が良いと回答をもらった事と、過去問題が分かる為だ。河合塾には、河合塾の模試を、学校で実施し、テストの管理官などは学校で手配するから、安く価格条件を提示してもらい、理事長との面談時に価格を話した。理事長は、検討しますという感じだった。理事長から、君は就職先は決まっているのか?と尋ねられたが、自分は「外部で活躍します。」と答えた。
結局、教員免許は取れて、教育実習の成績も「優」でした。もし、女子高校で教員を募集しているなら、働きたいので、伝えて下さい。ただ、両親が高齢なので、勤務地にもよりますが。