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shu
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2007年05月23日
■ 5月の恋-1
「ビバルディの『春』が一番似合うのはやっぱり5月だな」 店内のBGMを聴きながら、一馬(かずま)はそう思った。 一馬は、新宿三丁目の交差点から、御苑通りを少し入ったところにある「アッディーオ」というイタリアンレストランで、ビントロと一緒に、遅い昼食をとっていた。 ビントロは、本名を海路惣四郎衛門(かいじそうしろうえもん)といった。担当部門は違うが一馬の同僚であり、学生時代からの友人でもある。 どうしてこんなに長い名前がついているのか、惣四郎衛門自身もよく知らなかった。 ビントロはアルバイトに明け暮れる貧乏学生だった。 ある日、バイトで稼いだお金で、仲間を回転寿司にさそった。 そこでビントロは「おれ、トロなんてはじめてだよ」「これ、うめえな」といって、焼酎のウーロン割りといっしょに、ガラスケースにあった、トロのかたまりをほとんどたべてしまった。 「トロっていったって、本物じゃないぞ」「それ、ビントロっていうんだ」「ビンチョウマグロといって一番安いマグロの身だよ」仲間が、知ったか振って言った。しかし惣四郎衛門は、そんなことは構わなかった。 翌日、惣四郎衛門は大食いがたたり、お腹をこわしてしまった。 そして一週間ほど授業を休んだのだった。 それ以来仲間から「ビントロ」と呼ばれている。 「『恋』ってなんだ?」 スパゲティーの最後のひとさじを口に運んだ後、ビントロは唐突に一馬に質問した。 「いとおしくて、いとおしくて、しょうがない。そう思うのが『恋』だよ」 一馬も、唐突に答(かえ)した。 だけど、本当にそう思ったわけではない。 とっさの質問に、せかされるように、口から出てしまったといってよい。 「おまえ、だれかいるのか?」 一拍置いて、一馬は聞いてみた。 「いや、べつにそういうんじゃない・・」 ビントロの答えは曖昧だった。 「一馬、『愛』って何なんだ?」 ビントロの質問は、またも唐突であった。 「それはな・・・」「それは、相手も自分のことが好きだということだよ」「お互い好きになった訳だから、両想いってことだな」「で、両方の恋が『愛』に発展したことになるわけだよ」手探りであったけど、一馬はなんとなくそう解釈して、答えたのだった。 「じゃあ、相手の気持ちが確認できない一方的な想いが『恋』で、相思相愛の姿が『愛』というわけか」「そうかな?」「キリストの教えで、博愛主義というのがあるの、知っているか?」「博愛というのは、相手からの見返りなんか求めないんだぞ」ビントロの口調に、いつもの理屈っぽさが戻っていた。 一馬は昨夜、深夜2時まで酒を飲んだ。その余韻が鈍痛となって頭の芯に残っている。だから今日は、ビントロと、理論の応酬をする気にはなれなかった。 ビントロは学生時代、片想いで躁鬱(そううつ)状態になったことがある。 本当に死ぬのじゃないかと、回りを心配させた。 でも結局相手に、想いを打ち明けることができないまま、卒業をむかえた。 その後、時間の経過と共に想いはうすれ、今は記憶の隅に、セピア色になって残っているだけだった。 「あれでよかったんだ」「彼女の未来のためにも、俺なんか、いないほうがよかったし」「だいじなのは彼女自身だったからな」卒業後仲間が集まったとき、時折口にする、ビントロの得意のセリフである。仲間内ではこれを、ビントロの「十八番」と呼んでいた。 「相手からの見返りなんか求めない」と、博愛を口にする、ビントロの言葉を聞いて「あいつ又、片想いの癖でも出たのかな」と、一馬は思った。 「だいたい『恋愛』と、キリストが説く『博愛』とは、次元が違うだろ」 「恋愛感情は相手があって始めて芽生えるものだし、博愛主義となれば、もっと高尚な、たとえば全人類に対する平等愛といったような、哲学的心情をいうのではないか」と一馬は自問自答した。 「恋とか、愛とかを理解しようと思うより、今の素直な気持ちが一番大切じゃないのか」一馬はそう、ビントロをさとした。 「そうだな」ビントロはいつになく、素直だった。 そしてその素直さが、明らかに何かに落ち込んでいることを物語っていた。 人を好きになる気持ちは誰にも抑えることはできない。 でも、相手の立場、自分の立場、そしてそれらを判断して抑制する理性というものがある。そこに葛藤が生れ、又悩みもあるのだ。 いや、そんなんじゃなく、ビントロは、ただ相手の気持ちを推し量ることができず、怯えているだけかも知れない。「わからない」ことほど人を恐怖に陥れるものもないからなと、一馬は思った。 「もう一回、会いたいな」ビントロが、力なくつぶやいた。 一馬には想像がついた。 「ビントロが今、思いを寄せているとしたら、あの人しかいないはずだ」 それは、同じ職場の研究室にいる片瀬千鶴のことであった。 職場での、ビントロの彼女に対する言葉づかいと、時折見せるあの目つきは尋常ではない。普段のビントロを知っている者からすれば、ミエミエといってよかった。昨年の忘年会のとき、お開きになった後、二人はどこかに消えている。 それ以来、二人の態度にぎこちなさがあるのを、一馬は何度か目撃していた。 「だけどまずいな。彼女は結婚をしているし」と一馬は思った。 そして千鶴の夫である片瀬良は、同業にスカウトされ、会社は辞めたが昔の同僚でもある。 つづく 2007.05.22 シュー

Posted by shu at 20:21 | 小説 | この記事のURL
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