2017年11月17日
闇の雄叫び 10 (急変)
その後母が回復し、日常生活を取り戻すまでの間、施設から父の退所を促す連絡が来なかったのは、我が家にとって何よりの救いとなり奇跡だったといえよう。
施設へは毎日足を運び、父の様子を窺い話しかけ、何回かに1度はスタッフや他の入所の皆様へということで菓子や飲み物といった差入れもしていた。
本来、家族からの付け届けの類については、どこもそうだが一切断られるのが普通であった。だがそこではいつも素直に受け取って貰えており、それがこちらとしてはなにより安堵できることでもあった。
もしそのことについて下衆な勘ぐりをするならば、”あの入所者のとこだけは別だ”と思われていたのかもしれないし、おそらく、きっとそうだったのであろうと窺えもする。そう、あれほど施設全体を煩わせているのだからして。
ただこちら側としては、それでもどれでも納めて貰えれば良かったし、どんな切欠や、”恩着せがましさ”と捉えられようとも、出来るだけ長く、せめて母が起き上がれるようになるまでは、父を預かっていて欲しかったのが切なる部分だ。
そんな、いつの間にか習慣づいてしまった付け届け。
それはほんの僅かながらでも普段の罪滅ぼしになっているような気もして、車のトランクに菓子やペットボトルの飲み物を詰め込んで向かうときなどは、ある意味訪問し易かったという気持ちも否めない。
いつのまにか卑屈でいやらしいマネをする人間になってきたなと毎回感じるようになってはいたが、当然、素直な感謝の気持ちであったのも確かだ。
おそらくこういうのを贖罪の心理というのだろう。
下衆な贖罪ではあるが。
そうこうしながら、辛くも父はそこを追い出されずに暮らし続けた。
面会に行くと、変わらず声を上げている日が殆どだったが、時には落ち着いている日も見受けられるようになった。当然そこには施設スタッフの尽力が窺え、一方では、スタッフもそうだが本人自身や他の入所者達の慣れも生じてきたのかもしれなかった。
追い出されずにいたことに限定して言えば、ひょっとしたら普段の差入れの類なんかも、ほんの僅かではあるが功を奏していたのかもしれないなぁと、やはり下衆な思考を働かせてみたりもする。
いずれにしろ、父は相変わらず騒いではいたものの、そこの住人として居続けた。
やがて母も辛うじて杖をつきながら動けるようになり、暫らくしてからは管理人に付き添われ、父のいる施設を訪ねる事になった。
そこで母は、あの凄惨だった日々以来の、父との再会をすることになり、老人施設で暮らす夫の姿というものを、初めて目の当たりにすることになった。
父は不意に訪れた杖を手にする老妻の姿をぼんやり見つめ、いつもの怒号や罵声は吐かなかった。
「父危篤」の知らせが施設から入ったのは、母がようやく普段どおりの日常を取り戻し始めた頃だった。
どなたか呼んでおきたい遠方の親類がいれば、早めに連絡をして下さい、とも告げられた。
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施設へは毎日足を運び、父の様子を窺い話しかけ、何回かに1度はスタッフや他の入所の皆様へということで菓子や飲み物といった差入れもしていた。
本来、家族からの付け届けの類については、どこもそうだが一切断られるのが普通であった。だがそこではいつも素直に受け取って貰えており、それがこちらとしてはなにより安堵できることでもあった。
もしそのことについて下衆な勘ぐりをするならば、”あの入所者のとこだけは別だ”と思われていたのかもしれないし、おそらく、きっとそうだったのであろうと窺えもする。そう、あれほど施設全体を煩わせているのだからして。
ただこちら側としては、それでもどれでも納めて貰えれば良かったし、どんな切欠や、”恩着せがましさ”と捉えられようとも、出来るだけ長く、せめて母が起き上がれるようになるまでは、父を預かっていて欲しかったのが切なる部分だ。
そんな、いつの間にか習慣づいてしまった付け届け。
それはほんの僅かながらでも普段の罪滅ぼしになっているような気もして、車のトランクに菓子やペットボトルの飲み物を詰め込んで向かうときなどは、ある意味訪問し易かったという気持ちも否めない。
いつのまにか卑屈でいやらしいマネをする人間になってきたなと毎回感じるようになってはいたが、当然、素直な感謝の気持ちであったのも確かだ。
おそらくこういうのを贖罪の心理というのだろう。
下衆な贖罪ではあるが。
そうこうしながら、辛くも父はそこを追い出されずに暮らし続けた。
面会に行くと、変わらず声を上げている日が殆どだったが、時には落ち着いている日も見受けられるようになった。当然そこには施設スタッフの尽力が窺え、一方では、スタッフもそうだが本人自身や他の入所者達の慣れも生じてきたのかもしれなかった。
追い出されずにいたことに限定して言えば、ひょっとしたら普段の差入れの類なんかも、ほんの僅かではあるが功を奏していたのかもしれないなぁと、やはり下衆な思考を働かせてみたりもする。
いずれにしろ、父は相変わらず騒いではいたものの、そこの住人として居続けた。
やがて母も辛うじて杖をつきながら動けるようになり、暫らくしてからは管理人に付き添われ、父のいる施設を訪ねる事になった。
そこで母は、あの凄惨だった日々以来の、父との再会をすることになり、老人施設で暮らす夫の姿というものを、初めて目の当たりにすることになった。
父は不意に訪れた杖を手にする老妻の姿をぼんやり見つめ、いつもの怒号や罵声は吐かなかった。
「父危篤」の知らせが施設から入ったのは、母がようやく普段どおりの日常を取り戻し始めた頃だった。
どなたか呼んでおきたい遠方の親類がいれば、早めに連絡をして下さい、とも告げられた。
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