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2016年09月24日

闇の雄叫び 3 (誰も寝てはならぬ)






休暇はとっくに消え失せた。
仕方ないので「欠勤」で仕事を休み、父を病院に連れて行くためショートステイ先に迎えに行き、車に乗せる。
おそらくはオムツの交換はしているのだろうが、車内中に糞便の臭いが充満する。
ま、いつものことだ。

余談だが、管理人は車好きである。
自分の愛車をこよなく溺愛する愛車好きである。
まめに洗車し、車外は定期的にコーティングを施し、革張りの室内やシートは洗車の度に入念なるクリーニングをしている。近所迷惑にならない程度の整備や修理、部品交換等の、いわばメンテナンスも自分でやったりする。
ディーラーから 「えっ!? 自分で直したの!??」 と驚かれるのが何より悦な瞬間だったりもする。
周囲からは車好きというより、ヘンタイで通っているらしい。
登録から20年経ったドイツ製の古い愛車ではあるが、好きなのでやめられない。

・・が、父を乗せるとウンコの臭いに支配されてしまう。
1度乗せると2〜3日は香りが残る。
愛車を溺愛する愛車好きにしてみれば、大いに泣ける瞬間だ。
ま、仕方ない。

ショートステイ先の職員の話によると、とにかく父は眠らないらしい。
深夜に及んでも、叫び続けているらしい。
とはいえ、会話自体は成立しているらしい。
日常会話しかり、老人特有の昔話しかり。
ただ、一時でも目を離すか、職員が父の傍を離れると、


「おーーーーーーい!!!!!!」 ×エンドレス


の状態に突入し、エスカレートすると周囲に対し怒号や罵声を浴びせるらしい。
「らしい」ではなく、管理人も目の当たりにした。
どうすれば、そんな乱暴で汚い言葉や態度を他人に向けられるのか・・・
認知症だから仕方ないという一言だけで片付けられるような、そんなレベルではない。
これでは施設全体の健康衛生上、そして精神衛生上、あまりにも宜しくない。
職員の皆様を始め、他の入所者様へは、ただただ謝罪するしかなかった。
リヤシートの父は、呆けた表情で大人しくウンコ臭を漂わせながら座っている。

「父さん、ずいぶん騒いでいるらしいな」

そう聞くと、

「俺は静かにしている」

と返ってくる。

なにを言っても無駄なのは分かっているが、こう続ける。

「たのむから、あまり迷惑かけないでくれ」

「俺は、いつ帰れるんだ」

「あ?」

「俺は、いつ家に帰れるんだ」

「母さんがぶっ倒れたんだ、良くなるまで我慢してくれ」

「母さんは元気か?」

「ぶっ倒れたんだ、元気ではない」

「帰る!!」

「だから、帰れない」

「母さんが心配だ!帰る!」

「入院してるから、帰っても家にはいない」

「なんで入院してるんだ!」

「だから、ぶっ倒れたんだ」

「じゃあ、お見舞いに行く!母さんの病院に行く!!」

「大丈夫だ、お医者さんや看護師さんが付いてるから大丈夫だ」

「母さんいつ退院する?」

「しばらくかかりそうだ」

「しばらくって、いつだ!」

「何ヶ月もだ」

「お見舞いに行く!!」

「面会謝絶だから無理だ!」

「・・・・・・」

「医者に任せろ」


母は入院などしていなかった。家で寝込んでいた。
ただ、家に母がいることを伝えてしまうと、父に激しい帰宅願望が生じ、そこで大騒ぎになってしまうから、父にはそういうことにしておいた。ケアマネージャーや施設の職員達と口裏を合わせ、「母さん」が倒れて入院し、元気になって家に戻るまで辛抱しようね、と、宥めすかせながらの入所だった。


「家に帰りたい」

「帰っても母さんいないよ」

「どうしていないんだ?」

「・・・・・・」


父の「帰りたい」という気持ちだけは痛いほど分かった。
父も老人だが、周囲も老人だらけの施設に、「なんで俺が?」という疑問だけはしっかりと働いているのだろう。
つい数日前までは母や管理人を含めた家族に世話をされ、住み慣れた家に暮らしていたのだ。

父の場合、認知機能は低下しているというものの、生活に関わる基本的な”思い”は消失しているわけでは無さそうだった。なので余計に辛い。
辛いが、家には戻せない。
母は寝込み、その合間を縫って管理人は仕事や買い物や家事や諸々の所用に出向いている状況だ。
辛い決断だが、普段から目を離せない父には施設に居てもらうしかなかった。
でなければ、我が家の運営が止まり、破綻する。
割り切るしかなかった。



病院では、睡眠薬とメマリー(認知症治療薬)を処方されることになった。
医師の説明では、これで夜間は眠れるようになるでしょうとのことだった。
だが管理人としては一抹の不安というか疑念もあった。
あれだけ昼夜問わず大騒ぎしている人間が、本当にこんな薬だけで大人しくなるなるのだろうかといった疑念である。
後日、やはりそんな予感は的中した。
またしても、施設から、


「まったく眠ってくれない、他の入所者も眠れなくなっている」

「なにより何日も寝ないで騒いでいる本人の健康状態が心配だ」


そんな一報が入ることになった。
この日から、2度、3度と、父を施設から連れ出し病院に赴き、その都度処方を変えられ様子を見るという日々が続いた。

結局のところ、父を施設に預けたにも関わらず、仕事はまともに行けなくなり、そして父も、最終的にはかなり強い作用のある睡眠薬や、向精神薬を与えられることになったにも関わらず、殆ど効果は現れなかった。
医者は首を傾げるしかなく、施設は騒然としたままで、管理人は日参して父の様子見と謝罪を繰り返した。
他の、割合大人しく過ごしている入所者達が羨ましく思えたのを否めない。


(どうしてコイツだけはこうなんだ・・ なんで薬効かないの・・?)


途方に暮れた。
だが、父を家に戻せる状況ではなかった。
父に対して、そして施設に対しても、鬼になるしかなかった。
自分自身を酷いヤツだと思った。
じゃあ、どうすれば良いのだ、と、出口の無い自問自答を繰り返すだけだった。


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posted by ココカラ at 01:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 介護

2016年09月06日

闇の雄叫び 2 (性格は生き残る)






ケアマネージャーが急慮の凌ぎにと、ショートステイ先を何件か見繕ってきたのは数日後であった。
その間管理人は父の食事や排泄介助、そして母の通院介助、さらには、何件にも及ぶショートステイ先の見学や契約に伴う事務手続きに日々追われ、もはや出勤どころではない。

見る見る有給休暇が減り、業務は山積し続ける。
こうなると、もはや”勤め人”とは言えず、一連の初動で休暇が一週間分吹っ飛んだ。
幸いと言おうか、勤め先の対応は寛大で、落ち着くまで出てこなくても良いとのことを言われたが、反してそれは復帰後のプレッシャーにも繋がって行く。


(マズイぞ・・ かなりマズいぞ・・・)


数日を空けることなく、ケアマネージャーや福祉の職員、そして父のショートステイ先となるであろう施設の職員達が、入れ替わり立ち替わり我が家を訪れ、本人の様子や家庭での現状確認、そして契約締結へと訪れ、その対応に明け暮れるを日々繰り返す。


(はたして、これほどまでに大勢の他人が我が家に出入りしたのは、これまでにあっただろうか・・・)


などと、そんな不思議な思いも抱きながら、とにかく一連の遣り取りをこなすしかなかった。各施設合わせて延べ何十枚もの契約書記入もすることになったので、現代社会としては珍しいであろう、指にカチカチのペンダコまで作ってしまった。
正直、この日々だけでだいぶ参ったのを否めない。

父が最初のショートステイ先に入所した日、我が家の全員はヘタれ込んだ。
とにかくグッスリ寝てみたく、とにかく何も考えず、ただただぼうっとしていたかったのが本音である。
実際管理人も、泥のように寝込んでしまった。

ただしショートスティというものは期限付きである。
特養や有料老人ホームと違い、本人の命ある限り、または、入所費用が続く限りずっと預かってもらえるという訳ではない。あくまでそれは”在宅での介護保険の適用範囲”となり、期日が切れれば他の方策を取るしかなく、当然ながらこの預けている期間も介護保険の適用範囲内での費用は掛かる。
これがもし介護保険の適用範囲を超えての入所延長となってしまうと、そこからは実費負担となり、一日あたり何万円もの費用が発生し、もはや現実的な話ではなくなる。
父をショートステイに預けた日から、その懸念に苛まれる事になった。
期限は3件のショートステイ先を繋ぎ合わせ、わずか15日間だった。
この15日の間に、次の方策を見つけるしかない。

だめもとで、特養(特別養護老人ホーム)、そして、老健(介護老人保健施設)を回ることにした。
あわせて、費用はエラく嵩むことになるが、いわゆる”有料老人ホーム”という高額な施設も見学することになった。
当然出勤はままならず、相変わらず有給休暇は減り続け、とうとう無くなった。
基本給を下回り泣きそうになった。
日常生活が音を立てて崩れていくのを聞いた気もしていた。
ショートステイ先から連絡が入ったのは、そんな矢先だった。



 四六時中喚いている。

 大声で怒鳴り散らしている。

 昼夜問わず、深夜も。

 我々も努力しているが、どうしたものだろう。

 一度受診させて、抑精神薬や睡眠薬の処方が可能か否か、主治医と相談してくれないか。



やはりここでもか、、 そんな諦めにも似た思いに項垂れた。
これが父という人間なのかと、改めて知らされる思いだった。



(どうしてお前という男はそうなんだ?)



やはり性格というか人間性というものは、しっかり生き続けるらしい。
父がこうなる以前からの、どこか粗暴で、そして傍若無人であったのを、いま改めて思い起こすこととなった。



(やっぱお前は、そういうヤツなんだよな・・・)

(施設で大人しく過ごすようなタマじゃねーよな・・・)



泣けてきた。
基本給を下回ったことに加え、この顛末。
大いに泣けてきた。


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posted by ココカラ at 23:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 介護

2016年09月04日

闇の雄叫び 1 (それは訪れる)





「うお゛ーーーーーーーーーーーっ!!!!!!」

「うお゛ーーーーーーーーーーーっ!!!!!!」

「うお゛ーーーーーーーーーーーっ!!!!!!」

「うお゛ーーーーーーーーーーーっ!!!!!!」

「うお゛ーーーーーーーーーーーっ!!!!!!」

「うお゛ーーーーーーーーーーーっ!!!!!!」

「うお゛ーーーーーーーーーーーっ!!!!!!」

「うお゛ーーーーーーーーーーーっ!!!!!!」

「うお゛ーーーーーーーーーーーっ!!!!!!」


・・・以下、延々繰り返し。。



そろそろ1年近くになろうか、
我が家では、こんな雄叫びというか慟哭が夜通し繰り広げられ、内にも外にも響き渡る。
いや、夜間に限らず、1日24時間中、22時間続いたこともある。
これは歴代最長記録となり、ギネスに申請しておけばよかったかもしれない。
現在80歳になる認知症の父の叫び声である。
それとも”叫び続け声”と言った方が正しいか。




「あ゛ーーーーーーーーーーーっ!!!!!!」

「あ゛ーーーーーーーーーーーっ!!!!!!」

「あ゛ーーーーーーーーーーーっ!!!!!!」

「あ゛ーーーーーーーーーーーっ!!!!!!」

「あ゛ーーーーーーーーーーーっ!!!!!!」

「あ゛ーーーーーーーーーーーっ!!!!!!」

「あ゛ーーーーーーーーーーーっ!!!!!!」

「あ゛ーーーーーーーーーーーっ!!!!!!」

「あ゛ーーーーーーーーーーーっ!!!!!!」



・・・以下、延々繰り返し。。

4年前に脳溢血で倒れ、あの世とこの世を行きつ戻りつしながら結果戻ってきた父だが、その後のリハビリの甲斐あって、自立歩行できるまでに回復したのには医者も驚いた。
さらには、リハビリ施設から自宅への凱旋を果たした父は、その3ヵ月後には管理人に付き添われ、遥か北海道の故郷へと赴き、道内各地に暮らす兄弟や親戚たちを巡り、お礼参りの旅を完遂させた。
道中、杖をつきながらのゆっくり小刻みとした歩調ではあったが、懐かしい故郷の顔ぶれや街々、そして味覚に感嘆し、覚束ない足どりでありながらも宿泊先の温泉を楽しんだ。
思えば、あれが父の最後の旅となった。

脳溢血後の父は、記憶や認知機能に多少の低下はみられたものの、特段、他者からの介助を必要とせず、自分で食べ、自分で風呂に入り、自分で排用を済ませ、元来の偏屈な性格や粗暴な言動を除けば、さほど家族を煩わせることはなかった。

が・・・


昨年の春先あたりから、この認知機能の著しい低下が一気に顕われ、我が家は途端に修羅場と化す。
なかでも、父があちこちに垂れ流す糞便の後始末が困窮を極めた。
管理人が仕事から戻り、自宅の玄関を開けた途端に異臭が鼻を突く日々が常態化し、その後始末に追われる母の悲痛なる怒号もまた、日々家中に響き渡った。


「もういい加減にして! 頼むから部屋から出ないでちょーだい!!」


あっという間に、一家総出での全力介護となったのは言うまでもない。
父の一挙手一投足から目を離せず、何かおかしな行動に出そうなものなら都度都度それを制すを繰り返す。
そして医師から明確に「重度の認知症になってしまっている」と診断を告げられたことにより、もう父には何を言っても、何を諭しても、どう制しても無駄だということが確定した。それでも家族で看るしか他にない。
まさか父を縄で縛ってベッドに括り付けておくわけにはいかないのだ。

各人睡眠不足が続き、それぞれに不定愁訴が顕われ出すには、さほどの月日は必要とせず、真っ先に母が倒れてしまった。認知症の父は糞便を垂れ流しながら冷蔵庫を漁り、それまで主介護者だった母は床に臥せたまま動けない。当然のように管理人は出勤すら儘ならない状況へとその日のうちに追い込まれ、日々の業務は山積し、進退問題へとさらに追い込まれる。


(どちらかを施設に預ける他ない・・・)

(預けるとしたら、やはり父だ・・・ このままだと、一家共倒れだ・・・)


だが、父には過去の経緯があった。
いわばそれは前科と言えよう。
以前、ショートステイ(老人施設への短期入所)を、わずか2日で退去させられたという前科だった。

遡ること数ヶ月前、徐々に父の様子が怪しくなり、ケアマネージャーの勧めで介護保険の範囲内で、父をショートステイ先に預けてみてはどうかという提案をしてもらった経緯があった。
やはりその頃から家族だけでの介護は負担の度を越し始め、ならば少しでも同居する家族が休めるようにという配慮で提案された内容に、我が家はすがる事にした。

管理人は仕事を休んで施設を見学し、やはり仕事を休んで諸々の手続きや面談に奔走し、からくも入所手続きを終え、入所の日取りも整えた。


「父さんには悪いけど、これで何日かはホッとできるかもね、夜も寝られるね」


そんな家族の淡い期待は僅か2日で崩される。
仕事中に、突然ショートステイ先の施設から電話が入り、今から父を自宅に連れ帰るので、どなたか家族にいて欲しいという急な知らせには、ただただポカンとするしかなかった。


「あの・・ いったいどういうことですか?」

「・・いえ、その、実は・・ お父様なのですが、他の入所者様の”脅威”になってしまいまして・・」

「・・え? 脅威って・・?」

「とにかく、これからお連れしますので宜しくお願いいたします」

「・・・・・・?」


あまりにも急な展開だった。
相手が余程慌てているのが分かった。
急遽仕事を早退し、自宅に戻るや否やのタイミングで父を乗せた施設の車が到着すると、父は車椅子に座らされたままの状態でリフターで降ろされた。


「いったい、なにがあったのですか? 脅威って・・・?」

「・・・・・・あまりにも、その、、粗暴・・でして」
 
「え・・・?」

「四六時中、大声で叫ぶというか・・ 怒号や罵声を他の入所者さんに浴びせ続けるような状態でして・・」

「・・・・・・!?」

「皆さん、寝られなくなったり、怯えだしたり、いわばその、施設全体がざわつき始めまして・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

「我々も長年プロとしてこういう仕事をしてきましたが、その・・・ お力になれず、本当に申し訳ございません」

「・・いえ、こちらこそ、ご迷惑を・・・・・・」



その日の父の呆けた笑みが思い起こされる。
そんな前科があったのだ。


そしてこの程の顛末となり、いよいよもって、どうしようもなくなった。
父からは目を離せず、母は病んで寝付いてしまっている。
またしても、家族で介護をする度を越えてしまったのだ。
ショートステイを退去させられたあの日の一件より、さらに酷い有様となって。
やはりケアマネージャーに相談するしかなさそうだった。


(日に何度かヘルパーに来てもらおうか・・・)

(いやだめだ、それは母が最も拒否していることだ・・・「家に他人は入れたくない!」って)

(じゃあやっぱ、駄目もとで、またショートステイを探してもらおうか・・・)

(いっそ、特養に申し込もうか・・・ けど、施設で暴れるヤツは即退去させられるんだよな・・・)

(つーか、ウチの父は”要介護3”だから駄目だ、介護認定度が低すぎる・・・)

(しかも”要介護5”でさえ 順番待ちらしいからなぁ・・・ 何百人待ちって聞いたな・・・)

(それにしても、家の中、臭くてたまらん・・・ あっ、そうだ、父のオムツ交換しなきゃ・・・)



様々な思考が巡っては立ち消え、浮かんでははじける。
やはりケアマネージャーに相談する他なさそうだった。


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タグ:介護 認知症
posted by ココカラ at 04:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 介護

2016年08月30日

寝不足というかエネルギー不足というか・・

のっけの記事から脱力(脱魂とも云う)気味だが、
ホントに眠いというかチカラが出ない。
さてそれは元来の不摂生によるものなのか
栄養バランスが偏っていることに起因することなのか
やっぱり加齢なのかは定かではないが、ここ最近やばい。。

医者に行くと、大抵こう言われる。


「あの、休んでください、死にますよ」


苦笑・・・


ちなみに看護師のオネイサンにはこう言われる。


「今日も元気そうですね〜♪」


・・・・・・





そんな掴みどころのない最近だが、
まぁ、毎日目覚めて、そして眠るまで活動しているので一応は良しとするしかない。
日々思うことではあるが、どんな日常においてもそれは感謝の一言に尽きる。

「嗚呼、今日も起きて動いて食って眠ってる」

ホントに感謝だ。
ただそのバランスが、ここのところ多少、または大いに乱高下しているのが、
先の医師の言葉であり、看護師のオネイサンの言葉になっているのだろう。
そう、医者に言われずとも・・・
うんうん、なるほど良くわかる。

では何ゆえ、そんな乱高下を招いているのかと考察すると・・・

・・・・・・いや、考察するまでもなく、種々様々色々と浮上し、ぐるりと自身を取り囲む。



「 いよいよもって、変わるときが来たのだろうな・・・ 」

「うん・・ もう随分、向き合ってきたしな・・・」

「うん・・ だよな・・・」



ここのところ、こんな言葉ばかり胸の奥で反芻している。

反芻といっても牛のように一度食したものを再び口に戻して咀嚼し、また飲み込んでいるわけではない。

いや、似たようなものかもしれない。。

そんな、反芻の日々。。

なので美味しいモノ食べて、しっかり飲み込みたい(^^;

あと酒も。。




posted by ココカラ at 14:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常
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