2018年02月06日
『競技かるたの父』黒岩涙香
漫画や映画【ちはやふる】など、それまで以上に多くの人の視線が注がれることになった『競技かるた』
今や日本のみならず海外にも多くのファンがいて、日本と外国との良い繋がりがまたひとつ増えている事にワクワクしている今日この頃
以前投稿した記事「宮崎駿初監督作品”ルパン三世カリオストロの城”の元になった小説」の中で、小説【幽霊塔】を翻案小説にしたのが【黒岩涙香氏】だという話しをしたのだけど、実はその黒岩涙香氏こそ『競技かるたの父』と呼ばれる人だったのです
明治期のジャーナリストだった黒岩涙香はそれまで統一したルールが存在していなかった「かるた競技」の競技方法統一を図るべく、明治37年(1904年)に「東京かるた会」を結成。自らが主催する新聞「萬朝報」に広告を出し選手を募り、同年2月11日日本橋常磐木倶楽部にて「第一回かるた大会」を開催する。その他、同新聞に 「小倉百人一首かるた早取り秘伝」を掲載したり、現在のかるた競技の基底となるもの「最も公平なる歌留多」を提唱している。
それ以前のかるた競技において、かるた札の並べ方は2段から4段と各自まちまちだったが、それを行儀上3段に統一。持ち札の枚数を各自25枚と定めたのも「東京かるた会」であった(ただし当時4開戦までは予選で予選での持ち札は16枚だった)。など
(競技かるたの夜明参照)
『競技かるた』についてより詳しく知りたい方は”たこるさん”のサイト競技かるたのページ(日本競技かるた史(2))で沢山学べます
早すぎて手が見えない。。。
最新作映画【ちはやふる-結び-】が春に公開される事で更に注目度が上がりそうな『競技かるた』
その競技かるたには『競技かるたの父』と呼ばれる人がいて、それが「幽霊塔」に繋がる『黒岩涙香』氏だったというのが意外性特大で驚きました。幽霊塔を元に『カリオストロの城』が作られているなど、ひとつを深く掘り下げていくと、意外なものが意外な繋がりを見せてくれたりするので、そこがまた面白い所です
『競技かるたの父』についてはここまでですが、『競技かるた』に使われる『小倉百人一首』についてもまた別の機会に投稿できたらいいなと思います
<かるた関連サイト>
全日本かるた協会
小倉百人一首を見て聞いて遊べる百人一首