新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
2015年10月07日
優しいバスの運転手
今日バスに乗ったら満員で、自分は通路の真ん中で不安定この上ない状態。
そんな時、バスの運転手さんが運転しながら「次右曲がりまーす」とか「降りる人にご協力をお願いします」など色々と乗客を気遣う声かけをしてくれていた。立って不安定な時はこの声かけがあると踏ん張りどころがわかるので、とても助かる。満員の中途中で降りるのもなかなか大変なんですよね。
運転手さんによっては乗客を無視した乱暴な運転をする人もいるなかでこういう運転手さんがいるとちょっと嬉しい。良い気分で帰宅する事ができました
最後までお読み頂きありがとうございました。応援のバナークリックよろしくお願いします
民俗学ランキング
旧作借り放題付きプラン等々も有り
詳しくは『その他のプランを見る』をチェック
2015年10月09日
『クールジャパン』をクールに説明する麻生大臣
「クールジャパン」と聞いて日本人なら何を真っ先に想像するだろう?
テクノロジー・アニメ・和食・おもてなし…
全て我が国日本が世界に誇れる素晴らしい文化だ
しかし、その一方で日本人なら『当たり前』と思っている事が実は海外の人から言わせると、これが最もクールなジャパンなんだと言われているらしい
そんな「クールジャパン」について国会で「麻生大臣」が説明している動画がある
日本人なら一度見ておいてほしいこの動画
日本人として日本に生まれて良かったと改めて思わせてくれる、そんな動画だ
麻生さんは色々と誤解を受けてしまうところもあるけど、説明が上手くてその内容に深みもあって、かつ面白さもある
日本が心底好きな人だという事が、言葉の奥から溢れ出ている
最後までお読み頂きありがとうございました。応援のバナークリックよろしくお願いします
民俗学ランキング
旧作借り放題付きプラン等
2015年10月10日
お天気お姉さんの「紅葉のいろは」が可愛すぎ
「あさチャン!サタデー」という番組の中で『紅葉』の映像が紹介されていて、奥日光の『竜頭の滝』が美しく彩られていた
と、ここで天気予報士の元井美貴さんが、紅葉について『いろは』に例えて可愛い紹介をしていました
いろ・・・色づきは最低気温8度
は ・・・速さは秒速にすると20〜30p
これをフリップにして、楽しそうに紹介していている姿が可愛すぎて一瞬で虜
山々が紅や黄に染まる景色は最上の癒し
心身ともにリフレッシュするには最高です
ちなみに東京都心の見頃は、11月下旬頃だそうです
2015年10月11日
あの大震災の後にこれほど前向きな姿勢を
見せる人々『これが日本民族』
2018年01月28日
『真の大和魂』が目覚める時
プロパガンダは日本人を崩せない
数年前まで戦後のプロパガンダ政策にすっかりはまっていた多くの日本人。今それが崩れはじめている。いや『気づきはじめている』と言った方が正しいだろうか
いつからかプロパガンダに関する知識や情報を個人個人がインターネットを介し発信し『大東亜戦争』の真実が多くの人に知れ渡るようになり、同時に書籍等も数多く出版されることで、それらを初めて見た人達が一気に『目覚める』という現象が起きています
『日本民族の真の姿』を目のあたりにした時、今まで感じていた日本に対する考え、日本人に対する考えが根底から覆されるのです
あの大戦は、どのような経緯で始まりどのように終わったのか。A級B級C級戦犯などと呼ばれた方達の事、その裁判のこと。神風特別攻撃隊とはいかなるものだったのか、またそれを見送る人達は。GHQ司令官マッカーサーに面会した昭和天皇の御言葉
他にも、日本人が知っておかねばならない事が山のようにあります
この事が真実なのかどうかは、自分がどう感じるかでわかります
脈々と流れる血や魂がそれに応えるからです
自分は涙がその応えとなりました
勤務先の休憩時に見ていたにもかかわらず、涙が止まりませんでした
あとからあとから目から勝手に溢れてくるのです
知人に、自分が見た内容のものを教え、見てもらった所、全く同じ状態になったそうです
涙を流しながら頭に浮かんだこと
『今まで自分はなんて無駄な生き方をしてきたのか』
それが自分の真の日本民族としての目覚めでした
どう思い、どう考えるかは人それぞれだと思いますが、自分の知る限り多くの人は泣いています
男も女も関係ありません
プロパガンダに気づいていなかった自分は、日本民族でありながら日本民族ではありませんでした
では、プロパガンダを受ける前の日本人というものは、いかなるものだったのか
『神風特別攻撃隊』の真の姿とは
(当初8:44からは森山直太朗さんの『さくら』がかかっていました)
いかにして、今自分達が日本という国に、こうして立つ事が出来ているのか、言葉には言い表せません
今、この眠った状態でさえ、日本人の立ち居振る舞いは世界の人々から、年を追うごとに注目されています
海外メディアでは、日本人の行動に賞賛の言葉が贈られていたり、有り難い事には、その姿に驚いたり感動したりしている声を、動画サイトに投稿している外国人の姿も、多く見つける事ができます
日本民族の古い魂、眠ったままの『真の大和魂』を、今目覚めさせる事ができたならば、昨日までの自分とは全く違う境地を見ることになると思います
戦後、GHQの大きな誤算、それは、日本民族はどのような状況におかれても、決して誇りを失わない民族であり、いつでも当たり前のようにそれを行うことのできる人々だったということ。そして、日本人全ての心の奥深くに眠る『真の大和魂』は、今まさに『目覚め』の時を迎えています
2018年05月03日
『こいのぼり』の歌は二つある
♪やねよーりーたーかーい
こいのーぼーぉりーーー♪
『鯉のぼりの歌をうたってみて下さい』
と言われたら、このフレーズを思い出す人がほとんどではないでしょうか
♪おおきーいーまごいーはーおとうーさーんー
ちいさーいーひごいーはーこどもーたーちー
おもしーろーそーうーにーおよいーでーるー♪
実に、ほのぼのとした良い歌です
が、鯉のぼりの歌がもうひとつあるという事を、覚えていますか?
♪いーらーかーのなーみーとー
くーもーのーなーみー♪
で始まる『鯉のぼり』の歌
<歌詞>
甍(いらか)の波と 雲の波
重なる波の 中空(なかぞら)を
橘(たちばな)かおる 朝風に
高く泳ぐや 鯉のぼり
開ける広き 其の口に
舟をも呑まん 様(さま)見えて
ゆたかに振(ふる)う 尾鰭(おひれ)には
物に動ぜぬ姿あり
百瀬(ももせ)の滝を 登りなば
忽(たちま)ち竜に なりぬべき
わが身に似よや 男子(おのこご)と
空に躍るや 鯉のぼり
とても美しい日本語『大和言葉』が沢山並ぶ詩なので、こちらの歌も是非子どもと一緒に歌ってほしいなと思っています
ちなみに、歌い始めの『甍(いらか)の波』の意味は『甍』は屋根の背、あるいは屋根瓦のことで『甍の波』は連なる屋根を海の波と喩えた、美しい大和言葉なのです
『こどもの日』に二つの『こいのぼり』を歌って、子どもの成長をお祝いしましょう
2018年10月01日
シャイな人は古(いにしえ)の魂を受け継いでいる
魂が古いというのは『輪廻天性』を繰り返してきたということであって、それだけ古い記憶を潜在意識の中に持っているということだろうと思う
世の男と女、大きく分けて二つに分けることができる
”触れ合いに抵抗がない人”
”触れ合いに抵抗がある人”
”触れ合う”といっても、ここでいう触れ合いは深い意味ではなく、友達同士の体を使った軽いコミュニケーションも含まれる
抵抗がない人にとったら「なんで?」と思うものであっても、子どもの頃から手を繋ぐことがあまりないとか、友達同士であっても簡単に体に触らないとか(同性であっても)人との距離がそういう人達より少し遠い人もいる
では何故そういう”感覚”が備わっているのか?ここで魂の古さに注目した
"輪廻天性”を繰り返してきた魂の歴史が”潜在意識”の中に強く残っていることが、現在でも”潜在意識レベル”で人とのコミュニケーションに大きく関わってきているのではないだろかと
いにしえ(千年以上前)の日本の貴族社会では、結婚の意思があっても男が女の顔を簡単には見られず好意を寄せる相手(女)にはまず自分の気持ちを表す歌(和歌)を贈る。それに対し女から返の和歌があり、そんなことを繰り返しやっとお互いに近づくことができる。
触れ合うなどということが簡単にできるような状況になく、逆を言えば触れ合えるようになったという事はすなわち親密な関係になったということになる
つまり、触れ合う・顔を見る・名を問うなどという行為が男女の関係にとても深い意味を持っているのだ
ここで最初に戻ると、消極的でシャイに見えるような男性・女性はここであげた一部の意識”人の顔を見る”ことや”名前を聞くこと”やましてや”触れる”ということにとても深い意味を持つということを”潜在意識”レベルで感じているため、それに対して人より敏感になっていると考えられる。そう考えられるしそう思うのが一番しっくりくる
男でも女でもシャイな人はこの世に沢山いるが、もしかするとそういう人達は千年の時を越え日本の雅な世界に生きた古(いにしえ)の魂をもった人達なのかもしれない
2020年04月18日
繰り返し使う、長く使う
新型コロナウイルスの影響で「使い捨てマスク」が手に入らない状況が続いている
そんな中、最近よく見かけるようになったのがマスクを手作りしている人達。使い捨てマスクが手に入らないからのようだけど、洗って繰り返し使えるものを作れる事の方が人間が進化した姿なのだと思う。
自分も使い捨てを使っていたけど、簡単だからと安いからだと捨てたゴミの行方もちゃんとわかってないままのものを使うより、洗って繰り返してできるだけ長く使えるものを選んだ
同じものを繰り返しできるだけ長く使う、そういうものを作る、日本人は元々そういう民族。
自分も出来るところから本当に少しずつだけど、使い捨てからこちらに切り替えていきたいと思う
最近読んだ本で浴衣の一生というものがある
母親が縫った浴衣を子どもに着せる、子どもが大きくなると肩上げとか腰上げとかいう縫い上げていた部分をほどき長くして調節する。さらに大きくなると下の子に着せる、次々と着られた浴衣はつくろいのあとが目立ったり擦り切れたりして外で着られなくなる、外で着られなくなると寝巻きになる。ここまで着た浴衣は布が柔らかくなって寝巻きに最適だそうだ。寝巻きとして着続け、更に布地が弱って柔らかくなると赤ちゃんのおむつになる。幼い子どもの肌には使い古した木綿がちょうど良いらしい。おむつとしても使い古された浴衣は雑巾になる、雑巾としての寿命はいくらもない。そうして最後の最後ボロボロになった古浴衣は昔は当たり前だったかまどや風呂釜の燃やす燃料となった。
この時燃料となった古浴衣は木綿の原料である二酸化炭素と水に戻るという
使い捨ては簡単だ。安いから躊躇なく捨てられる。服を一度着ただけで捨てる人はまずいない。しかし果たして金額の問題なのだろうか。簡単にものを捨てる事が人間の進化した姿なのだろうか
ひとつの面倒臭いを、ひとつの簡単を、たったひとつの手間にするだけで日本中で換算したら相当変わるのではないだろうか。物事は全て一人からしか始められないけど、一人からしか二人や三人にする事はできない。浴衣の一生に見る日本人のつつましく丁寧な暮らしぶりを、今この状況だからこそ見習って行動に移していけたらと思う
使い捨て文化からまた繰り返し文化へ方向転換する時期が今来ているのかもしれない
記事@ヤマトウズメ
写真提供@フリー素材ぱくたそ
この記事は日本のすゝめにも載せています
2021年04月11日
【ランドセルのはじまり】は幕府陸軍帝国陸軍、大正天皇、伊藤博文にまつわる話しから
原型
幕府陸軍が携行物を収納するための装備品としてオランダから伝わった背のう「ransel(ランセル)」がその後「ラントセル」「ランドセル」と呼ばれるようになった。
通学鞄になったきっかけ
1887年(明治20年)、当時皇太子であった嘉仁親王(のちの大正天皇)が学習院初等科に入学する際、伊藤博文がお祝いの品として帝国陸軍の背のうにならった鞄を献上したのが通学鞄のきっかけとなったそう。
全国への普及
全国に普及したのは、高度成長期を迎えた昭和30年代以降。昭和30年(1955年)のランドセルの価格は2,500円で、あんぱんが1個12円で買える時代でした。平成元年(1989年)には28,000円になり、令和となった現在は30,000円台〜60,000円台くらいまで幅広いタイプがあるようです。そして現在様々な色のランドセルを見かけますが、黒と赤以外のカラーランドセルが登場した1960年代にはあまり売れず、売れるようになったのは2000年代以降のようです。
変わらない思い
価格や形や色の歴史に時代の移り変わりを見ることができるランドセルですが、「6年間大事に使う」という思いは今も昔も変わらないようです。
参考引用:地域新聞今日の豆知識・ランドセル工業会・ウィキペディア
2021年04月18日
丁寧を極めた日本民族
【千三百年変わらない法隆寺の柱】
千三百年の時を越えて、建てた時の柱がそのままずっと立ち続ける法隆寺
蝉の声と共に門をくぐれば、全く違う時代へ迷いんだかと錯覚を誘う眺めが目の前に現れる
百年先千年先を見通す目を以って建てる木を見た職人達は、そうする事が当たり前であって、それが人生そのものだったのだろう
世界最古の木造建築を可能にした日本民族は、ひとりひとりが自分の為すべきことにただ真摯に向き合い、淡々と誠実に正直に仕事をしていた
決してそんなことは思わずに自分にできる最大の事をしていた事が、魂を込めるということになっていた
日本民族は外国の文化を取り入れて、それを日本の国に合うように上手いこと融合させてしまう。「和を以って貴しと成す」聖徳太子の言葉そのもの
『丁寧』を極めた日本民族が『和』の精神で生きているこの国には、千三百年何も変わっていないものが沢山残っている
【法隆寺】公式Webサイト
2022年06月19日
日本人の魂は眠ってなどいません
以前、真の大和魂が目覚めはじめているという記事を書きました
しかし、ここ最近思うのは日本人の魂というものは元々眠ってなどいないのでは?ということ
戦後のあの占領政策をもってしても、日本人は眠るどころか、その苦しい生活の中でいかに人として恥ずかしくない生き方をし、まわりとの調和を尊び、つつましくありながらも常に前を見て、何千年、何万年と続く日本人としての立派な姿を保ち続けてきました。つまり日本人は、ずーっと起きっぱなしだったと思うのです
もし眠っているとしたら、震災の時、皆んな同じように苦しいのだからときちんと整列し、嘆きわめく者もなく、強奪なども起きず、なんなら並べない人達に自分の順番で支給されたものを当たり前のように手渡し、また当たり前のように並ぶ。高齢者や子どもたちを第一に考え、そのように行動する、このような立ち居振る舞いはできないはずです
世界的なサッカーの試合観戦でも、負けたのにもかかわらず、悔し涙は流すものの、わめくものもおらず、グラウンドと素晴らしい戦いをした相手チームに敬意を表し、それまで世界では考えられなかった自分達の座席や応援エリアを綺麗にして去るということをやってのける。こんな事も、眠っていたのだとしたら到底できることではありません
財布を落としても戻ってくる、困っている外国人のために自分の時間を削って案内してあげる、お店に訪れたお客様のために心づくしのおもてなしをする。このようなことは多くの国、海外で驚きの声とともに賞賛されています
しかし、日本人からすれば、何故?当たり前のことをしているだけですよ?となる
その国の文化は、その国民の「当たり前」の中にあります
当たり前のことが戦前も戦後もずっと変わらず行われている。つまり日本人は、日本人の魂、大和魂は元々眠ってなどおらず、ずっと起きているということです
では一体何が起きているのか?
それは「日本人は日本人を信じている」ということです
日本人が日本人を信じていなければ、何千年という世界で最も続く国にはなりえません
戦後、占領政策の中、日本を日本人を守ろうとし、立派な行動をしてくれた政治家や、心ある者達が沢山いました
国民の大きな輪の大元の部分をそのような方達が守っていてくれたため、最前線で生きる日本人は自分の道に、仕事に、生活に打ち込むことができました。最先端で生きる人々が国をさらに発展させ大きく広くして、文化を育んでいくのです
それが、いつしか大元の部分の方向が変わっていってしまったのです
何年も何年もかけてゆっくり変わってしまったため、最先端で生きる日本人はそんな事思いもせず、当たり前のように日本人を信じてきたのです
だから、リサイクルは良いですよ、分別しましょう、となれば細かく分別し一番良い形で大元に渡るようにする。それを信じているからです
学校の行うこと、先生の教えも、教育のやり方も、思考が柔軟な小さい頃からそれを信じてきました
テレビで流れることを信じるのもこれと全く同じことです
そこに疑いを持たないのです。教師や人の上に立つ者の言う言葉、教え、それを信じきっているのです。人の上に立つ者、影響力のある日本人が日本人に対して嘘をついたり、騙したりなど無かったからです
日本人が日本人を一番信じている、そういう民族であり、そうであったから日本は世界で一番長く続いてきたのです
だから今起きている騒動も、日本人の民族性を考えれば当たり前のことなのです
むしろ、このように日本人が日本人を信じているという当たり前の精神は変わってはいけません
変えなければならないのは、国民が暮らす輪の大きな動きを司る、大元の部分です
今、この大元の部分は信じられないほど強大な力によって身動きが取れないような状態にまでなっています
これを変えるには、また日本人が「信じる」に値する真っ当なものに変えるには、一旦、ただ信じるだけの国民が、そこに目を向けなければなりません
日本国民ひとりひとりの力を注いで、これをまたゆっくりでも、日本民族が日本民族らしく暮らせるものに正さねばなりません
この美しい日本がこれからも美しい日本であり続けるために、日本人が最も大切にする、平和を尊び、五穀豊穣、子孫繁栄、をこれからも何千年、何万年と続けるために、眠ってなどいない、ずっと起きている日本民族の魂の目を、大元の部分に向け、国民ひとりひとりの手で正す時が今きています