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2017年12月07日

月読命の謎 その2

さて、古代から大和まで、一応、一通り見てきました。

ずいぶん前に、月読命は瀬織津姫であるとの結論を示しま
した。

それは、彼女が三島の溝杭(灌漑の意だと思います)の娘
である勢夜陀多良比売=玉櫛媛であるという前提に基づき、
太陽である饒速日命の奥さんである月としての対比として、
伊勢神宮にもともと「日月」として祀られていたのではな
いかとの推測によるものでした。

今度は、月読=「暦」の側面から、考察してみたいと思い
ます。

日本に暦があったと確実に分かるのは、6世紀頃朝鮮半島
の百済から伝えられた宋の時代の中国暦であります「元嘉
暦」(げんかれき)ですが、6世紀まで暦がなかったはず
がありません。

日本は古くから海洋国家であり、漁業や航海にも必要だっ
たはずですし、稲作という農業が普及し始めたわけですか
ら、絶対、何らかの「暦」が必要だったはずです。

古事記・日本書紀の天皇が長命過ぎることから、1〜6月
末と7〜12月末でそれぞれ1年と数える「2倍年暦」が
あったのではないかと唱えられる方もいらっしゃいますし、
さらに、古事記では、3・6・9・12月の4回も1年が
あった「4倍年暦」だったのではないかと言われる方も
いらっしゃるくらいです。

おそらく、「証拠はないけど古代暦はあった」と考えるの
が妥当だと思われます。

それほど正確でなくても、少なくとも、春=種まき、夏、
秋=収穫、冬の区別や、出産までの妊娠期間、満月と新月
=大潮(満潮)くらいの知識はあったことでしょう。

月読命の指示で、季節に応じた作業や出産に係る準備を行
っていたのだろうと考えられます。

だからこそ、「月夜見」や「月弓」などだけではなく、
「月読」という字をあてたのだと思います。

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posted by mydears at 13:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 月読命
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