2018年02月17日
松の巻 第13帖
この世界は浮島であるから、人民の心通り、悪くもなり善くもなるのざぞ。食う物ないと申して歩き廻っているが、餓鬼に喰わすものは、もういくら捜してもないのぞ。人は神の子ざから食うだけのものは与えてあるぞ。神の子に飢え死にはないぞ。弥栄のみぞ。ここはまず、世界の人民の精神良くするところであるから、改心せねばするようにいたすぞ、わからんのは、我構う人慢心しているからぞ。
旧五月十六日、アメのひつ九Θ。
「この世界は浮島であるから、人民の心通り、悪くもなり善くもなるのざぞ。」
世界は浮島のように、人の心が善ければ浮き、悪ければ沈むそうです。
「餓鬼に喰わすものは、もういくら捜してもないのぞ。人は神の子ざから食うだけのものは与えてあるぞ。神の子に飢え死にはないぞ。弥栄のみぞ。」
神の子である人には食べるものがあるが、餓鬼には無い。つまり、人の心を持たない人には食べるものは無いということでしょうか。
「ここはまず、世界の人民の精神良くするところであるから、改心せねばするようにいたすぞ、わからんのは、我構う人慢心しているからぞ。」
我構う人というのは、「守護神・守護霊」のことを言っているのでしょう。あるいは「人」ですから、「自分自身」のことかもしれません。
旧五月十六日、アメのひつ九Θ。
「この世界は浮島であるから、人民の心通り、悪くもなり善くもなるのざぞ。」
世界は浮島のように、人の心が善ければ浮き、悪ければ沈むそうです。
「餓鬼に喰わすものは、もういくら捜してもないのぞ。人は神の子ざから食うだけのものは与えてあるぞ。神の子に飢え死にはないぞ。弥栄のみぞ。」
神の子である人には食べるものがあるが、餓鬼には無い。つまり、人の心を持たない人には食べるものは無いということでしょうか。
「ここはまず、世界の人民の精神良くするところであるから、改心せねばするようにいたすぞ、わからんのは、我構う人慢心しているからぞ。」
我構う人というのは、「守護神・守護霊」のことを言っているのでしょう。あるいは「人」ですから、「自分自身」のことかもしれません。
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