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人生を振り返ると、股関節変形症との闘い、化学物質過敏症との付き合い、卓球命の頃、楽しい趣味(ピアノ、写真、バイク、仏教の勉強)、仕事(人事、職業相談)が主な出来事です。
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2023年02月18日

仏教と人生 その6

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花園大学佐々木閑先生youtube仏教講義(阿含経) 五蘊を何とか理解し、次は十二処に入りました。五蘊篇では「五蘊(色受想行識)=無常、苦、無我=私ではない」が公式のように何回も出てきて諸法無我を徹底して説かれましたが、十二処でも諸法無我を角度を変えて説かれています。十二処は世界を十二の領域に分けることが出来ると説かれます。十二を六、六に分け、内側のものとして「六処内=六根(眼耳鼻舌身意)=認識機関」、外側のものとして「六処外=六境(色声香味触法)=認識される側」に分かれます。内である認識機関六根が外側の六境を捉える。六根のそれぞれが、六境のそれぞれの領域を捉え、六、六という全体で私というもののあり方を作っている。間違った考えの者は、まず私という存在があって眼や耳を使って、外側の情報を捉えていると考えるので常に私という主役がいる。まず最初にあるものは私じゃなくて、六根(認識機関)が六境(認識される情報)を捉えて総合的に統合されたときに私という錯覚がそこから生まれてくる。凄すぎる世界観。普通は私という存在を認識しているので、私が外側の情報(六境)を捉えていると考えると思いますが、その逆で六根と六境の総合作用で私という存在がそこにいるという錯覚が生まれ、私という主役を仮に作り上げてしまっている状態が今の私たちだそうです。だから私が見たり聞いたりしているという錯覚世界に慣れてしまっているとのこと。映画マトリックスを思い出しました。現実世界にいると思ったら肉体はカプセルの中にいたみたいな内容でしたよね。仏教はあなたの世界は逆方向に出来ているのでそれをちゃんと観なさいとのこと。私があるとか我があるという間違った考えから抜けないと諸法無我が理解できませんよとのこと。やはり徹底して諸法無我ですね。私とは一体なんだろうという答えの一つがここに示されている。私があるのではなく先に六根と六境の総合作用があり、私という主役がいるという錯覚が起きる。錯覚のせいで我欲が強くなり、私中心の世界がそこに現れ苦しみの原因になっているとのこと。なぜありもしない我を設定してしまうのか、見るとか聞くとかの現象を後で我に落とし込んでしまう、そこに間違いがある、そこを直せば連鎖的に苦しみも消える。やはり仏教は苦しみを減らす教えですね。十二処は、六根が六境を捉える総合作用で私という存在があるように錯覚を起こしているということがポイントでしょうが、私が見ている聞いているという方向に慣れてしまっているのでそれを逆方向が正しいと言われても、逆方向にみる訓練が必要ですね。いやはやすごい世界観ですが、これを理解し実践できるとしたら自分という縛りから解放され自由になれる気もします。五蘊も十二処も諸法無我!でした。
posted by kayago at 20:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教
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