仏教講義 心が無病?
身体が病むこと老化することは当たり前。五蘊の中に自分があると思う者は心が病んでいる。うーん厳しい。また五蘊かよーって思われるかもしれませんが、また五蘊です。人間は五蘊で構成されているわけですから五蘊を通して人生を楽しんでると思います。だから五蘊を自分と思ったり、五蘊の中に確固たる自分が存在していると思いたくなりますよね。仏教はそれを否定されるので厳しいなーと思います。確固たる自分(我)は変化しないと思い込んでいたり、確固たる自分にしがみついて生きていると五蘊は変異するので苦しみが生じる(心の苦しみ)。心が無病の者は五蘊を我と捉えない者と言われます。その者は五蘊が変異してもその者には心の苦しみが生じない。自分の経験で考えてみると五蘊をフル活用して卓球命みたいな人生を送っていたので、卓球を通して価値観が形成されていました。その価値観がずっと続くと思い込んでいたのかも知れません。あまりにも充実していた期間なので強烈な快感(幸福感)として記憶に残ります。ストレスや病気で五蘊が変異してくると当然価値観の継続は出来なくなり(諸行無常ということでしょうか)苦しみが生じました。言われてみればその通りなんですが、五蘊を我と捉えないを体得することが出来るでしょうか?出来れば心の苦しみがなくなるでしょうね。人間は五蘊(色、受、想、行、識)で存在している。色(肉体等物質的要素)、受想行識(心の内側)の五つの集合体で