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人生を振り返ると、股関節変形症との闘い、化学物質過敏症との付き合い、卓球命の頃、楽しい趣味(ピアノ、写真、バイク、仏教の勉強)、仕事(人事、職業相談)が主な出来事です。
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2023年02月10日

人生と仏教 その4

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仏教講義 心が無病?
身体が病むこと老化することは当たり前。五蘊の中に自分があると思う者は心が病んでいる。うーん厳しい。また五蘊かよーって思われるかもしれませんが、また五蘊です。人間は五蘊で構成されているわけですから五蘊を通して人生を楽しんでると思います。だから五蘊を自分と思ったり、五蘊の中に確固たる自分が存在していると思いたくなりますよね。仏教はそれを否定されるので厳しいなーと思います。確固たる自分(我)は変化しないと思い込んでいたり、確固たる自分にしがみついて生きていると五蘊は変異するので苦しみが生じる(心の苦しみ)。心が無病の者は五蘊を我と捉えない者と言われます。その者は五蘊が変異してもその者には心の苦しみが生じない。自分の経験で考えてみると五蘊をフル活用して卓球命みたいな人生を送っていたので、卓球を通して価値観が形成されていました。その価値観がずっと続くと思い込んでいたのかも知れません。あまりにも充実していた期間なので強烈な快感(幸福感)として記憶に残ります。ストレスや病気で五蘊が変異してくると当然価値観の継続は出来なくなり(諸行無常ということでしょうか)苦しみが生じました。言われてみればその通りなんですが、五蘊を我と捉えないを体得することが出来るでしょうか?出来れば心の苦しみがなくなるでしょうね。人間は五蘊(色、受、想、行、識)で存在している。色(肉体等物質的要素)、受想行識(心の内側)の五つの集合体で必ず五つで一つ
です。色と受想行識を分けて考えてはいけないとのこと。まあ病気になれば心も不安になるので身体と心は一体だなーって経験上思ってましたが。受は、外からの刺激に対する反応(楽、苦、どちらでもない)、想は受にもとづいて世界を構成、行は、もともと意志作用だったらしいですがその後の解釈でそのたもろもろを含めるとなったようです、識は、外からの情報を写し出す認識作用(心)ということらしいです。本当にお釈迦様は人間を細かく細かく細部まで分析された方ですね。さて五蘊に確固たる自分(我)は存在しないと一足飛びに悟ることは出来ないでしょうが、日々訓練を重ね、少しずつ五蘊からの影響を受けないようになっていきたいものですね。いやー俺は一生快感を追い求めるという方もおられるでしょうが、それはそれで一生継続できれば素晴らしいことでしょうね。仏教は、幸せになるために存在するのではなく、苦しみを減らす法であると考えるのがいいと思います。諸行無常、諸法無我!
佐々木先生お疲れ様です。いつも素晴らしい仏教講義ありがとうございます。感謝感謝。
posted by kayago at 14:34 | Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教
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