2023年02月11日
仏教と人生 その5
仏教講義 五蘊(色受想行識)=無常、苦、無我
またまた五蘊です。自分でも整理したいので投稿しました。お釈迦様の弟子である舎利弗(十大弟子の一人)さんが言われるには、五蘊に我が無いことを分かっていても五蘊に執着してしまう、五蘊の作用や要素一つ一つに執着してしまう。五蘊に我が無いことを知り、世の中が正しく見えるようになったとしても、五蘊に執着している限り正しい生き方ではないと言われます。また厳しい言葉ですよね。仏教の世界観と比べると執着まみれの人生ということになりますよね。美味しいもの、音楽、スポーツ等々あらゆることを五蘊を通して楽しんだり、生きがいにしたりして生きていると思いますから。やはりこの生き方で充実している方にはあまり仏教は関係ないことかもしれませんね。さらに舎利弗さんは、五蘊に対する欲望を抑えることが出来れば五蘊が変異してもそれによる憂い悲しみは生じません。五蘊に執着して生きることは必ず将来の苦へと繋がっていくと言われます。うーん厳しい。さらに五蘊は苦そのものであって、五蘊が幸せになるとか安楽になるとか絶対ありえない、私という幸福になる存在はどこにも無い(無我)と言われます。ますますこんがらがってきました。結局どういうこと? さらに無我であるもの(五蘊)は私ではない、私のものではないと智慧によって知るべきである。無我であって私という実在はない。五蘊は私でないことを体得することが智慧の働きであり、究極の目的である。キターーー、結論「五蘊は私でない。」人生に対する価値観大破壊。すごい世界観ですよね。もし本当に生きている間に五蘊と厭離できたら一切の苦しみがなくなるんでしょうね。凡人には厳しい話ですね。仏教はやはり苦しみを減らす智慧なんですね。ちょっと話がそれますが、こういう仏教の世界観(五蘊は私でない)を知ると人間は五蘊という素晴らしいシステムを駆使して地球上や宇宙というバーチャル空間(仮想現実)(五蘊は私でないから)を好き勝手に生きているように思えてきました。またこの世界が仮想空間なのにさらにweb3.0とかメタバース等バーチャル世界を構築しようとしているので、バーチャルからさらにバーチャル?って感じに思えてきました。私だけ?
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/11859755
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック