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仏教講義 五蘊(色、受、想、行、識)といろは歌
五蘊は無常であり苦である、苦であるものは無我である。なんかよーわからん。五蘊は人間を構成しているものだからそれが無常であることは理解できますが、苦であるとか無我であるということはなかなか難しいですね。健康な時は楽しいですからね、五蘊は苦であると言われてもねーって感じです。阿含経では無常なものは苦であり、五蘊は無我である、無我であるものは私のものではないと続き、五蘊は私(我)ではないとなります。仏教は信仰するものでなく智慧を知り体得していくものだそうです。五蘊は無我であり、私ではないことを体得することが目的だそうですが非常に難しいですね。五蘊=無常、苦、無我。五蘊は無常であり、有為(うい 時とともに変容し崩れるもの)であり、縁によって生じ、消滅する。このことをいろは歌に表現されているようです。
いろはにほへと ちりぬるを わかよたれそ つねならむ ういのおくやま きようこえて あさきゆめみし よいもせす(色は匂えど散りぬるを我が世誰ぞ常ならむ有為の奥山今日越えて浅き夢見じ酔いもせず)。この歌の解釈はいろいろあると思いますが、佐々木閑先生の講義では、五蘊という迷いの山を越えて智慧が働き本当のこの世の姿が見えてくるという歌だそうです。有為の奥山越えられたらいいですね。その2と内容がかなり重なりましたが、阿含経の講義では五蘊を理解することが大変重要だと思いました。