日頃、ご声援をいただきありがとうございます。
本日は皆さまにご報告がございます。
私、梶野 稔は2019年12月に劇団民藝を退団いたしました事をブログではございますが、ここにご報告いたします。
その理由についてあまり書くべきではないかと思いますが、疑問に思う方もいらっしゃるかと思いますので書かせていただきます。
退団届に書かせて頂きました理由は5,6月九州旅公演「夏・南方のローマンス」で急に辞めた新人の穴を埋める為に急遽出演する事になった私に対して先輩から「新人の役だから必要ないが劇団の体制上必要なだけだ」という発言がありました。
(4/25 お客様同席の新宿の楽屋に於いて)
私としましては同期入団の制作からの切実なお願いであったので、自分で営業をかけた健康ランド様などに頭を下げて、こちらがお願いして決まったライブ出演3本をキャンセルし、他にも家庭の事情を抱えていましたが整理をして参加にいたりましたが、先輩からのこの発言に精神的ショックを受け、それから劇団に対する愛情も日に日に薄れていき、配役もなかなかされづらい状況なども考慮して退団を決意いたしました。
2000年4月3日に入団し、在籍約20年。
この決断にいたるまで、大変悩みました。
先輩の発言をパワハラと考え、相手にしないというのが一般的かと思います。
これまでも僕の必要性を否定するような発言は何度もあり、ずっと聞き流すよう努めてきました。
他にもそういう方はいらっしゃいましたが、どこにでもこういう方はいらっしゃると思い、こんな発言を気にしていたら世の中生きていけないと、20年耐えておりました。
(「気にする方が悪い」「それで負けるようではダメだ」という見方をされがちですが、パワハラが労災と認定される現代社会においてその認識には疑問を感じ、「いじめられる方が悪い」という考え方と変わりなく、市井の弱者に目を向けているであろう演劇人の思想に反すると思います。)
この発言が嘘だったとしても真実であったとしても「あの苦労はなんだったのか、これでも評価されないのか?」と愕然としました。
そして他の役者と比べて配役が少ない事もずっと悩んでいましたが、この機会に様々な角度から自分と劇団を見つめ直しました。
そして悩んだ末に出た結論は、
「僕はこの劇団に必要ではない。」でした。
先輩に対しては当時舞台本番中であり、このあとずっと九州旅公演をご一緒する関係上、真意を確かめる、改善を要求するなどはしませんでした。他の方にも今後の事を考え何もしませんでした。
配役に関しては今は役が無くても、この先、年齢を重ね配役される事が多くなる可能性もありますが、その時に僕が生きている保証はありません。
親しかった先輩の相次ぐ早すぎる他界も胸を抉りました。
亡くなった先輩方の意思を引き継ぐべきだと思っていましたが、この現状に気力も萎えてしまいました。
こんな僕も振り返ると今まで色んな変革に挑みました。
旅先のバラシ打ち合わせを毎回やるようにしたり、劇団稽古場の外に公演ポスターを掲示したりもしました。
旅公演で使う洗濯機をトラックの後ろに載せたのも僕が始まりで、みんなのガチ袋を入れる箱を作ったのも好評で良いアイディアだったと思っています。
今年、公演Twitterを2月、4月と担当し、フォロワーを最高700人以上増やしてほぼ全てのフォロワーにDM連絡してSNSでも前売り、当日とチケットが売れる事を証明しました。
4月公演の時は一人で休み返上で古本屋を中心に巡り結果69か所にチラシ、ポスターを置かせて頂き、認知度を高める努力をしました。
最近は自分で売り込んで健康ランドなどでライブステージをやらせて頂いておりますが、そこでファンになって下さった方が劇場にも足を運んで下さったり、「民藝の仲間(年会費2万円)」に入会して下さる方もいらっしゃいました。
こういう風にあれこれ考え、周りの賛同を得る為に呼びかけたりしながら約20年活動してきましたが、評価されず必要とされていないのであれば、存在すべきではないという結論にいたりました。
(来年の日本新劇俳優協会会員の住所録の変更は間に合わず旧所属になっております。)
「どこも一緒なんだから、そこでダメならどこに行ったってダメ」という考え方があり、そう思われている方も多いかと思います。
最近の若者はすぐ辞める、堪え性がないと。
(僕が最近の若者かどうかは謎ですが…。)
しかし近年ではインターネット上にオーディション情報が沢山あり、同業他社他劇団も沢山あり、転職はCMでたくさん流れるくらい当たり前です。
プロ野球にはFAという制度があったり、トレードなどで燻っていた選手が他所のチームで活躍するケースはたくさんあります。来季には出場機会に恵まれない選手の移籍を活性化させる為の「現役ドラフト制度」の導入を選手会は要望するそうです。
この日本演劇界で「もっと良い年棒を」という事ではありません。お金の不満は全くありません。減俸は覚悟しています。
今回結論の末、僕を必要としてくださる場所が他にあるのではないかと思いました。
これをきっかけにその場所を探す大航海に出る決断をいたしました。
もし僕を必要とされる方がいらっしゃいましたら是非下記までご連絡ください。
kajinominoru#gmail.com
(#→@)
お陰様でオーディションに合格し、来年1月に新宿 紀伊國屋ホール、兵庫芸文の舞台に立ちます。
津軽弁の役があり、方言指導のサポートもしています。
また他のオーディションもセリフと歌を歌ったらその場で即時合格し、春には時代劇ミュージカルに挑戦します。
そこのプロデューサー様がラジオ局に親しい方がいてパーソナリティに紹介したいというお話も頂き、退団届を出してからオーディションに受かり続け、状況が変化してきています。
音楽面ではライブステージが出来る箇所が増えてきて、オリジナル曲「サイギサイギ」がカラオケ機器ジョイサウンドで配信され青森のラジオ局でパワープッシュ曲としてひと月流してもらえたりしております。
元々は「マネージャーに頼らず自分で売り込めたり営業をかけられるものはないか?どうすれば自分の観客が増えるのか?」と考えた末の音楽プロジェクトでしたが、シンガーソングライターとしても大舞台に立てるよう活動を続けて参ります。
これを機会に違う芸にもチャレンジしたいとも思っております。
入団から約20年。
沢山の数えきれない想い出があります。
役につかずスタッフをしっかりやる事でやる気を見せていた時代。
稽古の代役を一晩で覚えてオーディションだと思い必死だったあの頃。
開演前の舞台でわざと「天声人語」を読んで先輩の教えを受けたり、旅先で勉強会や発表会をやった事もありました。発表の機会を作る為にお願いして忘年会で歌や落語をやったりもしました。(YouTubeにあります。)
旅公演で全国の様々な土地に行き、亡き先輩とレンタカーを借りて温泉巡りをしたり、様々な劇場に立つ事が出来たのは良い経験、財産であり、本当に幸せでした。
特に思い出されるのは「カミサマの恋」で舞台袖で奈良岡さんに観て頂きながら巡演した事。
あの緊張感は僕の宝です。
そして先輩方に美味しい食事を沢山ご馳走して頂きました。
みんなで舌鼓を打ったあのひと時は一生の思い出です。
これからも劇団で学んだ事が僕の土台であり続け、演技をする上での拠り所になると思います。
オーディションに受かり続けているのも劇団に20年在籍した事で得た信用があるからだと思います。
ネガティブな言葉も書きましたが、沢山学ばせて頂いた上でこの決断ができ、大きなきっかけを頂けたのですから今は感謝の気持ちでいっぱいです。
全国の演劇鑑賞団体の皆様、
民藝仲間の会の皆様、
大変お世話になり、応援して頂き本当にありがとうございました。
皆様と距離が出来るのは大変寂しく辛いです。
(北海道には一度も行く機会に恵まれず残念でした。)
僕は今までお世話になった分「民藝の梶野」で売れて自慢の種になれるよう頑張ってきたのですが、ちょっと夢の形を変えてみます。
「人間の宝石が俳優になる」という言葉がありますが、宝石が輝くには光が必要です。
僕はその光がどこにあるのか探してみようと思います。
今ではだいぶ冷静になり、実感が湧かず自分でも退団した事が信じられない時があったり、毎晩のように劇団生活が夢に出てきたり、今後の不安もありますが、なんとか光を手繰り寄せられるよう頑張って参ります。
「道に迷ったら困難な道を行け」を身をもって体験してきます。
頑張っている姿をお見せする事で民藝の演技論が通用する事を証明していきます。
民藝の新劇俳優ではなくなるので、今後皆様とご縁がなくなる事も覚悟しておりますが、出来ましたら変わらぬお付き合い、ご声援を頂けましたら、こんなに心強い事はございません。
フリーランスとなりましたが、今後とも変わらず梶野 稔を応援して頂きますよう宜しくお願い申し上げます。
これで僕の役者人生の第一幕は終わりです。
これからは怒涛の第二幕「大航海時代」の幕開けです。
そこにはどんな波乱が待っているのでしょうか!?
世間という名の高波、強風に巻き込まれるのでしょうか?
悪質悪徳な業界人という名の海賊船がやってくるのでしょうか?
「光」という名の永遠の宝物を手にする事は出来るのでしょうか?
もしかして追い風を上手く掴んで売れっ子に!?ハリウッドスターに!?
約20年かけて出来た羅針盤を持って、
純粋という名の鋼の剣を手にして、
ありったけの夢を荷台に載せて、
今、旅立ちます。
勇者ミノルの未来はいかに!?
この大冒険の行末は是非劇場でお楽しみください。
お待ちしております!!
最後にライブのラストに歌っているオリジナル曲を…。
「まだまだ」
運がいいとか 悪いとか
羨ましい隣の芝生よ
なんでどうして?と妬んでも
空の青さは変わらない
涙は流しても あの日の夢は流さない
まだまだ まだまだ
なんのこれしき もうひと勝負
まだまだ まだまだ
強くあれ 強くあれ
劇団民藝の皆様、
20年大変お世話になりました。
ありがとうございました。
2019年12月26日
梶野 稔