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William Wyler (1902-1981)
ウィリアム・ワイラーはハリウッド黄金期である1930年代から活躍してきたアメリカの映画監督です。
ワイラー自身はアメリカ生まれではなくドイツ帝国に生まれました。父親はユダヤ系のスイス人で母親はユダヤ系のドイツ人です。ハーフということです。家業を継がずに母親のいとこがユニバーサルスタジオの社長をしていたこともあり、1921年アメリカに渡りニューヨークのユニバーサルスタジオ本社で働き始めます。その後映画監督になるためハリウッドに行くことになります。雑用や小道具係、助監督などを経て1925年監督デビューします。1930年代初頭には「デッドエンド」などを監督します。この頃には納得するまで何度も取り直す監督ということで知られるようになっていました。このような姿勢が賞を獲得したり批評家たちから絶賛されるという結果を生んでいたのですが。ユニバーサルにいたワイラーですが1936年にサミュエル・ゴールドウィンのブロダクションに移籍し、「デッドエンド」(1937年)、「嵐が丘」(1939年)、「我らの生涯の最良の年」(1946年)などを監督していきます。
1950年代になっても映画を作り続けています。この頃の代表作品は「ローマの休日」(1953年)、「ベン・ハー」(1959年)が挙げられます。そして1970年の「L・B・ジョーンズの解放」を最後に映画監督としてのキャリアに終止符を打ちます。
ワイラーは生涯にアカデミー監督賞のノミネートを12回受けています。これは歴代最多で今も破られていません。受賞回数も3回で4回受賞のジョン・フォードに次ぐ2位です。
主な監督作品
1936年 孔雀夫人
1937年 デッドエンド
1938年 黒蘭の女
1939年 嵐が丘
1942年 ミニヴァー夫人
1946年 我等の生涯の最良の年
1949年 女相続人
1951年 探偵物語
1953年 ローマの休日
1955年 必死の逃亡者
1959年 ベン・ハー
1965年 コレクター
1968年 ファニー・ガール
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