2015年04月12日
「高学歴女子」の悩める現状
昨日レールで痛めた右足を摩りながら何となくインターネットに繋がってみると目にとまったのが記事タイトルのYahooニュースです(記事はこちら→Yahooニュースの週刊SPA記事から)。
こうした問題については、個々のケースについて「もっとこうした方が良いだろう」とか、自分のまわりに現実に存在する成功例と比較して「ここんとこの努力や洞察が足りない」といった分析も重要かもしれませんが、社会構造的な問題なのか?といった視点で論ずる場合には、自分のまわりに現に存在する成功例はレアケースであることも考えられますから一旦概念化して検討した方が良いかもしれません。
ちなみに企業内教育でよく取り上げられるカッツ・ロバート教授の企業から求められるスキル分析の3区分(@テクニカルスキルAヒューマンスキルBコンセプチュアルスキル)について一言。
管理人も何社かで社内教育やコンサルティングでOFF-JT受けた経験がありますが、どこもBのコンセプチュアルスキルを単純に課題解決能力とか課題分析能力(こっちの誤訳はまだマシか?)とか訳して説明していました。それこそたまたまレアケースが偶然重なったのかもしれませんが、仮にそうではなく管理人が受けた説明方法が一般的であると仮定するなら、この訳の仕方は同教授の提唱しようとしている本質にブラーがかかってしまうような気がしますから少なからず問題があるのではないのかナと思っております。
正確には”conseptual skil”ですから、「概念化能力」とするべきです。
「概念化」ですから、現に起こっている個別の問題やそれを取り巻く状況を俯瞰的、構造的、概念的に捉え、事柄や問題の本質を見極める能力といったイメージになります。個別の現実的な問題について解決する能力は、どちらかというとテクニカルスキルで対応するケースが多いと思われます(そんでもって、テクニカルスキルが経験で磨かれてトラブル対応の引出しが増えた状態をコンセプチュアルスキルがついた状態であると思ってる人が多いが対処療法的技術が高度になっているだけのケースも結構あるように思う)。
同教授は、職務階層が上がるにつれ求められる能力比率は@⇒A⇒Bが高くなるとなるといっておりますが、トップマネジメントだから@はいらないとかロワーマネジメントだからBはいらないとかは述べておりません。一見、関連が無いように映る問題事象も共通する要因や結果部分に気が付くクセがつくと(こんな感じっすか?概念化って)、問題の本質を洞察できるのではないんですか?っていう提唱ですネ。問題の本質を洞察できたからこそその場しのぎではない抜本的/効果的な解決ができるわけであって、課題解決は単なる結果であり「課題解決能力」と誤訳すると同教授の言わんとしていることが霞んでしまうのではないですか?という管理人の指摘なわけです(社員教育関係者の人がいたらチェックしておいてチョーダイ、ここ結構重要だと思いますヨ)。
話がだいぶ逸れましたが、今回のテーマについても構造的な問題ではないのか?という視点でみると、確かにOECD加盟国中でも最低レベルであるとの事実(ちょっと前のニュースですが→朝日新聞DIGITAL記事「日本の高学歴女性3割就労せず OECD内最低レベル」)も考慮すると考えてみる価値はありそうです。
そうした要因としてイメージ的には、出産子育てと終身雇用制、大学院生増加策とエリートインフレ、職務評価制度(精度も)の貧弱さと貧困の関連性等のキーワードがパッと思いつく管理人ですが、何回か既に記事で取り上げている内容もあるので今回はせっかく女性の雇用問題なので違う切り口で…。
↑以前もチョコットだけ紹介したことがある社会学の本ですが、気になる方は是非読んでみて下さい。故ピエール・ブルデュー(以下PB)の著書なので難解ではありますが、内容自体はひじょうに面白いです。
PBの社会学理論でキーワードとなるのが”ハビトゥス”という概念で、これは元々はラテン語の「存在のあり方」という意味ですが、PBのいう意味合いを正確に表す日本語がないので社会学ではそのまま”ハビトゥス”と使われます。ただ日本語に全くないわけでもありません。管理人の記憶では確かPBの邦訳をされておられる宮島喬教授だったかと思いますが、一番近い日本語として”箸の上げ下ろし”と表現されているのを目にしたことがあります。近いと思います、これが…。
要は、親から相続するものは何も一般的な財産だけではなく、無意識/反意識的に作動してしまう動作や身振り/話し方、考え方/認識の仕方の癖などがあり、後者を象徴資産と定義して研究しております。そして、親(特に父親)から相続する象徴資産が相続者の社会階層に大いに影響を与えるという研究結果が纏められております。「それゃある程度は影響するッショ」と思われる方が多いとは思いますが、研究結果では、男性の場合、ほぼ父親の職業階層を再生産するといっていい程のデータが並べられております。この本には載ってなかったかもしれませんが、その後のPB研究でフランスだけではなく、他の諸外国にも同等の結果がみられるというものです。これについてPBは、ある社会階層の集団(”界”っていう概念)には界内での激しい対立はあったとしても本質的には”界”を守ろうとする意識が極めて強く、この界内での正統とされる”ハビトゥス”を無意識に自動生成したうえで、、この象徴資産を所持しない者をこれまた無意識に排除/攻撃するように機能するとのことです。この無意識下で行われる自動攻撃システムを「象徴暴力」とPBは名付けております。
学歴社会と一口にいっても、その界の一員になれるかどうかは”ハビトゥス”にかかっているといってもよいくらい影響力があり、この本では学校での成績が社会階層に比例しないデータをこれでもかというくらい出してきます。
それでは、女性の場合は”ハビトゥス”がその後の職業階層に影響しないのか?というと、データでは本人の職業選択自体にはほとんど影響いたしません。
しかし…、 ここが面白いところですが、 女性の場合、結婚相手の職業階層に父親の職業階層が再生産されるケースが極めて多いというデータが示されます。そして、女性の場合、仕事してから結婚というパターンだとタイムラグはありますが、この結婚によって結果的に親の社会階層が再生産されるという理論を展開していきます。
管理人は社会学の専攻はとっておりませんでしたので、その筋の方から突っ込まれてもアレなんでこの辺にしておきますが、今回のニュース分析した場合、彼女達の親父や旦那はどうなのか?未婚であればその後どうなったのか?という追跡記事をみてみたいナと思った次第です。
女性の読者の方がおられましたら御気を悪くなされないようにして下さいネ。まるで男性に依存しているかのような分析をしておりますが事は依存というよりはもっと能動的戦略的な行動法則(この本読むと男は、本当、馬鹿のような気がします)であり、また、あくまで社会学研究上のデータの一つなのでよろしくお願いします。ただし、本に目を通してもらえれば解るかと思いますが、極めて客観的な調査なのでこれを一つの人間の持つ社会的本能であると認識した場合、もう少し戦略的な対応が出来るかもしれません。
ちなみに、管理人はこの本読んでから”ハビトゥス”を意識的に変動させてカメレオンのようにその場に最適化させるテクを練習しております。優秀な諜報部員は多分コレ習得してますネ。
(追記)趣味と”ハビトゥス”
この本の中で個人の趣味の違いを”ハビトゥス”との相関性で研究した箇所も面白いですよ。
趣味における相関性についても男性と女性で大きく特色が異なります。
男性の場合は、父親の社会階層の違いによる趣味の差異はあるものの、知識階層の子供も非熟練作業者階層の嗜む割合が高い趣味を結構しますし、逆に知識階層の子供の嗜む割合が高い趣味を非熟練作業者階層の子供も結構趣味にしております。階層ごとの傾向は確かにあるのですが、明確に分かれているわけではなくクロスオーバーして参加比率が緩やかに相関しているといった感じです。
対して女性の方はというと、線で区分けしたようにはっきりと分かれます。知識階層の子供と非熟練作業者の子供では明確に趣味が異なるというのです。面白いのは読んでる雑誌も明確に分かれるようで、ヘタすると既にマーケッティング分析でかなり使われているのかもしれません。
趣味の中で特殊なのは写真とオペラ鑑賞のようです。前者は様々な階層で趣味とする比率にさほど変化が無い、いってみれば階層万能ウケする趣味ですが、後者は知識階層固有的な趣味になります。管理人は幼少期に親からオペラ鑑賞(フランスの研究なので日本では能、狂言、歌舞伎なども入るのでしょうか?)に連れて行ってもらったことはありませんから非知識階層の子供ということになりますが当たっています。また、知識階層固有的なものとして、父親の書斎があるか否かということも本に載っていました。管理人の父親は書斎ありませんので…… もーいっか。
こういう社会分析をみると管理人のように非知識階層の子供は少し卑屈になったりはしますが、別に卑屈にさせるために分析をしているわけではなく、現実に起きている潜在的な社会現象を顕在化することによってより良い生き方や社会形成の役に立つことを念頭にしているわけです。それにPBも述べていますが、そうした界内で形成される”正統とされる象徴資産”というものが真に正統なのかどうかは???であり、言ってみれば勝手に奉っているだけに過ぎないのではないですか?ということです。この辺を理解すると別に卑屈になる必要もなく、管理人のように各界をウロウロする人や、何かの弾みで自分の持ってる”ハビトゥス”と相いれない環境下に置かれる状況になった方は「オッ!また象徴暴力でてきたな。面倒臭いけど一応対処しておくか。ダリーけど…」といったようなゲーム感覚で対応できることから、あまりストレスを感じずに済むかもしれません。思うに、鬱の要因にも結構なってると思いますから、理屈が解れば「しゃーないやっちゃな」と少し大らかにになれることから精神科の処方する薬飲む前に少し勉強してみるのもいいかもしれません。
少し補足をすると”ハビトゥス”が就業状況と関連性が強いのは特に文系となります。各界毎に独自の業界用語をつくりたがる傾向からも何とはなしに想像できるかと思いますが、理系色が強くなるほど”ハビトゥス”の影響は受けにくくなります。正統とされる身のふるまいやしゃべり方を身に付けたところで作成したプログラムが動かなかったらお話しにならないからです。文系の場合は、例えば感想文など一個の答えがあるわけじゃないですからその界にとっての正統とされるような「望まれる反応の仕方」が形成されやすくなるということです。豊かな発想で意見を出してくださいと言いながら、そう言っている本人の気付かない無意識下で望ましい回答例が予め準備されているという理論です。この辺を顕在化させるのは結構面白いですよ。以前にダウンタウンの芸能人格付けコンテストが面白いとか言ってましたが、管理人はこの辺のことをいっています。
ちなみに、写真撮影の趣味は各階層横断的だと述べておりますが、構図や被写体の好みが分かれるのか?といった研究については別の著書でされているようです。それは未だ読んでおりませんが、もし機会があればまた…。
こうした問題については、個々のケースについて「もっとこうした方が良いだろう」とか、自分のまわりに現実に存在する成功例と比較して「ここんとこの努力や洞察が足りない」といった分析も重要かもしれませんが、社会構造的な問題なのか?といった視点で論ずる場合には、自分のまわりに現に存在する成功例はレアケースであることも考えられますから一旦概念化して検討した方が良いかもしれません。
ちなみに企業内教育でよく取り上げられるカッツ・ロバート教授の企業から求められるスキル分析の3区分(@テクニカルスキルAヒューマンスキルBコンセプチュアルスキル)について一言。
管理人も何社かで社内教育やコンサルティングでOFF-JT受けた経験がありますが、どこもBのコンセプチュアルスキルを単純に課題解決能力とか課題分析能力(こっちの誤訳はまだマシか?)とか訳して説明していました。それこそたまたまレアケースが偶然重なったのかもしれませんが、仮にそうではなく管理人が受けた説明方法が一般的であると仮定するなら、この訳の仕方は同教授の提唱しようとしている本質にブラーがかかってしまうような気がしますから少なからず問題があるのではないのかナと思っております。
正確には”conseptual skil”ですから、「概念化能力」とするべきです。
「概念化」ですから、現に起こっている個別の問題やそれを取り巻く状況を俯瞰的、構造的、概念的に捉え、事柄や問題の本質を見極める能力といったイメージになります。個別の現実的な問題について解決する能力は、どちらかというとテクニカルスキルで対応するケースが多いと思われます(そんでもって、テクニカルスキルが経験で磨かれてトラブル対応の引出しが増えた状態をコンセプチュアルスキルがついた状態であると思ってる人が多いが対処療法的技術が高度になっているだけのケースも結構あるように思う)。
同教授は、職務階層が上がるにつれ求められる能力比率は@⇒A⇒Bが高くなるとなるといっておりますが、トップマネジメントだから@はいらないとかロワーマネジメントだからBはいらないとかは述べておりません。一見、関連が無いように映る問題事象も共通する要因や結果部分に気が付くクセがつくと(こんな感じっすか?概念化って)、問題の本質を洞察できるのではないんですか?っていう提唱ですネ。問題の本質を洞察できたからこそその場しのぎではない抜本的/効果的な解決ができるわけであって、課題解決は単なる結果であり「課題解決能力」と誤訳すると同教授の言わんとしていることが霞んでしまうのではないですか?という管理人の指摘なわけです(社員教育関係者の人がいたらチェックしておいてチョーダイ、ここ結構重要だと思いますヨ)。
話がだいぶ逸れましたが、今回のテーマについても構造的な問題ではないのか?という視点でみると、確かにOECD加盟国中でも最低レベルであるとの事実(ちょっと前のニュースですが→朝日新聞DIGITAL記事「日本の高学歴女性3割就労せず OECD内最低レベル」)も考慮すると考えてみる価値はありそうです。
そうした要因としてイメージ的には、出産子育てと終身雇用制、大学院生増加策とエリートインフレ、職務評価制度(精度も)の貧弱さと貧困の関連性等のキーワードがパッと思いつく管理人ですが、何回か既に記事で取り上げている内容もあるので今回はせっかく女性の雇用問題なので違う切り口で…。
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↑以前もチョコットだけ紹介したことがある社会学の本ですが、気になる方は是非読んでみて下さい。故ピエール・ブルデュー(以下PB)の著書なので難解ではありますが、内容自体はひじょうに面白いです。
PBの社会学理論でキーワードとなるのが”ハビトゥス”という概念で、これは元々はラテン語の「存在のあり方」という意味ですが、PBのいう意味合いを正確に表す日本語がないので社会学ではそのまま”ハビトゥス”と使われます。ただ日本語に全くないわけでもありません。管理人の記憶では確かPBの邦訳をされておられる宮島喬教授だったかと思いますが、一番近い日本語として”箸の上げ下ろし”と表現されているのを目にしたことがあります。近いと思います、これが…。
要は、親から相続するものは何も一般的な財産だけではなく、無意識/反意識的に作動してしまう動作や身振り/話し方、考え方/認識の仕方の癖などがあり、後者を象徴資産と定義して研究しております。そして、親(特に父親)から相続する象徴資産が相続者の社会階層に大いに影響を与えるという研究結果が纏められております。「それゃある程度は影響するッショ」と思われる方が多いとは思いますが、研究結果では、男性の場合、ほぼ父親の職業階層を再生産するといっていい程のデータが並べられております。この本には載ってなかったかもしれませんが、その後のPB研究でフランスだけではなく、他の諸外国にも同等の結果がみられるというものです。これについてPBは、ある社会階層の集団(”界”っていう概念)には界内での激しい対立はあったとしても本質的には”界”を守ろうとする意識が極めて強く、この界内での正統とされる”ハビトゥス”を無意識に自動生成したうえで、、この象徴資産を所持しない者をこれまた無意識に排除/攻撃するように機能するとのことです。この無意識下で行われる自動攻撃システムを「象徴暴力」とPBは名付けております。
学歴社会と一口にいっても、その界の一員になれるかどうかは”ハビトゥス”にかかっているといってもよいくらい影響力があり、この本では学校での成績が社会階層に比例しないデータをこれでもかというくらい出してきます。
それでは、女性の場合は”ハビトゥス”がその後の職業階層に影響しないのか?というと、データでは本人の職業選択自体にはほとんど影響いたしません。
しかし…、 ここが面白いところですが、 女性の場合、結婚相手の職業階層に父親の職業階層が再生産されるケースが極めて多いというデータが示されます。そして、女性の場合、仕事してから結婚というパターンだとタイムラグはありますが、この結婚によって結果的に親の社会階層が再生産されるという理論を展開していきます。
管理人は社会学の専攻はとっておりませんでしたので、その筋の方から突っ込まれてもアレなんでこの辺にしておきますが、今回のニュース分析した場合、彼女達の親父や旦那はどうなのか?未婚であればその後どうなったのか?という追跡記事をみてみたいナと思った次第です。
女性の読者の方がおられましたら御気を悪くなされないようにして下さいネ。まるで男性に依存しているかのような分析をしておりますが事は依存というよりはもっと能動的戦略的な行動法則(この本読むと男は、本当、馬鹿のような気がします)であり、また、あくまで社会学研究上のデータの一つなのでよろしくお願いします。ただし、本に目を通してもらえれば解るかと思いますが、極めて客観的な調査なのでこれを一つの人間の持つ社会的本能であると認識した場合、もう少し戦略的な対応が出来るかもしれません。
ちなみに、管理人はこの本読んでから”ハビトゥス”を意識的に変動させてカメレオンのようにその場に最適化させるテクを練習しております。優秀な諜報部員は多分コレ習得してますネ。
(追記)趣味と”ハビトゥス”
この本の中で個人の趣味の違いを”ハビトゥス”との相関性で研究した箇所も面白いですよ。
趣味における相関性についても男性と女性で大きく特色が異なります。
男性の場合は、父親の社会階層の違いによる趣味の差異はあるものの、知識階層の子供も非熟練作業者階層の嗜む割合が高い趣味を結構しますし、逆に知識階層の子供の嗜む割合が高い趣味を非熟練作業者階層の子供も結構趣味にしております。階層ごとの傾向は確かにあるのですが、明確に分かれているわけではなくクロスオーバーして参加比率が緩やかに相関しているといった感じです。
対して女性の方はというと、線で区分けしたようにはっきりと分かれます。知識階層の子供と非熟練作業者の子供では明確に趣味が異なるというのです。面白いのは読んでる雑誌も明確に分かれるようで、ヘタすると既にマーケッティング分析でかなり使われているのかもしれません。
趣味の中で特殊なのは写真とオペラ鑑賞のようです。前者は様々な階層で趣味とする比率にさほど変化が無い、いってみれば階層万能ウケする趣味ですが、後者は知識階層固有的な趣味になります。管理人は幼少期に親からオペラ鑑賞(フランスの研究なので日本では能、狂言、歌舞伎なども入るのでしょうか?)に連れて行ってもらったことはありませんから非知識階層の子供ということになりますが当たっています。また、知識階層固有的なものとして、父親の書斎があるか否かということも本に載っていました。管理人の父親は書斎ありませんので…… もーいっか。
こういう社会分析をみると管理人のように非知識階層の子供は少し卑屈になったりはしますが、別に卑屈にさせるために分析をしているわけではなく、現実に起きている潜在的な社会現象を顕在化することによってより良い生き方や社会形成の役に立つことを念頭にしているわけです。それにPBも述べていますが、そうした界内で形成される”正統とされる象徴資産”というものが真に正統なのかどうかは???であり、言ってみれば勝手に奉っているだけに過ぎないのではないですか?ということです。この辺を理解すると別に卑屈になる必要もなく、管理人のように各界をウロウロする人や、何かの弾みで自分の持ってる”ハビトゥス”と相いれない環境下に置かれる状況になった方は「オッ!また象徴暴力でてきたな。面倒臭いけど一応対処しておくか。ダリーけど…」といったようなゲーム感覚で対応できることから、あまりストレスを感じずに済むかもしれません。思うに、鬱の要因にも結構なってると思いますから、理屈が解れば「しゃーないやっちゃな」と少し大らかにになれることから精神科の処方する薬飲む前に少し勉強してみるのもいいかもしれません。
少し補足をすると”ハビトゥス”が就業状況と関連性が強いのは特に文系となります。各界毎に独自の業界用語をつくりたがる傾向からも何とはなしに想像できるかと思いますが、理系色が強くなるほど”ハビトゥス”の影響は受けにくくなります。正統とされる身のふるまいやしゃべり方を身に付けたところで作成したプログラムが動かなかったらお話しにならないからです。文系の場合は、例えば感想文など一個の答えがあるわけじゃないですからその界にとっての正統とされるような「望まれる反応の仕方」が形成されやすくなるということです。豊かな発想で意見を出してくださいと言いながら、そう言っている本人の気付かない無意識下で望ましい回答例が予め準備されているという理論です。この辺を顕在化させるのは結構面白いですよ。以前にダウンタウンの芸能人格付けコンテストが面白いとか言ってましたが、管理人はこの辺のことをいっています。
ちなみに、写真撮影の趣味は各階層横断的だと述べておりますが、構図や被写体の好みが分かれるのか?といった研究については別の著書でされているようです。それは未だ読んでおりませんが、もし機会があればまた…。
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