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posted by fanblog

2016年05月15日

李白は〇〇を取ろうとして死んだ?



今回は、唐代の詩人

李白

にせまりたいと思います!

image.jpeg
(画像引用 Wikipedia)

杜甫が社会的・政治批判的な漢詩を作り、
「詩聖」と呼ばれたのに対し
李白は自由奔放な詩風から『詩仙』と称されます。

さて、生涯を順に追っていきましょう。

ひらめき出自はよくわかっていない
・『旧唐書』によれば山東省の出身
・『新唐書』によれば甘粛省の出身
・現在の通説では、幼少の頃に西域から蜀に移住
・李白の父が「李客」と呼ばれたこと等から、非漢民族の出身説も
・いずれにせよ5歳頃には蜀の地にいたと考えられている

唐の地図
(画像引用 blog.livedoor.jp)
(ちなみに当時の唐はこんな感じ。イケイケです)


ひらめき子供時代のちょっとした逸話あり
・母親が太白(金星)の夢を見て懐妊。名前(白)と字(太白)が決まる
・青少年期は読書・剣術にいそしみ、ヤクザ者とも交際
・益州長史の蘇頲に文才を認められた
・東巖子という隠者と道士の修行。鳥も李白を恐れず手から餌をついばむ

ついばむ
(画像引用 www.kenoh.com
( 詩仙 の片鱗が垣間見えます)


ひらめき詩人なので当然放浪する
・25歳の頃、蜀を離れ中国各地を放浪する
・孟浩然と交遊。「黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る」を詠む
・自由でリズム感に富む詩風が確立する
山河
(画像引用 itbbs.pconline.com.cn)
(杜甫といい李白といい、放浪は必修です)


ひらめき結婚、就職、エリート街道
・32歳の時、高宗の宰相・許圉師の孫娘と結婚
・翰林供奉(天子側近の顧問役)として玄宗皇帝に仕える
・以後3年間、朝廷で詩歌を作り、詔勅の起草を担当

玄宗
(画像引用 lishi.xilu.com)
(玄宗。唐を絶頂期に導き、安禄山の乱も招く忙しい皇帝)


ひらめき天才が組織に入るとよくあるパターン
・詩作、公文作成には抜群の才能を発揮
・しかし礼法を無視した言動が目立つようになる
・宮廷人との摩擦⇒讒言を受ける
長安を離れる

李白肖像
(画像引用 Wikipedia)
(まあ、宮仕えに向かないタイプ、ってことですね)


ひらめき偉人との交友
・洛陽で杜甫と出会い、交遊が始まる
・遣唐使の阿倍仲麻呂とも親交を結ぶ
・廬山(江西省)に隠棲し詩作にふける

とほとほ
(画像引用 Wikipedia)
(杜甫像。巨星二人が同時期に生きたという不思議)


ひらめき晩年、ろくな目に遭わない
・玄宗の第16子、永王の幕僚としてスカウトされる
・しかし永王は皇帝の命令を無視して軍事行動
・反乱と見なされ、処刑されてしまう
・李白も数ヶ月の間、獄に繋がれたのち、流罪
・配流の途中、白帝城付近で罪を許される
・このとき「早に白帝城を発す」を詠む

白帝城
(画像引用 Wikipedia)
(白帝城の門。城自体は現存していません)


ひらめきそして、最期の時が・・・
・赦免後、再び各地を放浪し詩作
・762年(宝応元年)の冬、宣州で死去(62歳)
死因:酒に酔って水面に映る月を捉えようと
船から落ち、溺死

(出典「新唐書」)


う〜ん。
いかにも作り話っぽいですが・・・。
「詩仙」の最期としては納得でしょうか。

ともかくここは

李白」「詩仙」「死」

をつなげて

リハ苦」「C1000溺れて!!」

で語呂合わせしておきましょう。

「リハーサルすら、苦しいんだ・・・。」
「元気出して!C1000ビタミン、溺れるように飲んで!!」


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感想(293件)




ちなみに杜甫も訳のわからない死を遂げていますので

「杜甫の死因は〇〇食べ過ぎ?」
https://fanblogs.jp/huun/archive/22/0

もご参照ください。
posted by nessy at 01:30| 芸術
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