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2014年07月05日

茶の香り

茶道

茶の湯によって精神を修養し、交際礼法を究める茶道。千利休はこれを大成し、禅の精神を取り入れ、簡素静寂を本体とする侘茶を広めている(広辞苑)。

登志雄は茶の湯を愛し、茶道に精進していた。
 
碇登志雄『神幸』(昭和二十七年版)から三首を抄出。

山川の清きにそひて訪ねける家のあるじの茶の香ばしく

近く来て鵯が鳴き澄む山荘の寂びを味はふ茶の座はたのし

茶室にゐる獨りのわれをとりよろふ大天地や八月の青


(碇弘毅記)

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2014年07月02日

竹の歌(その2)

竹

「短歌文学会」事務局に遠くはない大昭寺の竹林に出かけた。

この春の筍は大きく丈を伸ばし空にそよいでいた。

真竹(マダケ)で、1日で121センチも成長したという記録があるという。猛烈な成長速度である。

植物は先端を伸ばし、成長するが、竹は、すべての節の間が一斉に細胞分裂を行って節ごとに背を伸ばす仕組みだという。丁度、写真用の三脚の各段をするすると伸ばして高くするように、竹は六十程の節の間が一斉に伸びるというのである

古代から竹は神の依代(よりしろ)である、と同時に呪力を持つと考えられていた。七夕の竹もそうだろう。

そういえば、「今は昔、竹取の翁といふ者ありけり。野山にまじりて竹を取りつつ、よろづのことに使ひけり。」で始まる竹取物語。かぐや姫も「三月ばかりになるほどによきほどなる人になりぬれば…」と、成長が速い。

「なよ竹のかぐや姫」の美しさ、しなやかさ、など目に浮かぶようである。竹林の神秘さの中に佇んでいた。

竹

碇登志雄『夕光』から
老僧が教へ指すみ墓べは風ありて竹のそよげるが見ゆ

碇登志雄『神幸』から
竹林をまなかひにして塵をだにとどめぬ寺の一庵に座す

竹林の秀に風ありて夕雲の閑けき窓と凉にをるなり

(写真は、鳥栖市、大昭寺竹林にて)


(碇弘毅記)

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2014年06月30日

もぢずりのうた

ネジバナ
庭の鉢植えの蘭にまぎれて捩花(ねじばな、旧仮名では、ねぢばな))が、一つ咲き始めました。

捩花は、またの名を捩摺(旧仮名では、もぢずり)ともいいますね。

ラン科でネジバナ属の小型の多年生草です。小さな花が花穂を捩れるように咲きのぼっていきます。

捩摺といえば、河原左大臣の歌(小倉百人一首14番、源 融(みなもとのとおる、嵯峨天皇の十二男)の恋歌があります。

陸奥(みちのく)の しのぶもぢずり 誰(たれ)ゆゑに 乱れそめにし われならなくに


ただ、この歌は、捩(もじ)れ乱れた模様のある石に布をあてがい、その上から忍草などの葉や茎の色素を摺り(すり)付けたものをいっています。

ネジバナ


歌誌『姫由理』(2013年)八月号から、大隈寛人氏のネヂバナを詠んだ歌です。

中原の「風の館」の前の芝生に今年もネヂバナの群れて咲きたり

屈まりて芝生に群れ咲くネヂバナの淡きピンクの花に見惚るる

散ることも萎びることもなく十日は咲きて美しネヂバナとふは


芝生などに普通に見られて、株が非常に強健に育つものの、ネジバナの根は菌根となって菌類と共生していますので、ネジバナ単独で鉢植え栽培をしようとすると、なかなか難しい面もあるようです。

(碇弘毅記)

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2014年06月26日

睡蓮の歌

睡蓮

モネの絵画?と見間違えてしまいました。事務局より送られてきた睡蓮の写真です。

石橋文化センター(福岡県久留米市)の広い池に植えられている睡蓮。
水面に葉と花を浮かべて、鮮やかな花の色が美しいですね。

睡蓮は、スイレン科の淡水生植物の総称で、その中で、特に蓮(はす)を除いたものを指しているんだそうです。

『睡蓮』というと、フランスの画家クロード・モネが描いた一連の絵画を思い出す人も多いのではないでしょうか?

モネは沢山の睡蓮の絵を描いており、東京京橋のブリヂストン美術館にもそのひとつ『睡蓮』1907年、が所蔵されています。

睡蓮


今日は、睡蓮の歌を紹介します。

祖父碇登志雄と祖母章枝が北海道に二人連れで旅行した時の作品で、亡き紫村順枝叔母が『姫由理』誌上に紹介したもの。前後の歌も併せ挙げておきます。

碇 登志雄の歌 (『姫由理』より)

睡蓮の浮葉平らに人もなき沼べりのみちを妻と歩めり

憩ふにはよろしき草生ひとときの安らぎ誘ふ沼のさやけさ

あした未だ露けき草に光りある公園の中の径を歩めり


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山法師・やまぼうし

山法師

久留米市の石橋文化センターの睡蓮の咲く池から離れ、山に入ろうとする所に満開の山法師の花があった。

ミズキ科の落葉高木。古語ではツミ(柘桑)である。秋に赤い実をつけ、くわの実に似ているところから山桑ともいう。

語源は、山の法師という意味で、木の葉の上に沢山の法師が頭巾を被って並んでいる姿に見えるところからきている。

(参考『語源辞典』東京堂出版)


山法師



万葉集 三386
この夕べ柘(つみ)のさ枝の流れ来ば簗(やな)は打たずて取らずかもあらむ


この歌は、柘枝伝説に寄せた歌です。

柘枝伝説は、吉野の川に梁を設けて魚を取っていた男「味稲(うましね)」が、その梁に柘の枝が掛かったので、手に取ると美女に化し、「味稲」はその美女と相愛(め)でて結婚・同棲したが、後に夫を残して昇天したという天の羽衣説話の型をもつもの。

この伝説を踏まえて、【柘枝(つまのえ)仙媛が化した「柘の小枝」を梁を使わないで取れないだろうか】と詠んだ歌ですね。

(碇弘毅 記)

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2014年06月24日

竹のうた

久留米市の石橋文化センターの庭園に出かけてみました。
竹

天気予報で午後は雨というので、降り出す前にというわけです。

移築された故坂本繁二郎画伯のアトリエから少し下った所に竹林があります。美しい新緑です。

竹

今日は、竹を詠んだ歌をいくつかみてみましょう。

大伴家持 (万葉集一九4291)
わがやどのいささ群竹吹く風の音のかそけきこの夕かも

碇登志雄 (『夕光』より)
降りやまず一日はくれぬ五月雨に竹林の竹たわみたる見ゆ

同   (『神幸』より)
碁の勝負きほへる友は聞かざらむ竹林の雨の音のかそけき

竹
(碇弘毅 記)

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2014年06月23日

かへるでの歌

楓

本部の庭にも樹齢七、八十年から四、五年生の若木まである。カエデ科の落葉高木。

秋の紅葉・黄色が美しいが、春の芽立ちから新高フ葉色や姿が美しい。

カエデの歴史的仮名遣いではカヘデ。語源的には、葉が蛙の手に似ているからカへルデ。略してカヘデとも。(参考『語源辞典』東京堂出版)

今回は、季節柄若木を詠んだ歌をあげておこう。

 作者未詳 万葉集十四.3494
子持山(こもちやま)若(わか)かへるでのもみつまで寝もと我(わ)は思(も)ふ汝(な)はあどか思ふ
 
 碇登志雄 歌集『夕光』から
楓(かへるで)のしもとは垂りてさみどりの雫するなりこの朝明けを


 碇登志雄 歌集『神幸』から
かへるでの深き下べを語りゆくホワイトシャツに匂ふさみどり
吹きそよぐ楓の若葉の下べにてつつじは咲けりそのま白さを


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2014年06月20日

アガパンサスの花

アガパンサスの花が、当本部に隣接する公園の濠周囲沿いに、咲き始めました。
アガパンサス

可愛いうす青の小花をたくさん咲かせていますね。

この花は南アフリカ原産で、明治中期に渡来。英名はアフリカン・リリーで、和名では紫君子蘭(むらさきくんしらん)と。

碇登志雄の歌集『神幸』に一首、転任で事務所を去る時の作です。その前後の作も併せ載せます。

今生にこの椅子につくことなけむ埃払ひに撫でゐたりけり

所長室を出で行く時に見返ればアガパンサスの花のうすいろ

したしみて通ひ馴れたるこの路よ小草みどりに雨のやまなく


(碇弘毅 記)

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2014年06月19日

碇登志雄の歌〜あやめ

ハナショウブ

ハナショウブ

筑前と筑後の境、小郡市花立山の麓に花菖蒲を見てきました。

ショウブはサトイモ科の多年草で「尚武」にちなんで端午の節句に用いる。万葉集ではアヤメグサ(菖蒲、蒲草、昌蒲)とある。

大伴家持の歌(八・14790)

ほととぎす待てど来喧(な)かず菖蒲草(あやめぐさ)玉に貫(ぬ)く日をいまだ遠みか

一方、イチハツ、カキツバタ、アヤメ(花菖蒲・ハナショウブ・ハナアヤメ)はアヤメ科だ。

花がないのも同然のサトイモ科の菖蒲に「尚武」をかさねて端午の節句に用い、花のあるアヤメ科の「あやめ」には、際立って美しいおんなのイメージにたとえ「綾女」(あやめ)を語源だとする説もある。(参考:『語源辞典(東京堂出版)』)

余談ながら、どれも優れていて優劣をつけがたく選択に迷うことの喩えに、

「いずれ菖蒲(あやめ)か杜若(かきつばた)」ということわざがある。
(参考:学研『故事ことわざ辞典』)


碇 登志雄『神幸』より三首

喧噪の灰色じみし日ぐらしの吾が眼にたのしあやめ花咲く

雨はれて緑新らし葉桜のかげなるあやめの花の紫

すが疊吹きてこの座の風涼し池はあやめのはなのこゝたく


(碇弘毅 記)

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2014年06月14日

若葉

若葉

うれしい梅雨の晴れ間ですね。

今日は、歌誌「姫由理」(6月号)の巻頭でも紹介されている歌集『夕光』より、碇登志雄の歌をご紹介します。

山越えの道の若葉に照る日光うつくしみつつ赴任す吾は


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