2019年06月07日
被害者取材」は本当に必要なのか? 〜マスコミ批判 再燃〜
加害者が死んでしまうと、マスコミは、取材先に困る。
事故や事件の被害者に、状況を取材するしか方法がない。
ニュースに速報性を求められる記者さんたちは、とにかく
取材しなければ怒られるのだろう。
自分の身がかわいいばかりに、他人の都合などお構いなしとなる。
「報道」の名のもとに、大義があるかのような態度に出る。
記者の中には、良識を弁えた記者も沢山いるだろう。
一部の心ない記者の為に、その人たちまでが非難の対象にされる。
記者たちが「再発防止」を念頭に、取材しているようには
とても思えないのだが・・・。
少なくとも、被害者の自宅まで取材に行くのは、「やりすぎ」
としか思えない。
「訴えたいことがあれば、連絡ください」くらいに、
納められないものだろうか?
2001年に決められてはいても、何も変わってはいないではないか?
記者たちに対する「教育」は、なされているのだろうか?
メディア各社は、「教育」にもっと重点を置いてほしいものである。
マスコミは、こういう人たちこそ、取材しなければいけない。
視聴率やら、購読数・販売数に反映しない報道はしない。では、
ジャーナリズムの名が廃る。
要は「良識」を問われているのである。
被害者にこういうことを言わせること自体が、マスコミの問題である。
良識ある取材を、切に願う。
BY いいとこどり
事故や事件の被害者に、状況を取材するしか方法がない。
ニュースに速報性を求められる記者さんたちは、とにかく
取材しなければ怒られるのだろう。
自分の身がかわいいばかりに、他人の都合などお構いなしとなる。
「報道」の名のもとに、大義があるかのような態度に出る。
記者の中には、良識を弁えた記者も沢山いるだろう。
一部の心ない記者の為に、その人たちまでが非難の対象にされる。
「被害者取材」は本当に必要なのか? 相次ぐ悲惨な事件事故、メディアに集まる批判
6/4(火) 6:32配信 BuzzFeed Japan
「被害者取材」は本当に必要なのか? 相次ぐ悲惨な事件事故、メディアに集まる批判
質問に応じたカリタス小学校の保護者のもとに集まる報道陣
子どもが巻き込まれる事件・事故が相次ぐなか、報道のあり方に厳しい視線が注がれている。大津市で5月8日に起きた保育園児らが死傷した事故では、保育園側が開いた会見について、ネット上で「なぜ園を追及するのか」とメディアへの批判が広がった。また、1週間前の5月28日には川崎市登戸で児童ら19人への殺傷事件が起き、現場や被害者が通っていた小学校には多くの報道陣が詰め掛け、再び批判が巻き起こった。【BuzzFeed Japan / 籏智広太】
メディアを「ただの野次馬」として感じている受け手は少なくないというのが、津田教授の見方だ。
特に会見や現場の様子などが生中継されるようになった最近は、記者の質問の内容は態度を指摘し、特定し、さらに批判するという流れもたびたび起きている。
大津の事故のあとには、批判の高まりを受け、京都新聞などが紙面やサイト上で「正確な事実を伝え、再発防止策を探るためには、被害者である園の側への取材も必要だった」と説明した。
津田教授は、メディア側が繰り返してきたこうした「再発防止」というロジックには疑義を持つ。
記者たちが「再発防止」を念頭に、取材しているようには
とても思えないのだが・・・。
マスコミによる「二次被害」
大量の報道関係者が自宅にまで押しかけ、無理やり被害者のコメントを取ろうとする。葬儀場にまで、カメラが集まる。記者会見ではときに、心無い質問をぶつけてしまうーー。
たびたび問題視される被害者への取材。事件・事故の「二次被害」を生んでいるとも指摘されることは少なくない。
少なくとも、被害者の自宅まで取材に行くのは、「やりすぎ」
としか思えない。
「訴えたいことがあれば、連絡ください」くらいに、
納められないものだろうか?
2001年12月には、いわゆる「メディアスクラム」(集団的過熱取材)についての見解が日本民間放送連盟から出されている。
「取材対象者のプライバシーや一般市民の平穏な生活が侵されているという批判の声が高まっている」として、以下のような「取材場の留意点」がまとめられたのだ。
《(1)いやがる取材対象者を集団で執ように追いまわしたり、強引に取り囲む取材は避ける。未成年者、特に幼児・児童の場合は特段の配慮を行う。
(2)死傷者を出した現場、通夜・葬儀などでは、遺族や関係者の感情に十分配慮する。
(3)直接の取材対象者だけではなく、近隣の住民の日常生活や感情に配慮する。取材車両の駐車方法、取材者の服装、飲食や喫煙時のふるまいなどに注意する。》
日本新聞協会も2001年12月、ほぼ同じ内容の見解を出している。こうした流れを汲み、少しずつ改善はされているという見方もある。一方で、いまだに批判を受けざるを得ない過熱報道が起きているという現実もある。
2001年に決められてはいても、何も変わってはいないではないか?
記者たちに対する「教育」は、なされているのだろうか?
メディア各社は、「教育」にもっと重点を置いてほしいものである。
ないがしろにされてきた被害者
1999年に山口県光市で起きた母子殺害事件の被害者遺族、本村洋さんは『〈犯罪被害者〉が報道を変える』で、メディアスクラムについてこう述べている。
《取材報道された被害者が『メディアスクラムに遭った』などと言うけれど、逆に、報道されず『私のところには来てくれなかった。あなたはいいですね、たくさん報道されて』と私に言う人もいる。ここがすごく被害者報道のむずかしいところだと思う。》
《メディアスクラムだけが問題ではないのです。メディアスクラムに遭う人は年間20人もいないかもしれない。その裏側に、取材してほしかった、こんなこと伝えたかった、事実はこうじゃない、そういう思いを抱えた人も多くいることを知っていただきたい。》
マスコミは、こういう人たちこそ、取材しなければいけない。
視聴率やら、購読数・販売数に反映しない報道はしない。では、
ジャーナリズムの名が廃る。
報道のあるべき姿とは
では、理想的な被害者報道とは、何なのだろうか。
「速報性が求められる世の中においては難しいかもしれませんが、ある種のタイムラグが必要なのではないかと思います。事件発生当初は落ち着かないだろうし、不安定なのだろうけれど、しばらくたってから、じっくりと話を聞いてくれる記者さんがいれば、それで救われる人も出てくるのではないでしょうか」
「一方で、時間が経ってしまうとニュースバリューも落ち、関心が下がるという問題点もあります。事件ごとに、被害者、あるいは加害者のパーソナリティが違う。常に適応できるルールもありません。報道側がそれぞれの当事者の特性、要望を踏まえて、その場その場で判断をしていくしかない」
要は「良識」を問われているのである。
「子どもたちの取材は控えて」カリタス小学校が要請 現場の報道陣の様子は<川崎・登戸殺傷事件>
「子供達、そして子供達のことを心配する保護者の皆様の気持ちをご一緒に考えていただけたら幸いです」
2019/05/28 19:54
5月28日夜に記者会見したカリタス学園の齋藤哲郎理事長は、学園側が把握している事件の状況について説明した上で、こう語った。
「子供達そして保護者、本当に深い心の傷を負っておりますので、できることなら、子供達への直接のご取材はお控えいただければと思います。本当に子供達、そして子供達のことを心配する保護者の皆様の気持ちをご一緒に考えていただけたら幸いです」
カリタス小学校の内藤貞子校長も、こう続けた。
「保護者から、子供達の写真を撮ったり、子供達にインタビューをしないでほしいという要望が出ています。これは、保護者の願いですので、どうぞ受け止めていただければありがたく思っております」
突然事件に巻き込まれ、日常を壊された児童や保護者たちの動揺は大きい。その上、大事件だけに報道陣も大量に集まっており、取材でこれ以上の重圧を与えないように配慮を求めた。
被害者にこういうことを言わせること自体が、マスコミの問題である。
良識ある取材を、切に願う。
BY いいとこどり
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