2012年04月22日
A081 「ネバナラヌ」ではなく「楽しんで!」
1、ネバナラヌ
私は20数年糖尿病と付き合ってきてます。その自分を「ベテラン糖尿病患者」と呼んでいます。こうすることで、心に余裕?を持てるような気がしているのです。
遡って10数年前の退職した頃は、それまでの通勤・会社勤務という時間拘束がなくなって、身体を動かす外的要因はゼロでした。
何もせずに怠惰を決め込んでいても、誰も何も言いません。その中で、糖尿病の運動療法として「歩くこと」を最優先の日課とし続けなければなりませんでした。
それまでの会社人間が仕事から解き放されてみると、朝起きても1日の目標がなく、一向に気合いが入りません。趣味らしきものが何もないことがどんなことかを実感させられました。
そんな日々を送りながら、兎に角、問答無用、運動療法と割り切って毎日ひたすら歩いていました。
血糖値のコントロールが最大の関心事でした。
話しに聞く合併症は何としても避けねばならぬ!という課題を背負っての事でした。
この合併症を避けるために
「食事を制限カロリー以内に抑えなければならない」
「歩かねばならない」
「薬を飲まなければならない」
この3つの「ネバナラヌ」の支配下にありました。
「ネバナラヌ」「ねばならぬ」で、「この先ずーっといかねばならぬ」。
この様な毎日でした。
私は20数年糖尿病と付き合ってきてます。その自分を「ベテラン糖尿病患者」と呼んでいます。こうすることで、心に余裕?を持てるような気がしているのです。
遡って10数年前の退職した頃は、それまでの通勤・会社勤務という時間拘束がなくなって、身体を動かす外的要因はゼロでした。
何もせずに怠惰を決め込んでいても、誰も何も言いません。その中で、糖尿病の運動療法として「歩くこと」を最優先の日課とし続けなければなりませんでした。
それまでの会社人間が仕事から解き放されてみると、朝起きても1日の目標がなく、一向に気合いが入りません。趣味らしきものが何もないことがどんなことかを実感させられました。
そんな日々を送りながら、兎に角、問答無用、運動療法と割り切って毎日ひたすら歩いていました。
血糖値のコントロールが最大の関心事でした。
話しに聞く合併症は何としても避けねばならぬ!という課題を背負っての事でした。
この合併症を避けるために
「食事を制限カロリー以内に抑えなければならない」
「歩かねばならない」
「薬を飲まなければならない」
この3つの「ネバナラヌ」の支配下にありました。
「ネバナラヌ」「ねばならぬ」で、「この先ずーっといかねばならぬ」。
この様な毎日でした。
2、「 我慢・辛抱・努力のみで一生を続けますか?」
「 我慢・辛抱・努力のみで一生を続けますか?」と自分に問うてみました。
答えは当然のことながら「NO!」です。
糖尿病だけを見つめていると、
そして真面目でかつ真剣であればあるほど、
これからが「重い荷物を背負って長い坂道を登るだけの人生」に思えてきて、「行く先が暗くなる」。
こんな風に思われました。
・「これではマズイ!」
・「何かで気を紛らわして我慢・努力のストレスを感じないようにしよう」
・「そうは言ってもどうしたら良いか」
・「日々集中できるような、具体的な作業目標を持つと良いだろう」
・「楽しいことには集中できるはずだ」「長く続けることが出来るはずだ」
されど
・「楽しめるようなことなど自分には何もない」・・
こんな事を自問自答しながら、運動療法としての「歩くこと」を義務感で続けていました。
歩き続けながら、「目標を持ち達成感を感じるように歩くコースの選定」を工夫したり、あれやこれや試行錯誤しながら、「続けること」を念頭に置いて歩き続けました。
そうしているうちに新たな経験をしたり、見えていなかったものが見えてきたり、滑ったり転んだり、全く違った人生を歩んできた人との交流が出来たりして視界、展望が開けてくることに気付いたのです。
義務感であった「歩くこと」がいつの間にか「楽しみ」なっていました。
歩きながら興味を覚えた「山野草」、それについて見聞きしたことを記録する為に始めた「デジカメ」「パソコン」に気が向く時間が多くなっていました。
「食事を制限カロリー以内に抑えなければならない」
「歩かねばならない」
「薬を飲まなければならない」
という「3つのねばならぬ」が 我慢・辛抱・努力の対象ではなくなっていまし。
どうせ 「ねばならぬ」事ならば「義務感で」より「楽しんで」の方が、遙かに人生を楽しむことが出来るであろうことは容易に想像できるようになりました。
この先の生き方に展望が開けてきたような気がしました。
幸せの青い鳥は既製品で求められるものではなく、自らが行動し、自分流に育てていくものであることを実感するようになりました。
以後、血糖値のコントロールが思うにまかせず、合併症の恐怖を感じる時期もありましたが、インスリンの投与で危機を乗り越え、数年前からA1c6%台で安定した状態を維持できています。
自らが行動して自分流の「楽しみ」を育てて日々を過ごし、結果的に血糖値がコントロールできいる。・・・この様に致したいと思っています。
「 我慢・辛抱・努力のみで一生を続けますか?」と自分に問うてみました。
答えは当然のことながら「NO!」です。
糖尿病だけを見つめていると、
そして真面目でかつ真剣であればあるほど、
これからが「重い荷物を背負って長い坂道を登るだけの人生」に思えてきて、「行く先が暗くなる」。
こんな風に思われました。
・「これではマズイ!」
・「何かで気を紛らわして我慢・努力のストレスを感じないようにしよう」
・「そうは言ってもどうしたら良いか」
・「日々集中できるような、具体的な作業目標を持つと良いだろう」
・「楽しいことには集中できるはずだ」「長く続けることが出来るはずだ」
されど
・「楽しめるようなことなど自分には何もない」・・
こんな事を自問自答しながら、運動療法としての「歩くこと」を義務感で続けていました。
歩き続けながら、「目標を持ち達成感を感じるように歩くコースの選定」を工夫したり、あれやこれや試行錯誤しながら、「続けること」を念頭に置いて歩き続けました。
そうしているうちに新たな経験をしたり、見えていなかったものが見えてきたり、滑ったり転んだり、全く違った人生を歩んできた人との交流が出来たりして視界、展望が開けてくることに気付いたのです。
義務感であった「歩くこと」がいつの間にか「楽しみ」なっていました。
歩きながら興味を覚えた「山野草」、それについて見聞きしたことを記録する為に始めた「デジカメ」「パソコン」に気が向く時間が多くなっていました。
「食事を制限カロリー以内に抑えなければならない」
「歩かねばならない」
「薬を飲まなければならない」
という「3つのねばならぬ」が 我慢・辛抱・努力の対象ではなくなっていまし。
どうせ 「ねばならぬ」事ならば「義務感で」より「楽しんで」の方が、遙かに人生を楽しむことが出来るであろうことは容易に想像できるようになりました。
この先の生き方に展望が開けてきたような気がしました。
幸せの青い鳥は既製品で求められるものではなく、自らが行動し、自分流に育てていくものであることを実感するようになりました。
以後、血糖値のコントロールが思うにまかせず、合併症の恐怖を感じる時期もありましたが、インスリンの投与で危機を乗り越え、数年前からA1c6%台で安定した状態を維持できています。
自らが行動して自分流の「楽しみ」を育てて日々を過ごし、結果的に血糖値がコントロールできいる。・・・この様に致したいと思っています。