2013年04月19日
A267「介護する人」と「介護される人」(4)
5、様々な福祉制度はあるけれど
医療制度・介護保険・生活保護などがあって、莫大な財源が投入されているのに、
介護される人、介護する人の苦しみ、過大な負担は改善されることなく続きます。
介護問題の中心問題と制度設計・運用の実態とがずれている!
そんな思いがします。
(1)制度そのものに欠陥があるのでしょうかか?
(2)運用に当たっての行政に欠陥があるのでしょうか?
(3)報道や世間一般の人々の言動に問題があるのでしょうか?
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医療制度・介護保険・生活保護などがあって、莫大な財源が投入されているのに、
介護される人、介護する人の苦しみ、過大な負担は改善されることなく続きます。
介護問題の中心問題と制度設計・運用の実態とがずれている!
そんな思いがします。
(1)制度そのものに欠陥があるのでしょうかか?
(2)運用に当たっての行政に欠陥があるのでしょうか?
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(お礼と報告)
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”医療と健康(全般)” 11 位/ 336人中
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と、問いかけ、
政治・行政・世間・報道は、それぞれ個々の問題に何処まで踏み込むか?
責任・権限は?
など考えてみますと、それぞれに関与する人たちの自己防衛意識に左右されて、劇的な事態改善は期待薄に思えます。私の考えが歪であることを願いもします。
介護施設が増え、出張介護の仕組みが出来るなど介護の福祉制度はありますが、増え続ける要介護者に対応できていない実態があるようです。
当然の帰結なのでしょうが、
・基本は、「自分のことは自分で対処する!」であり、
・社会的な制度、施設、仕組みの助けをかりて、より実効的な介護を目指し、願わくば己の負担を軽減する
ということになりそうです。
6、自分はどうする
(1)介護を要しない(或いは若干の助けをかりる程度の)健康体、自分のことは自分で行う生活を続け得ることを目指す。即ち
一病息災!ながら
運動療法での「歩くこと」、加齢後も出来る「ストレッチ」、
趣味の「植物観察」での「野山・街中散策、森林浴」、「観察資料の整理、加工」
「ブログなど文章を書き続けること」での「頭の体操」などで
身体をうごかし、頭の連休をなくし、
持病のための食事療法をもとにして、リズム感ある規則的な生活をつづける。
(2)心ならずも病に冒されたり、怪我によって自力で行動出来なくなった場合でも、
延命治療、これに類する助命治療などは一切行わない旨を明確にしておく。
病院・施設の利用、介護士の派遣など専門家に委ねることを第一とし、これらが叶わないときも家族の生活維持を優先させ、家族の犠牲での介護は行なって欲しくないことを家族に伝えておく。
現状、頭で考えるとこの様になりますが、ことに(2)項は、「この位の気持ちでいます」と言うことで、実際にはどうなるか!とは別問題と思われます。
「命運は成り行きにまかせる」という心境に、当人、家族がなれるかどうか?
悩ましいところです。
先ずは、
例えば(1)項の様な生活で介護のリスクを減らすよう心がけよう!
常日頃、自覚のある生活を続けていこう!
今言えることはこういうことだと思うのです
政治・行政・世間・報道は、それぞれ個々の問題に何処まで踏み込むか?
責任・権限は?
など考えてみますと、それぞれに関与する人たちの自己防衛意識に左右されて、劇的な事態改善は期待薄に思えます。私の考えが歪であることを願いもします。
介護施設が増え、出張介護の仕組みが出来るなど介護の福祉制度はありますが、増え続ける要介護者に対応できていない実態があるようです。
当然の帰結なのでしょうが、
・基本は、「自分のことは自分で対処する!」であり、
・社会的な制度、施設、仕組みの助けをかりて、より実効的な介護を目指し、願わくば己の負担を軽減する
ということになりそうです。
6、自分はどうする
(1)介護を要しない(或いは若干の助けをかりる程度の)健康体、自分のことは自分で行う生活を続け得ることを目指す。即ち
一病息災!ながら
運動療法での「歩くこと」、加齢後も出来る「ストレッチ」、
趣味の「植物観察」での「野山・街中散策、森林浴」、「観察資料の整理、加工」
「ブログなど文章を書き続けること」での「頭の体操」などで
身体をうごかし、頭の連休をなくし、
持病のための食事療法をもとにして、リズム感ある規則的な生活をつづける。
(2)心ならずも病に冒されたり、怪我によって自力で行動出来なくなった場合でも、
延命治療、これに類する助命治療などは一切行わない旨を明確にしておく。
病院・施設の利用、介護士の派遣など専門家に委ねることを第一とし、これらが叶わないときも家族の生活維持を優先させ、家族の犠牲での介護は行なって欲しくないことを家族に伝えておく。
現状、頭で考えるとこの様になりますが、ことに(2)項は、「この位の気持ちでいます」と言うことで、実際にはどうなるか!とは別問題と思われます。
「命運は成り行きにまかせる」という心境に、当人、家族がなれるかどうか?
悩ましいところです。
先ずは、
例えば(1)項の様な生活で介護のリスクを減らすよう心がけよう!
常日頃、自覚のある生活を続けていこう!
今言えることはこういうことだと思うのです