2012年06月29日
A149・健康街道と脇道
1、「健康」を口にするが、その実は!
当節は「健康ブーム」。
「健康をうたい文句にする商い」が巷に溢れています。
健康への関心が高まり、それで人々が健康に過ごせるならば誠に結構ではありますが、出発点に戻って、事の本質を見直してはどうかと思う点が目につきます。
健康のルーツは規則正しい生活と食事にあり、毎日体を動かし働き、栄養ある食事を腹八分目にいただくことにあると思います。
ところが実際は、偏った食習慣や不規則な生活を繰り返し、気にはしながら抜け出せずにいたり、慣れ親しんでそれが当たり前になってしまっている人が少なくないようです。
当節は「健康ブーム」。
「健康をうたい文句にする商い」が巷に溢れています。
健康への関心が高まり、それで人々が健康に過ごせるならば誠に結構ではありますが、出発点に戻って、事の本質を見直してはどうかと思う点が目につきます。
健康のルーツは規則正しい生活と食事にあり、毎日体を動かし働き、栄養ある食事を腹八分目にいただくことにあると思います。
ところが実際は、偏った食習慣や不規則な生活を繰り返し、気にはしながら抜け出せずにいたり、慣れ親しんでそれが当たり前になってしまっている人が少なくないようです。
栄養補給食品と称する商品が巷に溢れています。本来は毎日の食事から摂取すべきもの、正しい食事から摂取出来るものまでもサプリメントに頼ろ傾向があるのでしょうか。または商業主義の宣伝攻勢にのっての結果でしょうか?
食事への人々の思いも随分変わったようです。
日本人古来の食事は田畑からの恵み、海の幸、山の幸に感謝していただくものでした。
それが文明開化の頃からか、敗戦後の復興が進んだ後の高度成長の頃からか、食の西欧化著しく(このこと自体は良しとして)、物心両面で大きく変化したように思われます。
食への感謝の念は薄れ、漫然と嗜好を追い求め、それが慢性化して、何時の頃からか健康の本通りから外れて来たようです。
美食とかグルメとか称して栄養バランスの崩れた食事を過食し、身体を動かさない生活を続け、気がつけば生活習慣病が蔓延していました。
私も恥ずかしながらその一人でした。
2、食事内容を見直す
糖尿病歴20数年、長い間カロリーコントロールの名の下に、食べる量を控える様に心がけてきましたが、思いと実績とは一致しませんでした。
最近は質の見直しを行っています。
コメ=白米感覚で、白米を当たり前のように食べてきましたが、今は玄米、発芽玄米を調べています。
子供の頃、終戦後のコメが超貴重品であった頃、白米などは庶民とは無縁で、配給の玄米を一升瓶に入れ、棒でつついて五分づきかにしていました。ご飯時には、混ぜ物の中の米粒を選び出して食べた味を思い出します。
今、身辺には調味料が溢れています。天然素材をうたい文句にするもの、味の特徴を強調するものなど様々ですが、砂糖でも、塩でも過剰の調味料は有害と心得て、素材の味を味わう生活に回帰しようと思っています。
過剰に摂取したものは、身体の中では有害な異物として溜まるでしょうから、それらを排除することをイメージして行こうと思っています。
食への感謝の念復活とあわせて、食材そのものの味を味わいながら糖尿病食の内容を見直していこうと思っています。
食事への人々の思いも随分変わったようです。
日本人古来の食事は田畑からの恵み、海の幸、山の幸に感謝していただくものでした。
それが文明開化の頃からか、敗戦後の復興が進んだ後の高度成長の頃からか、食の西欧化著しく(このこと自体は良しとして)、物心両面で大きく変化したように思われます。
食への感謝の念は薄れ、漫然と嗜好を追い求め、それが慢性化して、何時の頃からか健康の本通りから外れて来たようです。
美食とかグルメとか称して栄養バランスの崩れた食事を過食し、身体を動かさない生活を続け、気がつけば生活習慣病が蔓延していました。
私も恥ずかしながらその一人でした。
2、食事内容を見直す
糖尿病歴20数年、長い間カロリーコントロールの名の下に、食べる量を控える様に心がけてきましたが、思いと実績とは一致しませんでした。
最近は質の見直しを行っています。
コメ=白米感覚で、白米を当たり前のように食べてきましたが、今は玄米、発芽玄米を調べています。
子供の頃、終戦後のコメが超貴重品であった頃、白米などは庶民とは無縁で、配給の玄米を一升瓶に入れ、棒でつついて五分づきかにしていました。ご飯時には、混ぜ物の中の米粒を選び出して食べた味を思い出します。
今、身辺には調味料が溢れています。天然素材をうたい文句にするもの、味の特徴を強調するものなど様々ですが、砂糖でも、塩でも過剰の調味料は有害と心得て、素材の味を味わう生活に回帰しようと思っています。
過剰に摂取したものは、身体の中では有害な異物として溜まるでしょうから、それらを排除することをイメージして行こうと思っています。
食への感謝の念復活とあわせて、食材そのものの味を味わいながら糖尿病食の内容を見直していこうと思っています。