2012年06月13日
A133・「気力」を持ち続けたい
1、「気力」ある生き方
・テレビで老人施設の映像を見ることがあります。
たまたま映し出された人がそうだったのかも知れませんが、外見上はまだまだ自分で自分のことが出来そうな人なのに「お年寄り扱い」され、ご当人も「年寄り気分」になっているかのような姿を見受けることがあります。
・これとは別ケースです。度々、近くの公園にウオーキングに行くのですが、此所は介護センターが隣接していて、職員に付き添われて様々な患者さんが何時も歩行訓練をしています。
同年代のこれらの人々を見ると複雑な思いにさせられます。
・テレビで老人施設の映像を見ることがあります。
たまたま映し出された人がそうだったのかも知れませんが、外見上はまだまだ自分で自分のことが出来そうな人なのに「お年寄り扱い」され、ご当人も「年寄り気分」になっているかのような姿を見受けることがあります。
・これとは別ケースです。度々、近くの公園にウオーキングに行くのですが、此所は介護センターが隣接していて、職員に付き添われて様々な患者さんが何時も歩行訓練をしています。
同年代のこれらの人々を見ると複雑な思いにさせられます。
意に反して病に冒されてしまった人、怪我で自由を失った人達がその後の生活の場をホームに求め、周囲の助けをかりながら懸命に治療され、リハビリされておられるのだと思うと、出来るだけ早く元気を取り戻してもらいたいと願う気持ちになります。
意の如く動けないもどかしさを覚えながらリハビリに励んでおられるその横を、健常者が(実は持病のある一病息災者なのですが)早足で追い抜いたり、すれ違ったりするのは遠慮した方が良いのか?と思ったこともありました。
一方、最初の例の如く、自分で出来そうなことも人の手を借りる様な「気力」を見失っている様に思える人には、「余計なお世話!」と言われるとそれまでですが、「自分で動いて見ませんか!」と声をかけたくなります。
体調が落ち込んでいるときは、「気力を!」と言っても、なかなか難しい事ですが、自分のことは出来うる限り自分でするという原則は保持いたしたいと願います。
ある時期、自活が難しい時には手を貸してもらい、助けてもらうことは勿論有難い事ですが、自分で自分の人生を生きるという誇りは持ち続けたいと思います。
人任せで日々を過ごしている内に、それが当たり前になってしまい、気力も筋肉も衰えてしまうことのないように心がけたいと思います。
体調をくずしてしまって、療養とかケアの渦中にあるご当人が気丈であり続けることは難しいでしょうが、そんな時、周囲の人からの適切な判断、助言、手助けが多分大きな役割を占めるのだろうと思ったりもします。
2、自分で出来ることは自分で行う
要は、少しでも多くの人が自分で出来ることは自分で行なう存在であって欲しいと願うのです。
私自身は、持病と付き合いながら一病息災と思い、今のところ日常の生活をさして不自由なく過ごせるからこんな事を言えるのかも知れません。ではありますが、こう思っていたいと自分に言い聞かせています。
「お年寄り」扱いに甘えて、或いは自ら願望して、身の回りのことを家族や周囲の人にまかせてしまい「自分で出来ることは自分で行なう」事を見失なわないように致したいと思っています。
意の如く動けないもどかしさを覚えながらリハビリに励んでおられるその横を、健常者が(実は持病のある一病息災者なのですが)早足で追い抜いたり、すれ違ったりするのは遠慮した方が良いのか?と思ったこともありました。
一方、最初の例の如く、自分で出来そうなことも人の手を借りる様な「気力」を見失っている様に思える人には、「余計なお世話!」と言われるとそれまでですが、「自分で動いて見ませんか!」と声をかけたくなります。
体調が落ち込んでいるときは、「気力を!」と言っても、なかなか難しい事ですが、自分のことは出来うる限り自分でするという原則は保持いたしたいと願います。
ある時期、自活が難しい時には手を貸してもらい、助けてもらうことは勿論有難い事ですが、自分で自分の人生を生きるという誇りは持ち続けたいと思います。
人任せで日々を過ごしている内に、それが当たり前になってしまい、気力も筋肉も衰えてしまうことのないように心がけたいと思います。
体調をくずしてしまって、療養とかケアの渦中にあるご当人が気丈であり続けることは難しいでしょうが、そんな時、周囲の人からの適切な判断、助言、手助けが多分大きな役割を占めるのだろうと思ったりもします。
2、自分で出来ることは自分で行う
要は、少しでも多くの人が自分で出来ることは自分で行なう存在であって欲しいと願うのです。
私自身は、持病と付き合いながら一病息災と思い、今のところ日常の生活をさして不自由なく過ごせるからこんな事を言えるのかも知れません。ではありますが、こう思っていたいと自分に言い聞かせています。
「お年寄り」扱いに甘えて、或いは自ら願望して、身の回りのことを家族や周囲の人にまかせてしまい「自分で出来ることは自分で行なう」事を見失なわないように致したいと思っています。