この章では, 本来は内向的な性格であるにもかかわらず, 状況に応じて外向的に振る舞うことのできる人びとが描かれる.
実際にそういう人びとは存在し, 本書では特徴的な三人が取り上げられている.
一人目は心理学者のブライアン・リトル (Brian Little).
取材時 (2006 〜 2010) にはハーバード大学からケンブリッジ大学に移る頃で, その時点ですでにハーバードにおいて教育と研究における数々の賞を受けていた.
自由気質理論 (Free Trait Theory) の提唱者である. この理論では, 人は生まれながらの気質 ── たとえば内向性 ── を持っているが, 一方でその人が好きなもの, 価値を認めたものなどのためにはその気質とは異なる個性を「演じる」ことができるという説を展開している.
研究者として一流である以上に特筆すべきは講義者としての彼である.
講義のときの彼は役を演じる俳優のように動きまわり, よく通る声で明確に話し, 時にジョークを交え聴衆の興味を惹き付ける.
ハーバードでの彼のクラスは常に満員で, 講義の終わりにはしばしばスタンディングオベーションが起こる.
だが私生活での彼は, 人里から離れた森の中の家に妻と二人きりで暮らし, 時折子どもや孫が訪れる以外は読書, 本や論文の執筆に明け暮れる隠者のような生活を送っている.
二人目は著者スーザン・ケインの友人であるアレックス.
ある金融サービス会社の優秀なトップであり, 快活で気取らず親切な人物である.
アレックスは元々内気な "いい奴" だったのだが, 中学生の時にただのいい奴は周りから利用されるだけだと気付く.
考えた結果, 彼は自ら外向的な性格を演じることによって, 逆に周囲を自分の思い通りに利用し, 動かす術を獲得していく.
彼はもう長い間, 自分には妻と子ども以外に心を許す友人は居ないと言い切る.
社交的な場は嫌いであり, 夢はどこかの数千エーカーの土地に家族だけで住むことで, そこには他の友人はいない.
「僕はものすごく内気なんだよ」
そして三人目がエドガー.
著者が最も上手に外向的な擬態を行っていると考えている人物. ニューヨークの社交界でよく知られ誰からも愛されている.
明確には書いていないが起業家のようだ.
毎日のように出資者が参加するパーティーに出かけ, またそういうパーティーを主催する.
人びとの間を歩き周り絶妙の会話で参加者を楽しませる.
しかしエドガーは自分は内向的な性格で, 誰かと話しているよりも一人で座って本を読んでいるほうがずっといいと語る.
エドガーの会話術の秘密は索引カードにある.
旬の話題や街で拾った面白い出来事などをカードに書き留めておき, パーティーのときにはそれを話題にして会話が途切れないようにする.
タイミングを見てトイレに行き, カードの内容を確認してまたパーティーに戻る.
あまりにこの技に長けたために, いつしか索引カード無しでもエドガーは社交的に振る舞えるようになる.
実はこの三人にはある共通点がある.
心理学におけるある実験によれば, 内向的な気質を持つにもかかわらず, あたかも外向的な気質の持ち主であるかのように振る舞うことが上手な人は "自己監視 (self-monitoring)" の能力が高い.
このような人は自分が置かれている状況や, 周りが何を考えているか, 何を望んでいるかの微妙なサインを瞬間的に読み取り, それに合わせて自らの振る舞いを作り出すことができる.
自分が共感したのはエドガー氏の索引カードの方法である.
これと同じようなことを自分はやっていた.
以前の企業で働く中で, 人とのコミュニケーションがひどく苦手で, しかも人より考えるのが遅い自分にどうにも苦しんでいた時に考えついた方法である.
仕事で必要な技術的な話題, 雑談の際に話したら面白そうなトピックをいつもストックしておき, 職場にいるときや飲み会のときなどにこれらを使った.
最初はうまくいっているように見えた.
しかし, 何年かですぐに破綻した.
ある朝オフィスに出たら, 誰にも話しかけられなくなっている自分に気がつく.
これは明らかにおかしいと思って初めて精神病院に行ったら鬱病と診断された.
ストックされた話題をただ話すだけでは駄目なのだ.
それをうまく話す技術や, 相手に話を回す配慮などが必要だ.
また, 技術的な話題については, その内容を一時的に丸暗記して見かけ上話についていっているように見せかけているだけなので, 後から時間を取ってじっくり理解しないと実際の仕事では使えない.
鬱病になって以来, 持っている話題をうまく話したり, 技術的なテーマを裏で勉強して理解しておくことが難しくなっていった.
そのストレスを埋めるための酒量はどんどん増えていった.
ちなみにこの本には, 内向的な人物が外向的人物を上手く演じられるための条件である "自己監視能力" がどの程度かをチェックするためのテストの一部が載っている.
おそらく上記のエドガー氏などはこのテストが満点なのだろう.
自分は零点だった.
自己監視能力が無いのに無理なことをやっていたのだ.
愚かな無理をしたものである.
内向的と言ってもいろいろなパターンがある.
自分には外向的な人物を演じるのは不可能だ.
別の場所でやっていく人間なのだ.
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