如来の福音の歌 The Gospel of the Tathagata
静寂の夜に経典開き
覚慧の祈り、胸に秘める
三福の道が光を放つ
涅槃を目指す旅の始まり
ああ、如来の福音よ
迷える心を癒し導く
須陀洹への飛躍の力
希望を抱き歩み出そう
The Gospel of the Tathagata
In the still of the night, a scripture unfolds,
Kakuye’s prayer, a secret he holds.
The path of three virtues shines so bright,
A journey to Nirvana begins tonight.
Ah, the gospel of the Tathagata’s light,
Healing hearts lost in the night.
The leap to Sotāpanna, a guiding star,
With hope embraced, we walk afar.
如来の福音
月明かりが静かに山寺を照らす夜、一人の修行僧が古い経典を手にしていた。その顔には厳粛な表情が浮かび、時折深い溜息をつく。僧の名は覚慧(かくえ)、この地で修行に励む一人の求道者である。彼が手にしているのは、「三福道」と呼ばれる教えを記した経典だった。
経典には、聖者となるための三つの方法が説かれていた。
第一に、如来のもとで功徳を積むこと。
第二に、正法の中において功徳を積むこと。
第三に、聖なる師や弟子たちとのつながりを通じて功徳を積むこと。
これらを実践することで、須陀洹(しゅだおん)、斯陀含(しだごん)、阿那含(あなごん)の三段階を経て、最終的に涅槃界に至るというのだ。
覚慧はその言葉に深い魅力を感じると同時に、一抹の落胆を覚えていた。
「果たしてこれほどの道を歩むことが、凡夫である私に可能なのだろうか?」
彼は静かに経典を閉じ、目を閉じて瞑想に入った。そこに浮かび上がるのは、修行を始めたばかりのころの自分だった。悩み、迷い、何度も挫けそうになった記憶がよみがえる。それでも彼は、師の教えに従い、一歩一歩進んできたのだ。
経典に戻ると、そこには「須陀洹」への道が記されていた。
「凡夫が聖者になる第一歩――須陀洹に至ることが、最も難しいとされる。しかし、この三福道を実践すれば、必ず聖者への道が開ける。」
その一文に、覚慧の心は揺れた。
「確かに、凡夫である自分が聖者の領域に足を踏み入れるのは、大きな飛躍だ。しかし、この経典に説かれているのは、如来への功徳による道。それは末法の時代に生きる私たちにとって、救いとなる福音なのではないか?」
彼の中で希望が湧き上がり始めた。それは単なる夢想ではなく、師や聖者たちの教えを通じて確かに感じられるものだった。
覚慧は経典の最後の言葉を目で追った。「末法の時代において、この三福道を学ぶことは如来からの福音であり、同時に警告である。」
その言葉に背筋が伸びる思いがした。彼は決意を新たに、静かに呟いた。
「私はこの三福道を修め、まず須陀洹に至ろう。そして、すべての人々がこの道を歩む助けになりたい。それが私の誓願だ。」
夜の静けさの中、覚慧の決意はまるで月の光に包まれるように、澄み渡っていた。
この文章をの作詩ください。
歌詞はイントロ4行、サビ4行してください
2024年12月27日
准胝観音 3Juntei Kannon
准胝観音 七倶胝仏母Juntei Kannon
准胝仏母(じゅんていぶつも)・七倶胝仏母(しちくていぶつも)ともいいます。もとはヒンドゥー教の女神であるドゥルガーで、シヴァ神の妃とされています。とても美しい姿ですが、神々の武器を持って魔族を倒した戦いの女神です。そのため本来は女尊であり、観音ではないという指摘もあります。しかし、ここでは観音として紹介しますね。
仏教に取り入れられてからは慈悲深い清浄をもたらす神とされ、七倶胝仏母(しちぐていぶつぼ)ともいわれています。これは遙か過去より多くの仏を誕生させた仏の母という意味です。そのため、真言宗系では人道を救済する六観音(聖観音・千手観音・十一面観音・如意輪観音・馬頭観音・准胝観音)に数えられますが、天台宗系では准胝仏母といわれ如来に分類されています。不空羂索観音と合わせて七観音と呼ばれることもありま
修道者守護、無病息災、延命のご利益があり、安産や子供が授かるなどの功徳があります。
空海の孫弟子にあたる理源大師(りげんだいし)聖宝は修験の僧として知られ、自ら霊木を刻んで祀ったのが准胝観音と如意輪観音でした。経典には、修験者が准胝陀羅尼を唱えれば身が清浄となり成仏できると説かれています。また聖宝は醍醐天皇の皇子誕生を准胝観音に祈願し、のちの朱雀、村上両天皇が誕生したといいます。そのため一般的には子授け、安産としての功徳が知られています。
手は18本で3つ目の姿であることが多いです。中央の手は説法印と施無畏印をとります。また持ち物は武器や数珠、蓮華などを持っています。
オン・シャレイ・シュレイ・ジュンテイ・ソワカ
准胝観音の物語
遥か昔、世界のあらゆる存在が調和を求めていた時代。山奥の秘境にて、母なる慈悲と戦いの力を宿した女神が降り立った。名を准胝観音(じゅんていかんのん)という。彼女はヒンドゥーの女神ドゥルガーとして知られ、無数の魔族と戦い、多くの生命を救った。その美しさは神々をも魅了し、持つ武器は闇を一掃するほどの力を秘めていた。
しかし、彼女の物語はそこで終わらない。仏教の地にその姿が伝わると、准胝観音は慈愛に満ちた母性の象徴として人々に崇められるようになる。「仏の母」として、無数の仏を生み出し、清浄なる心と安らぎをもたらす存在へと変容したのだ。七倶胝仏母(しちぐていぶつぼ)とも呼ばれ、修行者や人々を守護する役割を担うこととなった。
山中の修験者の祈り
時は移り、山深い霊地に一人の修験僧が住んでいた。その名は理源大師(りげんだいし)聖宝。彼はある夜、夢で准胝観音の啓示を受ける。霊木を削り、その姿を彫り上げれば、天の加護が授けられるというのだ。聖宝は日夜木を削り、心を込めて准胝観音像を作り上げた。
ある日、醍醐天皇の后が皇子を授かるための祈願を行うことになった。聖宝は准胝観音に祈りを捧げた。「母なる観音よ、この願いを叶えたまえ。」その祈りは天に届き、やがて朱雀天皇、そして村上天皇が生まれることとなる。准胝観音の力は、子授けと安産の功徳として広く知られるようになった。
十八本の手と三つの目
准胝観音の像容は、見る者を畏怖させる。十八本の手はそれぞれ武器、数珠、蓮華を持ち、慈悲と力を表している。その中央の手は説法印と施無畏印を示し、恐れや迷いを取り除く。その三つの目は過去、現在、未来を見通す力を持ち、すべての存在を導く。
静かに佇む准胝観音の姿は、祈る者の心を癒し、希望を灯す。彼女は戦いの神でありながら、母としての愛と慈悲を抱き、人々を救う。山中の風が吹き渡る中、その神秘的な姿は今もなお語り継がれている。
准胝観音の歌
遥か彼方の山の奥
母なる慈悲が降り立つ時
戦いの炎を抱きしめて
闇を祓うその手のひら
ああ、准胝の光よ
未来を照らし、夢を繋げ
十八の手が救う命
母の愛がここに宿る
The Song of Juntei Kannon
Far away in the mountain's embrace,
A mother’s mercy descends with grace.
Embracing flames of battle untold,
Her hands dispel the darkness cold.
Oh, light of Juntei shining bright,
Guiding dreams and futures alight.
Eighteen hands that save and heal,
A mother’s love, eternal and real.