三種の供養 Three types of offerings
イントロ
三種の供養を 心に刻み
香りと灯火 捧げし祈り
種を蒔くように 善行を重ね
福徳の宝 咲く日を待てば
サビ
力尽くして 供養の道を
骨身惜しまず 種を蒔こう
解脱の願い 叶うその日まで
如来の光 照らし続ける
三種の供養こそ、最も尊いものとされている。
Three types of offerings
Intro
Engrave the three types of offerings in your heart
Offer fragrance and light, and pray
Pile up good deeds like sowing seeds
Wait for the day when the treasure of good fortune will bloom
Chorus
With all your might, sow the seeds on the path of offerings
Until the day your wish for liberation is fulfilled
The light of the Buddha will continue to shine
The three types of offerings are considered the most sacred.
まず第一に、「事の供養」――身供養ともいう。これは、香華や燈明、そして清らかな塗り物を捧げ、できる限りの力で供養をすることを指す。供養の種を蒔かなければ、福徳という宝は決して生まれることはない。これは、まさに農作物に例えられる。たとえば、一升の種籾を蒔けば、五升や一斗もの豊かな収穫が得られるように、善行も蒔かねば実ることはないのだ。種を惜しんで蒔かないでいては、米や麦が収穫できるわけがない。功徳の種を蒔かずに、果報や福徳を得ようなどというのは、浅はかな望みでしかない。種は蒔けば蒔くほどに実る。だからこそ、骨身を惜しまずに蒔き続けなければならない。もし、解脱という宝を心から願うならば、まず梵行や功徳という種をしっかりと蒔くべきだ。
第二には、「行の供養」がある。わが身やわが子を助けたいと願うならば、まず他の人々を救うべきだと釈迦牟尼如来は説いている。これは因果の大法であり、自分のことばかりに囚われていては、決して因縁を解くことはできない。自らの身を嘆き、我が身を大切にしているうちは、悪しき因縁を積み重ねるばかりである。そしてその結果、今の苦しみが生じているのだ。だからこそ、行者は徳を積み、全力を尽くして他者を救わなければならない。
舎利供養を行う者は、十種の功徳をその身に受け、自然と人々の上に立ち、助ける存在となる。しかし、その功徳を得た後に、おごりや高ぶりが生じることは厳禁だ。おごりや怒りは、百千の功徳の種を瞬く間に焼き尽くしてしまう。だからこそ、下座の精進を忘れず、常に謙虚であらねばならない。そして如来の加持の力をその身に受けて、悩める人々を救い、苦しむ者の杖となれ、仏舎利供養を広めよ、と教えられている。
さて、第三に「理の供養」がある。これは、生身如来が説かれた七科三十七道品、つまり成仏の法の尊さを、広く世間に伝えることを指す。聖経を護持し、広めることこそ、理の供養であるのだ。
事・行・理の三つの供養こそが、仏舎利供養の根本である。この三種の供養を忘れず、常に心に留めることが肝要である。生身如来の教えに従い、三福の道を歩むことが、正法を仰ぎ見、如来のもとで成長していく聖衆の務めである。
この教えを忘れず、心に刻んで生きることで、人は真の解脱への道を歩み始めるのだ
。
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