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2023年07月05日

求聞持聡明法 Inquiry and wisdom method

 

求聞持聡明法の秘密


空海と覚と私

私は定に入っていた。

ひたすらふかい制に入っていた。

修するは求聞持聡明法。 三度目の修法であった。

最初は真言宗密教の行法に拠った。完全な失敗であった。それは集中力を高めるという効果は あったが、それ以上のものではなかった。つぶさにこの行法を検討して、私は、しょせん、真言 宗教の求聞持明法に、大脳皮質の構造を一変するごときシステムはないとの結論を得た。す くなくとも、従来のままの行法に、それだけの力はない。持聡明法を成就して、悉地を得た 弘法大師空海はあとにのこしたこの行法以外に、必ず、 なんらかの秘密技術を体得して いるのに相違なかった。彼ののこした求聞持法の行法は、その秘密技術のヒントになるべきもの のみをつらねたに過ぎず、その秘密技術はおそらく、自分自身の訓練努力によってみずから が発見せよとつきはなしているのにちがいなかった。それを発見するだけの努力をし、発見でき るだけの資質のあるもののみがそれをわがものとする資格があるのだ、と、つめたく未来を見すえている不世出の知性の目を、私は行法次第のなかに感じた。それゆえにこそ、宗教者としてゆ たかな天分を持つ興教大師が、七たびこれを修して失敗し、八度目にしてようやく悉地成就 を得たという難解の行法となっているのである。 そうでなければ、覚ほどの才能が、なんで七 たびも失敗しようか。

しかも、これを成就したという覚は、四十歳代にして没している。 これを体得した私の経験 からいえば、この法を成就した者は、自分のからだを自由自在にコントロールして、欲するなら ば、百歳、二百歳の長寿もけっして不可能ではなくなるのである。しかるに、どうして求聞持法 を体得した覚が四十歳代という短命に終ったのか。覚が求聞持法を体得したというのはウソ であったのか? 私は、彼がこの法を成就したことは真実であったと思う。 では、覚が夭折し たのはなぜであるか? 私は、求聞持明法の行法次第のなかにかくされた秘密をさぐり出すた めの血のにじみ出るような、いや、私をしていわしむれば五体から血の吹き出すような辛苦 が、彼のいのちをちぢめたのであろうと思う。 彼は八度目にしてついにこの秘密の技術を体得し たが、その時までに彼の生命力は消費しつくされ、再起できなかったのであろう。 私は、この三 度目の修法で求聞持法の秘密を解き、地の成就を得るのであるが、それでは、私は、異教大師 覚上人よりも密教者としてすぐれているというのであろうか? そうではないのである。 私 は、非常にしあわせなことに、弘法大師空海とおなじ立場にあったのだ。

空海との相違、それは、空海は海外からのナマの技術に接したのであり、覚は空海のの としたヒントのみによった、ということである。私は、空海が求聞持法の最後のを体得した 海外に出て、外地の技術に接してからであると確信する。 その資料と思われるものも二、三 持っているが、彼は、最初、外地からもたらされたナマの技術(それは幼稚なものであったが) 自分の天分でして半ば完成し、のち、外地にわたってすべての秘密を解いたと私は考え ている。

空海は、彼の地でサンスクリット語を自由にあやつった。彼は、古代ヨーガの超技術を知って いたのに相違なかった。彼ほどの天才がサンスクリット語を読み、書き、語りながら、密教の原 点であるヨーガにふれなかったとしたら不思議である。彼の求聞持明法には、古代ヨーガの技 がひそんでいるのに相違なかった。けれども、高野や根来の山奥で、ひとり法を修する覚に はかなしいことに、古代ヨーガの技術はまったく無縁であった。わずかに真言宗の行法のなか に見えかくれするものを必死に追いもとめ、自分の頭脳でこれを綴り合わせてゆくという至難以 上の作業に没頭せねばならなかった。彼の頭脳はついにこれを解いた。しかし、疲労困その福 に達していたであろう、と私は心から同情にたえない。

私は空海とおなじ立場に立つ。いや、千年の時代の流れは、私に空海以上の便宜をあたえてく れている。彼の何倍もの資料を私は居ながらにして手に入れている。 二度目の修法に、私は、 古 代ヨーガの技術をとり入れた。ひしひしと感得するものがあった。五〇日のその行で、求聞持法

の成就はみられなかったが、私の考えのまちがいでなかったことがよくわかった。この方法で、 求聞持法はかならず成就する。 つよい確信を得た。この技法を積みかさね、延長してゆけばよ い。 これしかない。 ぜったいの自信を得た。

この私の技法によれば、従来のごとく、山にこもって五〇日ないし一〇〇日、明星を押しつ づける必要がなかった。 常住閑寂の部屋ならば、時、 ところをえらばなくてもよいのであ った。ただ、最初の三日ないし七日間、居して明星とあい対し、これをふかく脳裡にとどめて おけばよかった。あとは、三〇日、五〇日、一〇〇日、よしんば一〇〇〇日かかろうとも、 日常 生活の行のうちにトレーニングを積みかさねてゆけばよいのであった。 この発見はすばらし いものであった。 これでなくては、法はついに民衆と無縁のものになってしまう。 五〇日、 一〇 〇日、特定の山にこもらねば成就しないというのでは、ごくかぎられた人たちのみしか参加する ことはできない。民衆と無縁になってどこに法の存在価値があろう。私は、このシステムによっ で、この法を完成せねばならぬ。 法のために、民衆のために、どうしても。

そして、三度目の必死の修法に私は入っていた。

それは、ほぼ一〇〇日目、私の法のシステムでいって百度目のトレーニングのときであった。 真言宗に伝わる求聞持法の九種の印明、それに、古代ヨーガに伝わる特殊な呼吸法、古代ヨー の秘法から私が創案した特殊な手印とポーズ、この三つによるトレーニングで、私のからだ 脳皮質と脳は 変化 しつつあるといすすんでいた。機が熟しつつあることを私は感じていた。

まろんだような感じであった。しかし、ねむりではなかった。いいかの感覚であった。かる 心、めまいに似ていた。京の一瞬であった。その刺、

私は苦痛の叫びをあげていた。脳の一角に電流がながれた感覚が走った。落雷があったと 感じた。目の前が走った、つぎの瞬間でフラッシュをたかれたように、私の視野は 真っ暗になった。失明! という考えが、チラリと脳をよぎった。と、そのときであった。 頭の深部にポッカリとあかりがともったのだ。そして、それは、私のとおなじリズ で、しずかに、しずかにまたたきはじめた。ちょうど、この修法をはじめる数十日まえ、山に こもって見つめたあのときのけの明星のようにそれはつめたく、黄ばんだ白さでまたたい た。

私は力いっぱい膝をたたいた。

「そうか! これが明星だったのか!」

私は目をみはって叫んだ。私はついに明星の秘密を発見した!

 

 

第三の発見視床下部の秘密


 

私は幼少のときから剣道をしこまれた。藩の剣術師範の家柄に生まれ、若年の折、江戸お玉ヶ 池の千葉門で北辰一刀流を学んだという祖父に、はじめて木剣を持たされたのは三歳ごろであっ たろうか? そのとき私は、祖父の顔をゆびさして「目がこわい!」といって泣いたそうで ある。そのころ八〇歳を過ぎていた祖父は、ほんとうの好々爺になりきっており、私はふだん、 父よりも母よりもなついていたが、そのときばかりは、木剣のむこうに光った剣士鳥羽源三郎 靖之(祖父の名)の目に、ひとたまりもなくちぢみあがってしまったものらしい。めったに 泣いたことのない私が一時間ちかくも泣いていたという。それでもあんたは木剣だけははなさ なかったよ”と、いまでも老母がほこらしげに語ってくれるのだが、私は、のち、三段にま で昇り、健康を害してやめたが、剣の天分があるといわれ、少年時代、そのころ盛んであった各 地の剣道大会に出場してかぞえきれぬほどの優勝をしたのは、この祖父の血を受けたものであろ う。 私は剣道が好きであった。防具のはずれの肘を打たれて腕がなえ、思わず竹刀をとり落した りするときはつらいとは思ったが、苦にはならなかった。 配を越えて深くあざやかにをとら

れたときは、目からパッと火が出て、プーンときなくさいにおいを嗅いだ。ほんとうに目から が出るのである。けっして形容詞ではないのだ。これは剣道の体験者ならばみなど ずである。

その火なのだ。そのとき私の視野をかすめた光は。

しばらくしてわれにかえった私はそれに気がついたのだった。そうだ。あの火はあのときの火 そして目から火が出ると同時に面金のなかでかいだあのなつかしいキナくさいにお

いもいっしょにかいだような気がしたのだが、しかし、目から火が出るほどのこの衝撃 はいったいどうしたということであろうか? 外部から私の頭部を打ったものはなにひとつな い。 すると、私の頭の内部でなにごとがおこったというのであろうか。 それともあれはなにかの 錯覚であったのか?

私は、ふたたび一定のポーズをとり、頭をある角度からある角度にしずかに移しつつ特殊な呼 吸法をおこなって、定にはいっていった。と、なんの予告も感覚もなしに、さっきとおなじ場所 火を感ずるのである。 同時に深部にある音が聞こえはじめた。 私は、またさっきの電撃 に似た痛覚を頭の一角に感じるのかとひそかにおそれつつ、少々、「おっかなびっくり」にそれ をやったのであったが、今度はぜんぜん痛みもなにも感じなかった。そうして頭の内奥の上部に 明星がふたたびまたたいた。

まさに、私の脳の内部に一大異変が生じていることにまちがいはなかった。 しかし、それ はどういう異変であろうか?

それは一種の化学反応によるショックであったのだ。

「下部」に異変が起きたのである。すべての秘密は、の内部の視床下部に

あった。ここが秘密の原点だったのである。

私がさきの章で内分泌腺の機構について図までかかげて説明したのは、これを知ってほしいた めであった。 専門学者はさぞかし片はらいたく思われるのにちがいなかろう。それを承知でおく めんもなく素人の私があえてそれをしたのは、この視床下部の秘密を読者に知ってほしいためで あった。図 を見ればわかる通り、すべての内分泌腺を統御しているのは視床下部である。

そしてここが、ヨーガでいうプラーマ・ランドラの座)であり、サハスララ・チャクラなので ある。今までのヨーガの指導者のいうように、それは、松果腺、松果体ではない。 視床下部が、 サハスララ・チャクラなのである。もっとも、視床下部のすぐそばに松果体があるので、それを あやまったのであろう。もっとも、松果体自身もある重要な役わりを受けもつ。けれども、サ ハスララ・チャクラそのものは松果腺ではなく、視床下部であった。

視床下部はいまいったように、下垂体系を通じて全内分泌器官を統御する。 それでは、なにを もってするのかというと、もちろんそれは神経" である。 したがって視床下部には重要な 神経がたくさん集まっている。 私は、古代ヨーガのなかから、この部分を動かすポーズとムドラ 創案してここにつよい圧力をくわえ、同時に、強烈な思念(念力)を集中していた。百日の あいだ、たえまなく、私はここに、物質的、精神的、両面にわたるつよいエネルギーを集中し た。その結果、ここの神経線維に一大異変が生じたのだ。 その異変により、神経線維が異常 分泌をおこしたか、それともそこにある 変化がおきたのか、そのいずれである

かはわからぬが、それらの分泌液が複雑に混合し合って、化学反応をおこしたのだ。あの火は、 その化学反応による衝撃が、視床の神経をはげしく打って、膜に光を走らせたのだ。 その ここの神経線維にシナプスをむすび、その火はいつでも私の思うまま私の脳の内奥に明星を またたかせることとなった。同時に私の脳の構造も一変した。 求聞持聡明法の成就である。 聞 用法とは、脳の内部の化学反応による脳組織変革であったのだ。

視床下部の生理学的機構

では、視床下部の機構を生理学的にみてみよう。(図説・内分病への手引・土屋雅、他者による) 解剖

視床下部は間脳の一部で、視床にある。

視床下部は体温、循環、新陳代謝、外分泌、平滑筋などの諸機能の調節をつかさどるほかに、 内分泌腺の御の場として重視されている。 調節機序としては、神経性調節(交感

交感神経) 2いいかとがある。

下垂体後葉のバゾプレシン、オキシトシンが視床下部の視索上核や室旁核の神経分泌により支 配されていることが示され、最近は下垂体前葉が次に記すような各種の分泌促進因子 releasing factor の支配下にあることが知られてきた次の図参照)。

The Secret of the Inquisition and Knowledge

Kukai, Satoru and I

I was in.

I was in a deep system.

To fix is to seek wisdom. It was the third repair.

At first, he followed the Esoteric Buddhism of the Shingon sect. It was a complete failure. It had the effect of increasing his concentration, but nothing more. After examining this practice in detail, I have come to the conclusion that there is no system in the Shingon Religious Gumonjimyoho that would completely change the structure of the cerebral cortex. Even without him, the conventional method of conduct does not have that much power. Kobo Daishi Kukai, who had accomplished the wise method and gained all the land, must have mastered some secret technique other than this practice that he left behind. His leftover practice of the Kumon Niho method was only a collection of his hints for the secret technique, which he probably discovered himself through his own training efforts. There was no doubt that he was saying no. Only those who have made the effort to discover it, and who are qualified to discover it, are entitled to possess it. I felt in the manner of the law. It is for this very reason that Kogyo Daishi, who possesses a high degree of genius as a religious person, has practiced it seven times, failed, and finally attained perfection on the eighth attempt. of. Otherwise, how could someone as talented as Satoru fail seven times?

Moreover, the feeling that he had achieved this goal passed away when he was in his forties. From my own experience of this, I can say that a person who has attained this Dharma can control his or her body at will, and if he wishes, he will live a long life of 100 or 200 years. of. However, why did Satoru, who mastered the Gumonjiho, live so short a period of his forties? Was it a lie that Satori mastered the Kumonji Dharma? Then, why did Satoru die so young? I think that the hardships that made his body spit out blood must have shortened his life. He finally mastered this secret technique on the eighth time, but by then his life force would have been exhausted and he would not be able to recover. In this third practice, I have unlocked the secrets of Gumonji Dharma and attained fulfillment of the earth, but am I a better esoteric practitioner than the Great Teacher Kakushonin? It is not so. I was very fortunate to be in the same position as Kobo Daishi Kukai.

The difference with Kukai is that Kukai came into contact with raw techniques from overseas, and Satoru only got hints from Kukai. I believe that it was only after Kukai mastered the last part of the Gumonjiho that he went abroad and came into contact with foreign technology. I have a few things that I think are the materials, but at first, he was a genius and half-completed the raw technique (although it was childish) brought from abroad, Later I think I unlocked all the secrets across the foreign lands.

Kukai freely manipulated Sanskrit in his land. He must have known the super-techniques of ancient yoga. It would be strange if a genius like him read, wrote, and spoke Sanskrit, but did not come into contact with yoga, the origin of esoteric Buddhism. There was no doubt that ancient yogic techniques were hidden in his teachings. However, in the mountains of Koya and Negoro, he had no connection to the techniques of ancient yoga. He had to devote himself to the extremely difficult task of desperately searching for what he saw and hidden in the practice of Shingon Buddhism, and then putting it all together in his own mind. His brain finally figured this out. But he was exhausted, and I sympathize with him, that he would have reached the end of his life.

I stand in the same position as Kukai. No, the passage of a thousand years has given me more convenience than Kukai. I have many times more materials than he does while I am here. In my second practice, I adopted ancient yoga techniques. There was something that I felt deeply. In that line of fifty days, Gumon holding method

Although I did not see the fulfillment of the above, I understood well that my thinking was not wrong. In this way, the Inquisition Law will always be fulfilled. I got a strong conviction. If you accumulate this technique and extend it, he is. only this one. I gained a lot of confidence.

According to this technique of mine, there was no need to stay in the mountains and hold on to the morning star for 50 or 100 days, as in the past. As long as the room was always quiet, there was no need to choose a time or place. All he had to do was stay there for the first three to seven days, face the morning star, and keep it deep in his mind. After that, even if it took 30 days, 50 days, 100 days, or even 1,000 days, all I had to do was accumulate training in the lines of my daily life. This discovery was a wonderful thing for him. Without this, the law would eventually become irrelevant to the people. If only a very limited number of people participated in the project, it would be impossible for him to achieve success if he stayed in a specific mountain for 50 or 100 days. What is the value of the existence of the law when it has nothing to do with the people? I must perfect this Fa through this system. For the law, for the people, by all means.

And I was in the third desperate ritual.

It was almost the 100th day, the 100th training in my legal system. The nine kinds of inmyo of the Gumonjiho handed down in Shingon Buddhism, special breathing techniques handed down in ancient yoga, and special hand marks and poses that I created from the secrets of ancient Yog. He suggested that the cortex and brain were changing. I felt the time was ripe.

I felt like I was mellowing. But it wasn't sleep. It was a good feeling. The heart was like dizziness. It was a moment in Kyoto. the thorn,

I was screaming in pain. I felt an electric current run through one corner of my brain. I felt that there was a lightning strike. My sight ran, and the next moment my field of vision became pitch black, as if a flash had been fired. The thought of blindness flashed across my brain. It was then. A light suddenly lit up deep in my head. And it began to blink softly, softly, Liz, like me. Just a few dozen days before starting this ritual, it was cold and yellowed white, like the morning star that he stared at in the mountains.

I slapped my knees with all my might.

"I see! Was this the morning star!"

I opened my eyes and cried. I finally discovered the secret of the morning star!

 

 

 

The Third Discovery of the Hypothalamic Secret

 

I have been trained in kendo since I was a child. I was born into a family of swordsmanship masters in the clan, and when I was young, my grandfather, who learned the Hokushin Ittō-ryū at the Chiba Gate in Otamagaike, Edo, gave me my first wooden sword, and I think I was around three years old at that time. It is said that he cried, stroking his grandfather's face and saying, "My eyes are scary!" My grandfather, who was over eighty at the time, had become a really good old man, and I was usually more attached to him than my father and even my mother. In the eyes of Genzaburo Yasuyuki (my grandfather's name), it seemed to have shrunk for a moment. It is said that I, who rarely cried, cried for nearly an hour. Even so, you didn't use the wooden sword," my old mother still tells me with a smile. It is said that when I was a boy, I took part in the numerous kendo tournaments that were popular at that time, and won countless victories. I thought it would be hard when I accidentally dropped my bamboo sword because my elbow was hit on the edge of my armor, but it didn't bother me.

When I got hit, my eyes were on fire and I smelled a pungent smell. It really comes out of my eyes. It's not an adjective. If you are an experienced kendo player, this is a no-brainer.

It's the fire. At that time, the light that grazed my field of vision.

After a while I came to my senses and realized it. That's it. That fire is the fire of that time, and at the same time as the fire came out of my eyes, I smelled that nostalgic kina in my face.

I felt as if I had smelled it as well, but what could have happened to this shock that made my eyes catch fire? Nothing externally hit my head. . So what happened inside my head? Or was it some kind of illusion?

I took the pose again, gently moving my head from one angle to another, practicing a peculiar breathing technique, and entered into a certain position. And, without any warning or feeling, I feel the same place fire as before. At the same time, I began to hear sounds deep within me. I secretly feared that I might feel a pain similar to the electric shock in the corner of my head, but I did it with a bit of a “scare,” but this time I didn’t feel any pain at all. . Then the morning star twinkled again in the upper part of the innermost part of my head.

There was no doubt that a major change had taken place inside my brain. But what kind of anomaly would that be?

It was a shock caused by a kind of chemical reaction.

Something happened to the "lower part". All the secrets are in the inner hypothalamus of

there were. This was the origin of the secret.

In the previous chapter, I explained the mechanism of the endocrine glands with diagrams because I want you to know this. I am sure that specialists would want to pay for it. He knew that, but he did it because I wanted the reader to know the secret of the hypothalamus. As can be seen from the figure, the hypothalamus controls all endocrine glands.

And this is the seat of Prama Randra in yoga), the Sahasrara Chakra, so he exists. It is not the pineal gland or the pineal gland, as some yoga teachers have said. The hypothalamus is the sahasrara chakra. However, since the pineal gland is located right next to the hypothalamus, he must have made a mistake. However, the pineal gland itself also has an important role to play. However, his Hasrara chakra itself was not the pineal gland, but the hypothalamus.

The hypothalamus once again controls all endocrine organs through the pituitary system. Of course, it is nerves. Therefore, many important nerves are concentrated in the hypothalamus. At the same time, I was exerting a strong pressure on this place, and at the same time, I was concentrating a strong thought (telekinetic power) on it. As a result, there was a major change in the nerve fibers here.

I don't know why, but those secretions mixed in a complicated way and caused a chemical reaction. That fire, the impact of the chemical reaction, hit the nerves of the thalamus violently, causing light to run through the membrane. He made a synapse with the nerve fibers here, and that fire would make the stars twinkle in the depths of my brain whenever I wanted to. At the same time, the structure of my brain changed completely. It is the fulfillment of the Inquisition, Acquisition, and Wisdom Law. Listening is a change in brain tissue due to chemical reactions inside the
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