あなたは信じられるだろうか?
ヒトはだれでも、自分の持つ知能のわずか数パーセントしか使っておらず、あとの九〇なんパンーセットかは、まるでそのへんの押し入れにボロきれでもっっこんで忘れてしまったかのごと
く、ほうりっぱなしで、だれひとりこれを使おうともしないというのである。
もちろん、あなたもそのひとりである。
そこで、ギャラップ世論調査研究所のジョージーギャラップはこういうのだ。
「これは脳生理学者の定説であるが、ヒトは、その持つ知能の、ニパーセントから五八Iセントしか使っていない。あとの九〇なんパーセントはほうりっぱなしで、だれひとりこれをとり出して活用しようと考える者がいない。まことに皮肉きわまるはなしではないか。いや、それはむしろナンセンスというべきである」
と、この著名な情報研究家はふんがいナる。
「この国の最も熟練した専門家たちが、最新の電子計算機の潜在能力を開発するために、日夜、研究、努力しているのに、その一方で、どんな巨大な電子計算機よりもけるかに偉大な機械であるこの人回の頭脳の潜在能力についてはなにひとつ知らず、研究しようという気さえも起こさないれわれがこれらの眠れるニューロンを目ざめさせ、使用するなら、これらの潜在的特質はその姿をあらわすであろう」
では、いったい、われわれは、どれはどの。眠れるニューロン″を持っているのだろうか?
有名な大脳生理学者ラルフ・W・ジェラード博士はこう述べている。
「……脳神経系の単位はニューロンという個々の極微の細胞である。人間の頭脳のなかには百億以上のニューロンがあり、それぞれの比較的大きいものは、他のニューロンと平均一万個以上のシナプスという連結を持っている。それによって作り得るネットワークーパターツや、神経のインパルスを伝え得る道の数は、宇宙のなかの物質を作る粒子の総数よりもはるかに大きいのである。」」
ニューロンの数は、正確にはおよそ一四〇億ある。
ところが、われわれが実際に使っているのは、わずかにそのニパーセットから五八Iセットに過ぎないのである。もしも、われわれが、この眠れる脳細胞をゆり起こして、それをフルに利用することができたらI? どんなにすばらしい仕事ができることであろう/
しかし、現実には、われわれはそのI〇〇分の二、三しか使っていないのである。
私は、私自身にたいしてまことに残念でならない。
それは、ちょうど、莫大な埋蔵量を持つ金鉱か、無尽蔵なダイヤモンド鉱を目の前にして、これを掘り出すことのできない口惜しさである あなたもそう感じないか?
われわれは、いまや、頭脳に関する迷信を即刻あらためなければならぬ。
頭がいいとか、わるいとかいうのは間違いなのだ。
問題は、人がどれだけのニューロンを使っているか、または使っていないかということなのである。
Hが天才であるのは、ひとよりI、ニパーセントよけいにニューロンを動かしているというだけのことだ。Tの知能が低いのは、ひとよりI、ニパーセントよけいにニューロンが眠っているというだけのことだ。
もしも君が天才であるなら傲るのはやめたまえ。たかが人よりわずかI、ニパーセントのニューロンかよけいにはたらいているというだけに過ぎない。たかがそれだけのことではないか。
もしも君が頭がわるく、知能が低いと歎くなら、悲観ナるのはやめたまえ。人よりわずかに一、ニパーセント、ニューロンの動きが少ないというだけのことだ。ただそれだけのことに過ぎない。奮発して、五、六八Iセントもよけいにニューロンを動かしたらいいではないか。
なに?
そんなことは不可能だって?
バカをいいたまえ、ここにちゃんとその方法がある。
知能開発、ニューロン覚醒、大脳皮質改造の技術がここにある。
このシステムで訓練すれば、眠れる君のニューロンはたちまち目ざめ、君の知能は三倍にな
る。
それは、ヒトを全くべっな生物に変えてしまう超技術だ。
その超技術がここにある。
ヒトを改造する超技術
もしも。
ヒトの知能が倍増し、人類の知的水準が現在の二倍ないし三倍になったら、世界はどのように変わるであろうか? おそらく、人類は、いまかかえているあらゆる問題を、すべて解決してしまうであろう。 いやI、それよりも、全く新しい構造の社会が出現するのではないか?
人類がいまかかえでいる問題を見てみよう。
殺し合い、奪い合い、憎み合い、傷つけ合いIそして地球上に急速にひろがりつつある有害物質−。それらはどこに原因があるのであろうか? わかりきったことである。
それは、ヒトが愚かなためである。
人類学者リンネは、人間を分類して「知恵あるヒト」と学名をつけた。
生洲学者シャルルーリシエは、愚かなヒト、ホモースツルッスと名をつけた。ノーベル賞受賞者のリシエは、その著、「人間−この愚かなるもの」の序文で、人類のかずかずの愚行をつぎっぎとあげ、実にあきれかえったおろかな動物であるとして、超愚人類と呼びたいところだが、まあ、最上級の形容詞はがまんして、愚人類ぐらいでかんべんしておこうと書いている。
たしかに、ヒトには、この二つの面かおる。賢い知恵ある面と、愚かで弱い面と、二つの面がひとつにまざり合っている矛盾した生物が、まさにヒトであるということなのだが、いま、われわれの周囲をながめてみると、ホモーサピエンスは全く影をひそめ、ホモースツルチッシムスが妖怪のごとく横行している。
殺し合い、奪い合い、憎み合い、傷つけ合いI、
それは次第にエスカレートしてゆく。科学と技術はヒトの力を無限に拡大したが、同時に、ヒトの殺戮と搾取と憎悪と闘争をも無限に増大させた。このままでは、問もなく、ホモーサピエンスは絶滅ナる。
いま、人類にもっとも必要なものはなにか?
それは高度の知能である。
この地上に展開する恐るべき大愚行は、なによりもまず人類の知能が低いところに原因する。
いま、人類に必要なものは、科学でもなければ技術でもない。革命でもなければイデオロギーでもない。人種闘争でもなければ階級闘争でもない。そんなものはなんの役にも立たぬ。 何十回、革命を起こしても、何百回、闘争をくりかえしても、人類の知能がいまの水準にあるかぎり、それはむなしい儀式のくりかえしに過ぎぬ。
歴史をみてみよう。機械と技術、科学と文明と称するものがいくら進歩発達しても、おろかな人間たちの行動パターンは少しも変わっていない。つねに、憎み合い、殺し合い、奪い合う、このパターンのくりかえしではないか。どこに変化が見られるか。
若ものよ。エネルギーのむだな燃焼をやめたまえ。革命を思うなら、全人類の知能革命に前進せよ。
ネアンデルタールの昔から、ヒトの知能は一歩も前進していない。なによりもまず人類の知能を高めねばならぬ。
ホモースツルチッシムスを絶滅せよ。そうせぬかぎりわれわれにもはや未来はない。それはすでに秒読みの段階に入っている。
このとき、ここに、ヒトを改造し、社会機構を一変させる技術がある。この技術は、ふるき社会体系をすべて解体し、そこから生まれるあたらしい文明は、次元をひとつ超えるだろう。この技術によってのみ、世界はよみがえり、この革命だけが全人類を破滅から救う。
若ものよ。
君たちはなぜこれに視線を向けぬのだ。
なぜ、君たちは、この、地上いまだかつて比類なき壮大にしてドラマチックな革命に情熱をたぎらせぬのだ。
20
未来社会かあるとすれば
教育?
それは無力である。
それは知能を高めるものではなく、ただ、知識をひろげるだけのものに過ぎない。
教育は、ただ、その人の本来持っているところの知識をひろげるだけで、知能そのものを高めぼしない。知能を高める技術とは、ものを教え、ものをおぼえさせることではなく、おぼえる能力そのものを高めるシステムでなければならない。馬鹿はいくら教育したって馬鹿である。馬鹿
に教育はまったく無力だ。馬鹿を利口にするためには特別の技術がなければならぬ。
宗教?
それは、知能ひくきものたちの愚行をなんとか良心にうったえて思いとどめさせようとするブレーキに過ぎず、知能を高めるためのなんの力も技術もない。念仏をとなえ、題目を高唱し、経典教学をそらんじ、神のみ名を呼んでも、心の安らぎ、なぐさめ、信念というたぐいのものは得られても、知能そのものが高くなるということはない。
最高度に進化発達した知能を持つ未来社会に、宗教という特別な分野はなくなるだろう。高度の知能は高度に発達した倫理観、道徳意識をともなうから、現在の宗教や、宗教家あたりが説いている「教え」など、まったく低俗な、次元の低い幼稚なものとしてかえりみられず、宗教意識
はごくあたりまえの常識になってしまって、ことさらにカミやホトケを念ずることなどなくなるだろう。ヒトが、カミ、ホトケとびとしくなるのである。
そういう未来社会が、すぐ足もとに来ていることに君は気づくべきだ。
今までとはまったく構造の変わった社会体系があらわれようとしていることを、君は知らねばならぬ。
君はそれを疑うのか?ではいおう。
もしも。
そういう高度の知能が出現しないかぎり、世界は間もなく終わるだろう。ホモーサピエッスが今の知能水準であるかぎり、もはや、ヒトに未来はない。ホモーサピエッスの文明はすでに限界に達した。
だから。
未来社会があるとすれば、どうしてもそれは、高度なまったく新しい社会でなければならぬのだ。
超・ヒトF−脳発速
もう間もなくやってくる未来社会で、人類は二つの種属にわかれるだろう。
それは、二つの民族でもないし、二つの階級でもない。二つの種属である。
そうして、その二つの種属は、しばらくのあいだ共存するけれども、間もなくその一方はおとろえ、急速にこの世界からナがたを消してゆくだろう。
そういうと、人類が二つの対立を示すのは、なにも未来社会にかぎったことではなく、いまだってそうではないかと、いくつかの例をあげる人がいるかも知れない。
たしかに、それは、有色人種と白色人種、自由社会と共産圏社会、富める者と貧しき者、支配する者とされる者、と、いくつか、かぞえることができるだろう。
だが、ちがうのだ。
そういう分類とはまったく異質の区分が、ごく近い将来、われわれの世界にあらわれようとしている。そういう動きが、ナでに現在おこりつつある。
それは、二つのヒト属である。
あたらしい人類とふるい人類−。
ひとつは普通の現代人、ホモーサピエンスHomo sapiensである。これがふるい人類だ。
もうひとつは、特殊な能力を身につけた未来人、ホモーエクセレンスHomo eχcellens である。つまりあたらしい人類だ。
ホモ・サピエンスとは、ほかならぬわれわれ自身のことであるが、ホモーエクセレンスとは、どういうヒトか?
ホモーエクセレンスとは、ホモーサピエンスが持だない特別な能力を身につけた「優秀なるヒト」という意味である。ある人たちは、この未来人に、ホモーインテリダンス(聡明なるヒト)という名をつけている。
では、この優秀なる未来人、ホモーエクセレンスは、どういう特殊な能力を持っているのか?
彼の持ついくつかの特長をあげてみよう。
「未来の種属、超・ヒトは、おそらく、三・九という脳発速度係数を持つだろう」
と、世界的に著名な人類学者、パリ大学のジョルジューオリヴィエ教授は、その著「ヒトと進化、過去現在そして未来」のなかでこう語りはじめる。
「(こういうきわめてすぐれた生物の能力を、それよりはるかに劣ったわれわれが、あれこれいうことはできないが)とにかく、この超・ヒトの知的能力は、辛うじて想像することができる。
それは、たとえば、
I 第四次元の理解。
2 複雑な全体をとっさに把握する能力。
3 第六感の獲得。
1 無限に発展した道徳意諏の保有。
5 とくにわれわれの悟性には不可解な精神的な特質。
などである。
わたしは、脳発達度係数三・九をもつ生き物の体のかたちや、すばらしい知能や、われわれにはとうてい理解できない行動がどんなものであるかは、想像力のゆたかな人達にまかせることにする。われわれがメクラであるのに対して、われわれの後継者たちは千里眼の持ち主なのだろうから」(芦沢玖美訳・みすず書房刊)
と述べている。
オリヴィエ教授は、出版社の紹介文によると″パリ大学理学部人類学教授であり、人類学、解剖学のかず多い論文のほかにいくつかの著書を持ち、そのなかでも「人類学的解剖学」はフランス学士院賞を受けた。自己の専門分野の研究に多くの業績をあげているばかりでなく、若い研究
者の育成にも心をそそぎ、フランス人類学の名実ともにすぐれた指導者である″と記されている。
まさに、当代一流の科学者であるといわねばならない。
その科学者が未来人ホモーエクセレンスの出現を、このように予告しているのである。著者が、なんの根拠ももたず、ただいたずらに鬼面ひとをおどろかす筆をとっているのではないのだ。それはかならずやってくる。では、そのホモーエクセレンスは、いったい、どこから、いっやってくるのだろうか?
未来人、ホモーエクセレンスの到来は、歴史の必然であるとオリヴィエ教授はいう。
では人類の歴史をたどってみよう。
まずあらわれたのは、オレオピテクス、ラマピテクスから進化してきたオーストラロピテクス(猿人)であった。が、しばらくして、ピテカントロプスーエレクトス(原人)がこれにとって
かわった。しかし、まもなく、ネアンデルタール人(旧人)がやってきて、そのあとを継ぎ、彼らの時代はおよそ1〇万年ちかくっづく。
けれども、今から四、五万年ほど前、かなり進んだ知能を持つクロマニョッ人(新人)が出現すると、彼らは急速に姿を消して絶滅してしまった。しかしそのクロマニョッ人も、今から一万年ほどまえに、オーストラロイド(ジャワ)、モンゴロイド(中国)、ネグロイド(アフリカ)、コーカソイド(ヨーロッパ)というあたらしい現世人類の種のなかにあわただしく消滅してしまった れは、歴史のごく表面にあらわれているだけの事実で、このほかにも、いくつかの知られざるヒ
ト・属、あるいはその分枝が、無数にあらわれ、歴史をつくる間もなく消滅していったと考える学者はかず多い。
ある著名な科学者は、ひとつの種の寿命は1〇〇万年だと語り、ホモーサピエッスは出現以来、間もなくこの年令に達するはずだという。そうして、オリヴィエ教授もまた「いま、われわれが、われわれの後継者であるっぎの人類のことを考えるのは、まったく筋みちの立ったことであるLといっているのだ。
―だが、
いったいその新しいヒトは、いっあらわれるのか?
一万年さきか? 二万年?
だいたい、ホモーサピエンスのつぎの人類なんて、それはちょうどあの太陽がいつか燃えつきてしまうぞ、というのと同じことで、空想ではないにしても、おそらくそれは天文学的数字のはるか未来の出来事にちがいなく、そんな心配をしているほどわれわれはヒマ人ではない、とあなたはいうかも知れない。
とんでもない・・‐・
そんなことをいっていたら、それこそあなたは、″間抜け″になってしまうぞ。
オリヴィエ教授は、生物学の進化の法則の上に立ってこう予言するのだ。「……未来のヒトは間もなく不意に来ることになる」
え? そんなに早く? とあなたはびっくりするだろう。だが、あなたはここでさらにもっとびっくりしなければならないのだ。
というのは、
この新しいヒト、ホモーエクセレンスは、。間もなく不意に来る″のではなく、それはもうすでにこの地上に来ているのである。この地球上に、はるか以前からすに出現しているのだ。
いつから?
いつからだとあなたは思うか?
昨日から?
否!
一昨日から?
否!
では、去年?
否’
それは五〇〇〇年よりもっと以前からなのである!
ホモーエクセレンスの資格
ここにひとつの技術がある。
その技術によって訓練すると、ヒトはだれでもいくつかのすぐれた力を持つようになる。
その力をあげてみよう。
-
極度に発達した知能‐―いちど目にふれ、いちど耳にしたことは、ぜったいに忘れることのないが協力。どのように複雑な構造でも組織でも、瞬間的に分析し、推理し、理解して、本質を把握してしまう演棒と帰納の力。コトバという間接思考を経ない純粋思考から発する超飛躍的な創造力。
それは、ヒトの平均知能をI・〇とするならば、おそらく、二・五から三・五に達するであろう。このグループの最高の頭脳は、やすやすと四次元を理解する。
感覚器官の増幅―彼は、不可視光線(赤外線、紫外線)を見ることができ、超音波を聞く
ことができる。その異常感覚と高度の知能の結合からくる予知力。それらは、自分の肉体
を思うままに統御する能力からくる。
三 環境の制御と創造―−思うままに自分を変え、他人を動かし、集団や環境を、自分の理念
の通りに創造してゆく。
四 物質を超え、物質を自由に統御する力。
五 無限に発達した道徳意識。
だいたい、以上の能力である。
これを、前の項で述べたオリヴィエ教授の未来人、ホモーエクセレンスの持つ能力とくらべて
みよう。
それは、おどろくほど酷似している、というよりも、そっくりそのままといったほうがよいのではないか?
そういうと、あなたはいうかも知れぬ。それは、著者が、オリヴィエ説をそっくりそのままう
つし持ってきたのではないのか、と。
そうではないのだ。それは、むしろ、私のほうがいいたいことだ。私は、最初、オリヴィエ教授がこの特殊技術の存在を知っていて、その技術の習得を未来人の資格にしたのではないかと思ったくらいなのである。もちろん、それは、そうではなく、オリヴィエ教授は学術的に、未来人
の能力をそのように予測したのにちがいないが、この暗黙の一致を、あなたはどのように考えるだろうか?
もっとも、オリヴィエ教授は、実際にこの特殊技術の存在を知っていて、その上に立ってホモ・エクセレンスの能力を、このように書いたのである、ということも考えられないことではない。なぜならば、最近、この特殊技術は、この国でよりも、むしろ、アメリカやヨーロッパで知られ、高く評価されはじめているのだからI。
しかし、それはとにかくとして、実際に、こういう能力をヒトにあたえる特殊な技術が、数千年も前からこの地上に存在し、それはそのまま現在も一部の人びとの間に伝えられているということは、まぎれもない事実である。いや、現に、その技術の訓練を受け、そういう能力を身につけた人びとがなん人かいる。
つまり、にあらわれつつあるということである。それは、まだ、ごくわずかな数ではあるりれども。、ホモーエクセレンスは、これからさき、長い時間をかけて進化の結果あらわれてくる
のでもないし、突然変異体としてフランケンシュタインの怪物のごとく登場するのでもない。それは、ひとつの特殊な人間開発技術により、ホモーサピエンス自身が変身するのだ。それは自然に生まれてくるのではなく、つくられるのだ。
もっとも、いちばん最初にあらわれたホモーエクセレンスは、あるいは一種のミュータントであったかも知れない。あるいは、未来社会への環境適応の結果あらわれた超・ヒトの先行者であったのかも知れぬ。ちょうど、ネアンデルタール人の群れのなかに出現した最初のクロマニョン人のように。
ルーガリックの法則によると、すでに存在ナる属のなかでの新しい種の形成は、三〇〇年から六〇万年の時間を要するという。今から五〇〇〇年まえという数字は、ホモーエクセレンスの先行者があらわれて、ホモーサピエンスのなかに次第に新しい同族の種属を形成してゆくのにちょうど手頃な時間である。
最初のホモーエクセレンスは非常に孤独であったろう。彼はその持てるナぐれた能力ゆえに、おのずと、予言者となり、指導者となり、教育者とならざるを得なかった。また、彼は、その持つ異常な能力によって、数千年さきの未来を洞察し、ヒトの歴史の上における彼自身の位置をさとったにちがいない。
彼は、まだ低い段階のホモーサピエンスたちを教育するための「教え」を説くと同時に、これからやがて次第にあらわれてくる同 族たちを教育するためのカリキュラムもつくった。
彼は、
このカリキュラムで訓練した。あるいは、その弟子たちのなかには、彼と同じホモーエクセレッスの先行者たちもいたであろう。こうしてこの技術はあとへ伝承された。だが、あまりにも高度りに離解で、人びとの進歩と熟成のため 彼は、周囲に何人かの崇拝者を持った。そのなかからすぐれた素質を持なその開発技術は、ひろく受け入れられるためにはあまりに難解で、なその開発技術昧ひろく回の時が必要であった。その長い間、この技術は、しばしば、誤解されたり、誹誘されたり、あるは分裂の危機を迎えた。けれども、その技術が滅亡しようとするたびに、すぐれたホモ・エクセレンスがあらわれて、これを継いだ。この技術は、このようにして、ひろく世にうけいれられる時を静かに待った。多くの人びとが、この技術を必要とし、受け入れようと努力しはじめる時
期を静かに待った。
いま、その時がきたようである。
ホモーサピエンスは生物としてその限界に到達した。いま、この世界を覆う混乱と当惑と憎悪は、なによりも、それをものがたるものである。つぎにくるものは絶望でしかない。いまこのひろい世界に。一瞬たりとも生命の危険を感ぜずして生きている人間がひとりもいない。あなた白身そうであろう。
今よではりねに機械と技術―科学がその危機を来り越えてきた。しかし、いまは、その機械と技術が先頭に立って人間に打撃を加えている。
もう「さきは見えて」しまった。 ホモーサピエンスの知能がっくり出した文明は極限に達した。もしもこの世界が生き残ろうと望むならば、あらたな文明が生まれ出なければならない。ホモーサピエンスの生み出したものはすべて、科学も技術も宗教も、芸術さえも限界に達した。倫理も道徳も崩壊した。古い人類は必
死に古い文明にしがみついているけれども、これらはすべて過去の世界のものになった。
限界に達した生物がさいごにえらぶ道は「集団自殺」である。いま、その集団自殺が地上に展開している。環境汚染と公害と戦乱−すべてホモーサピエンス自身がっくり出したものである。結局、ホモーサピエンスは集団闘争による集団自殺によって絶滅ナるであろう。 見よ。宗教ですら闘争の仲間に加わった。最も進歩的だと称するこの国の宗教団体は最も闘争的である。
すべての生物がたどる最後の道を、ホモーサピエンスはついにたどりはじめたということであろう。
陶汰がはじまっているのである。滅びるべきものは滅び去るがよい。それでヒト・属は絶えはしない。あたらしい種の胎動がここにある。あたらしい文明と古い文明、ホモーサピエンスとホモーエクセレンスはしばらくのあいだ共存するであろう。それは三世代から七世代つづく。ネアンデルタールとクロマニョンの共存は、一〇〇世代から一五〇世代つづいた。ネアッデルタールが消滅するのにそれだけかかった。われわれの共存は、促進されてごくわずかの時間で完了す
りま威びるだろう。五〇年から一五〇年―、これだけの時間のうちに、滅びるべきものは滅びらしい芸術をつくり出す。それは、ホモーサピエンスとは比較にならぬ高度の知性と悟性が生みそのあとに、ホモーエクセレンスはあたらしい科学、あたらしい技術、あたらしい宗教、あた出したあたらしい次元のものである。
ところでお聞きするのだが、あなたは、ネアンデルタールか、クロマニョンか?
ホモーエクセレンスのカリキュラム
ホモーエクセレンスのカリキュラムとはなにか?
いまからI〇〇万年まえに出現したピテカントロプスーエレクトスの大脳のなかには、こんにちのホモーサピエンスの知恵が秘められていた。しかし、それがホモーサピエッスになるまでに、一〇〇万年の時が必要だった。自然の進化にまかせたからだ。 いま、進化したホモーサピエンスが、ホモーエクセレンスの能力を獲得すのに、それはどなかい時間は必要でない。
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