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ゴータマが修行して、真理を覚った。ここから仏教が始まります。何を覚ったのでしょう。生老病死、四苦八苦など、人間のあり方がこの世界の因果法則に従っていること。つまり、インドの人びとの考え方と同じです。
仏教がユニークな点は、ゴータマがバラモン(瞑想する資格のある人びと)ではないことです。
ゴータマは、王家に生まれたクシャトリヤ。ヒンドゥー教によれば、王となって務めを果たし、来世でバラモンに生まれて修行すべきです。
でもゴータマは、現世で真理を覚りたいと思った。そして、出家して修行し、覚ってしまった。「カーストと関係なく、誰でも修行して覚ってよい」が、仏教の大事な主張なのです。
ヒンドゥー教への挑戦
これは、ヒンドゥー教への挑戦です。ヒンドゥー教は言います。現世では善行を積み、修行は来世で、バラモンになってからやってください。あなたがたに瞑想する資格はないはずです。
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これに対して、仏教は言います。人間なら誰でも、修行して覚ることができる。カーストに関係なく。現に、ゴータマが覚ったではないか。
ゴータマが覚ったと信じ、ゴータマに従う人びとが集まって、仏教のグループを形成しました。
仏教のグループが、修行し瞑想して、覚る資格があるのかどうか、疑問がくすぶりました。そこで仏教は、「出家して、異性と交わらない清らかな生活を送っているので、資格がある」、と主張しました。家族を営むバラモンよりも清らかだ、という理屈です。
覚ったゴータマは、仏(覚った人)となって、輪廻を脱け出ているので、バラモンよりも上である、とも主張しました。
死んだらどうなるか
こうして成立した仏教は、死んだらどうなるかについて、つぎのように考えるようになりました。
・ 仏(覚った人)は、輪廻を脱け出ているので、死んだあと、もうほかの生き物に生まれることがない。けれども、因果のネットワークのなかにはあるので、 宇宙と一体化している。
・ ふつうの人間(覚っていない人)は、因果のネットワークのなかで、輪廻する。
・ ふつうの人間(覚っていない人)は、因果のネットワークのなかで、輪廻する。
いずれにせよ、人間は死んだら、霊魂になるわけでもなく、死者の世界もありません。これが仏教です。
このあと仏教は、さまざまな考え方を発展させて行きます。
主流の仏教は、ゴータマが大昔から輪廻を繰り返し、修行を続けて仏になった、と信じるようになりました(ゴータマは、こんなことは言っていないはずです)。ならば、仏教の修行者や一般の信徒は、仏になるまで、輪廻を繰り返すことになります。
仏を拝み、輪廻を繰り返す。
これでは、神を拝み、輪廻を繰り返すヒンドゥー教とほとんど同じです。そのうち、仏は神の化身だとヒンドゥー教が言い出し、 仏教はヒンドゥー教に吸収されてしまいます。
独自に発展した日本の仏教
中国や日本に伝わった仏教は、独自に発展しました。浄土宗、禅宗、真言宗、に注目しましょう。
浄土経典は、釈迦仏(ゴータマ)のほかに、西方に阿弥陀仏というブッダがいると説きます。そして、阿弥陀仏のいる極楽浄土に往生すれば、容易に仏になれると教えます。よって、死んだら輪廻にして、またこの世界にまた生まれるのではなく、「死んだら、往生して極楽に生まれる」と考えます。
修行しなくても、往生して仏になれるのは、魅力的です。平安時代には大流行りになって、貴族は往生を願いました。やがて庶民にも広まって、念仏宗になります。
「死んだらどうなるか、気にしない」
禅宗は、中国で盛んになって、日本に伝わりました。経典を読むよりも、坐禅と瞑想を重視します。
ゴータマは、経典など読まず、坐禅をすることで仏になった。禅宗は、その坐禅のやり方をインドから伝えている。坐禅をしている人間は、仏である。仏なら、生死を超越している。ーーという具合に、禅宗では考えます。
誰でも坐禅ができ、誰でも仏になれる。仏なら、生き死にを超越しているのだから、死んだらどうなるか気にしなくてよい。「死んだらどうなるか、気にしない」、が禅宗の考え方です。
死者の世界がある、とは考えない
あと、変わった考え方をするのは、真言宗です。
真言宗は、密教です。密教は、ブッダの秘密の教えを重視します。それは、人間が実はもう仏であること。仏になることを目指して輪廻を繰り返し、長い修行を続けることができるのは、人間がもう仏だからというのです。
修行して仏になるのが仏教のはずなのに、密教は、もう仏であると教える。それなら、仏教と言えるのか、きわどい考え方です。ほとんどヒンドゥー教と言ってもよい。
真言宗も、人間はもう仏なのですから、「死んだらどうなるか、気にしなくてよい」、という考え方になります。
このように、仏教は、死んだらそのあとどうなるか、さまざまに考えます。ただし、死者の世界がある、とは考えません。この点は、インド文明の考え方に従っています。