アップルが初めてのワイヤレスヘッドホン「AirPods Max」を発売(税別6万1800円)。12月9日時点で納期は3月10日とすでに超人気商品だ(画像:アップル公式サイトより)
2020年12月11日
apple アップル「初ヘッドホン発売」が意味する戦略
新しいMacを発表し、今年はこれで店じまいと思われていたアップルがオーバーヘッド型ヘッドホン「AirPods Max」を12月8日、発表した。アップルがヘッドホンを発売するという噂は今年の初め頃からあったが、北米の年末商戦が落ち着くブラックフライデー以降の新製品投入は異例だ。
しかし製品の内容を見る限り、アップルは新製品効果による一時的な売り上げを狙っているのではなく、腰を落ち着け、数年というタイムフレームでオーディオ製品市場を席巻することを狙っているようだ。
アナログ製品に「コンピューティング」で挑戦
6万1800円(税別)という価格設定のAirPods Maxは、あらゆる消費者に向けた製品とはいえないかもしれない。
ワイヤレス方式のヘッドホンは高級機でも4万円を切る。実売では3万円台前半であり、同ジャンルの中では突出して高価な設定だ。
AirPods、AirPods Proは市場を席巻しているが、それぞれ1万7800円、2万7800円と比較的購入しやすい製品だった。販売数や市場占有率といった数字で、AirPods Maxがいきなり市場を席巻することはないだろう。
しかし筆者は、アップルが「いかにしてオーディオ製品に変革をもたらそうとしているのか」を象徴する製品として、今後、進んでいく道筋を示すために開発したハイエンド製品だと捉えてい
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る。
アップルが狙っているのは、独自の半導体とソフトウェア技術でもたらす、従来の競争軸とは異なる競争軸を生み出し、新たな価値を生み出すイノベーションを引き起こすことだ。
例えばiPhoneに搭載されているカメラ。スマートフォン内蔵カメラにはサイズの制約があるため、画質や表現力を高めることに限界があると考えられてきた。しかし近年、光学的な改良だけでは達成できない画質、性能を演算能力で解決しようとしている。
このコンセプトはアップルだけのものではなく、「コンピュテーショナルフォトグラフィー」というジャンルとしてさまざまな企業が取り組んでいる。
同様に演算能力でオーディオの質や機能を改善しようという動きもある。アップルは今年、好んで「コンピュテーショナルオーディオ」という言葉を使っているが、これもカメラの改良で取り組んできたことの延長線上にあるものだ。
アップルが狙うのは、カメラやオーディオといったアナログ技術や感性に根差してきた製品領域に対して、最終的に自分たちが得意なソフトウェアや半導体の技術で問題解決し、独自の競争力を得るというアプローチ、戦略だ。
色はスペースグレイ、シルバー、グリーン、スカイブルー、ピンク(写真)から選べる(画像:アップル公式サイトより)
アップル製ヘッドホンとしては最初の製品となるAirPods Maxだが、演算能力でさまざまな新しい体験をもたらすコンピュテーショナルオーディオの方向性を示すものになっている。その出発点だと考えるべきだろう。
つい先日、出荷が開始された低廉なネットワークスピーカー「HomePod mini」(1万800円)も、内蔵する独自チップでさまざまな機能、新しい操作性、サイズに見合わない音質を実現していたが、その源流は贅沢に多数のドライバーユニットとマイクを搭載したオリジナルのHomePodにある。
HomePodは発売後、さまざまなアップデートで音質と機能を強化し、そのノウハウがHomePod miniへと生かされている。
個人差と環境差を「演算能力」で解決
アップルはコンピュテーショナルオーディオ技術で、オーディオ製品が抱えてきた本質的な問題の一つに取り組んできた。それは「設置」に関する問題だ。
心地よい音を楽しみたいならば、スピーカーを正しい位置、正しい方向に設置しなければならない。簡単なようだが、実はなかなか難しい。スピーカーの正しい設定のセオリーはもちろんあるが、心地よく音を楽しめる場所は限られている。
もちろん、理想的な位置はあらかじめわかっているので、視聴位置を固定して動かなければ問題はない。しかし実際にはつねに理想的な位置で音楽を楽しめるわけではない。部屋の中を移動していても、どこからでもある程度以上の質は欲しい。
オリジナルのHomePodは、そうしたオーディオの本質的な難しさを取り除くことに挑戦していた。スピーカーが置かれている位置に応じて、自動調整を行う機能を備えることでこの問題に挑戦していた。
高性能のドライバユニットや快適なイヤーパッドといったヘッドホンとしての基本を押さえながら、独自のH1チップによる信号処理で差別化を狙う(画像:アップル)
オーディオの質を演算能力で高めるアプローチは、これまでもiPhone、iPad、Macなどでも継続的に取り組んでいたが、それらの中では独自設計のチップが重要な役割を果たしてきた。AirPods Maxでは、10コアのオーディオ処理専用コアを搭載するH1チップが2個搭載され、その役割を担っている。同チップはAirPodsシリーズに共通して搭載されているものだ。
AirPods Maxでもまた、HomePodと同じようにマイクで集めた情報を信号処理し、装着状態に合わせて音質のチューニングを自動的に行う。例えば、メガネの有無、髪型、イヤリングの有無などでイヤーカップ内の音響を、イヤーカップ内に配置されたマイクで情報収集しながら、毎秒200回の頻度で検出、調整をかけていく。
AirPods Proでおなじみのアクティブノイズキャンセリング機能も、演算能力の向上や使用するマイクの数(片耳あたり外向きに3個、内向きに1個)に伴い向上しているようだ。
同じくAirPods Proが先日対応した空間オーディオにも、よりよい品質で対応する。空間オーディオとは、5.1、7.1チャンネルのオーディオやドルビーATMOSのコンテンツを仮想的にサラウンド音声として表現するバーチャルサラウンドの機能と、頭を動かした際に音源が出ている方向が変化しないよう調整する「ダイナミックヘッドトラック」という仕組みを組み合わせたものだ。
この機能は現在のところ、iPhone、iPadでしか利用できない。画面とAirPodsの位置関係を把握することがテレビやMacではできないためだ。しかし、一度体験してみると、その自然な音の動きに驚かされる。
「商品力を高める手段」を変化させ、競争軸を変える
数年前ならば、高級ヘッドホンでワイヤレスという選択肢はなかった。有線のほうが音質的には有利であり、またバッテリーやデジタルの処理チップなどが搭載されていないアナログ製品ゆえに、陳腐化せず長く生き残ることができる製品を開発しやすかったからだ。
しかしアップルは商品性を高めるために伝統的なアナログ製品のチューニングや味付けで差別化するのではなく、独自チップとソフトウェアの組み合わせでさまざまな体験レベルを高める方向へと競争軸を変えようとしている。
最上位となるAirPods Maxには、コストをかけたヘッドバンドやイヤーカップ、形状記憶素材を用いたパッド、自由度の高いヒンジ構造、それにリニアリティの高い高性能なドライバーユニットなど贅沢なハードウェア構成を採用しており、Digital Crownなど操作性にもコストをかけている。 しかしそうした”高級オーディオ製品”としての側面に目を奪われるとアップルの戦略を見誤る。
バッテリーは機能をフルに使っても20時間もつという。写真の専用ケースに入れることで超低消費電力モードに入りバッテリーの無駄使いを未然に防止する(画像:アップル)
本当の違いはライバルが手を出しにくい、半導体とソフトウェアに融合、さらにはiPhone、iPad、Apple TV、Macといったデバイス、それにApple Musicなどのネットワークサービスとの密なる統合と、それによるユーザー体験の改善だ。
実際、従来のAirPodsシリーズもここ数年で大きく使いやすさが向上してきており、そのすべてがAirPods Maxでも利用できる。
Apple IDで利用するどれか一つのデバイスでペアリングすれば、すべての所有するデバイスで自動ペアリングされ、Siriも音声で呼び出せる。1台の端末からの音声を複数のAirPodsシリーズで聴くオーディオシェアも動作する
メッセージ着信読み上げ、ボイスメッセージ代わりのインターコム、デバイスを持ち替えたときに自動的につながっているデバイスが切り替わるシームレスデバイススイッチも同様だ。
通話する際の音声を、複数マイクからの音声信号処理で話者の声だけを高音質に捉える機能にもiPhone譲りの技術が使われている。
ポータブルオーディオ市場に侵攻する第一歩
AirPods Max自身が、その価格に見合う音質や体験をもたらしてくれるかどうかは、実際の製品を使って見極めることにしたい。
一方で現時点でわかっていることをまとめるならば、この製品はポータブルオーディオの世界における競争軸を変えるための最初の一歩といえる。 HomePodをリリースしたのち、ファームウェアのアップデートとともに機能を熟成。その後、HomePod miniが生まれたように、今後、このジャンルの製品を変えていくスタート地点としてAirPods Maxが投入されたという印象だ。
しかしHomePodの頃と異なるのは、すでにアップルが音楽配信で多くのユーザーを獲得し、映像もストリーミングで楽しむ人が増加。さらにオーディオ関連の技術蓄積も重ねたうえで、独自チップまで投入していることだ。
AirPods Maxの投入は、その後、他のAirPodsも含めてドラスティックに進化していくことを予感させる。AirPods Maxはアップル製品以外との互換性をうたっていないため、厳密にいえばすべての製品、状況でライバルと競合するわけではない。
とはいえ、ソニーやBOSEなどノイズキャンセリングヘッドホンで一定の地位を確立しているメーカーにとっても、新しい一歩を踏み出すための大きな刺激となるに違いない。
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