まず、梵字、梵語、悉曇、サンスクリット、種7 、梵字仏、文字仏など、本書に出てくる梵字に関する用語を整理しておきましょう。ともすると混乱することがありますから、正しく理解しておくことが大切です。
古代よりインドで使われている言語「サンスクリット」を「梵語」といいます。この梵語を記すときに用いる文字が「梵字」です。梵字の書体は時代とともに変化しましたが、ふつう日本で梵字といえば、その中の一書体である「悉曇梵字」をさします。
さて、前述しましたように、仏、菩薩、明王、天部などの諸尊を象徴表示する梵字を「種子」といいます。この種fは、単なる仏のイニシャルとして記されるのではなく、一尊のもつすべてを包蔵しているとされ、梵字の仏さま、つまり「梵字仏」として大切に扱われてきました。三井先生は、これを「文字仏」と名づけたのです。
1. History of Sanskrit as a sacred word
First, let's sort out the terms related to Sanskrit that appear in this book, such as Sanskrit, Sanskrit, Sanskrit, Seed 7, Siddha Buddha, and Siddha Buddha. It can be confusing, so it's important to understand it correctly.
The language "Sanskrit" that has been used in India since ancient times is called "Sanskrit". The character used to write this Sanskrit is "Sanskrit". The typeface of the Sanskrit character has changed with the times, but in Japan, the Sanskrit character is usually one of the typefaces, "Kakumo Bonji".
By the way, as mentioned above, the Sanskrit characters that symbolize various honors such as Buddha, Bodhisattva, Myo, and Tenbe are called "seed". This kind f is not written as a mere initial of the Buddha, but is said to contain everything that Ichison has, and has been carefully treated as a Buddhist priest, that is, a Buddhist priest. Professor Mitsui named this "Character Buddha".
1、聖なる文字、法の文字
アショーカ王の碑文と梵字
梵字は、梵語のブラーフミーの漢訳です。ブラーフミーは「ブラフマンのもの」という意味で、ブラフマンとは仏教がおこる前からインドにあったバラン教の創造神、梵天のことです。「梵天によってつくられた文字」という伝説に基づいて「梵字」の名があるのです。
しかし、実際にいつ頃ブラーフミー文字が誕生したかについては定説はありません。ブラーフミ上又字で書かれた現存最古のものは、有名なアショーカ王の詔勅刻文で、時代的には紀元前三世紀中頃のものといわれています。
アショーカ王(在位紀元前二六八―二三二年)はマウリア朝の第三代目の王で、インド半島の南部を除くインド全土を統}して大帝国を築きました。王は仏教に深く帰依し、仏教の信仰と保護を領民に告示するため、石刻の詔勅文を全土に設置しました。詔勅文は石柱や岩石に刻まれ、梵語(実際は梵語方言のプラークリット語)が使われていますが、なかにはギリシヤ語やアラム語(当時の西アジア世界における国際語的な言語)などで、記されているものも発見されている ということです。
さてヽその碑文は、ぼとんどがブラーフミー文字で記されています。(ごく一部に、当時の西北インドで使用・されていたカローシュテイ字の碑文も発見されています)
その碑文にはダムマリピー 、すなわち「法の文字」と記されております。梵天創造に通じるブラーフミーという名称は、仏教がバラモン教の神々を護法神などに取り入れた後のこととされています。
時代、地域によって変化した字体
このブラーフミ上又字は、時代を経るにしたがって、あるいは地域によって、その形状がしだいに変化していきました。はじめは単純な線や点によって構成されていましたが、四世紀に入ってグプタ朝のころになると、全体的に曲線が入り、優美な書体へと変化していきます。この頃の字体をグプタ型といいますが、このグプタ型を基本にして、五つの字体が登場します。
そのうちのひとつが、シッダマートリカー型と呼ばれる字体で、六世紀頑か
ら使用され、中国を経て日本に伝えられた梵字悉曇文字です。
悉曇とは「完成したもの」 「成就したもの」という意味の梵語シッタン「完成したもの」とは、ひとつには、その文字だけで単独に発音できることをいったものです。また、インドでは学業の成就を祈って、学習用のテキストにシッダラストウられよ」という語を記す習慣がありました。それがやがてテキスト(字母表)のタイトルとなり、さらにシッタン(悉曇)と呼称されるようになったということです。
サンスクリット語を表記する文字の字体は、時代によって、地域によって、変化していきましたが、悉曇文字(シッダマートリカー型)も十世紀を境にナーガリーに吸収されてインドから消えてしまいます。
なお、現在インドで使用されているデーヴァナーガリー字体は、七世紀頃から使用され始め、インドの大部分に広圭ったIこのナーガリー型に端を発し、やがて「聖なる」
という意味の「デーヴア」という言葉加冠されました。十三世紀の二ろ成立したといわれています。この字体は、各文字の頭部が一続きの線で結ばれ、細長い帯状になっているのが特徴です。
1. Holy letters, letters of law
Inscription and Siddha of King Ashoka
Sanskrit is a Chinese translation of Brahmi in Sanskrit. Brahmi means "Brahman's", and Brahman is Brahman, the creator of Balanism that existed in India before Buddhism began. There is a name of "Brahma" based on the legend of "Characters made by Brahma".
However, there is no established theory as to when the Brahmi script was actually born. The oldest surviving one, written in Brahmi Kamata, is the famous Ashoka royal engraving, which is said to date from the middle of the third century BC.
King Ashoka (reigned 268-232 BC) was the third King of the Maurya dynasty and ruled all over India except the southern part of the Indian peninsula} and built a great empire. The king was deeply devoted to Buddhism and set up stone carved royal texts throughout the country to announce his faith and protection to his territory. The Sanskrit text is engraved on stone pillars and rocks, and Sanskrit (actually the Prakrit dialect of Sanskrit) is used, but some are written in Greek and Aramaic (the international language in the West Asian world at that time). It means that what has been done has also been discovered.
Well, the inscription is written in Brahmi script. (In a small part, the Karostei inscription used and used in northwestern India at that time was also found.)
The inscription says Dammaripy, that is, the "letter of the law." The name Brahmi, which leads to the creation of Brahma, is said to have been after Buddhism incorporated the Brahman gods into the Dharmapala.
Fonts that have changed depending on the times and regions
The shape of this Brahumi Kamata character gradually changed with the passage of time or depending on the region. At first, it was composed of simple lines and dots, but by the time of the Gupta dynasty in the 4th century, it became a graceful typeface with curved lines as a whole. The typefaces of those days are called Gupta typefaces, and five typefaces will appear based on this Gupta typeface.
One of them is a font called Siddha Martliker type, which is stubborn in the 6th century.
It is a Sanskrit character that was used in Japan and passed on to Japan via China.
The Sanskrit word "completed", which means "completed" and "fulfilled", means that the character can be pronounced independently. Also, in India, it was customary to write the words, "Pray for the achievement of your studies, and pray for the achievement of your studies." It soon became the title of the text (alphabet table), and it was also called Sittang (Sittang).
The font of the characters that describe Sanskrit changed from time to time and from region to region, but the Siddha Martika type was also absorbed by the Nagari after the 10th century and disappeared from India.
The Devanagari font currently used in India began to be used around the 7th century, and it originated in this Nagari type, which was widespread in most parts of India, and eventually became "holy."
The word "Davea" meaning "Dave" was added. It is said that it was established in the 13th century. This font is characterized by the fact that the heads of each character are connected by a continuous line to form an elongated band.
2、日本における梵字の展開
特異な日本の梵字研究
さて日本では、仏教の伝来とともに中国を経て伝えられた悉曇文字が、唯一の梵字として長い歴史の中を生き続けてきました。インドにおける字体の変化は日本には伝えられず、当時の悉曇文字がそのまま現在まで伝えられています。これは遣唐使の廃止によって新しい梵字の資料が入
ってこなくなったことが、もっとも大きな原囚といえましょう。新しい資料が入ってこないにもかかわらず、それまでの限られた資料によって伝統的な梵字研究が続けられてきました。さらに二の梵字の研究は、仏教内部の人に限られていましたから、梵字成立の伝説に基づく宗数的な昇華が見られ、神聖な文字として大切に取り扱われてきました。
日本の梵字研究における空海の功績
いつごろ梵字の文献が日本に伝えられたのかは明らかではありません。しかし、推古一五年(六〇七)に遣隋使として大陸へ渡った小野妹子が梵匡(多羅葉という樹の葉に記したインドの経典)をもたらしたということが『斑鳩古事便覧』という古い書物に記されています。の梵医は、大和法隆寺に収蔵されていましたが、現在は、東京国立博物館の法隆寺宝物館に
法隆寺貝葉
梵字般若心経抒尊勝陀羅尼
(東京国立博物館所蔵)
所蔵されており、晴天の木曜日に拝観できます世界最古の貝葉写本とされています。
。これが、いわゆる法隆寺社診としてヽ現存する
しかし、天台宗の伝教大師最澄らによって将来された資料をもとに、わが国で本格的に梵字の研究が始められたのは、平安時代に入ってからの’」とです。とくに真言宗の開祖、弘法大師空海
80七四−八三五)が梵字の将来、研究に果たした役割、功績は特筆に値するものです。その著書『梵字悉曇字母抒釈義』『大悉曇章』は日本人の手になる初めての梵字文献です。
資料を体系化した安然
弘法大師が開宗した真言密教では、とくに梵字の学習、研究が重んじられたことはいうまでもありません。空海は、数々の貴重な梵字資料を将来しましたが、その中の『悉曇字記』は、悉曇研究の原点となる基本的な資料でした。
その後、円仁、円珍、慧運、宗叡らの留学僧により悉曇梵字にかんする資料が将来され、その資料は天台宗の阿覚大師安然(八四一−九一五?)によって整理、体系化され、日本の悉曇学は大きな進歩を遂げました。安然は入唐こそ果たせなかったものの、これらの豊富な資料をもとに梵字の研究をすすめ、多くの著作を編みましたが、なかでも『悉曇蔵』八巻を完成させたことは、日本の悉曇学研究に大きな成果をもたらしたといえましう。
その後ヽ安然の隔世の弟子でヽ日本悉曇学中興の祖といわれた昨t二〇五六−一言一)’によって音韻の展開に進歩がみられますが、すでに遣唐使は廃止され、それまでに将来された資料による研究に限られたため、日本の悉曇学は新しい発展はおろか、次第に停滞せざるをえない状況となっていきます。
平安末期から江戸初期までの悉曇学
密教僧必学といわれた悉曇梵字の研究も、一般の密教僧にはあまり広まらず、平安末期の東寺の僧、成賢(一一六一−一二三回は
「梵字とは是れ諸法の本源、密蔵の源底也。故に先徳の伝く、悉曇を知らざるの人は半真言師なり。……(中略)……此の道、已に断絶す。密宗の陵遅何事か之に如かん。悲しむべし。悲しむべし」
といって嘆いたといわれます。
このように、鎌倉時代から江戸時代の初めにかけての梵字研究は、それほど盛んではなかった
といえましょう。しかし、天台宗、真言宗の学僧によって研究は受け継がれ、わずかながら著作
澄憚師の朴筆による梵字
京都・智積院刊『梵書朴筆手鑑』より
梵字研究の復興
江戸時代に入ると、浄厳、澄禅、悪霊尊者飲光といった人たちが悉曇梵字の研究に力をそそぎました。とくに澄禅二六ごニー一六八〇)の功績は、なんといっても、刷毛書きによる美しい見事な梵字の書体を確立したとにあります。さらに、それまでごく限られた人たちの間で伝えられてきた梵字そのものを一般に広めようと努力された’』とは注目すべきでしょう。
悪霊尊者飲光(一七一八−一八〇四)は、もっとも困難とされた梵文解読を実践したほか、原典を重視し、梵字の誤伝を批判して字体を正しました。『梵学津梁』一千巻という大著を著わしましたが、民衆の教化にも力を尽くされた高僧でもありました。
伝承悉曇学への願い
さて、明治維新後、あらゆる面に西欧の文化が次々に流れ込んできますと、近代言語としてのサンスクリョト語学の研究がなされるようになりました。しかし、仏教内部に定着し、独白の進展を遂げてきた悉曇梵字は、今後、伝統的な形のなかで受け継がれていくものと思われます。
長いインドの歴史の一時期に生まれ、消滅した梵語の一書体が、唯一の梵字として一千年以上も使われ、研究されてきたことは、単なる語学の域を離れた特異な意義をもっていたからといえ 暮らしの中に生きる梵語
さて梵字は、古く平安のころから石塔などに刻まれてきましたが、卒塔婆や守護札などにも使
われてます。これ以外あまりわたくしたちの目にふれるf」とは少ないのですが、長い間にわが国の文化に深い影響を与えてきました。そのもっとも身近な例が、五十音の配列です。アイウエオ、カキクケコヽ… という配列は、梵語字母(梵語のアルファベヨト)の配列にならって平安時代に生まれたといわれています。
また、わたしたちが日常使っている日本語の中には、本来梵語であったものが数多く見られます。長い間に日本語化されて使われているもので、漢字に音写されています。たとえば あじやり あしゅら あみた あらかん うらぼん えんま けさ ごま こんぴら さんまい しやかむに
阿闘梨、阿修羅、阿弥陀、阿羅漢、于蘭盆、閻魔、袈裟、護摩、金比羅、三昧、釈迦牟尼、
しゃもん しゅみ廿ん ぜん ぶごフ そとぅば だらに だるま だんな とう なし ねはん びしゃもん ぶっだ
沙門、須弥山、禅、僧、卒塔婆、陀羅尼、達磨、檀那、塔、南無、涅槃、毘沙門、仏陀、 菩提、摩詞、曼荼羅
などがあげられます。このぱかにも、数多くの梵語が日本語化されています。
わが国の文化に大きな影響を与えた仏教、そして梵語・梵字は、現在のわたくしたちの生活の中でも脈々と生きスづけているのです。
2. Development of Sanskrit characters in Japan
Peculiar Japanese Sanskrit study
By the way, in Japan, the Buddhist scripture, which was passed down through China along with the introduction of Buddhism, has lived through a long history as the only Siddha script. The change in font in India was not transmitted to Japan, and the characters of the time were still transmitted to the present. This is due to the abolition of the envoy to Tang, and new materials for the Sanskrit characters are included.
It can be said that the biggest prisoner is that it has stopped coming. Despite the lack of new materials, traditional syllabary research has been continued with limited materials up to that point. Furthermore, since the study of the two Buddhist characters was limited to those inside Buddhism, sectarian sublimation based on the legend of the formation of the Sanskrit characters was seen, and it has been treated as a sacred character.
Kukai's achievements in Japanese Siddha research
It is not clear when the Sanskrit literature was introduced to Japan. However, it is said that Ono no Imoko, who traveled to the continent as a mission to Sui in the 15th year of Suiko (607), brought in a sword (an Indian scripture written on the leaves of a tree called Taraha). It is written in an old book called. The Sanskrit doctor was stored in Yamato Horyuji Temple, but now it is in the Horyuji Treasures Museum of the Tokyo National Museum.
Horyuji shell leaf
Dharani, Heart Sutra, Sutra, Dharani
(Collection of the Tokyo National Museum)
It is in the collection and is considered to be the oldest manuscript of palm leaf manuscripts in the world that can be viewed on a sunny Thursday.
.. This is the so-called Horyuji shrine examination.
However, it was not until the Heian period that the study of Sanskrit characters began in earnest in Japan based on the materials made by Saicho, the messenger of the Tendai sect. Especially the founder of the Shingon sect, Kobo Daishi Kukai
The role and achievements that 8074-835) played in the future of the Sanskrit characters are worthy of special mention. His books, "Bonji 悉 Cloud character mother Exegesis" and "Dai 悉 悉 虢", are the first documents in the hands of Japanese people.
Annen systematized materials
It goes without saying that the Shingon Esoteric Buddhism, which was founded by Kobo Daishi, emphasized the study and research of Sanskrit characters. Kukai made a number of valuable materials in the future, and among them, "Kukai Ji-ki" was the basic material that became the starting point of the study of Siddha.
After that, materials related to the Buddhist scriptures were made in the future by study abroad monks such as Ennin, Enchin, Eun, and Soei, and the materials were organized and systematized by Aka Daishi Annen (841-915?) Of the Tendai sect. As a result, Japanese Buddhist priesthood has made great progress. Although Annen couldn't do it, he proceeded with the study of Sanskrit characters based on these abundant materials and knitted many books. Among them, the completion of the eight volumes of "Etsukuzo" was the result of Japan's Ekumo. It can be said that it has brought great results to academic research.
After that, progress was made in the development of phonology by ヽ annexed alien disciple and ヽ the ancestor of Japan's Confucian Studies Chuko last year t256-1 word 1)', but the envoy to Tang was already abolished until then. Since the research was limited to future materials, Japan's phonology will have to stagnate gradually, let alone new developments.
From the end of the Heian period to the beginning of the Edo period
The study of the Buddhist priests, which was said to be a must-have for esoteric Buddhist priests, did not spread so much to general esoteric Buddhist priests.
"The Sanskrit character is the source of various laws, the source of the esoteric Buddhism. Therefore, the person who does not know the cloudiness is a half-mantra. Severe. The esoteric Buddhism's lingchi is something to do. Sad. Sad. "
It is said that he lamented.
In this way, the study of Sanskrit characters from the Kamakura period to the beginning of the Edo period was not so active.
Let's say. However, the research was inherited by the scholars of the Tendai sect and Shingon sect, and it was written slightly.
A syllabary written by Mr. Sumiko
From "Sanskrit Brush Handbook" published by Chishakuin Temple in Kyoto
Reconstruction of Sanskrit research
In the Edo period, people such as Jōgon, Chozen, and Evil Venerable Drinking Light devoted themselves to the study of the Buddhist scriptures. In particular, the achievement of Sumizen 26 Goney 1680) is that, after all, he established a beautiful and splendid typeface with a brush. Furthermore, it should be noted that the effort was made to spread the Sanskrit character itself, which had been passed down to a very limited number of people, to the general public.
In addition to practicing the most difficult deciphering of the Sanskrit sentence, the evil spirit venerable Drinking Light (1718-1804) emphasized the original text and criticized the misrepresentation of the Sanskrit character to correct the font. He wrote a large book called "Sanskrit", a thousand volumes, but he was also a high priest who was also devoted to the indoctrination of the people.
Wishes for folklore
By the way, after the Meiji Restoration, when Western cultures flowed into every aspect one after another, research on the Sanskrit language as a modern language began to be carried out. However, it is expected that the Buddhist scripture, which has become established within Buddhism and has made progress in monopoly, will be inherited in the traditional form in the future.
The fact that the Sanskrit typeface, which was born and disappeared during a long period of Indian history, has been used and studied as the only Sanskrit character for more than 1,000 years, can be said to have a peculiar significance beyond the mere language. Sanskrit to live in daily life
By the way, the Sanskrit characters have been engraved on stone towers since the Heian period, but they are also used for stupas and guardian tags.
I'm sorry. Other than this, there are few "f" that we can see, but it has had a profound influence on our culture for a long time. The most familiar example is the arrangement of Japanese syllabary. It is said that the arrangement of Aiueo, Kakikukeko ... was born in the Heian period, following the arrangement of Sanskrit characters (Sanskrit Alphabeyoto).
In addition, there are many Japanese words that we use every day that were originally Sanskrit. It has been translated into Japanese for a long time and is transcribed in kanji. For example, hydrangea, asura, amita, arakan, urabon, enma, kesa, sesame, konpira, sanmai, and squid.
Amitabha, Ashura, Amida, Arhat, Yuranbon, Enma, Kasaya, Goma, Kinbira, Samadhi, Shakyamuni,
Chamón Shumi Hiron Zen Buddha Sotuba Dharani Daruma Dharani Nashi Nehan Bishamon Buddha
Samon, Mt. Meru, Zen, Monk, Stupa, Dharani, Tatsuma, Danna, Tower, Nanashi, Nirvana, Bishamon, Buddha, Bodhi, Maji, Mandala
And so on. Many Sanskrit words have been translated into Japanese in this paka.
Buddhism, which had a great influence on the culture of Japan, and Sanskrit and Sanskrit, are still alive in our current lives.
二、種子のもっ深遠な哲理
さて、このような歴史をたどってきた梵字ですが、密教では単なる文字としてではなく、その一字一字が仏の象徴であり、深い意義をもつものとして聖語化して用います。ただ単に、仏教の聖典を記した文字であるというだけで神聖化されてきたわけではないのです。仏教経典は中国においてことごとく漢訳されて日本に伝えられました。日本で読経される経典は、すべて漢訳されたものです。その経典の中に「オン……ソワカ」というような漢語でも日本語でもない語句を発見したり、耳にしたりすることがあることでしょう。
これは、陀羅尼とか真言といわれる梵語そのもので、如来の真実語としてふつうの経文とは区別されています。この陀羅尼や真言は、音写というかたちで漢字表記されましたが、本来は大変意義の深いもので、翻訳不可能な聖なる言葉とされています。
陀羅尼とは、真言とは
陀羅尼は、梵語ダ士ダーニーの音写で「総持」と意訳されます。もとは記憶あるいは保持という意味があるところから、総てを持つというように訳されたのでしょう。
陀羅尼は、大乗仏教宣布のために、その教義を理解し、記憶し、伝承する方法のひとつだったのですが、さらにさまざまな深い意味を持つものと理解され、また、多くの不思議な力を有するものとして唱えられてきました。
真言は、マントラという梵語の訳語です。マントラとは、仏教が興る以前の古代インドの時代より、神々への讃歌、神呪として唱えられていたものです。しかし、仏教で真言という場合は、のはかに、ヴィドゥヤー(明呪)や前述のダーフニーなどをも総括した真言密教独特の用語とされています。
真言は不思議なり 観誦すれば無明を除く
一宇に千理を含み 即身に法如を証す
これは、弘法大師空海の『般若心経秘鍵』に記されているゞ』とばですが、真言を観誦することによって、無明と称する根本煩悩が除かれ、この身にさとりの真理を体現することができるというのです。真言とは、それほど霊験あらたかなものであり、その真言の一字一字に干理といわれるほど多くの意味や教義が含まれていると説かれるのです。
真言と梵字一字に込められた深遠な意義
真言は梵語ですから、それを記すニ子二子の梵字に、深い意味や教えが託されていることになります。
また、同じく空海の『梵字悉曇字母井釈義』の中に次のように記されています。
世人はただ彼の字相を知って日に用ふといへども、而も未だ曾てその字義を解せず。如来は彼の実義を説きたまふ。もし宰相に随って而もこれを用ふれば、すなはち世間の文字なり。もし実義を解すれば、すなはち出世間の陀羅尼の文字なり。
これは、世間の人びとは、悉曇梵字の字相、つまり表面的な意味を知っただけで日常生活に使用しているけれども、字義、つまり梵字が内蔵している深い哲学的な真実の意味は、まだ理解していない。如来は梵字のもつ真実の意味である実義(字義)を説かれている。もし字相によって
梵字を用いれば、世間の文字となり、この実義を知って用いれば、出世間、すなわち世間を超越した如来の世界の陀羅尼の文字となるという意味です。
さとりを成就するための真理を、悉曇梵字の一字二子に託したものが真言なのです。それをふまえて空海は、梵字一宇の中に込められている意義、道理の深遠なることを説いているのです。
Second, the profound philosophy of seeds
By the way, it is a Buddhist character that has traced such a history, but in esoteric Buddhism, it is not just a character, but each character is a symbol of Buddha and is used as a sacred word with deep significance. It has not been sanctified simply because it is a letter that describes the Buddhist scriptures. All Buddhist scriptures were translated into Chinese and passed on to Japan. All sutras read in Japan are translated into Chinese. In that scripture, you may find or hear words such as "on ... sowaka" that are neither Chinese nor Japanese.
This is the Sanskrit word itself, which is called Dharani or Mantra, and is distinguished from ordinary sutras as the true word of Tathagata. These Dharani and Mantra were written in kanji in the form of sound transcription, but they are originally very meaningful and are considered to be untranslatable sacred words.
What is Dharani and what is Mantra?
Dharani is translated as "total possession" in the transcription of Sanskrit Dharani. Originally it had the meaning of memory or retention, so it was probably translated as having everything.
Dharani was one of the ways to understand, remember, and pass on the doctrine for the proclamation of Mahayana Buddhism, but it was understood to have various deeper meanings and many mysterious powers. It has been advocated as having.
Mantra is a translation of the Sanskrit word mantra. The mantra has been chanted as a hymn to the gods and a divine curse since the ancient Indian era before the rise of Buddhism. However, when it comes to mantra in Buddhism, it is a term peculiar to Mantra Esoteric Buddhism that also summarizes Vidya (Ming Curse) and the aforementioned Daphne.
The mantra is mysterious, except for the avidyā if you look at it.
Includes Senri in Ichiu and immediately proves Honyo
This is the word "ゞ" written in Kobo Daishi Kukai's "Prajna Shinkyo Hidden Key", but by observing the mantra, the fundamental anxiety called avidyā is removed, and the truth of Satori is revealed to this body. It can be embodied. It is said that the mantra is such a new spiritual test, and that each character of the mantra contains so many meanings and doctrines that it is said to be a ritual.
The profound significance of the mantra and the one character
Since the mantra is a Sanskrit word, the deep meaning and teachings are entrusted to the Sanskrit characters of Niko Futako who write it.
Also, it is written as follows in Kukai's "Bonji 悉 Cloud character Exegesis".
The world just knew his character and went to work every day, but he still couldn't understand the character. Nyorai preached his true meaning. If he follows the Chancellor and uses it, it will be a character of the world. If you understand the true meaning, it will be the character of Dharani in the world.
This is because people in the world use it in their daily lives just by knowing the character of the Siddha, that is, the superficial meaning, but the meaning of the character, that is, the deep philosophical truth that the Siddha has. I don't understand yet. Nyorai is preaching the true meaning (literal meaning) of the Sanskrit character. If by letter
If you use the Sanskrit character, it becomes the character of the world, and if you know this truth and use it, it means that it becomes the character of Dharani in the world of Tathagata, which transcends the world.
The truth is that the truth for fulfilling Satori is entrusted to one character and two children of the Buddhist scripture. Based on that, Kukai preaches the profound meaning and reason contained in the Sanskrit character Ichiu.
梵字梵語は一宇の声に於て無量の義を含む。改めて唐言となるときは、但し片玉を得て三隅はすなはち闘けたり。(中略)この故に真言を伝ふるの匠不空三蔵等は、密蔵の真言を教授するにとごとく梵字を用ゐたまへり
梵字梵語は一字の音声(波動)のなかに、無量の意義を含蔵しているので、中国(唐)の言葉に翻訳してしまうと犬切なものを失ってしまう。それゆえに真言密教を伝えた不空三蔵は、秘密の蔵の真言を教授するために、ことごとく梵字を用いられたのであるというのです。つまり、梵字梵語を用いることによってこそ、真理をもっともよく伝えることができるということではないでしょうか。
如来は衆生を導くにあたり真理そのものを説くのではなく、よりわかりやすく説くために、さまざまな喩えや方法を用いています。真理は、わたくしたちの五感で直接とらえる」とができないので、如来は方便というかたちをとって人びとをさとりへ導いています。
梵字の書写で永遠の仏の叡智を得る
しかし、梵語、梵字は、真理そのものではないものの、何よりも真理に近い象徴であるとされるのです。それゆえに空海は、
然ればすなはち、この梵字は、三世仁旦って常恒なり。十方に遍じてもって不改なり。これを学び、これを書すれば定んで常住の仏智を得ん。これを誦じ、これを観ずれば必ず不壊の法身を証す。諸教の根本、諸智の父母、蓋しこの字母に在るや。所得の功徳、撮しく説くこと能はず。ルハには「華厳」 「般若」 「火吹盧遮那」 「金剛頂」及び「涅槃」等の経口広く説くが如し。と記されております。
つまり、梵字は、過去・現在・未来の三世にわたって永遠であり、十方に遍在してなおかつあらためられることがない。梵字を学んで、これを書くならば、確実に永遠の仏の叡智を得ることができる。真言である梵語、梵字を誦え、これを観想すれば、かならずこわれることのない真理の身体を体現できる。もろもろの教えの根本で、もろもろの智慧の父母ともいうべきものは、お
そらくこの梵字にあるのではないか。梵字によって得られる功徳については、細かく説明することはできない。詳しくは「華厳経」 「般若経」 「大日経」 「金剛頂経」および「涅槃経」などの経典に広く説かれているとおりである。この上うに空海は説いているのですが、梵字は単なる文字としてではなくヽ真理を表現するためある。
Sanskrit Sanskrit includes innumerable righteousness in Ichiu's voice. When it comes to Tang dynasty again, however, you can get a single ball and fight at Misumi. (Omitted) For this reason, Takumi Amoghavajra, who conveys the mantra, uses the Sanskrit character as if to teach the mantra of the secret store.
Sanskrit Sanskrit has an infinite amount of meaning in the voice (wave) of one character, so if you translate it into the Chinese (Tang) language, you will lose the dog-like thing. Therefore, it is said that Amoghavajra, who transmitted the Mantra Esoteric Buddhism, used all the Sanskrit characters to teach the Mantra of the Secret Kura. In other words, it seems that the truth can be best communicated only by using the Sanskrit language.
Nyorai does not preach the truth itself in guiding sentient beings, but uses various metaphors and methods to preach in a more understandable way. Since the truth cannot be grasped directly by our five senses, Nyorai takes the form of an upaya and guides people to Satori.
Gain eternal Buddha's wisdom with a copy of the Sanskrit characters
However, Sanskrit and Sanskrit are not the truth itself, but above all, they are said to be symbols that are close to the truth. Therefore Kukai
By the way, this Sanskrit character is always the third generation. It is unchanging even in all directions. If you learn this and write it, you will definitely get the resident Buddhist wisdom. He recites this, and whenever he sees it, he always proves his unbreakable Dharmakaya. It is the root of various religions, the parents of various wisdom, and the character of the lid. The merit of income should be the ability to take pictures. It is recommended to widely preach to Ruha, such as "Hanagen," "Prajna," "Hibuki Rohsana," "Vajrasekhara Sutra," and "Nirvana." It is written as.
In other words, the Sanskrit characters are eternal throughout the past, present, and future three generations, and are ubiquitous in all directions and will not be renewed. If you learn and write this, you will surely get the wisdom of the eternal Buddha. If you remind yourself of the true words, Sanskrit and Sanskrit, and think about them, you can embody the body of truth that will never be broken. The basis of all the teachings, which can be called the parents of all the wisdom, is
Isn't it in this Sanskrit character? The merit gained by the Sanskrit characters cannot be explained in detail. The details are as widely explained in the scriptures such as "Avatamsaka Sutra", "Prajnaparamita", "Dainichikei", "Vajrasekhara Sutra" and "Taiwankyo". Kukai preaches above this, but the Sanskrit characters are not just letters, but to express the truth.
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