故人はフラワーロード商店街で親の後を継ぎ青果店「八百菊」を経営。巨漢で心優しく、時にシニカルな面もある小田ちゃんはフラワーロード商店街全盛期を代表する一人でした。私が19歳で新生フラワーロード青年会の総務に抜擢された際に小田ちゃんも副会長に就任。翌年には青年会長としてフラワーロードで活躍しました。
また、若手メンバーによる「フラワーロード10人会」を結成。
親睦と商店街の未来についていつも真剣に夢中で語り合い、活動を重ねました。若手が企画運営した「フラワーXマスday」では、オリジナルのフラワービッグサンタに変身!特養ホーム訪問やパレードの主役を汗びっしょりとなって務めてもらいました。
8歳年上の小田ちゃんはいつも私の味方でした。平成14年秋に翌春の区議会議員選挙立候補を決めた時もただ一言「応援するよ!頑張って。」と肩を叩いてくれました。その言葉通り閉店した後も選挙やパーティーでは裏方役を買って出てくれ支えてもらいました。
酔うと必ず、私が20歳の時長谷川寿司で【30分でお銚子10本】でダウンしたエピソードを懐かしそうに嬉しそうに語ってくれた小田ちゃんでした。
最後に会話したのは2月12日。入院の報せを受け見舞ったときの第一声は「しんちゃんゴメン!明日のパーティー手伝えなくて。」でした。
小田ちゃんは旅立ちました。
約40年にわたるお付き合い。
これからも長く続くお付き合いだと思っていた私は満足に感謝の言葉を送ることも出来ませんでした。「小田ちゃん永い間ありがとうございました。ゆっくり休んで。また会いましょう。」 合掌
shinichi?
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