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2018年12月13日

Hチェレート・グイディのプレゼーペ Il presepe di Cerreto Guidi

@〜Gにかけて別荘のことについて書きましたが皆さんには
気に入って頂けましたでしょうか?


たださっさと美術館見学しただけでは気づかないことを記事を書くうちに
自分自身もいろんなエピソードや新しいことを発見したり、と
予想しない事が結構あります。

今回、イザベッラ・デ・メディチの件は(詳しくは 前回のGをご覧ください)


決して私の発見ではないですし、一個人のブログなので本当に微力で
ありますが世紀を超えて彼女のイメージが間違って知れわたっている
ことを少しでも多くの方に異なった事実だという事を認識してもらえ
たのではないかと思うと私自身も本当にブログを続けていてよかったな、
と思います。

これもひとえにいつも読んで応援して下さる皆様のおかげです。
どうかこれからもよろしくお願いいたします。<(_ _)>


さて、おしゃべりはこれくらいにして
今日はチェレートグイディの町で毎年クリスマス前からベファーナの
祝日の1月6日までのクリスマスシーズンに披露される
プレゼーペ(プレゼピオ)についてです。

プレゼーペとはイタリアで飾られるクリスマスの飾りで各家庭や、
教会などでキリストの誕生の様子を描いた物語絵の様な人形飾りです。

cerreto guidi presepe.jpg
Il presepe di Cerreto Guidi
ご覧ください、この素晴らしいプレゼーペを!
画像では少しわかりづらいかもしれませんがそのほとんどが 
ウンチネット UNCINETTO (かぎ針編み)という編み物で
作られています。

(あ、きっと突っ込まれると思うのでわざと書いておきますが
言っておきますがウンチとは別物です。)


いわゆる編み物だけで町や人形や、自然などを表現しているのですが、
チェレート・グイディのシンボルといってもいいほどである
メディチ家の別荘と隣の教会、そして時計塔なども実に忠実に表現され


唯一 時計塔の位置が実際よりも横によりすぎで
本来は教会の後ろ、別荘寄りの位置にあるべきなのですが
恐らく時計塔の位置をずらさないと良く見えないから、
という理由からなのかもしれませんね?

cerreto guidi presepe2.jpg

チェレートグイディの集落を舞台に
クリスマスのテーマであるキリスト誕生の様子や、受胎告知などが
表現されているこの作品は実に精巧によくできていて、

時間によって人物が動いたり、水が流れたり、
日が暮れて、夕方になりそして夜になったら暗くなり星が出てくる
という演出もあります。
しかも、別荘の部分だけでなく、別荘のもっとその先にも
民家や自然や羊飼いなどがいるところなども細かく表現されていて、
見ている人も楽しくなります。

cerreto guidi presepe3.jpg

夕方になりうっすらと暗くなると民家では暖炉の火が明るくともり
キッチンでは薪で調理をしている様子などを垣間見ることが出来ます。

cerreto guidi presepe4.jpg

ちなみに今年は2018年12月2日から2019年1月6日までの間
第8回目のチェッレートグイディのプレゼーペの展示があるそうです。
機会がありましたら是非ご覧ください。

もし今年いけなくても、恐らく毎年公開されると思われますし、
プレゼーペの公開される時期は大体12月の初旬から1/6の間
と決まっていますので、
次回のイタリア旅行でこの時期に旅行をされる予定の方は
各地でのプレゼーペを見学するというのも旅行の一つの楽しみとして
計画されるのも良いですね。


上の動画はチェレート・グイディのプレゼーペをもっと大きく見る事が
出来ますのでリンクを貼っておきます。

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さて、チェッレート・グイディについては今日で最後になります。
いかがでしたか?(´・ω・`)
皆さんのご感想をお聞かせください。それではまた!!


2018年12月10日

Gチェレート・グイディ<絵画、そしてイザベッラ・デ・メディチの悲劇>

フィレンツェの郊外にあるチェレート・グイディという小さな町について8回目です。
前回の7回目はこちらからどうぞ。

ヴィラ・メディチェア・ディ チェッレート・グイディ(メディチ家別荘)については
今回で最後になります。別荘内の絵画などの展示品を画像で紹介しながら、
このメディチ家の別荘で起こった悲劇のエピソードもご紹介します。
cerreto guidi6.jpg

この上の絵は決して大作ではないとは思いますが、やはり目につくのはあのお方、
ロレンツォ デ メディチ 
通称 ロレンツォ イル マニフィコ (1449〜1492年)
Lorenzo di Piero de' Medici detto Lorenzo il Magnifico

が描かれているところでしょうね。

ロレンツォはどちらかというとあまりかっこいいほうでは
なかったらしいのですが、人を引き付ける声と話術で
優れた政治や外交能力をもち一般市民からは絶大な支持を受け
学問や芸術のパトロンとして彼のもとでルネサンス文化は最盛期を迎えた、
といわれる"メディチ家の歴史の中で最も有名で重要な人物"の一人で
あります。
そんな彼が象徴的に描かれているのがお分かりになるでしょうか?

cerreto guidi7.jpg

ちなみに、この別荘を作らせたメディチ家のコジモ1世(初代トスカーナ大公)は、
ロレンツォ・イル・マニフィコの直系ではなく、傍系出身
(ロレンツォ・イル・マニフィコの祖父コジモ・イル・ヴェッキオの弟のロレンツォの子孫側)
ですが、コジモ一世の母はロレンツォ・イル・マニフィコの孫でもある為、
直系との血も混ざっているので当主として最適だったのでしょうね。

cerreto guidi9.jpg
Arazzi アラッツィ  精巧な毛織物で表現された物語絵


********ここからはこの別荘で起こった悲劇のお話********


初代トスカーナ大公 コジモ一世(1519−1574年)の娘、
イザベッラ・デ・メディチが1576年7月16日
チェッレート・グイディの別荘内で33歳という若さで世を去りました。

長い病気と断続的な熱の結果の死であるとか、
イザベッラの兄弟の2代目トスカーナ大公のフランチェスコ一世からは
髪の毛を洗っている間に死んだ、という公式の発表があるそうですが、
長い歴史的記述と歴史編纂によると彼女のあまりにも早急すぎた死は
実は夫の従弟との不貞行為を責められ、
夫である初代ブラッチャーノ公パオロ・ジョルダーノ・オルシーニ
(1541-1585年)に首を絞められ殺害されたのだ、という。
そして、今もなおイザベッラの幽霊が別荘に現れるという噂まで。

死後には彼女の死にまつわる醜聞がヨーロッパ中に急速に広まりました。

ジョン・ウェブスター John Webster (1580 ?– 1634?年)という
の英国人劇作家による
『白い悪魔』 (しろいあくま、The White Devil)という作品があり
演劇作品の中ではイザベッラの暗殺や夫と夫の愛人にまつわる悲劇が
描かれ、それ以降、何世紀にも渡りルネサンス期の黒い歴史の一つとして
皆に広まっていきました。

Isabella_de'_Medici_02[1].jpg
ブラッチャーノ公妃イザベッラ・デ・メディチ(1542-1576年)
******************     ****************


さて、これら語り継がれていることがが実際真実なのかどうかはわかりませんが、
今ネット上でも調べると殺人だったという風に語られる事が多くみられます。

チェレートグイディの別荘のイタリア語のウィキによると、
現在美術館となっている室内にイザベッラの全身の肖像画が置かれている部屋は
実際に殺害されたと推定される場所であり、
第二次世界大戦の間に起こった略奪が行われる前までは、
暗殺に使われたとされる首を絞めるひも状の凶器まで保管されていたということですが、
これもどこまでが真実かもわかりません。

あくまでも個人の感想、仮説になりますが、なぜそういうかといいますと、
本当にこんな悲しい事が起こったなら凶器をわざわざ保管する人がいるのだろうか
と思いますし、その後凶器が第二次世界大戦中の略奪でなくなってしまったという
いかにも曖昧過ぎる内容に少し後付けされた感が残ります。

男女の愛のもつれで嫉妬により起こった殺人である、という検察側の主張が〜
という言葉が現代のニュース番組でもよく耳にしますが
性愛関係の話となると、部外者には想像できない何かがあったのだろうと思わせる
想像力が生れ、第三者にはなぜか納得させられやすい為、よく使われるのだと思います。
それはある意味、無実の人間を犯人にでっちあげやすいストーリーの代表であり、
実際に今もなお現代においても使われている手口なので、
もしやこの500年前に起こったという暗殺事件についても実はそうかもしれないという事を
心にとどめておきたいと思いました。

それと、今も昔も通常金や権力のある人間同士の結婚は
主に愛だの恋だの理由で決まるのではなく、お互いの利益の為に行われる場合が多く、
結婚=お互いの未来のための家族間の契約という感じで
どちらかというと恋愛がしたければ外でする傾向であると思います。

そういうのもあり、500年前の有力貴族同士の結婚となったら、愛人の存在だけで
殺人が起こるものかどうか?と色々考えていたところ、


「4世紀以上の後ほどにイザベッラ・デ・メディチの夫の無実が証明される」
という、イタリア語のネットニュースを発見!そして

L'onore perduto di Isabella de' Medici ( di Elisabetta Mori)
題訳 イザベッラ・デ・メディチの失われた名誉  (エリザベッタ・モーリ作)
という本の存在をしりました。

いや〜、ブログを書かなかったら、こんなところまでたどり着きませんでしたよ。
あら、こんなところで殺人事件が起こったのね、で終わりだったと思います。
本当に皆さんのおかげです。<(_ _)>

さて、両者を簡単に訳してまとめますと
(一部 WIKI ITALIA Isabella de' Medici欄に書かれているモーリ氏による説も含みます。)

"今日までイザベッラに関しての情報に色々な混乱がありました。
彼女の悲劇的な死は数世紀に渡り複数の作家や詩人、歴史家インスピレーションを与え、
ウェブスターのエリザベス朝演劇から、アレクサンドル・デュマ・ペルの小説、他にも
イザベラはまるでとどまるところのない、禁じられた情熱に溺れる女性として脚色されていきます。
しかしこれからは今までの通説は通用しません。
夫が嫉妬にかられて妻を殺害したとされる浮気の証拠だといわれる手紙は
どこにも彼女が書いたという確たる証拠は一切ないということ、
オルシーニ家の保管文書として残された手紙の数々を通して
イザベッラとパオロ・ジョルダーノ・オルシーニは愛のある夫婦であったことが分かっています。

そして彼女は殺人ではなく恐らく尿器官系の病気のせいで自然に死んだ、という事。
エリザベッタ・モーリ氏の約20年にわたる研究の結果のおかげで真実を知ることにより
イザベラに対するあまたなる誹謗中傷を返上し今こそ、失われた名誉を取り戻すことが可能なのです。"

というような、内容でした。

イザベッラ夫婦は幾世紀にかけて恐らく
一部のアンチメディチのイタリア人やイギリス劇作家、フランス人小説家等諸々によって
偽のイメージを作り上げられ、それが独り歩きして今となってはまるで事実のように
認識されるようになったのかもしれません。

日本のウィキを読んでると、まるで殺人事件が史実かのようにそれだけが書き込まれていて
前々からわかっていましたが誰でも書き込めるウィキには注意して読まないといけないな、と
再認識しました。

ちなみにジョン・ウェブスターという上記にある「白い悪魔」を書いた人物は
ウィキによるとシェークスピアと同時代に活躍した人で
彼については実は全く知りませんでしたが、なんとなく何かがつながり分ったような気がします。

あくまでも、巷で言われている仮説の域かもしれませんが、
シェークスピアという人物は実は存在していないかったとか、
複数いる説など謎が多くがあるのを動画で知ったので、

恐らく彼の背後にはメー●ンだとかイル●ナティなどの秘密結社の組織がいたんじゃないかと妄想していたのですが、イザベラ・デ・メディチを貶めるきっかけとなる劇を書いたウェブスターと数世紀に小説を書いたというデュマ・ペルも、きっとその類ではないかという結論にいたりました。

さて、今回の記事はいかがでしたか?('ω')ノ
よろしければ皆さんのご感想をお待ちしております。



次回はチェッレート・グイディのプレゼピオについてです。お楽しみに



2018年12月07日

Fチェレート・グイディ<裏庭と時計塔>

さて、チェレートグイディ7回目です。

Eがまだの方はこちらからどうぞ。

今日はチェレートグイディの別荘裏庭と時計塔についてです。cerreto guidi18.jpg
裏庭 Il Giardino

この、こじんまりとした裏庭は正面入り口とは反対側にあります。

写真を撮った時間帯には日影の寂しげな山荘風の雰囲気が漂う庭でしたが

フィレンツェらしいセンスの良さを感じるものでした。

cerreto guidi19.jpg
別荘正面裏側

こちらは正面入り口の反対側で、別荘の裏庭に面している部分です。

2階にはフレスコ画が描かれているテラスがあり、

一階部分には古代の遺跡の像や石などがごろんとおかれ

展示されていました。

cerreto guidi20.jpg
塔 TORRE

この時計塔はメディチ家のチェレートグイディの別荘にある裏庭から

裏庭を正面にして左側に見えます。

この塔へは壁が隔ててあるので直接別荘からはいけません。

@別荘の<外観>で紹介したピエヴェ・ディ・サン・レオナルドという

カトリックの教会の横にある小さなわき道を通って突き当りを

右に曲がるとこの小さい塔にたどり着きます。

(*なので、別荘ではなく、教会に属する塔と考えられます)

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Gへ続きます。



2018年12月04日

Eチェレート・グイディ<高級家具ー引出し>

Dの続きです。

今回は別荘内のコレクションの素晴らしい家具を画像にてご紹介します。

一部、個人の独断と偏見があるかもしれませんが了承ください。<(_ _)>
cerreto guidi17.jpg
CASSETIERA (*複数形 CASSETTIERE)


今回ご紹介するのは、いわゆるゆる「引出し」。


実際に展示品を見た時は立派な家具だなとしか思わなかったのですが、
(´-`).。oO

ブログで紹介するために、画像をじーっと見ていたら、( ゚Д゚)

引出しらしきものが一杯ついていることに気が付きました。(ー_ー)!!

ちなみに引出し家具はイタリア語でカッセッティエラ(Cassetiera)

と言います。

cerreto guidi15.jpg

今も昔もフィレンツェ人にとって優美さはとても重要事項の一つであり、

家での日常品にも実用と優美を兼ね備えたものが求められます。


実際これらの展示品がどれだけ日常で使われていたかはわかりませんが

前回のDの折り畳み可能な優雅な扉を見てもわかるように

美しいだけでなく、実用性も考えて作られている家具も存在すると思うと

これらのカッセッティエーレも実際に使っていたのかもしれませんね。


とはいえ、Dの画像の「折りたたみ可能な扉」と比べ

使用感を感じさせるような小さな傷等も特にないようなので

修復されて、ほぼ完璧に戻った、という可能性もあるとは思いますが、

やはり、「観賞用の家具」だったというのもあるかな、と思いました。

cerreto guidi16.jpg

これだけ立派な作品だと、さすがのメディチ家でもどうでしょうね?

もしイタリア在住の修復士の日本人の方がこの記事を読んで

ご存知ならば教えて下さると助かります。<(_ _)>

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Fへ続きます。




2018年11月30日

Dチェレート・グイディ<輿と木彫、他>

Cに続いて、今日もフィレンツェ近郊チェレート・グイディにある

メディチ家の別荘のご紹介です。

今回は別荘内のコレクションの一部を画像にてご紹介します。

展示品について一部、個人の独断と偏見があるかもしれません。

そこのところご了承ください。<(_ _)>
cerreto guidi12.jpg
麗人がのっていた輿でしょうか?

大きさはちょうど大人一人が入れるくらいです。

このメディチ家の別荘が作られた目的の一つが狩猟の滞在の為という事

と別荘が現在、狩と領土の博物館ということを考慮すると、

狩の時に身分の高い人間や、観覧する目的で女性や子供が

使っていたかもしれませんね。

cerreto guidi5.jpg

こちらは主に扉や天井の木彫り飾りのピース。

フィレンツェをはじめとするイタリアの立派な宮殿の広間の

天井を見上げるとこういった木彫りの飾りですべて覆われた

立派な天井がしばしばあります。

cerreto guidi3.jpg

この扉は実際に使われていたと思われ、実際に展示品であったかどうかも

定かではありませんが、どうやら折り畳み可能のようで

扉が二つに開くだけでなく、

更に各2か所が折れる扉のようです。


木のぬくもりを感じるやさしさと上品さが漂う美しさだけでなく、

実用性も兼ねていて当時のフィレンツェ人のセンスの良さを感じさせます。

cerreto guidi4.jpg

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Eに続きます。




2018年11月28日

Cチェレート・グイディ<金の鳥かごとコッファー>

Bに続いて、今日もフィレンツェ近郊チェレート・グイディにある
メディチ家の別荘のご紹介です。

今回は別荘内のコレクションの一部をご紹介します。

別荘は狩の目的などで作られたことや今現在は狩猟と領地の歴史博物館として
一般に公開されている、という特徴の為か
下のような金箔づくりの鳥かごのようなオブジェがありました。
他にも狩に使用される銃や道具など他のメディチ家の別荘の博物館と比べて
比較的珍しい展示品、どちらかというと男性が興味をひくような
シブい展示が多いかもしれませんね。

cerreto guidi8.jpg

他にも下の写真のような素晴らしい細工の施されたコッファ―もありました。
まるで神話のような登場人物たち、その周りを飾りを施したデザインで
これらを木の材質だけを使って、表現されています。

貴重な材質を使ってただ豪華に仕上げる成金趣味とは異なる、
フィレンツェの芸術の素晴らしさの特徴の一つで、
人間の作業により一つ一つが丁寧に時間をかけて作られた贅沢品です。

cerreto guidi14.jpg

ちなみに少し余談になりますが、
このコッファ―に準ずるもの(ここまで細かくないけど、似ている細工)が
フィレンツェでは結構普通の家庭でもよく使われていてます。

もちろん、その家庭によってグレードやどれくらい古いかの年数は異なりますが、
先祖代々の数世紀前の家具をそのまま使っている、という家庭もまだまだいるのです。

こういったコッファ―は普段使わない大きいものをしまっておくいわゆる、
日本の茶箱と押入れを足したような用途で使われる家具の一種で、

倉庫にずーっと置かれていることもありますが
基本的に頑丈な作りでも中には見た目も美しいものもあり、
時には上に物をおいたり、人が一時的に腰掛けたりする等
室内での普段の生活で幅広く活用されていることも
現在のフィレンツェの家庭で使われていることも決して少なくありません。

とはいえ、
最近はフィレンツェでも若い世代にはIKEAなどの近代的家具がもてはやされている、
また、家のスペースが数十年前に比べて面積が狭くなってきていて、
昔のような立派で大きな家具を置く余裕がなくなったなどの理由が重なってか
フィレンツェでもやや減少しつつあるのも事実です。

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cerreto guidi1.jpg

上の画像の展示品については詳細不明、とりあえず画像だけですみません。<(_ _)>

ただ雰囲気からして、当時のメディチ家の古代遺物レクションの一つかな?
と思いました。



Dに続きます。

2018年11月26日

Bチェレート・グイディ<内装>

Aチェレート・グイディ からの続きです。

チェレートグイディにあるメディチ家の別荘は2002年から

「狩猟と領地の歴史博物館」として一般に公開されていて、見学が可能です。

今回は内装を写真で大まかに紹介しつつ

別荘に関する概要にふれます。
 Villa Medicea di Cerreto Guidi WIKI 、館内資料参照 )


イル・ムゼオ・ストーリコ・デッラ・カッチャ・エ・デル・テッリトリオ
il Museo storico della caccia e del territorio

cerreto guidi10.jpg
大広間


*グイディ伯とは中世に中央イタリアの広域にわたって支配していた家族で
トスカーナとロマーニャとエミリア(現在はエミリア・ロマーニャと呼ばれている)
地方のの大部分を支配、
その為、至る所でコンティ・グイディという名前が登場します。
実際にグイディ伯の城といえば、過去に私のブログでも紹介している、


カステッロ ディ ロメーナ

この城もコンティ・グイディの残した足跡のうちの1つです。

ちなみに、カステッロ ディ ロメーナの城は
紀元前のエトゥルリア遺跡のあとを利用して城が建てられた、という事でした。
エトゥルリア人はその昔高台に集落をつくる傾向にあったようですので、
このチェレート・グイディのグイディ伯が城を建てたところにも高台ということもあり、
元はエトゥルリア(もしくはエトゥルリアより後の古代ローマ)の遺跡があったりして…
なんて思いました。まあ、こういう話はイタリアではよくある話です。



cerreto guidi13.jpg
大広間の天井 

いくつかの広間に装飾されたフレスコ画は新古典主義の時代

( Neoclassico 18〜19世紀頃 )に描かれたものが多く、

また、このムゼオが所有するいるコレクションは多種多様であり

その起源はいろんな場所から集まったものだそうで


現在の館内の装飾ついては史実の財産目録に基づき、

出来る限り当時の内装に近づけるような配慮がされているとのことでした。


cerreto guidi2.jpg
暖炉

別荘は狩猟や、フィレンツェからリヴォルノやピサにへ移動する時の

中継地点として四季にわたりたびたび利用されたということです。

cerreto guidi11.jpg
天蓋付ベッド

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別荘の計画を一任されたのは、ベルナルド・ブォンタレンティではないかと

言われていて @チェレート・グイディ の中の2番目の画像にあるような 

正面のジグザグと対照的に交差する階段が

彼の行った他のプロジェクトに同様の特徴がみられる、

などといった理由ですが、これは確かではないようです。


他にも実際に現場監督していた建築家ダヴィデ・フォルティーニと

建築を最後まで終わらせたアルフォンソ・パリ―ジ・イルヴェッキオという

建築家の存在もあり1575年にはお披露目の祝いが行われました。


Cに続きます。



2018年11月24日

Aチェレート・グイディ<メディチ家別荘正面から眺める景色>

@チェレート・グイディ<外観>の続きです。

今回は別荘正面から眺める景色のご紹介です。

チェレートグイディの別荘は高台にある為、周りの景色がよく見えます。

cerreto guidi.jpg


トスカーナらしい緩やかな丘の上に建つ赤レンガの建物が

青い空と手入れの行き届いた緑に囲まれる美しい風景は

見ている者の気分を和ませてくれます。

日が暮れはじめの柔らかい温かみのある光に包まれた景色も

なかなかのものです。

cerreto guidi23.jpg

奥の景色にはうっすらと白い雪山らしき山脈がありました。

この場所の方向と距離から考えて、ピストイア PISTOIA という

近くの県にあるアベトーネ ABETONE かもしれません。

アベトーネといえば、フィレンツェ近郊ではスキーが出来る山(地域)

がある事で良く知られている場所です。

cerreto guidi21.jpg

最後に余談になりますが、この小さな町チェレートグイディのすぐの場所に

(今回ご紹介した3枚の画像とは全く違う方向側ですが)

あの世界的に有名なルネッサンス時代の天才画家

レオナルド・ダ・ビンチが生れたヴィンチ村があります。

Bへ続きます。





2018年11月22日

@チェレート・グイディ<外観> フィレンツェ近郊の町〜CERRETO GUIDI

皆さん、こんにちは。今日は久しぶりに観光の話題です。


フィレンツェから車を西側へ走らせておよそ40分位でつく場所に

チェレート・グイディ CERRETO GUIDIという小さな町があります。

cerreto guidi24.jpg
チェッレートグイディのメディチ家の別荘 La Villa Medicea di Cerreto Guidi

ここにはフィレンツェのメディチ家の別荘の一つがあり、

一番の高台に位置するこのメディチ家の別荘を中心に、

他の建物らがまるで囲むかのように集落が形成された

一見、街全体が砦のような役割を果たしているのかと思わせる造りに

なっています。

(興味のある方はグーグルマップの航空写真やストリート・ビュウで
超リアルなヴァーチャル体験をお楽しみください  (^^♪)


cerreto guidi25.jpg

高台にある為、一枚目の写真にあるような別荘の正面入り口にたどり着くには

この階段を登るか、もしくはすぐ横にあるわき道から迂回して

少し遠回りをする必要があります。

ちなみにこの階段の役目をはたしている建物の部分には窓や大きな扉もあるので、

恐らく馬車などを収納したり、収納倉庫など、

別荘の一部として機能していたのではないか?と思いました。

cerreto guidi26.jpg

別荘の屋根には、複数の煙突とみられる長細いものがあり、

更にその奥、中央には見張り台のようなものが見えます。


cerreto guidi22.jpg
Pieve Di San Leonardo

別荘正面の隣にはピエヴェ・ディ・サン・レオナルドという

カトリックの教会があり

先ほど書いたわき道を通って迂回するとこちらの教会前にたどり着きます。

そして教会の横隣にメディチ家の別荘の正面入り口前があります。

Aに続きます。




2018年10月31日

秋も深まる季節にサマータイムも終わり・・・(2018年)

みなさん、こんにちは!

あっという間に10月31日で10月も終わり。

秋もだいぶ深まってきましたね。

フィレンツェでは日照時間中はまだ暑く感じる時もあるのですが

朝と夕方には気温が下がり一日の温度差がとても激しくなりつつあり、

その影響もあってか町の木々達も少しづつ色づき始めています。


ただ、こちらでは、日本のような色鮮やかな紅葉、というほどではなく

秋から冬にかけて、緑だった葉っぱがほんのりと黄色に、

またあまりないのですが

時々赤色に変化する植物もちらほら見かけるくらいです。
ドゥオーモ.jpg
さて、だんだんと少し寂しい冬の雰囲気が訪れるのだな、

と感じさせられる季節となりましたが

イタリアの10月28日の深夜2時にサマータイム

(日本との時差7時間)から

通常の時間表示へと

(日本との時差が8時間)戻りました。




日本ではサマータイムというシステムが採用されていないので

サマータイムとは何だろう?と思われるかもしれませんが、

一部の海外諸国で採用されている制度で、

イタリアもその例外ではなく、

日の長くなる春から夏の間は時計表示の時間が一時間繰り上がる、

日が短くなる秋冬になったらその一時間差が元に戻る、


簡単にいうと日照時間の長さに合わせて、

時間表示が一時間変化するという感じでしょうか?


ちなみに、最近イタリアではサマータイムの採用をやめようか

という話も出ているらしく、

当日のニュースの話では

「今回が最後のサマータイムかもしれない」

という事をいっていました。


なので、来年の春にサマータイムが実施されるかどうか?わかりませんが、

次回に注目していきたいと思います。


それではまた!( `ー´)ノ

フィレンツェの天翔船より



本物に価するレザー製品を厳選し、出逢いをお届けするメンズ向けセレクトショップ。
プロフィール
フィレンツェの天翔船さんの画像
フィレンツェの天翔船
イタリアに住むフィレンツェの天翔船と申します。 アメブロでブロガーとしてスタートしたのが2012年の12月。 スピリチュアルなものから、観光に役立つこと、ルネッサンス時代の芸術、料理やイタリアでの日常生活、イタリア人の生活習慣エピソードなどを書いています。 ファンブログでは今まで書き貯めた記事の中でも特に優良だと思う過去記事を読みやすく一気にまとめて編集し直したもの「まとめ版ブログ」と、私のおすすめする一品もご一緒に紹介させていただきます。アメブロ版共によろしくお願いします。 https://ameblo.jp/firenzenoamakakerufune/
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