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2019年11月12日
Aカレンザーノ・アルト〜Calenzano Alto「門と小さな教会」【フィレンツェ近郊観光】
前回に引き続き、今日もフィレンツェ近郊の小さいけど中世の面影が
強く残るカレンザーノ・アルトをご紹介します。
@はこちらからどうぞ!
カレンザーノアルトからのパノラマ
上の画像は前回の記事で紹介した薄暗くて狭い通路
(通路と表現しておりますが厳密にいうと城門の一つで北の門です。)
を通り抜けたその先の景色になります。
カレンザーノ アルトはその名の通り小高い丘にあるので、
そこから見える景色も最高です。
カレンザーノ・アルト南門
こちらはカレンザーノアルト南門です。
高い塔の下に尖ったアーチが特徴的で、
北の門よりも大きく威圧的、荘厳な雰囲気を醸し出しています。
南門の内側
南門の正面裏は意外と赤レンガの色味が残っているせいか、
暖かで優し気な雰囲気もあります。
門を過ぎたすぐそばにはトラットリアなどの商業施設や
昔の建物をそのまま利用し外見はそのままを残しつつ
普通のアパートとして改装し住居として使用されています。
とはいえ、カレンザーノ・アルトの旧市街は特に観光地として
脚光を浴びていないせいか通行人もほとんど見かけることはない、
とても静かな雰囲気でした。
La Chiesa San Niccolò Calenzano Alto
カレンザーノアルトのサン・ニッコロ教会
こちらは城内にあるサンニッコロ教会。
起源はローマ時代にも遡るとても古い教会であります。
この教会は、ファザードの部分に途中から違う大きさの煉瓦が
積み上げられているのがしっかりみえるのが印象的ですね。
イタリアでは元あった建物(や建物の跡など)に上にさらに違う建物を建てたり
古い建物を利用しつつ、改修や拡張することがよくあり
こういったものは決して珍しいわけじゃないのですが
カレンザーノアルトの多くの建物と同様
この教会はレンガや岩などを積み上げて作った表面をそのまま残しているので
それが手に取るようにわかるなあ、と思いました。
(フィレンツェでも中世の建物を沢山見かけますがその多くがセメントなどで表面を平らに
塗られていて、見えない場合が多いです。)
Bに続きます。お楽しみに
強く残るカレンザーノ・アルトをご紹介します。
@はこちらからどうぞ!
カレンザーノアルトからのパノラマ
上の画像は前回の記事で紹介した薄暗くて狭い通路
(通路と表現しておりますが厳密にいうと城門の一つで北の門です。)
を通り抜けたその先の景色になります。
カレンザーノ アルトはその名の通り小高い丘にあるので、
そこから見える景色も最高です。
カレンザーノ・アルト南門
こちらはカレンザーノアルト南門です。
高い塔の下に尖ったアーチが特徴的で、
北の門よりも大きく威圧的、荘厳な雰囲気を醸し出しています。
南門の内側
南門の正面裏は意外と赤レンガの色味が残っているせいか、
暖かで優し気な雰囲気もあります。
門を過ぎたすぐそばにはトラットリアなどの商業施設や
昔の建物をそのまま利用し外見はそのままを残しつつ
普通のアパートとして改装し住居として使用されています。
とはいえ、カレンザーノ・アルトの旧市街は特に観光地として
脚光を浴びていないせいか通行人もほとんど見かけることはない、
とても静かな雰囲気でした。
La Chiesa San Niccolò Calenzano Alto
カレンザーノアルトのサン・ニッコロ教会
こちらは城内にあるサンニッコロ教会。
起源はローマ時代にも遡るとても古い教会であります。
この教会は、ファザードの部分に途中から違う大きさの煉瓦が
積み上げられているのがしっかりみえるのが印象的ですね。
イタリアでは元あった建物(や建物の跡など)に上にさらに違う建物を建てたり
古い建物を利用しつつ、改修や拡張することがよくあり
こういったものは決して珍しいわけじゃないのですが
カレンザーノアルトの多くの建物と同様
この教会はレンガや岩などを積み上げて作った表面をそのまま残しているので
それが手に取るようにわかるなあ、と思いました。
(フィレンツェでも中世の建物を沢山見かけますがその多くがセメントなどで表面を平らに
塗られていて、見えない場合が多いです。)
Bに続きます。お楽しみに
2019年11月05日
@カレンザーノ・アルト〜Calenzano Alto 「お城」【フィレンツェ近郊観光】
フィレンツェの近郊にカレンザーノ (Calenzano)という場所があります。
カレンザーノはどちらかというとフィレンツェの周りにあるいわゆる
工業地帯とか新興住宅地というイメージが強かったのですが、
カレンザーノ アルトというカレンザーノの少し丘の上を登った
高い場所にある旧市街には規模でこそ小さいですが
今もなお残る中世の世界を垣間見ることが出来ます。
(アルトというのは「高い」、「高い場所」などの意味で、
町の名前に使われる場合は高い所にある旧市街と
低地にある現在の市街を区別する時などに使われます。)
私がここを訪れたのは近場に休日のお昼を外に食べに行ったついでに
何気に立ち寄っただけだったのですが、予想以上に素敵なところでした。
IL CASTELLO DI CALENZANO
イル カステッロ ディ カレンザーノ (カレンザーノ城)
こちらカレンザーノ城内部の中庭。右上部分に塔のような跡があり、
そこには食い込むように建物があるのが印象的です。
カレンザーノのコムーネのサイトを見るとそれが良くわかります。
この薄暗くて狭い通路(*城の北門になります。)は、
城内の建物と建物を繋いでいる建物内にある
現代では「いわゆる公共の通路」ですが、かなり古そうな感じがします。
ちなみに、こういう狭くて小さい通路では大きな町では尿の臭いがしたり、
ゴミや犬などの排せつ物が捨てられてしまうことがしばしばあり、
必要以上に近寄りたいと思わないのですが、この旧市街位の規模だと
酔っぱらいが来たり、ゴミを散らかしていく人も滅多にいないのか
小奇麗でした。
(まあ、そりゃあ、城の一部だから大切に管理されているしょうね(゚∀゚))
先ほどの薄暗い通路の上部にはこんな建物があり、右側には
博物館(IL MUSEO COMUNALE DEL FIGURINO STORICO)が
ありましたが私が訪れた時は丁度開館時間ではなかったので
見学はしませんでした。
こちらは城の一部とみられる壁です。そのお隣の違う色の建物も
城の一部であり、その先は上の画像らの建物に続いていきます。
グーグルマップの衛星写真やストリートビュー等を見て
あとからわかったのですがどうやら城自体がこのカレンザーノアルトと
いう小さな集落の一部であり、またその多くを占め、
それぞれ異なる建物から成り立っていて、現在でもそれらを
各々様々な利用をされながら城として残っているようです。
続きます。
カレンザーノはどちらかというとフィレンツェの周りにあるいわゆる
工業地帯とか新興住宅地というイメージが強かったのですが、
カレンザーノ アルトというカレンザーノの少し丘の上を登った
高い場所にある旧市街には規模でこそ小さいですが
今もなお残る中世の世界を垣間見ることが出来ます。
(アルトというのは「高い」、「高い場所」などの意味で、
町の名前に使われる場合は高い所にある旧市街と
低地にある現在の市街を区別する時などに使われます。)
私がここを訪れたのは近場に休日のお昼を外に食べに行ったついでに
何気に立ち寄っただけだったのですが、予想以上に素敵なところでした。
IL CASTELLO DI CALENZANO
イル カステッロ ディ カレンザーノ (カレンザーノ城)
こちらカレンザーノ城内部の中庭。右上部分に塔のような跡があり、
そこには食い込むように建物があるのが印象的です。
カレンザーノのコムーネのサイトを見るとそれが良くわかります。
この薄暗くて狭い通路(*城の北門になります。)は、
城内の建物と建物を繋いでいる建物内にある
現代では「いわゆる公共の通路」ですが、かなり古そうな感じがします。
ちなみに、こういう狭くて小さい通路では大きな町では尿の臭いがしたり、
ゴミや犬などの排せつ物が捨てられてしまうことがしばしばあり、
必要以上に近寄りたいと思わないのですが、この旧市街位の規模だと
酔っぱらいが来たり、ゴミを散らかしていく人も滅多にいないのか
小奇麗でした。
(まあ、そりゃあ、城の一部だから大切に管理されているしょうね(゚∀゚))
先ほどの薄暗い通路の上部にはこんな建物があり、右側には
博物館(IL MUSEO COMUNALE DEL FIGURINO STORICO)が
ありましたが私が訪れた時は丁度開館時間ではなかったので
見学はしませんでした。
こちらは城の一部とみられる壁です。そのお隣の違う色の建物も
城の一部であり、その先は上の画像らの建物に続いていきます。
グーグルマップの衛星写真やストリートビュー等を見て
あとからわかったのですがどうやら城自体がこのカレンザーノアルトと
いう小さな集落の一部であり、またその多くを占め、
それぞれ異なる建物から成り立っていて、現在でもそれらを
各々様々な利用をされながら城として残っているようです。
続きます。
2019年11月03日
最近ハマっていること〜Coccio ( コッチョ )
皆さん、少し期間が開いてしまい大変お久しぶりですがお元気でいらっしゃいますか?
さて、数か月ぶりの記事になりますが本日は雑談を書かせていただきます。
さて、タイトルにもあるように最近私がハマっているもの、というと少しオーバーなのですが
随分前からイタリアの小さな日用雑貨店のショーウィンドーで何時も見かけていて、
いつか欲しいなあと思っていたCoccio (コッチョ)というものがあります。
コッチョとは瀬戸物でできた鍋で、全く同じとは言えませんが簡単に言うと
日本のいわゆる土鍋のようなものです。
外見はイタリアの赤茶色のざらざらしたテラコッタをベースに、
底の部分だけ除いて全体に釉薬でツヤが出る塗装を施されています。
用途は主にポマローラというトマトや香味野菜をピューレ状にした
イタリア料理の基本中の基本のトマトソ-ス等を作る時に使用されたり、
他にもカチュッコ(CACCIUCCO)C という魚介とトマトのごっちゃ煮のような
煮込み料理の時には鍋ごとテーブルにサーブされます。
また店によってまちまちですがイタリアの中華料理レストランなどでも
マーボー茄子や、マーボー豆腐などの料理でこのコッチョが使用され、
料理と共にそのままテーブルに運ばれたりすることもあります。
当然人によって使い方もまちまちで、他にも色々な用途もあると思いますが
現代社会のイタリアのキッチンではやはり金属の鍋を使用が主流の為、
現在でもよく見かけるのが上記のような使い道がポピュラーになります。
ちなみにしばらくの間欲しいと思っていたコッチョを今年やっと手に入れた理由は
もちろん、何年も待つほど高価なものではないのですが、鍋は他にすでに持っていて
特に必要がないのに、小規模な商店に入ってわざわざ買うのには何かのキッカケがないと
なかなか入りづらい、というのもありいつも後回しになってしまっていた・・・。というわけです。
さて、前置きが長くなってしまったのですが以下が本題になります。
最近はこのイタリアの土鍋を使って色々料理するようになってから段々気づくようになった事
があり、それは金属鍋を使っての調理と土鍋を使ったのでは美味しさが全く違うという事が
分かりました。
土鍋と鉄鍋との料理の出来に違いがあるというのは既に知っていたのですが
今まで普通に金属のフライパンや鍋で調理していたものも土鍋で調理すると
本当に優しい味になるのです。
また、鍋とは違う話になりますが、缶詰でも缶の缶詰は体に良くない、
例えば、ツナでも缶詰より瓶詰の方が危険な成分が少なくまだマシである、
という話を聞きます。
飲み物の場合では同じ商品でも瓶の場合と缶では味に違いがあり、やはり瓶のものが
美味しく感じるそうです。(例 ビールやコーラ等)
これらの少ない例だけでも考えてみますと、やはり
食べ物や水分などの成分はやはり金属に触れると何かしらの影響をうけて
体に良くない成分に変わってしまったり、素材の美味しさが損なわれるのだと思います。
というのもあり金属鍋で調理するのと土鍋では味の違いが出るのだろうなあ、ということを
是非皆さんにもその事実を知っていただきたい思って今回の記事を書きました。
ちなみに、最近は普段の調理でも普通に使うことが多くなり、
上記に書いた用途以外にも、普通の鍋のように色々愛用しています。
特に日本風の鍋料理する時にも大活躍ですよ。
(実をいうと前々から鍋がしたくて日本の土鍋を持って帰りたいと思っていたのですが
何せ重いので何年も後回しにしていましたがこちらで簡単に手に入る現地の鍋のコッチョで十分であるという事もわかり、わざわざ重い思いをして日本から持ってこなくてよかったと思っています。)
日本で手軽に手に入る土鍋で
代用は十分可能であると思いますので、日本在住の方々も是非、金属鍋でない調理を
試してみて、味や料理の出来栄えの違いをお楽しみください。
また他の海外在住の皆さまも恐らく現地で手に入る土鍋のようなものがあると思うので、
是非そちらで試してみてくださいネ。 (^o^)/
それではまた!
本日も最後まで読んで下さり、ありがとうございます。
フィレンツェの天翔船より
さて、数か月ぶりの記事になりますが本日は雑談を書かせていただきます。
さて、タイトルにもあるように最近私がハマっているもの、というと少しオーバーなのですが
随分前からイタリアの小さな日用雑貨店のショーウィンドーで何時も見かけていて、
いつか欲しいなあと思っていたCoccio (コッチョ)というものがあります。
コッチョとは瀬戸物でできた鍋で、全く同じとは言えませんが簡単に言うと
日本のいわゆる土鍋のようなものです。
外見はイタリアの赤茶色のざらざらしたテラコッタをベースに、
底の部分だけ除いて全体に釉薬でツヤが出る塗装を施されています。
用途は主にポマローラというトマトや香味野菜をピューレ状にした
イタリア料理の基本中の基本のトマトソ-ス等を作る時に使用されたり、
他にもカチュッコ(CACCIUCCO)C という魚介とトマトのごっちゃ煮のような
煮込み料理の時には鍋ごとテーブルにサーブされます。
また店によってまちまちですがイタリアの中華料理レストランなどでも
マーボー茄子や、マーボー豆腐などの料理でこのコッチョが使用され、
料理と共にそのままテーブルに運ばれたりすることもあります。
当然人によって使い方もまちまちで、他にも色々な用途もあると思いますが
現代社会のイタリアのキッチンではやはり金属の鍋を使用が主流の為、
現在でもよく見かけるのが上記のような使い道がポピュラーになります。
イタリア デ・シルバ社製 BR両手21cmボール 黒茶 直火対応チーズフォンデュ鍋アヒージョ皿バーニャカウダ皿 陶器磁器の耐熱食器 おしゃれな業務用洋食器 お皿大皿深皿 |
ちなみにしばらくの間欲しいと思っていたコッチョを今年やっと手に入れた理由は
もちろん、何年も待つほど高価なものではないのですが、鍋は他にすでに持っていて
特に必要がないのに、小規模な商店に入ってわざわざ買うのには何かのキッカケがないと
なかなか入りづらい、というのもありいつも後回しになってしまっていた・・・。というわけです。
イタリア デ・シルバ社製 RD19cm煮込鍋 蓋付き 直火対応チーズフォンデュ鍋シチュー鍋 赤い陶器磁器の耐熱食器 おしゃれな業務用洋食器 お皿中皿深皿 |
さて、前置きが長くなってしまったのですが以下が本題になります。
最近はこのイタリアの土鍋を使って色々料理するようになってから段々気づくようになった事
があり、それは金属鍋を使っての調理と土鍋を使ったのでは美味しさが全く違うという事が
分かりました。
土鍋と鉄鍋との料理の出来に違いがあるというのは既に知っていたのですが
今まで普通に金属のフライパンや鍋で調理していたものも土鍋で調理すると
本当に優しい味になるのです。
また、鍋とは違う話になりますが、缶詰でも缶の缶詰は体に良くない、
例えば、ツナでも缶詰より瓶詰の方が危険な成分が少なくまだマシである、
という話を聞きます。
飲み物の場合では同じ商品でも瓶の場合と缶では味に違いがあり、やはり瓶のものが
美味しく感じるそうです。(例 ビールやコーラ等)
これらの少ない例だけでも考えてみますと、やはり
食べ物や水分などの成分はやはり金属に触れると何かしらの影響をうけて
体に良くない成分に変わってしまったり、素材の美味しさが損なわれるのだと思います。
というのもあり金属鍋で調理するのと土鍋では味の違いが出るのだろうなあ、ということを
是非皆さんにもその事実を知っていただきたい思って今回の記事を書きました。
イタリア デ・シルバ社製 YE15cmソースウォーマー 黄 直火対応チーズフォンデュ鍋アヒージョ皿バーニャカウダ皿 陶器磁器の耐熱食器 おしゃれな業務用洋食器 お皿中皿深皿 |
ちなみに、最近は普段の調理でも普通に使うことが多くなり、
上記に書いた用途以外にも、普通の鍋のように色々愛用しています。
特に日本風の鍋料理する時にも大活躍ですよ。
(実をいうと前々から鍋がしたくて日本の土鍋を持って帰りたいと思っていたのですが
何せ重いので何年も後回しにしていましたがこちらで簡単に手に入る現地の鍋のコッチョで十分であるという事もわかり、わざわざ重い思いをして日本から持ってこなくてよかったと思っています。)
日本で手軽に手に入る土鍋で
代用は十分可能であると思いますので、日本在住の方々も是非、金属鍋でない調理を
試してみて、味や料理の出来栄えの違いをお楽しみください。
また他の海外在住の皆さまも恐らく現地で手に入る土鍋のようなものがあると思うので、
是非そちらで試してみてくださいネ。 (^o^)/
それではまた!
本日も最後まで読んで下さり、ありがとうございます。
フィレンツェの天翔船より
2019年08月05日
高千穂峡と湯布院金鱗湖の景色〜そしてあなたの町にも宝がいっぱいある
暑さや日常の忙しさにかまけてあっという間に8月になってしまいましたが皆様お元気にお過ごしでいらっしゃいますか?夏バテなどにならないよう体調には十分お気をつけて下さい!
さて、私の住むイタリアという国は国全体が紀元前以前にも遡る豊かな歴史や美しい自然と美味しい料理という人を引き付ける観光要素が至る所にあり、毎年多くの外国人がイタリアを訪れます。
そんなイタリアの中央に位置するフィレンツェに住む私ですが、フィレンツェは特にイタリアの中でも国内はもちろんの事、外国からの観光客を惹きつけてやまない観光要素が集中している場所と言えます。
フィレンツェ以外にもフィレンツェ郊外や近郊の小さな町や村のどこに行ってもまた、お隣の県にいっても壮大な歴史を誇る街並みやそれらを囲む豊かな自然が、どこにいっても無数にあるので、イタリアは知れば知るほど凄い!という言葉がいつもでてきてしまいます。
有名な場所でなくとも本来ならもっと有名になっても不思議ではないとおもえる遺跡や歴史的建造物がとにかく沢山あり、私のブログでは(フィレンツェを中心とする中央イタリアの観光がほとんどですが)主にそういったものを中心に紹介させていただいていますのでもしご興味のある方は過去記事からご覧くださいね。
(^_-)-☆
宮崎県 高千穂峡
さて、今日はイタリアを自慢したくて こんな話題をふったのではなく、
豊かな観光要素が沢山のイタリアを見慣れたと自負する私から
日本にいる皆さんへお伝えたしたいことがあります。
(とはいえ、まだまだ見たことがないイタリアは沢山ありますが・・・)
それは日本も大変素晴らしいところ(美しい自然や歴史的建造物などの
観光要素)や自慢できるところが沢山あるという事、
例えば、日本人の気質や性質のおかげで成り立っている社会状況、
全体的に中流階級の生活レベルや教育水準も高く
(当然例外もありますが) 全体的に安全で清潔で安心して過ごせる国で
あること、また日本社会全体的に普段から便利・効率性を追求されている
おかげか外国ではまず体験する事が出来ない快適な生活が普通の人間も
おくれること 等
日本に住んでいると当たり前の事でも、
外国から見れば驚異・または賞賛すべきことが多々あります。
少しづつ海外観光客の人数も増え、オリンピック開催が決まったころからは特に国を挙げて外国人観光客を意識している政策やメディアでの報道が目立つようになっているのもあり、外国人から日本が高く評価されている事実は広く認識され始めているようなので今更私が言うまでもありませんが、上に述べたように
日本もイタリアに負けない位、世界の人々を引きつける魅力的な国だと
いう事を自信をもってお伝えしたいと思った次第です。
観光面についてはイタリア同様、日本国内も日本の一部しか回れていませんが、北は北海道から南は九州の鹿児島へ、各地で様々な自然や歴史を見て思った結果、
日本は観光大国イタリアにも引けを取らない美しい国でありまた料理も多種多様で、とにかく自慢できることが沢山あるのだな、ということを認識できるようになりました。(但し、目に見える歴史的建造物などの数や質などに於いてはイタリアが圧倒的に優勢です)
ちなみに、本記事の画像は日本国内でも有名な観光地、九州宮の宮崎にある高千穂峡と大分県の湯布院にある金鱗湖になります。他にも色々まわりましたが九州は古い歴史と雄大な自然が残る、また山海の幸も豊富で旅行に行く度に大好きになります。
ネットが普及してからは世界中で書かれているブログ等のおかげで色んな国の生活状況や世界各地の広大な自然や歴史の跡を文章や画像・動画などを通して垣間見る事が出来るようになりましたがそれらを見ていると、どこの国でもその国独自の豊かさや偉大な歴史があるのだなと実感し、結果、とどのつまりは、日本やイタリアだけでなく世界各国で他の国にはない素晴らしさがあるのだということに気付かされます。
それらの多くはただ単に、まだ有名ではなく大多数の他者から評価を得ていないものもあり
でも、実際は知名度の高い有名な遺跡や観光地よりももっと価値のある可能性も十分考えられます。
是非みなさんも自分の生活環境を第三者の目で観察してみてください。
新しい発見があると思いますよ!
金鱗湖 湯布院
最後に〜
本記事のタイトルにもありますように「あなたの町にも宝がいっぱいある」ということを日本に住んでいる皆さん、そして世界中に住んでいる方々に自覚していただけたら、と思い書きつづりました。
何でもないように思えても誇れる何かが必ずある、ということを目で見て実感して頂きたく、そして、それらをきちんと評価し、守ってい行けるように各自が努力していけるようになるといいなと思っています。
たとえ、自分の住んでいる地域によくある何でもないようなものでも、例えばただの平和な田舎風景などは現代の殺伐とした都会の生活と比べたら遥かに豊かな生活環境だということを人間一人一人が認識していけば余計な環境破壊や、若者の都会への流入による地方の過疎化や都会などの一部の土地の高沸を防ぐ結果につながるかもしれません。
人が沢山集まる有名な観光地や都会などでは、その大概が既に一部の人間が楽して儲けられるシステムが構築されていることがほとんどでそのため、物価や人口密度も高くなり、しかも大金を払わないとせせこましい状況が強いられるという傾向にあります。
限られた人間だけが豊かな生活を送れる社会を作り上げる構造を作り上げられる前に人間一人一人が自分自身やそれらを取り巻く環境をきちんと評価できる目を持てるようになったら現代社会によくみられる一方的な詐欺まがいな搾取なども自然に消滅していくかもしれない、と私はそう思っています。
それではまた!
フィレンツェの天翔船より
さて、私の住むイタリアという国は国全体が紀元前以前にも遡る豊かな歴史や美しい自然と美味しい料理という人を引き付ける観光要素が至る所にあり、毎年多くの外国人がイタリアを訪れます。
そんなイタリアの中央に位置するフィレンツェに住む私ですが、フィレンツェは特にイタリアの中でも国内はもちろんの事、外国からの観光客を惹きつけてやまない観光要素が集中している場所と言えます。
フィレンツェ以外にもフィレンツェ郊外や近郊の小さな町や村のどこに行ってもまた、お隣の県にいっても壮大な歴史を誇る街並みやそれらを囲む豊かな自然が、どこにいっても無数にあるので、イタリアは知れば知るほど凄い!という言葉がいつもでてきてしまいます。
有名な場所でなくとも本来ならもっと有名になっても不思議ではないとおもえる遺跡や歴史的建造物がとにかく沢山あり、私のブログでは(フィレンツェを中心とする中央イタリアの観光がほとんどですが)主にそういったものを中心に紹介させていただいていますのでもしご興味のある方は過去記事からご覧くださいね。
(^_-)-☆
宮崎県 高千穂峡
さて、今日はイタリアを自慢したくて こんな話題をふったのではなく、
豊かな観光要素が沢山のイタリアを見慣れたと自負する私から
日本にいる皆さんへお伝えたしたいことがあります。
(とはいえ、まだまだ見たことがないイタリアは沢山ありますが・・・)
それは日本も大変素晴らしいところ(美しい自然や歴史的建造物などの
観光要素)や自慢できるところが沢山あるという事、
例えば、日本人の気質や性質のおかげで成り立っている社会状況、
全体的に中流階級の生活レベルや教育水準も高く
(当然例外もありますが) 全体的に安全で清潔で安心して過ごせる国で
あること、また日本社会全体的に普段から便利・効率性を追求されている
おかげか外国ではまず体験する事が出来ない快適な生活が普通の人間も
おくれること 等
日本に住んでいると当たり前の事でも、
外国から見れば驚異・または賞賛すべきことが多々あります。
少しづつ海外観光客の人数も増え、オリンピック開催が決まったころからは特に国を挙げて外国人観光客を意識している政策やメディアでの報道が目立つようになっているのもあり、外国人から日本が高く評価されている事実は広く認識され始めているようなので今更私が言うまでもありませんが、上に述べたように
日本もイタリアに負けない位、世界の人々を引きつける魅力的な国だと
いう事を自信をもってお伝えしたいと思った次第です。
観光面についてはイタリア同様、日本国内も日本の一部しか回れていませんが、北は北海道から南は九州の鹿児島へ、各地で様々な自然や歴史を見て思った結果、
日本は観光大国イタリアにも引けを取らない美しい国でありまた料理も多種多様で、とにかく自慢できることが沢山あるのだな、ということを認識できるようになりました。(但し、目に見える歴史的建造物などの数や質などに於いてはイタリアが圧倒的に優勢です)
ちなみに、本記事の画像は日本国内でも有名な観光地、九州宮の宮崎にある高千穂峡と大分県の湯布院にある金鱗湖になります。他にも色々まわりましたが九州は古い歴史と雄大な自然が残る、また山海の幸も豊富で旅行に行く度に大好きになります。
ネットが普及してからは世界中で書かれているブログ等のおかげで色んな国の生活状況や世界各地の広大な自然や歴史の跡を文章や画像・動画などを通して垣間見る事が出来るようになりましたがそれらを見ていると、どこの国でもその国独自の豊かさや偉大な歴史があるのだなと実感し、結果、とどのつまりは、日本やイタリアだけでなく世界各国で他の国にはない素晴らしさがあるのだということに気付かされます。
それらの多くはただ単に、まだ有名ではなく大多数の他者から評価を得ていないものもあり
でも、実際は知名度の高い有名な遺跡や観光地よりももっと価値のある可能性も十分考えられます。
是非みなさんも自分の生活環境を第三者の目で観察してみてください。
新しい発見があると思いますよ!
金鱗湖 湯布院
最後に〜
本記事のタイトルにもありますように「あなたの町にも宝がいっぱいある」ということを日本に住んでいる皆さん、そして世界中に住んでいる方々に自覚していただけたら、と思い書きつづりました。
何でもないように思えても誇れる何かが必ずある、ということを目で見て実感して頂きたく、そして、それらをきちんと評価し、守ってい行けるように各自が努力していけるようになるといいなと思っています。
たとえ、自分の住んでいる地域によくある何でもないようなものでも、例えばただの平和な田舎風景などは現代の殺伐とした都会の生活と比べたら遥かに豊かな生活環境だということを人間一人一人が認識していけば余計な環境破壊や、若者の都会への流入による地方の過疎化や都会などの一部の土地の高沸を防ぐ結果につながるかもしれません。
人が沢山集まる有名な観光地や都会などでは、その大概が既に一部の人間が楽して儲けられるシステムが構築されていることがほとんどでそのため、物価や人口密度も高くなり、しかも大金を払わないとせせこましい状況が強いられるという傾向にあります。
限られた人間だけが豊かな生活を送れる社会を作り上げる構造を作り上げられる前に人間一人一人が自分自身やそれらを取り巻く環境をきちんと評価できる目を持てるようになったら現代社会によくみられる一方的な詐欺まがいな搾取なども自然に消滅していくかもしれない、と私はそう思っています。
それではまた!
フィレンツェの天翔船より
2019年07月21日
Aミケランジェロ広場付近からの眺め〜ジュゼッペ・ポッジの傾斜路【フィレンツェ観光】
今日はミケランジェロ広場付近からの眺め 2回目です。
前回の@ミケランジェロ広場付近からの眺め はこちらからどうぞ!
さて、前回紹介したサンニッコロの門(塔)はジュゼッペ・ポッジ広場
(ピアッツァ ジュゼッペ ポッジ Piazza Giuseppe Poggi )という広場にあります。
その広場の名になっている人物のジュゼッペ・ポッジは19世紀に主にトスカーナで活躍した
建築家・エンジニアで、近代にフィレンツェの都市整備に大きく貢献した人物です。
主な功績はミケランジェロ広場、そしてフィレンツェがイタリアの首都になった1865年に
街に興った都市拡張計画の際には、当時フィレンツェを囲んでいた城壁を取り壊して
それまで街に無かった大きな環状道路を作ったことなどがとりあげられます。
余談ですが、フィレンツェが一時イタリアの都市だったのを皆さんはご存知ですか?
とはいえ、イタリアの首都になった時期は1865-1871年というたったの6年で、
その後首都はローマに移ってしまいました。
ジュゼッペ ポッジ 肖像
Giuseppe Poggi (1811-1901年)
*画像はWIKI Giuseppe Poggi (伊語)から拝借しました。
さて、前置きが長くなりましたが本日の話題は、そんな彼が作ったミケラ
ンジェロ広場からすぐ近くにある彼の名を頂いたジュゼッペ・ポッジ広場、
その両方をつなぐ
レ・ランぺ・デル・ジュゼッペ・ポッジ Le Rampe del Giuseppe Poggiと呼ばれる
水が流れる傾斜路についてです。
ミケランジェロ広場は高台にあり、そこから下方へ坂道をおりると
サンニッコロの門があるジュゼッペ・ポッジ広場にたどり着くのですが
いわゆる”噴水とか流れる滝のような数種類の水の流れる雰囲気の良い傾斜路”
が丘の上から下にかけて数段あります。
これらの傾斜路のも19世紀後半にポッジ氏より実現されたものなのです。
あれから1世紀以上の年月が過ぎ、近年では噴水などのランぺの一部のみが
動いていた位だったと記憶していたのですが( *個人の意見です m(__)m)
少し前からCRF(Cassa di risparmio Firenze)という銀行の資金援助と
フィレンツェ市監修の元225日間をかけてレ・ランぺ・デル・ポッジの修復
工事が行われ、一世紀前の姿を再び再現する事に成功し2019年6月1日
には修復を終え盛大なお祝いイベントが開催されました。
Le rampe del Giuseppe Poggi (1872-1876)
ジュゼッペ ポッジの傾斜路 中段部分(修復前)
画像はレ・ランぺの一部、水の部分に緑の藻があり水が動いていない修復以前の様子です。
レ・ランぺの歴史や修復、イベントについてはスポンサーとなったこちらのCRFのサイトで
貴重な画像や動画で その「歴史」「修復の様子」
「修復完成のお祝いイベントの模様」などが
分かりやすく紹介されています。是非ご覧ください!
(左上に英語の選択肢あり)
私自身もまだ修復後は見ていないので近いうちに傾斜路に訪れ、
出来ればサンニッコロの塔にも登ってみようかと思います。
さて、ミケランジェロ広場付近については今回で終わりになりますが
いかがでしたか?
フィレンツェの観光スポットはキリがないほど色々とありますね。
それではまた!
フィレンツェの天翔船より
前回の@ミケランジェロ広場付近からの眺め はこちらからどうぞ!
さて、前回紹介したサンニッコロの門(塔)はジュゼッペ・ポッジ広場
(ピアッツァ ジュゼッペ ポッジ Piazza Giuseppe Poggi )という広場にあります。
その広場の名になっている人物のジュゼッペ・ポッジは19世紀に主にトスカーナで活躍した
建築家・エンジニアで、近代にフィレンツェの都市整備に大きく貢献した人物です。
主な功績はミケランジェロ広場、そしてフィレンツェがイタリアの首都になった1865年に
街に興った都市拡張計画の際には、当時フィレンツェを囲んでいた城壁を取り壊して
それまで街に無かった大きな環状道路を作ったことなどがとりあげられます。
余談ですが、フィレンツェが一時イタリアの都市だったのを皆さんはご存知ですか?
とはいえ、イタリアの首都になった時期は1865-1871年というたったの6年で、
その後首都はローマに移ってしまいました。
ジュゼッペ ポッジ 肖像
Giuseppe Poggi (1811-1901年)
*画像はWIKI Giuseppe Poggi (伊語)から拝借しました。
さて、前置きが長くなりましたが本日の話題は、そんな彼が作ったミケラ
ンジェロ広場からすぐ近くにある彼の名を頂いたジュゼッペ・ポッジ広場、
その両方をつなぐ
レ・ランぺ・デル・ジュゼッペ・ポッジ Le Rampe del Giuseppe Poggiと呼ばれる
水が流れる傾斜路についてです。
ミケランジェロ広場は高台にあり、そこから下方へ坂道をおりると
サンニッコロの門があるジュゼッペ・ポッジ広場にたどり着くのですが
いわゆる”噴水とか流れる滝のような数種類の水の流れる雰囲気の良い傾斜路”
が丘の上から下にかけて数段あります。
これらの傾斜路のも19世紀後半にポッジ氏より実現されたものなのです。
あれから1世紀以上の年月が過ぎ、近年では噴水などのランぺの一部のみが
動いていた位だったと記憶していたのですが( *個人の意見です m(__)m)
少し前からCRF(Cassa di risparmio Firenze)という銀行の資金援助と
フィレンツェ市監修の元225日間をかけてレ・ランぺ・デル・ポッジの修復
工事が行われ、一世紀前の姿を再び再現する事に成功し2019年6月1日
には修復を終え盛大なお祝いイベントが開催されました。
Le rampe del Giuseppe Poggi (1872-1876)
ジュゼッペ ポッジの傾斜路 中段部分(修復前)
画像はレ・ランぺの一部、水の部分に緑の藻があり水が動いていない修復以前の様子です。
レ・ランぺの歴史や修復、イベントについてはスポンサーとなったこちらのCRFのサイトで
貴重な画像や動画で その「歴史」「修復の様子」
「修復完成のお祝いイベントの模様」などが
分かりやすく紹介されています。是非ご覧ください!
(左上に英語の選択肢あり)
私自身もまだ修復後は見ていないので近いうちに傾斜路に訪れ、
出来ればサンニッコロの塔にも登ってみようかと思います。
さて、ミケランジェロ広場付近については今回で終わりになりますが
いかがでしたか?
フィレンツェの観光スポットはキリがないほど色々とありますね。
それではまた!
フィレンツェの天翔船より
2019年07月12日
@ミケランジェロ広場付近からの眺め【フィレンツェ観光】
みなさん、こんにちは!今日も前回に引き続き、観光ネタになりますので、
どうかお付き合いください。(^_-)-☆
さて、フィレンツェの有名な観光場所の一つでミケランジェロ広場という
大きな広場があります。ミケランジェロ広場にはミケランジェロの作った
ダヴィデ像のレプリカ
(*本物はフィレンツェのアカデミア美術館に展示されていて、迫力と力強さがありレプリカとは全く違う雰囲気があります。是非皆様にもアカデミア美術館のも見ていただきたいです。)
その他にもフィレンツェを高台から一望できる場所が3方向に広がってあり、
大変眺めの良い観光スポットとして外国人やイタリア各地からのツーリストを
はじめ地元の恋人・若者・家族連れ等が訪れる人気スポットとなっています。
本日は主にそのミケランジェロ広場付近を中心とした高台から眺める事の
できるフィレンツェの街並風景をご紹介させていただきます。
まず最初はこちら。
右: アルノ川にかかるポンテ・ベッキオ
左: 昔、市を囲んでいた城壁跡
おなじみのアルノ川にかかるポンテ・ベッキオ(ヴェッキオ橋)がみえます。
ポンテベッキオにはベッキオ宮殿から直接ウフィッツィ美術館を通り橋の上
にかかるバザーリ(ヴァザーリ)の回廊が見えます。
回廊はそのさらに先のピッティ宮殿までつながる長い回廊で
メディチ家のコジモ一世(Cosimo I de' Medici 1519−1574年)が
ジョルジオ・ヴァザーリ(Giorgio Vasari 1511−1574年)に命じ
作らせました。
サンタクローチェ教会
2番目はアルノ川をはさんで見えるのがサンタクローチェ教会を見渡せる景色。
教会内にはフィレンツェが誇る数々の芸術作品の他、
ミケランジェロ、ガリレオ・ガリレイや詩人のダンテ、マキャベッリ等、
他にもフィレンツェにゆかりある歴史に残る人々、偉人らの墓、
またはモニュメントがありそこには多くの観光客が訪れます。
サンニッコロ門
最後はその昔フィレンツェを囲んでいた城壁の一部だったサンニッコロの門
方面、画像の奥の方は中心街から少し外れた住宅街へと変わっていきます。
中央にみえる建物は Torre di san Niccolo トッレ・ディ・サン・ニッコロ、
直訳で サンニッコロの塔になりますが、
上記に書いてあるように街を囲んでいた昔の城壁の一部で、
フィレンツェ市に入るための門の一つでした。
ちなみにサン・ニッコロ門以外にも今でもフィレンツェには
城壁跡の門がそこかしこに残っております。
Torre di san Niccolo
ミケランジェロ広場からやや急なくねくねとした坂道を降りていくと
サンニッコロの門にたどり着きます。
中世の塔でまるで当たり前のように立っていると、なんとなく見くびって
いましたが改めて見ると大変すっきりしていてかっこいい塔だということ
に気が付きました。
脇側から見たサン・ニコッロの門
わきの外側に作られた階段が印象的で、傍にある植木の花が丁度咲き誇り
やさしく優雅な雰囲気も少しだけあります。
これは全くの余談になりますが、この垣根のおかげで人目を避ける事が
出来るのか実はこの階段下にある窪みの垣根の裏には人が寝ている様でした。
(*一番上の画像から段ボールらしきものと人影の様な物が少し見えます。)
高台から見おろすサンニッコロの塔
それではまた!Aへ続きます。
フィレンツェの天翔船より
どうかお付き合いください。(^_-)-☆
さて、フィレンツェの有名な観光場所の一つでミケランジェロ広場という
大きな広場があります。ミケランジェロ広場にはミケランジェロの作った
ダヴィデ像のレプリカ
(*本物はフィレンツェのアカデミア美術館に展示されていて、迫力と力強さがありレプリカとは全く違う雰囲気があります。是非皆様にもアカデミア美術館のも見ていただきたいです。)
その他にもフィレンツェを高台から一望できる場所が3方向に広がってあり、
大変眺めの良い観光スポットとして外国人やイタリア各地からのツーリストを
はじめ地元の恋人・若者・家族連れ等が訪れる人気スポットとなっています。
本日は主にそのミケランジェロ広場付近を中心とした高台から眺める事の
できるフィレンツェの街並風景をご紹介させていただきます。
まず最初はこちら。
右: アルノ川にかかるポンテ・ベッキオ
左: 昔、市を囲んでいた城壁跡
おなじみのアルノ川にかかるポンテ・ベッキオ(ヴェッキオ橋)がみえます。
ポンテベッキオにはベッキオ宮殿から直接ウフィッツィ美術館を通り橋の上
にかかるバザーリ(ヴァザーリ)の回廊が見えます。
回廊はそのさらに先のピッティ宮殿までつながる長い回廊で
メディチ家のコジモ一世(Cosimo I de' Medici 1519−1574年)が
ジョルジオ・ヴァザーリ(Giorgio Vasari 1511−1574年)に命じ
作らせました。
サンタクローチェ教会
2番目はアルノ川をはさんで見えるのがサンタクローチェ教会を見渡せる景色。
教会内にはフィレンツェが誇る数々の芸術作品の他、
ミケランジェロ、ガリレオ・ガリレイや詩人のダンテ、マキャベッリ等、
他にもフィレンツェにゆかりある歴史に残る人々、偉人らの墓、
またはモニュメントがありそこには多くの観光客が訪れます。
サンニッコロ門
最後はその昔フィレンツェを囲んでいた城壁の一部だったサンニッコロの門
方面、画像の奥の方は中心街から少し外れた住宅街へと変わっていきます。
中央にみえる建物は Torre di san Niccolo トッレ・ディ・サン・ニッコロ、
直訳で サンニッコロの塔になりますが、
上記に書いてあるように街を囲んでいた昔の城壁の一部で、
フィレンツェ市に入るための門の一つでした。
ちなみにサン・ニッコロ門以外にも今でもフィレンツェには
城壁跡の門がそこかしこに残っております。
Torre di san Niccolo
ミケランジェロ広場からやや急なくねくねとした坂道を降りていくと
サンニッコロの門にたどり着きます。
中世の塔でまるで当たり前のように立っていると、なんとなく見くびって
いましたが改めて見ると大変すっきりしていてかっこいい塔だということ
に気が付きました。
脇側から見たサン・ニコッロの門
わきの外側に作られた階段が印象的で、傍にある植木の花が丁度咲き誇り
やさしく優雅な雰囲気も少しだけあります。
これは全くの余談になりますが、この垣根のおかげで人目を避ける事が
出来るのか実はこの階段下にある窪みの垣根の裏には人が寝ている様でした。
(*一番上の画像から段ボールらしきものと人影の様な物が少し見えます。)
高台から見おろすサンニッコロの塔
それではまた!Aへ続きます。
フィレンツェの天翔船より
2019年07月08日
フィレンツェの藤の花 【バルディーニ庭園−GiardinoBardini】
大変ご無沙汰しておりましたが、皆様はお変わりありませんか?
フィレンツェは暑い日が続いていて厳しいですが、皆様はいかがお過ごしでしょうか?
さて今日は、フィレンツェが誇るバルディーニ庭園 (ジャルディーノ バルディーニ)の
藤の花をご紹介します。
*バルディーニ庭園の藤の花は5月頃が見ごろ、リアルタイムではありません。 m(_ _)m
藤の花から垣間見えるフィレンツェのドゥオーモ
まずは藤の花から垣間見えるフィレンツェのドゥオーモの風景から。
写真を見てお分かりになるようにそう、ここバルディーニ庭園は
高台にある為、フィレンツェの町全体の景色を眺める事が出来るのです。
庭園の出入り口は、高いところからと低いところに複数あり
それぞれの好みや必要により選ばれると良いかもしれません。
咲き誇る藤の花
私は低い位置にある場所から入ったので、下から上に向かって
ゼイゼイ言いながら藤の花が咲き乱れる斜面までたどり着き、
藤紫のアーチをくぐりながら藤の花を愛で香りを楽しみ、
庭園の高台にある景色を眺めた後は
近くの椅子に座って休憩できる庭園内のカフェで一息つきました。
庭園内のカフェはセルフサービスの割には若干料金はお高めですが
景色がとても良く、そこで椅子に座って休憩できるのはその価値ありです。
ちなみに藤の花が満開の時期はフィレンツェ人をはじめ、他外国人観光客も多く訪れます。
ここ何年も前から、見事な藤の花が咲く庭園の様子を
ブログやSNS等の色んな所で沢山の人から紹介されているせいか
イタリア国内や外国でも知名度がかなり上がってきているようです。
もしフィレンツェに藤の花が咲くころにご旅行される予定のある方は
是非こちらの庭園に立ち寄ってみるのはいかがでしょうか。(^^)/
庭園から見たドゥオーモ
バルディーニ庭園についてのインフォ(*参考までにご覧ください)
バルディーニ庭園 Giardino Bardini
出入口はCota san Giorgio 2, Via dei Bardi 1rosso, 他複数あり
開園時間は8時15分から閉園は季節により16時半から19時半と変化あり
詳しくはこちらのHPからご確認ください。
庭園内にはバルディーニ邸があり、邸内には小さな美術館もあります。
また、バルディーニ庭園を出て少し行ったところにはフィレンツェ市立の
ムゼオ・ステファノ・バルディーニというまた別の博物館(美術館)があります。
それではまた!
フィレンツェの天翔船より
フィレンツェは暑い日が続いていて厳しいですが、皆様はいかがお過ごしでしょうか?
さて今日は、フィレンツェが誇るバルディーニ庭園 (ジャルディーノ バルディーニ)の
藤の花をご紹介します。
*バルディーニ庭園の藤の花は5月頃が見ごろ、リアルタイムではありません。 m(_ _)m
藤の花から垣間見えるフィレンツェのドゥオーモ
まずは藤の花から垣間見えるフィレンツェのドゥオーモの風景から。
写真を見てお分かりになるようにそう、ここバルディーニ庭園は
高台にある為、フィレンツェの町全体の景色を眺める事が出来るのです。
庭園の出入り口は、高いところからと低いところに複数あり
それぞれの好みや必要により選ばれると良いかもしれません。
咲き誇る藤の花
私は低い位置にある場所から入ったので、下から上に向かって
ゼイゼイ言いながら藤の花が咲き乱れる斜面までたどり着き、
藤紫のアーチをくぐりながら藤の花を愛で香りを楽しみ、
庭園の高台にある景色を眺めた後は
近くの椅子に座って休憩できる庭園内のカフェで一息つきました。
庭園内のカフェはセルフサービスの割には若干料金はお高めですが
景色がとても良く、そこで椅子に座って休憩できるのはその価値ありです。
ちなみに藤の花が満開の時期はフィレンツェ人をはじめ、他外国人観光客も多く訪れます。
ここ何年も前から、見事な藤の花が咲く庭園の様子を
ブログやSNS等の色んな所で沢山の人から紹介されているせいか
イタリア国内や外国でも知名度がかなり上がってきているようです。
もしフィレンツェに藤の花が咲くころにご旅行される予定のある方は
是非こちらの庭園に立ち寄ってみるのはいかがでしょうか。(^^)/
庭園から見たドゥオーモ
バルディーニ庭園についてのインフォ(*参考までにご覧ください)
バルディーニ庭園 Giardino Bardini
出入口はCota san Giorgio 2, Via dei Bardi 1rosso, 他複数あり
開園時間は8時15分から閉園は季節により16時半から19時半と変化あり
詳しくはこちらのHPからご確認ください。
庭園内にはバルディーニ邸があり、邸内には小さな美術館もあります。
また、バルディーニ庭園を出て少し行ったところにはフィレンツェ市立の
ムゼオ・ステファノ・バルディーニというまた別の博物館(美術館)があります。
それではまた!
フィレンツェの天翔船より
2019年04月20日
レオナルド・ダヴィンチの師匠であるヴェッロッキオ展(イタリア・フィレンツェ)
みなさん、こんにちは。今日は久しぶりに美術のお話をさせて頂きます。
先日イタリア・フィレツェのストロッツィ宮殿美術館で期間限定で
開催されている
「ヴェロッキオ イル マエストロ ディ レオナルド」
(レオナルドの師匠ヴェロッキオ展)
Verrocchio il maestro di Leonaldo
に行ってきました。
Verrocchio il maestro di Leonaldo
↑↑↑
展示会の公式サイトはこちら(イタリア語の他英語有)
*画像は上記の美術館の公式サイトから拝借させていただきました。
<(_ _)>
アンドレア ディ ミケーレ ディ フランチェスコ ディ チョーネ
(通称 ヴェッロッキオ)
Andrea di Michele di Francesco di Cione detto il Verrocchio
1435年フィレンツェ生まれ 1488年ヴェネツィア死去
ウィキはこちら
ヴェッロッキオ(*ヴェロッキオ、ベロッキオ等表記されることも有)は
ルネサンスのシンボルともいえる代表的な芸術家の一人で
絵画・彫刻などの芸術家として素晴らしい作品を残した以外にも
のちにレオナルド・ダ・ヴィンチ、ドメニコ・ギルランダイオ、
ピエトロ・ペルジーノらをはじめとする、彼の弟子達の多くが活躍し、
ベロッキオは「巨匠達を育てた偉大なマエストロ」として
世界に広く知られています。
今回の展示会ではヴェロッキオと弟子たちと、
ヴェロッキオに影響を与えた有名アーティストや協力者ら、
(フィリッポ・リッピやその弟子のサンドロ・ボッティチェッリ等)の、
世界中に点在する作品が一か所に集められ、
それらを一気に見学することが出来るというというもので
非常に貴重な展示会です。
フィレンツェの美術館他パリやロンドン等の海外から
彼らの作品が集められ比較しながら見学できるという
この素晴らしい企画は一生に一度お目にかかることが出来るか、
無いかの凄いチャンスなので
もし2019年7月14日までにフィレンツェに訪れる予定のある方は
是非ストロッツィ宮殿博物館で開かれている
ヴェロッキオ展にも足を運んでみてはいかがでしょうか?(^_-)-☆
そしてこの貴重な展示会は、その後ワシントンDCの
ナショナル・ギャラリー・オブ・アート National Gallery of Art に
場所を移転され2019年9月29日から2020年の2月2日迄
公開される予定だそうです。
もし万が一そちらに行くことがありましたら、是非とも訪れてみてください。
それではまた!!
フィレンツェの天翔船より
*以下は簡単なインフォを記述しておきますが、
その都度公式サイトで変更がないか確認することをお勧めします*
ストロッツィ宮殿博物館
Museo di palazzo Strozzi
(Piazza Strozzi ,50123 Firenze)
公式サイト
この展示会の入場料は13ユーロ
7月14日までの期間中の展示会の時刻表は以下になります
土日祝日含む全曜日 10時から20時
木曜日のみ 10時から23時まで
先日イタリア・フィレツェのストロッツィ宮殿美術館で期間限定で
開催されている
「ヴェロッキオ イル マエストロ ディ レオナルド」
(レオナルドの師匠ヴェロッキオ展)
Verrocchio il maestro di Leonaldo
に行ってきました。
Verrocchio il maestro di Leonaldo
↑↑↑
展示会の公式サイトはこちら(イタリア語の他英語有)
*画像は上記の美術館の公式サイトから拝借させていただきました。
<(_ _)>
アンドレア ディ ミケーレ ディ フランチェスコ ディ チョーネ
(通称 ヴェッロッキオ)
Andrea di Michele di Francesco di Cione detto il Verrocchio
1435年フィレンツェ生まれ 1488年ヴェネツィア死去
ウィキはこちら
ヴェッロッキオ(*ヴェロッキオ、ベロッキオ等表記されることも有)は
ルネサンスのシンボルともいえる代表的な芸術家の一人で
絵画・彫刻などの芸術家として素晴らしい作品を残した以外にも
のちにレオナルド・ダ・ヴィンチ、ドメニコ・ギルランダイオ、
ピエトロ・ペルジーノらをはじめとする、彼の弟子達の多くが活躍し、
ベロッキオは「巨匠達を育てた偉大なマエストロ」として
世界に広く知られています。
今回の展示会ではヴェロッキオと弟子たちと、
ヴェロッキオに影響を与えた有名アーティストや協力者ら、
(フィリッポ・リッピやその弟子のサンドロ・ボッティチェッリ等)の、
世界中に点在する作品が一か所に集められ、
それらを一気に見学することが出来るというというもので
非常に貴重な展示会です。
フィレンツェの美術館他パリやロンドン等の海外から
彼らの作品が集められ比較しながら見学できるという
この素晴らしい企画は一生に一度お目にかかることが出来るか、
無いかの凄いチャンスなので
もし2019年7月14日までにフィレンツェに訪れる予定のある方は
是非ストロッツィ宮殿博物館で開かれている
ヴェロッキオ展にも足を運んでみてはいかがでしょうか?(^_-)-☆
そしてこの貴重な展示会は、その後ワシントンDCの
ナショナル・ギャラリー・オブ・アート National Gallery of Art に
場所を移転され2019年9月29日から2020年の2月2日迄
公開される予定だそうです。
もし万が一そちらに行くことがありましたら、是非とも訪れてみてください。
|
それではまた!!
フィレンツェの天翔船より
*以下は簡単なインフォを記述しておきますが、
その都度公式サイトで変更がないか確認することをお勧めします*
ストロッツィ宮殿博物館
Museo di palazzo Strozzi
(Piazza Strozzi ,50123 Firenze)
公式サイト
この展示会の入場料は13ユーロ
7月14日までの期間中の展示会の時刻表は以下になります
土日祝日含む全曜日 10時から20時
木曜日のみ 10時から23時まで
2019年01月01日
あけましておめでとうございます。
新年あけましておめでとうございます。
今年もみなさまにとって素晴らしい年となりますようお祈りしております。
それでは本年もフィレンツェの天翔船ブログをよろしくお願いします。
謹賀新年
2019年1月1日 フィレンツェの天翔船より
画像はフィレンツェ近郊の少し標高の高い場所からの集落の風景
うっすらと雪の積もった山の景色はほんのりした寂しさと静けさがあり
独特の雰囲気を醸し出しています
とっても寒そうに見えますが、とはいえ実際の建物の中は
暖炉がともりとても暖かいのが常です
特にこういった田舎では今でも昔ながらの木をくべて火をともし
煙突から煙がでるタイプの暖炉が多く使われています
ちなみに下は家ではなく物置か何か(元馬小屋など)です
以下は西洋風の伝統的な暖炉を模して造られた近代的な暖房で
こういうものが今日本では手に入るんですね。
びっくりしましたΣ(・ω・ノ)ノ!
今年もみなさまにとって素晴らしい年となりますようお祈りしております。
それでは本年もフィレンツェの天翔船ブログをよろしくお願いします。
謹賀新年
2019年1月1日 フィレンツェの天翔船より
画像はフィレンツェ近郊の少し標高の高い場所からの集落の風景
うっすらと雪の積もった山の景色はほんのりした寂しさと静けさがあり
独特の雰囲気を醸し出しています
とっても寒そうに見えますが、とはいえ実際の建物の中は
暖炉がともりとても暖かいのが常です
特にこういった田舎では今でも昔ながらの木をくべて火をともし
煙突から煙がでるタイプの暖炉が多く使われています
ちなみに下は家ではなく物置か何か(元馬小屋など)です
以下は西洋風の伝統的な暖炉を模して造られた近代的な暖房で
こういうものが今日本では手に入るんですね。
びっくりしましたΣ(・ω・ノ)ノ!
2018年12月31日
2018年もありがとうございました。〜<平成最後の年を振り返って>
みなさま、今年もフィレンツェの天翔船ブログを読んで下さり
ありがとうございました。2018年もあとわずかで終わり、
いよいよ新しい年を迎えようという瞬間が迫っています。
特に日本では今年で平成という30年間続いた時代が幕を閉じ、
来年からは新天皇が即位*される新たな時代が始まりますね。
(*新天皇の御即位は2019年5月1日で、即位を公に宣言する「即位礼正殿の儀」
が行われるのは2019年10月22日だそうです。)
そう考えると、今年の年末は大きな時代の変換の時といえるでしょう。
2018年を振り返ってみると
ここ例年のように世界で物騒な事件や自然災害も多く、
決して明るい年ではなかったと思いますが
来年こそはいわゆる荒み切った現代の地球の姿から、
新たな地球の姿へ進化できるように少しづつ変化していけるといいいな、
という風に感じています。
今年の2018年のクリスマス前からクリスマスの祭日後にかけて、
中央イタリアの北部を旅行した際には、
昼間だというのに濃い霧が続く不思議な旅路で
「いわゆる現実世界」にいながら、
まるで自分は次元を移行しているのか?と思えるような心境で
何時間も移動を続けることがありました。
そういう事もあったので、
2017年は分岐点を通過し、
2018年には少しその先を進み、
そして2019年には次元への移行のような、
何か地球に大きな変化が現れるのかも?という気がします。
本日はその地球の大きな変化を楽しみに
平成の終わりの年、そして2018年の終わりを迎えたいと思います。
本年も本当にありがとうございました。
2018年12月31日 フィレンツェより愛をこめて
フィレンツェの天翔船より
ありがとうございました。2018年もあとわずかで終わり、
いよいよ新しい年を迎えようという瞬間が迫っています。
特に日本では今年で平成という30年間続いた時代が幕を閉じ、
来年からは新天皇が即位*される新たな時代が始まりますね。
(*新天皇の御即位は2019年5月1日で、即位を公に宣言する「即位礼正殿の儀」
が行われるのは2019年10月22日だそうです。)
そう考えると、今年の年末は大きな時代の変換の時といえるでしょう。
2018年を振り返ってみると
ここ例年のように世界で物騒な事件や自然災害も多く、
決して明るい年ではなかったと思いますが
来年こそはいわゆる荒み切った現代の地球の姿から、
新たな地球の姿へ進化できるように少しづつ変化していけるといいいな、
という風に感じています。
今年の2018年のクリスマス前からクリスマスの祭日後にかけて、
中央イタリアの北部を旅行した際には、
昼間だというのに濃い霧が続く不思議な旅路で
「いわゆる現実世界」にいながら、
まるで自分は次元を移行しているのか?と思えるような心境で
何時間も移動を続けることがありました。
そういう事もあったので、
2017年は分岐点を通過し、
2018年には少しその先を進み、
そして2019年には次元への移行のような、
何か地球に大きな変化が現れるのかも?という気がします。
本日はその地球の大きな変化を楽しみに
平成の終わりの年、そして2018年の終わりを迎えたいと思います。
本年も本当にありがとうございました。
2018年12月31日 フィレンツェより愛をこめて
フィレンツェの天翔船より