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2024年09月16日

三浦綾子の「道ありき」でうつ病を考える−病跡学へのアプローチ8

分析例

1 聖書を読んで釈迦を思い虚無の生活から転機が訪れる場面。
2 この小論では、「道ありき」執筆時の三浦綾子の脳の活動を「虚無とうつ」と考えているため、意味3の思考の流れ、虚無のありなしに注目する。
3 意味1の喜怒哀楽のうち喜楽は、聖書を渡した前川正との愛情につながる。
4 意味1 @喜A怒B哀C楽、意味2 @視覚A聴覚B味覚C嗅覚D触覚、意味3 @虚無ありAなし、意味4振舞い @直示A隠喩B記事なし
5 疾病脳(虚無でうつ) @あるAなし、健常脳(うつから回復) @あるAなし

テキスト共生の公式

ステップ1:意味1、2、3、4を合わせて解析の組「虚無と愛情」を作る。
ステップ2:うつ病の精神症状から「虚無とうつ」という組を作り、解析の組と合わせる。

A:B哀+@視覚+@虚無あり+@直示という解析の組を、うつ病の精神症状からなる虚無でうつあり+うつから回復なしという組と合わせる。
B:B哀+@視覚+@虚無あり+@直示という解析の組を、うつ病の精神症状からなる虚無でうつあり+うつから回復なしという組と合わせる。
C:@喜+@視覚+A虚無なし+A隠喩という解析の組を、うつ病の精神症状からなる虚無でうつなし+うつから回復ありという組と合わせる。 
D:@喜+@視覚+A虚無なし+A隠喩という解析の組を、うつ病の精神症状からなる虚無でうつなし+うつから回復ありという組と合わせる。
E:C楽+@視覚+A虚無なし+A隠喩という解析の組を、うつ病の精神症状からなる虚無でうつなし+うつから回復ありという組と合わせる。

結果 表2については、テキスト共生の公式が適用される。

花村嘉英(2020)「三浦綾子の『道ありき』の執筆脳について」より

三浦綾子の「道ありき」でうつ病を考える−病跡学へのアプローチ7

【連想分析1】
表2 受容と共生のイメージ合わせ

虚無の生活から転機が訪れる場面

A 言ってみれば、この世で望める限りの幸福を一心に集めていたわけだ。しかし彼は老人を見て、人間の衰えゆく姿を思い、葬式を見て、人の命の有限なることも思った。そしてある夜ひそかに、王宮も王子の地位も、美しい妻も子も棄てて、一人山の中に入ってしまった。
意味1 3、意味1 1、意味1 1、意味1 1、疾病脳1、健常脳2

B つまり釈迦は、今まで自分が幸福だと思っていたものに、むなしさだけを感じ取ってしまったのであろう。電動の書といい、釈迦といい、そのそもそもの初めには虚無があったということに、わたしは宗教というものに共通する一つの姿を見た。意味1 3、意味1 1、意味1 1、意味1 1、疾病脳1、健常脳2

C わたし自身、敗戦以来すっかり虚無的になっていたから、この発見はわたしに一つの転機をもたらした。
意味1 1、意味1 1、意味1 2、意味1 2、疾病脳2、健常脳1

D 虚無は、この世のすべてのものを否定するむなしい考え方であり、ついには自分自身をも否定することになるわけだが、そこまで追いつかれた時に、何かが開けるということを、電動の書にわたしは感じた。
意味1 1、意味1 1、意味1 2、意味1 2、疾病脳2、健常脳1

E この伝導の書の終わりにあった、「汝の若き日に汝の造り主をおぼえよ」の一言は、それ故にひどくわたしの心を打った。それ以来私たちの求道生活は、次第にまじめになっていった。
意味1 4、意味1 1、意味1 2、意味1 2、疾病脳2、健常脳1

花村嘉英(2020)「三浦綾子の『道ありき』の執筆脳について」より

三浦綾子の「道ありき」でうつ病を考える−病跡学へのアプローチ6

3 データベースの作成・分析

 データベースの作成法について説明する。エクセルのデータについては、列の前半(文法1から意味5)が構文や意味の解析データ、後半(医学情報から人工知能)が理系に寄せる生成のデータである。一応、L(受容と共生)は反映している。データベースの数字は、登場人物を動かしながら考えている。
 こうしたデータベースを作る場合、共生のカラムの設定が難しい。受容は、それぞれの言語ごとに構文と意味を解析し、何かの組を作ればよい。しかし、共生は、作家の知的財産に基づいた脳の活動が問題になるため、作家ごとにカラムが変わる。(花村2017)

【データベースの作成】
表1 「道ありき」のデータベースのカラム

文法1 名詞の格 三浦綾子の助詞の使い方を考える。
文法2 態 能動、受動、使役。
文法3 時制、相 現在、過去、未来、進行形、完了形。
文法4 様相 様相の表現。可能、推量、義務、必然。
意味1 喜怒哀楽 感情との接点。
意味2 五感 視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚。
意味3 思考の流れ 虚無ある、なし。
意味4 振舞い ジェスチャー、身振り。直示と隠喩を考える。
医学情報 病跡学との接点 受容と共生の共有点。構文や意味の解析から得た組「虚無と愛情」と病跡学でリンクを張るためにメディカル情報を入れる。
記憶 短期、作業記憶、長期(陳述と非陳述) 作品から読み取れる記憶を拾う。長期記憶は陳述と非陳述に分類される。
情報の認知1 感覚情報の捉え方 感覚器官からの情報に注目するため、対象の捉え方が問題になる。例えば、ベースとプロファイルやグループ化または条件反射。
情報の認知2 記憶と学習 外部からの情報を既存の知識構造に組み込む。その際、未知の情報についてはカテゴリー化する。学習につながるため。記憶の型として、短期、作業記憶、長期(陳述と非陳述)を考える。
情報の認知3 計画、問題解決、推論 受け取った情報は、計画を立てるときにも役に立つ。目的に応じて問題を分析し、解決策を探っていく。獲得した情報が完全でない場合、推論が必要になる。
疾病脳 虚無でうつ 何もなく虚しい心境。空虚であり自己も否定する。抑うつ感、不安感、思考や意欲に障害が出る。気分障害。
健常脳 うつから回復 気分障害からの回復。

花村嘉英(2020)「三浦綾子の『道ありき』の執筆脳について」より

三浦綾子の「道ありき」でうつ病を考える−病跡学へのアプローチ5

 前川正の喪が明けてから、綾子の病室を訪問する客の中に三浦光世という男がいた。旭川営林署に勤務する会計係である。死刑因と文通し、慰め力づけている人であった。やはり腎臓結核の手術歴がある。確かに結核は、侵入経路の大多数が肺出る。しかし、肺や腸、腎臓などの臓器や骨、関節そして皮膚を侵し、胸膜炎や腹膜炎を起こす。三浦は、清潔で静かな表情をし、前川正と趣味や思想が似ていた。綾子は、熱が出て寝汗もかき、血痰が増え面会謝絶になる。病気を気づかう見舞いから、次第に三浦光世に惹かれていく。
 微熱や寝汗はあるも少しずつ体力がついたころ、万一のために遺言を書き、歌を整理していた。自分の死体を解剖してもらいたい。解剖用死体が不足していて、死後に何かの役に立ちたいという思いからである。三浦光世に渡すと、必ず治るといってノートを読んでくれた。三浦の手紙には、最愛なるという形容が綾子の名前についていた。愛の励ましのおかげで、綾子の体は元気になり、外出もできるようになった。
 昭和三十四年の正月、三浦の年頭の挨拶のとき、婚約式が1月25日に決まった。式が終わると、結婚式は5月24日になった。よく晴れた日曜日に教会堂で牧師の言葉に二人で深く頷いた。
 回想録執筆時の記憶の中では、肺病のため虚しい思いがつきまとっている。そこで「道ありき」の執筆脳は、「虚無とうつ」にする。ツングの自己評価うつ病尺度(日本成人病予防協会2014)を「道ありき」に適用すると、スコアは53点となり、当時の三浦綾子は、中程度の抑うつ傾向にあったといえる。シナジーのメタファーは、「三浦綾子と虚無」である。

花村嘉英(2020)「三浦綾子の『道ありき』の執筆脳について」より

三浦綾子の「道ありき」でうつ病を考える−病跡学へのアプローチ4

 札幌に転院してから熱が続き体は痩せ血痰も出て排尿の回数が多くなり、夜だけで7、8回起きることがあった。病院では検査が続く。血液検査、尿検査、1.8リットルの水を飲む水検査など。それでも体はますます痩せていく。胸部に空洞が判明した。背中も痛み、下半身に麻痺が来て失禁も伴い、まさにカリエスである。絶対安静の診断が下される。こうした身体疾患が原因となり、気分障害が発症している。
 綾子の交際相手の前川正も手術が決まる。第一回目に肋骨を四本取ることになる。前川は、麻酔が苦手らしい。手術の間無事に終わることを綾子は祈っていた。その年、昭和二十七年、綾子は洗礼を受けた。正月が来た。前川正は、二週間後に肋骨を四本取るため、二回目の手術を受ける。二回目の手術が終わってから、不吉な夢を見た。正が亡くなったといって彼の母が病室にゴザを返しに来た。あまりにありありとしていて何とも言えない不吉な予感がした。自身の自殺願望すら思い出す。自殺願望も気分障害の症状である。
 ギブスをはめたまま旭川へ帰郷する。31歳になっていた。発病してから8年が過ぎた。前川正の術後の症状を聞くと、血痰が出るという。つまり空洞は潰れていない。翌年の綾子の誕生日4月25日に母上の代筆で和紙に鉛筆書きで書かれた手紙が届いた。5月2日に前川正は亡くなった。前の晩、食事中に意識不明になって、そのまま意識が戻らず亡くなったという。綾子は、病室で号泣する。

花村嘉英(2020)「三浦綾子の『道ありき』の執筆脳について」より

三浦綾子の「道ありき」でうつ病を考える−病跡学へのアプローチ3

2 「道ありき」のLのストーリー

 人生の中では失うものもあれば得るものもある。例えば、病気になれば気持ちが滅入り、物事を悪く考えるようになる。三浦綾子も20代に入って敗戦の翌年に肺結核の症状が出た。しかし、医師は肺結核とは言わず、問診で肺浸潤とか肋膜と説明した。肺結核と診断すれば、現代でいうがんを宣告するようなものであった。何れにせよ何を目標に生きればよいのかわからず、綾子は、何もかもが虚しく思われる虚無の心境となった。
 虚無的生活は、人間を駄目にする。三浦綾子曰く、全てが虚しいから、生きることに情熱はなく、何もかもが馬鹿くさくなり、全ての存在が否定的になって、自分の存在すら肯定できない。但し、一つだけ否定できないものがあった。それは、教え子に対する愛情である。
 そんな時、医学生の前川正という人から聖書を進められる。聖書は、教訓めいたことのみならず、虚無的な物の見方も含み、自己を否定して追い込むと何かが開けると説く。綾子の求道生活は、次第に真面目になっていく。そこで「道ありき」の購読脳を「虚無と愛情」にする。
 旭川での入院当初、三浦綾子自身は、カリエスだと思っていた。カリエスとは、骨の慢性炎症、ことに結核によって骨質が次第に溶け、膿が出るようになる骨の病である。一方、肺結核は、結核菌によって起る慢性の肺の感染症、多くは、無自覚に起こり、咳、喀痰、喀血、呼吸促迫、胸痛などの局所症状、羸痩(るいそう)、倦怠、微熱、発汗または食欲不振、脈拍増加などの一般症状を呈する。カリエスは、症状が相当進まないと、医師はそのように診断しない。

花村嘉英(2020)「三浦綾子の『道ありき』の執筆脳について」より

三浦綾子の「道ありき」でうつ病を考える−病跡学へのアプローチ2

 三浦綾子(1922−1999)の「道ありき」(1969)では、気胸(Pneumotorax)を患う結核患者としての作者自身が描かれており、スイスのダボスにあったサナトリウムで療養する肺病の患者たちの気胸療法を紹介しているトーマス・マンの「魔の山」と共通が見られる。
 トーマス・マンの「魔の山」では、ダボスのサナトリウムに療養している片肺クラブの連中がやはり気胸を患っている。一方の肺が駄目で片方の肺は健康、あるいはまだ大丈夫といった場合、悪い方の肺の活動を一定期間停止させて休ませる。そしてそこを切開しそこから窒素ガスを入れる。ガスは大半半月で入れ替える。これを一年以上続けると悪い方の肺が治癒するという冒険的な治療法をサナトリウムのベーレンス院長が行っている。彼は、肺の専門医である。
 今や国際環境会議の舞台となったダボスの20世紀の前半は、世界のどこへ行っても肺結核といえば死を宣告されたも同然であり、気胸や肺炎性カタルといった肺病に関する治療法は、皆の関心事であった。自叙伝と教養小説というジャンルの違いはあれど、戦中戦後に時間を止めれば、国境を越えた疾病への関心が読み取れる。

花村嘉英(2020)「三浦綾子の『道ありき』の執筆脳について」より

三浦綾子の「道ありき」でうつ病を考える−病跡学へのアプローチ1

1 先行研究

 文学分析は、通常、読者による購読脳が問題になる。一方、シナジーのメタファーは、作家の執筆脳を研究するためのマクロに通じる分析方法である。基本のパターンは、まず縦が購読脳で横が執筆脳になるLのイメージを作り、次に、各場面をLに読みながらデータベースを作成し、全体を組の集合体にする。そして最後に、双方の脳の活動をマージするために、脳内の信号のパスを探す、若しくは、脳のエリアの機能を探す。これがミクロとマクロの中間にあるメゾのデータとなり、狭義の意味でシナジーのメタファーが作られる。この段階では、副専攻を増やすことが重要である。 
 執筆脳は、作者が自身で書いているという事実及び作者がメインで伝えようと思っていることに対する定番の読み及びそれに対する共生の読みと定義する。そのため、この小論では、トーマス・マン(1875−1955)、魯迅(1881−1936)、森鴎外(1862−1922)の執筆脳に関する私の著作を先行研究にする。また、これらの著作の中では、それぞれの作家の執筆脳として文体を取り上げ、とりわけ問題解決の場面を分析の対象にしている。さらに、マクロの分析について地球規模とフォーマットのシフトを意識してナディン・ゴーディマ(1923−2014)を加えると、“The Late Bourgeois World”執筆時の脳の活動が意欲と組になることを先行研究に入れておく。
 筆者の持ち場が言語学のため、購読脳の分析の際に、何かしらの言語分析を試みている。例えば、トーマス・マンには構文分析があり、魯迅にはことばの比較がある。そのため、全集の分析に拘る文学の研究者とは、分析のストーリーに違いがある。文学の研究者であれば、全集の中から一つだけシナジーのメタファーのために作品を選び、その理由を述べればよい。なお、Lのストーリーについては、人文と理系が交差するため、機械翻訳などで文体の違いを調節するトレーニングが推奨される。
 メゾのデータを束ねて何やら予測が立てば、言語分析や翻訳そして資格に基づくミクロと医学も含めたリスクや観察の社会論からなるマクロとを合わせて、広義の意味でシナジーのメタファーが作られる。

花村嘉英(2020)「三浦綾子の『道ありき』の執筆脳について」より

遠藤周作の「あの世で」で執筆脳を考える8

4 まとめ

 遠藤周作の執筆時の脳の活動を調べるために、まず受容と共生からなるLのストーリーを文献により組み立てた。次に、「あの世で」のLのストーリーをデータベース化し、最後に特定したところを実験で確認した。そのため、テキスト共生によるシナジーのメタファーについては、一応の研究成果が得られている。
 この種の実験をおよそ100人の作家で試みている。その際、日本人と外国人60人対40人、男女比4対1、ノーベル賞作家30人を目安に対照言語が独日であることから非英語の比較を意識してできるだけ日本語以外で英語が突出しないように心掛けている。 

参考文献

遠藤周作 無鹿(解説 高橋千劔破) 文春文庫 2000
日本成人病予防協会 健康管理士一般指導員受験対策講座テキスト3 ヘルスケア出版 2014
花村嘉英 計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか? 新風社 2005
花村嘉英 从认知语言学的角度浅析鲁迅作品−魯迅をシナジーで読む 華東理工大学出版社 2015
花村嘉英 日语教育计划书−面向中国人的日语教学法与森鸥外小说的数据库应用 日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで 南京東南大学出版社 2017
花村嘉英 从认知语言学的角度浅析纳丁・戈迪默-ナディン・ゴーディマと意欲 華東理工大学出版社 2018
花村嘉英 シナジーのメタファーの作り方−トーマス・マン、魯迅、森鴎外、ナディン・ゴーディマ、井上靖 中国日語教学研究会上海分会論文集 2018  
花村嘉英 川端康成の「雪国」に見る執筆脳について-「無と創造」から「目的達成型の認知発達」へ 中国日語教学研究会上海分会論文集 2019
花村嘉英 社会学の観点からマクロの文学を考察する−危機管理者としての作家について 中国日語教学研究会上海分会論文集 2020
エリザベス・キューブラー・ロス Wikipedia 

遠藤周作の「あの世で」で執筆脳を考える7

表3 情報の認知

A 表2と同じ。 情報の認知1 2、情報の認知2 2、情報の認知3 1
B 表2と同じ。 情報の認知1 2、情報の認知2 2、情報の認知3 1
C 表2と同じ。 情報の認知1 2、情報の認知2 2、情報の認知3 2
D 表2と同じ。 情報の認知1 2、情報の認知2 2、情報の認知3 1
E 表2と同じ。 情報の認知1 3、情報の認知2 1、情報の認知3 1

A:情報の認知1はAグループ化、情報の認知2はA新情報、情報の認知3は@計画から問題解決へである。
B:情報の認知1はAグループ化、情報の認知2はA新情報、情報の認知3は@計画から問題解決へである。
C:情報の認知1はAグループ化、情報の認知2はA新情報、情報の認知3はA問題未解決から推論へである。
D:情報の認知1はAグループ化、情報の認知2はA新情報、情報の認知3は@計画から問題解決へである。
E:情報の認知1はB条件反射、情報の認知2は@旧情報、情報の認知3は@計画から問題解決へである。

結果  
 
 遠藤周作は、この場面でキューブラー・ロス博士の話と照合しながら、天尾真知子の臨死体験の告白を聞いている。そして、肉体は機能を失っても意識は活動を続けるとしながらも、真知子の話に新事実を認めるため、「魂と心の繋がり」と「リンクと隙間」という組が相互に作用する。  

花村嘉英(2020)「遠藤周作の『あの世で』の執筆脳について」より
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プロフィール
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花村嘉英(はなむら よしひさ) 1961年生まれ、立教大学大学院文学研究科博士後期課程(ドイツ語学専攻)在学中に渡独。 1989年からドイツ・チュービンゲン大学に留学し、同大大学院新文献学部博士課程でドイツ語学・言語学(意味論)を専攻。帰国後、技術文(ドイツ語、英語)の機械翻訳に従事する。 2009年より中国の大学で日本語を教える傍ら、比較言語学(ドイツ語、英語、中国語、日本語)、文体論、シナジー論、翻訳学の研究を進める。テーマは、データベースを作成するテキスト共生に基づいたマクロの文学分析である。 著書に「計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?」(新風舎:出版証明書付)、「从认知语言学的角度浅析鲁迅作品−魯迅をシナジーで読む」(華東理工大学出版社)、「日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで(日语教育计划书−面向中国人的日语教学法与森鸥外小说的数据库应用)」南京東南大学出版社、「从认知语言学的角度浅析纳丁・戈迪默-ナディン・ゴーディマと意欲」華東理工大学出版社、「計算文学入門(改訂版)−シナジーのメタファーの原点を探る」(V2ソリューション)、「小説をシナジーで読む 魯迅から莫言へーシナジーのメタファーのために」(V2ソリューション)がある。 論文には「論理文法の基礎−主要部駆動句構造文法のドイツ語への適用」、「人文科学から見た技術文の翻訳技法」、「サピアの『言語』と魯迅の『阿Q正伝』−魯迅とカオス」などがある。 学術関連表彰 栄誉証書 文献学 南京農業大学(2017年)、大連外国語大学(2017年)
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