2024年09月16日
三浦綾子の「道ありき」でうつ病を考える−病跡学へのアプローチ2
三浦綾子(1922−1999)の「道ありき」(1969)では、気胸(Pneumotorax)を患う結核患者としての作者自身が描かれており、スイスのダボスにあったサナトリウムで療養する肺病の患者たちの気胸療法を紹介しているトーマス・マンの「魔の山」と共通が見られる。
トーマス・マンの「魔の山」では、ダボスのサナトリウムに療養している片肺クラブの連中がやはり気胸を患っている。一方の肺が駄目で片方の肺は健康、あるいはまだ大丈夫といった場合、悪い方の肺の活動を一定期間停止させて休ませる。そしてそこを切開しそこから窒素ガスを入れる。ガスは大半半月で入れ替える。これを一年以上続けると悪い方の肺が治癒するという冒険的な治療法をサナトリウムのベーレンス院長が行っている。彼は、肺の専門医である。
今や国際環境会議の舞台となったダボスの20世紀の前半は、世界のどこへ行っても肺結核といえば死を宣告されたも同然であり、気胸や肺炎性カタルといった肺病に関する治療法は、皆の関心事であった。自叙伝と教養小説というジャンルの違いはあれど、戦中戦後に時間を止めれば、国境を越えた疾病への関心が読み取れる。
花村嘉英(2020)「三浦綾子の『道ありき』の執筆脳について」より
トーマス・マンの「魔の山」では、ダボスのサナトリウムに療養している片肺クラブの連中がやはり気胸を患っている。一方の肺が駄目で片方の肺は健康、あるいはまだ大丈夫といった場合、悪い方の肺の活動を一定期間停止させて休ませる。そしてそこを切開しそこから窒素ガスを入れる。ガスは大半半月で入れ替える。これを一年以上続けると悪い方の肺が治癒するという冒険的な治療法をサナトリウムのベーレンス院長が行っている。彼は、肺の専門医である。
今や国際環境会議の舞台となったダボスの20世紀の前半は、世界のどこへ行っても肺結核といえば死を宣告されたも同然であり、気胸や肺炎性カタルといった肺病に関する治療法は、皆の関心事であった。自叙伝と教養小説というジャンルの違いはあれど、戦中戦後に時間を止めれば、国境を越えた疾病への関心が読み取れる。
花村嘉英(2020)「三浦綾子の『道ありき』の執筆脳について」より
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