2024年09月16日
三浦綾子の「道ありき」でうつ病を考える−病跡学へのアプローチ4
札幌に転院してから熱が続き体は痩せ血痰も出て排尿の回数が多くなり、夜だけで7、8回起きることがあった。病院では検査が続く。血液検査、尿検査、1.8リットルの水を飲む水検査など。それでも体はますます痩せていく。胸部に空洞が判明した。背中も痛み、下半身に麻痺が来て失禁も伴い、まさにカリエスである。絶対安静の診断が下される。こうした身体疾患が原因となり、気分障害が発症している。
綾子の交際相手の前川正も手術が決まる。第一回目に肋骨を四本取ることになる。前川は、麻酔が苦手らしい。手術の間無事に終わることを綾子は祈っていた。その年、昭和二十七年、綾子は洗礼を受けた。正月が来た。前川正は、二週間後に肋骨を四本取るため、二回目の手術を受ける。二回目の手術が終わってから、不吉な夢を見た。正が亡くなったといって彼の母が病室にゴザを返しに来た。あまりにありありとしていて何とも言えない不吉な予感がした。自身の自殺願望すら思い出す。自殺願望も気分障害の症状である。
ギブスをはめたまま旭川へ帰郷する。31歳になっていた。発病してから8年が過ぎた。前川正の術後の症状を聞くと、血痰が出るという。つまり空洞は潰れていない。翌年の綾子の誕生日4月25日に母上の代筆で和紙に鉛筆書きで書かれた手紙が届いた。5月2日に前川正は亡くなった。前の晩、食事中に意識不明になって、そのまま意識が戻らず亡くなったという。綾子は、病室で号泣する。
花村嘉英(2020)「三浦綾子の『道ありき』の執筆脳について」より
綾子の交際相手の前川正も手術が決まる。第一回目に肋骨を四本取ることになる。前川は、麻酔が苦手らしい。手術の間無事に終わることを綾子は祈っていた。その年、昭和二十七年、綾子は洗礼を受けた。正月が来た。前川正は、二週間後に肋骨を四本取るため、二回目の手術を受ける。二回目の手術が終わってから、不吉な夢を見た。正が亡くなったといって彼の母が病室にゴザを返しに来た。あまりにありありとしていて何とも言えない不吉な予感がした。自身の自殺願望すら思い出す。自殺願望も気分障害の症状である。
ギブスをはめたまま旭川へ帰郷する。31歳になっていた。発病してから8年が過ぎた。前川正の術後の症状を聞くと、血痰が出るという。つまり空洞は潰れていない。翌年の綾子の誕生日4月25日に母上の代筆で和紙に鉛筆書きで書かれた手紙が届いた。5月2日に前川正は亡くなった。前の晩、食事中に意識不明になって、そのまま意識が戻らず亡くなったという。綾子は、病室で号泣する。
花村嘉英(2020)「三浦綾子の『道ありき』の執筆脳について」より
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