2023年01月28日
【鬼滅 if 現代編】第9話「看破」
その日、可楽と共に出かけた寄席から逃げるようにして帰宅した燈子は、目を真っ赤に泣き腫らしながらベッドの中に潜り込んだ。
「う゛ぅぅ…悔しい…く゛やし゛ぃよ゛ぉぉぉぉぉ!!」
戦いの道を歩む事に関して、可楽から「覚悟が足りない」と言われた事にショックを受けたのはもちろんだが、それ以上に、日頃から全幅の信頼を置く師が”他の女”をベタ褒めした事が、燈子にとっては他の何よりも耐え難かった。
「あ゛の女ぁ…可゛楽に色目使゛いやか゛って…許せ゛ない、殺し゛てや゛りたい!!」
その時、部屋のドアをノックする音が聞こえた。
「姉ちゃーん、ご飯できたってよー!」
「……ッ気゛分が悪いから、いらないって言っといて…今日はもう、このまま寝ちゃうから…」
「えっ、ホントに!?どうしたの??」
「生理が重いだけ…って、アンタに言っても分かんないでしょ…お母さんに、そう言っといて…」
「あ…うん…分かった」
善照の言葉で少し我に返り、嗚咽こそなんとか堪えたものの、生まれて初めて特定の人物を殺してやりたいと思うにまで至った激情は、到底収まるものではなかった。
「フゥーッ、フゥーッ……フフッ、フフフ…決めた…あの女、本当に殺してやろう…フフフフッ…このまま戦いの道を行けば、どうせいつかは殺すか、殺されるかの経験をするワケだもんね」
燈子は毛布を頭から被ったままで起き上がり、その暗闇の中で”あの落語家の女”に一方的に暴行を加える場面を思い浮かべた。
まずは、髪の毛をつかんで目、鼻、口が全て塞がるまで何度でも顔面に膝蹴りを入れ、次に、内臓が破裂するまで腹に爪先を叩き込む。
その一撃、一撃の感触と、その度に女が絞り出す苦痛の呻き声とをリアルに想像していると、脂ぎった汗が全身の毛穴から熱と共に排出されるのが感じられた。
「可楽ぅ、ごめんね。あなたが気に入ってる落語家だけど、殺しちゃうね??でも、人を殺す覚悟を持てって言ったのは可楽自身だもん、仕方ないよね…」
やがて、女の息が止まって完全に動かなくなるところまで想像し終えると、燈子は後頭部から勢いよくベッドに倒れ込み、自身の熱い鼻息を感じながら眠りに落ちた。
明くる朝、さすがにジョギングに行く気分にはなれなかった燈子は、いつもの爽快な汗ではなく、何か悪い成分が滲み出たのではないかと思うぐらいベタベタとした、嫌な臭いの汗を洗い流すべくシャワーを浴びた。
ふと、鏡に映った顔を見ると、目の下にハロウィン用の特殊メイクのような、黒く大きい隈が浮き出ていた。
「あはは、まるで魔女みたい」
自嘲しながらも、背後から覆い被さるような孤独感から生じる”錯覚的な寒さ”に耐え切れなくなり、シャワーの温度を上げて無理矢理に背中を温めた。
朝食の席に着くと、当然ながら母親が心配そうな表情で尋ねる。
「燈子、大丈夫?」
「あー、うん…なんだか、今回に限って生理がメッチャ重くって」
「そう…あんまり辛かったら早退しなさいね?」
「うん、分かった」
こういう場合、男は黙っておいた方が良いと思ったのか、父親はカフェオレをすすりながらタブレットPCでニュースか何かを観ていた。善照はと言えば、オロオロと焦燥しながらも掛ける声が見当たらずに、視線だけを左右に振り回していた。
三人を見送ってから、母親はテーブルの上の食器を片付ける手をピタッと止めて、壁のカレンダーを見ながらつぶやいた。
「あれっ、あの子…28日周期だから、まだ来週の筈なのに…ジョギングを始めてから体質が変わったのかしら??」
いつもは胸を張って風を切るようにして歩いている姉が、この日は肩を落として地面を見ている姿に心痛した善照は、何度も顔色を窺う素振りを見せた。
「そうやってチラチラと見てたって良くはならないから、普通にしてなよ…」
「え、あ、うん、ゴメン…」
「女の気持ちなんて、男には永遠に解らないように出来てるんだから…私の事は放っておきなって」
返す言葉もなく、それ以降は学校に着くまで一言も交わす事は無かった。
「よしっ、行くか…」
午前中の授業が終わるのを待たずに、燈子は担任の教諭に早退を願い出た。さすがに、その顔色の悪さから「生理が重い」という嘘の申告が疑われる事は無かった。
(えーと、電車賃ぐらいは持ってたわよね…コンディションは最悪だけど、まぁ、しゃーないわ…私、我妻 燈子は本日、生まれて初めての殺人を犯します!)
心の不調がダイレクトに身体に影響し、駅に向かって歩く足がフラついているのを自覚した燈子は、自分に言い聞かせるようにして『人間として踏み越えてはいけないライン』の向こう側へ渡る覚悟を固めた。
先日、降りた駅から寄席までの道順を何度も思い返しながら、フラフラと歩く燈子の姿をすれ違う人々が訝し気に見る。
もちろん、制服姿の女子高生が歩くには些か早い時間帯であり、いつもであれば、その辺りの”違和感”には最大限に配慮して言動をコントロールしているが、この日ばかりは、そんな余裕は無い。
やがて、目的とする寄席へと辿り着くと、燈子は僅かに残った思考能力で”犯行”までの逆算を始めた。
(まだ開演はしてないわね。問題は、あの女が何時に来るかだけど…いや、そもそも、今日も出演するの??まぁ、いっか…一日張り付いてダメだったら、明日も来ればいい…)
周囲の人目も気にせずに建物の裏側へ回ると、果たせるかな、天地が逆さまになろうとも認め得ぬ”怨敵”の女が、まさに裏口の扉に手を掛けようとしている場面に出くわした。
「こんにちは!!阿良川…あかねさんですよね!?」
呼び止められた当の本人は、振り向いた視線の先に昨日の”鬼の眼をした娘”が居るのを認めた瞬間、全身が凍りついたかの如く硬直した。
「あっ、あなたは…昨日、聴きに来てくれた人…よね…??」
(マズった、まさか出待ちじゃなくて入りを狙われるなんて!)
「えぇ、そうです!!どうしても会いたくなって、来ちゃいました」
「あら、それは嬉しいわ。でも、私はまだまだ下っ端だから、これから開演の準備とか色々と手伝わなきゃいけないのよ。申し訳ないけど、サインが欲しいなら時間を改めてもらえるかしら?」
「あー、いや、別にサインが欲しいワケじゃないんですよ」
「そっかぁ…じゃあ、やっぱり、私を殺しに来た……のかしら??」
今の自分が精神病患者のように血走った眼をしている事に気付く余裕も無い燈子は、憎き女が放ったその言葉に、逆に衝撃を受けた。
「えっ、ウソ……なんで分かるのよ??」
「なんでって…そんなにも『殺しに来ました』って眼をしてれば、まぁ、明らかよね。ただ、その理由までは判らないけど…?」
もちろん、あかねは『言動の意味と、その背景』を洞察して表現するプロである。武士が刀を抜く場面を演じるのに、その理由や心情を考えない訳がない。目の前の”鬼の娘”が自分を殺しに来た理由も、大方は予想がついている。
だが、その後に繋げる”演出”の為に、ワザと理由は判らないフリを決め込んだ。
「ふーん、身に覚えは無いってワケね……この泥棒猫がっ!!」
その”お決まりの台詞”を聞いた瞬間、あかねは生きてこの場を切り抜けられる確信を得た。
「泥棒って、私が何を盗んだのかしら?」
「とぼけんじゃないわよ!!アンタ、昨日、私の隣りに居た人に色目使ってたでしょ!?」
「あぁ、いつも来てくれてる、作務衣を着たお客さんね?もちろん、居るのは分かってたけど、常連のお客さんに自然と笑顔を向けるのは、サービス業の人間として当然の習性じゃないかしら??それを色目と言われても…」
「へぇ〜、モノは言いようね!?首まで傾げて、いかにも『あら、今日も来たの?そんなに私が好きなの?』ってツラで見てたクセに!!」
「それが事実だったとして……それって、あなたにそんなに関係がある事なのかしら??」
「はあっ!?どういう意味よ!?」
「そのお客さんと私が『ねんごろの仲』……つまり、客と店員以上の『男女の間柄』にまで発展したとして、それって”他人”にとやかく言われるような事じゃないと思うんだけど…」
この「他人」という言葉を聞いた瞬間、燈子の怒りは頂点に達したが、それこそまさに、あかねの思うツボであった。
「おいっ!!開き直ってんじゃねぇぞ!?アンタの辞書に『恥』って言葉は無ぇのか!?」
「あらヤダ、私を殺しに来た人に倫理を問われても…あっ、それとも『人じゃない』のかしら??」
「はっ??」
「ハッキリ言うわ。あなた、人間じゃなくて『鬼』でしょ??」
その指摘に、既に力を込めて踏ん張っていた軸足の膝が崩れ落ちそうになる。
「あ…なっ、いや…オニって…何言ってるの…?」
「図星ね。ついでに言うと、あなたの隣りに居たお客さんも『鬼』よね?つまり、二人は『鬼の親子』であると…違うかしら??」
「え…いや、別に親子では…ないけど…」
「昨日、私があなたの”お父さん”を見たのは、さっきも言った通り、常連のお客さんを見つけて自然と笑顔になったに過ぎないわ。でも、あなたにしてみれば、父親をどこの誰かも分からない女に横取りされそうになって、生きた心地がしなかったのよね??」
「いや、だから…親子ってワケじゃないって…」
「うん、『鬼』だって事は否定しないのね。でも、そうなると、私の予想は半分ハズレね。親子じゃないとしたら、あのお客さんとはどういう関係なの?」
「私の…格闘技の師匠よ…」
「武術の先生なの!?道理で、いつも作務衣を着てるワケだわ」
「それに、私自身は『鬼』じゃないわよ…私の家系には居たけど…」
「あなたの先祖に『鬼』が居たって事??なるほど、二人は言わば、遠い親戚って事ね?」
「まぁ、そうなるわね…」
この時点で質問を『する側』と『される側』とが完全に逆転してしまい、当初の殺気が何処へやらと消えてしまった燈子は、この場から”再び”逃げ出したい衝動に駆られた。
「私もプロよ。自分の身に危害が及ばない限り、お客さんの個人情報を第三者に吹聴する事は無いわ。だって、お客さんが『鬼』であろうが人間であろうが、払ってくれる入場料は同じだし、私の噺を聴いて笑ってくれるなら、そこに差はないもの」
「一つだけ教えて」
「何かしら?」
「そこまで強く私の事を『鬼』だと言い切ったのは、そもそも存在を信じてたから??」
「昨日の噺を聴いていたのなら、女の幽霊が浪人を訪ねたシーンを覚えているかしら?私たち落語家は幽霊でさえ実在した事を前提として、その気持ちを汲み上げて役に反映するわけよ。そんな仕事だもの、『鬼』が実在したとしても何の不思議も無いわね」
「そう……分かった、今日は退いとくわ。今、アンタを殺しても、気持ちは晴れそうにないもん」
「今日と言わず、人を殺す事は生涯して欲しくないけど…でもまぁ、軍人みたいに機関銃を撃つのが仕事の人も居るわよね。だから、あなたが人を殺す日が来たとしても、自分のプライドの為じゃなくて、他の誰かを守る為であって欲しいと願うわ」
「さぁ、それは分からないわね…」
捨て台詞にもならない言葉だけを残して、燈子はフラフラとした頼りない足取りで帰路に就いた。
その背中には、今朝までの孤独感の上に、更に敗北感までもが積み重なっていた。
≪第8話「噺」(はなし)
第10話「盃」 ≫
「う゛ぅぅ…悔しい…く゛やし゛ぃよ゛ぉぉぉぉぉ!!」
戦いの道を歩む事に関して、可楽から「覚悟が足りない」と言われた事にショックを受けたのはもちろんだが、それ以上に、日頃から全幅の信頼を置く師が”他の女”をベタ褒めした事が、燈子にとっては他の何よりも耐え難かった。
「あ゛の女ぁ…可゛楽に色目使゛いやか゛って…許せ゛ない、殺し゛てや゛りたい!!」
その時、部屋のドアをノックする音が聞こえた。
「姉ちゃーん、ご飯できたってよー!」
「……ッ気゛分が悪いから、いらないって言っといて…今日はもう、このまま寝ちゃうから…」
「えっ、ホントに!?どうしたの??」
「生理が重いだけ…って、アンタに言っても分かんないでしょ…お母さんに、そう言っといて…」
「あ…うん…分かった」
善照の言葉で少し我に返り、嗚咽こそなんとか堪えたものの、生まれて初めて特定の人物を殺してやりたいと思うにまで至った激情は、到底収まるものではなかった。
「フゥーッ、フゥーッ……フフッ、フフフ…決めた…あの女、本当に殺してやろう…フフフフッ…このまま戦いの道を行けば、どうせいつかは殺すか、殺されるかの経験をするワケだもんね」
燈子は毛布を頭から被ったままで起き上がり、その暗闇の中で”あの落語家の女”に一方的に暴行を加える場面を思い浮かべた。
まずは、髪の毛をつかんで目、鼻、口が全て塞がるまで何度でも顔面に膝蹴りを入れ、次に、内臓が破裂するまで腹に爪先を叩き込む。
その一撃、一撃の感触と、その度に女が絞り出す苦痛の呻き声とをリアルに想像していると、脂ぎった汗が全身の毛穴から熱と共に排出されるのが感じられた。
「可楽ぅ、ごめんね。あなたが気に入ってる落語家だけど、殺しちゃうね??でも、人を殺す覚悟を持てって言ったのは可楽自身だもん、仕方ないよね…」
やがて、女の息が止まって完全に動かなくなるところまで想像し終えると、燈子は後頭部から勢いよくベッドに倒れ込み、自身の熱い鼻息を感じながら眠りに落ちた。
明くる朝、さすがにジョギングに行く気分にはなれなかった燈子は、いつもの爽快な汗ではなく、何か悪い成分が滲み出たのではないかと思うぐらいベタベタとした、嫌な臭いの汗を洗い流すべくシャワーを浴びた。
ふと、鏡に映った顔を見ると、目の下にハロウィン用の特殊メイクのような、黒く大きい隈が浮き出ていた。
「あはは、まるで魔女みたい」
自嘲しながらも、背後から覆い被さるような孤独感から生じる”錯覚的な寒さ”に耐え切れなくなり、シャワーの温度を上げて無理矢理に背中を温めた。
朝食の席に着くと、当然ながら母親が心配そうな表情で尋ねる。
「燈子、大丈夫?」
「あー、うん…なんだか、今回に限って生理がメッチャ重くって」
「そう…あんまり辛かったら早退しなさいね?」
「うん、分かった」
こういう場合、男は黙っておいた方が良いと思ったのか、父親はカフェオレをすすりながらタブレットPCでニュースか何かを観ていた。善照はと言えば、オロオロと焦燥しながらも掛ける声が見当たらずに、視線だけを左右に振り回していた。
三人を見送ってから、母親はテーブルの上の食器を片付ける手をピタッと止めて、壁のカレンダーを見ながらつぶやいた。
「あれっ、あの子…28日周期だから、まだ来週の筈なのに…ジョギングを始めてから体質が変わったのかしら??」
いつもは胸を張って風を切るようにして歩いている姉が、この日は肩を落として地面を見ている姿に心痛した善照は、何度も顔色を窺う素振りを見せた。
「そうやってチラチラと見てたって良くはならないから、普通にしてなよ…」
「え、あ、うん、ゴメン…」
「女の気持ちなんて、男には永遠に解らないように出来てるんだから…私の事は放っておきなって」
返す言葉もなく、それ以降は学校に着くまで一言も交わす事は無かった。
プロ
「よしっ、行くか…」
午前中の授業が終わるのを待たずに、燈子は担任の教諭に早退を願い出た。さすがに、その顔色の悪さから「生理が重い」という嘘の申告が疑われる事は無かった。
(えーと、電車賃ぐらいは持ってたわよね…コンディションは最悪だけど、まぁ、しゃーないわ…私、我妻 燈子は本日、生まれて初めての殺人を犯します!)
心の不調がダイレクトに身体に影響し、駅に向かって歩く足がフラついているのを自覚した燈子は、自分に言い聞かせるようにして『人間として踏み越えてはいけないライン』の向こう側へ渡る覚悟を固めた。
先日、降りた駅から寄席までの道順を何度も思い返しながら、フラフラと歩く燈子の姿をすれ違う人々が訝し気に見る。
もちろん、制服姿の女子高生が歩くには些か早い時間帯であり、いつもであれば、その辺りの”違和感”には最大限に配慮して言動をコントロールしているが、この日ばかりは、そんな余裕は無い。
やがて、目的とする寄席へと辿り着くと、燈子は僅かに残った思考能力で”犯行”までの逆算を始めた。
(まだ開演はしてないわね。問題は、あの女が何時に来るかだけど…いや、そもそも、今日も出演するの??まぁ、いっか…一日張り付いてダメだったら、明日も来ればいい…)
周囲の人目も気にせずに建物の裏側へ回ると、果たせるかな、天地が逆さまになろうとも認め得ぬ”怨敵”の女が、まさに裏口の扉に手を掛けようとしている場面に出くわした。
「こんにちは!!阿良川…あかねさんですよね!?」
呼び止められた当の本人は、振り向いた視線の先に昨日の”鬼の眼をした娘”が居るのを認めた瞬間、全身が凍りついたかの如く硬直した。
「あっ、あなたは…昨日、聴きに来てくれた人…よね…??」
(マズった、まさか出待ちじゃなくて入りを狙われるなんて!)
「えぇ、そうです!!どうしても会いたくなって、来ちゃいました」
「あら、それは嬉しいわ。でも、私はまだまだ下っ端だから、これから開演の準備とか色々と手伝わなきゃいけないのよ。申し訳ないけど、サインが欲しいなら時間を改めてもらえるかしら?」
「あー、いや、別にサインが欲しいワケじゃないんですよ」
「そっかぁ…じゃあ、やっぱり、私を殺しに来た……のかしら??」
今の自分が精神病患者のように血走った眼をしている事に気付く余裕も無い燈子は、憎き女が放ったその言葉に、逆に衝撃を受けた。
「えっ、ウソ……なんで分かるのよ??」
「なんでって…そんなにも『殺しに来ました』って眼をしてれば、まぁ、明らかよね。ただ、その理由までは判らないけど…?」
もちろん、あかねは『言動の意味と、その背景』を洞察して表現するプロである。武士が刀を抜く場面を演じるのに、その理由や心情を考えない訳がない。目の前の”鬼の娘”が自分を殺しに来た理由も、大方は予想がついている。
だが、その後に繋げる”演出”の為に、ワザと理由は判らないフリを決め込んだ。
「ふーん、身に覚えは無いってワケね……この泥棒猫がっ!!」
その”お決まりの台詞”を聞いた瞬間、あかねは生きてこの場を切り抜けられる確信を得た。
「泥棒って、私が何を盗んだのかしら?」
「とぼけんじゃないわよ!!アンタ、昨日、私の隣りに居た人に色目使ってたでしょ!?」
「あぁ、いつも来てくれてる、作務衣を着たお客さんね?もちろん、居るのは分かってたけど、常連のお客さんに自然と笑顔を向けるのは、サービス業の人間として当然の習性じゃないかしら??それを色目と言われても…」
「へぇ〜、モノは言いようね!?首まで傾げて、いかにも『あら、今日も来たの?そんなに私が好きなの?』ってツラで見てたクセに!!」
「それが事実だったとして……それって、あなたにそんなに関係がある事なのかしら??」
「はあっ!?どういう意味よ!?」
「そのお客さんと私が『ねんごろの仲』……つまり、客と店員以上の『男女の間柄』にまで発展したとして、それって”他人”にとやかく言われるような事じゃないと思うんだけど…」
この「他人」という言葉を聞いた瞬間、燈子の怒りは頂点に達したが、それこそまさに、あかねの思うツボであった。
「おいっ!!開き直ってんじゃねぇぞ!?アンタの辞書に『恥』って言葉は無ぇのか!?」
「あらヤダ、私を殺しに来た人に倫理を問われても…あっ、それとも『人じゃない』のかしら??」
「はっ??」
「ハッキリ言うわ。あなた、人間じゃなくて『鬼』でしょ??」
その指摘に、既に力を込めて踏ん張っていた軸足の膝が崩れ落ちそうになる。
「あ…なっ、いや…オニって…何言ってるの…?」
「図星ね。ついでに言うと、あなたの隣りに居たお客さんも『鬼』よね?つまり、二人は『鬼の親子』であると…違うかしら??」
「え…いや、別に親子では…ないけど…」
「昨日、私があなたの”お父さん”を見たのは、さっきも言った通り、常連のお客さんを見つけて自然と笑顔になったに過ぎないわ。でも、あなたにしてみれば、父親をどこの誰かも分からない女に横取りされそうになって、生きた心地がしなかったのよね??」
「いや、だから…親子ってワケじゃないって…」
「うん、『鬼』だって事は否定しないのね。でも、そうなると、私の予想は半分ハズレね。親子じゃないとしたら、あのお客さんとはどういう関係なの?」
「私の…格闘技の師匠よ…」
「武術の先生なの!?道理で、いつも作務衣を着てるワケだわ」
「それに、私自身は『鬼』じゃないわよ…私の家系には居たけど…」
「あなたの先祖に『鬼』が居たって事??なるほど、二人は言わば、遠い親戚って事ね?」
「まぁ、そうなるわね…」
この時点で質問を『する側』と『される側』とが完全に逆転してしまい、当初の殺気が何処へやらと消えてしまった燈子は、この場から”再び”逃げ出したい衝動に駆られた。
「私もプロよ。自分の身に危害が及ばない限り、お客さんの個人情報を第三者に吹聴する事は無いわ。だって、お客さんが『鬼』であろうが人間であろうが、払ってくれる入場料は同じだし、私の噺を聴いて笑ってくれるなら、そこに差はないもの」
「一つだけ教えて」
「何かしら?」
「そこまで強く私の事を『鬼』だと言い切ったのは、そもそも存在を信じてたから??」
「昨日の噺を聴いていたのなら、女の幽霊が浪人を訪ねたシーンを覚えているかしら?私たち落語家は幽霊でさえ実在した事を前提として、その気持ちを汲み上げて役に反映するわけよ。そんな仕事だもの、『鬼』が実在したとしても何の不思議も無いわね」
「そう……分かった、今日は退いとくわ。今、アンタを殺しても、気持ちは晴れそうにないもん」
「今日と言わず、人を殺す事は生涯して欲しくないけど…でもまぁ、軍人みたいに機関銃を撃つのが仕事の人も居るわよね。だから、あなたが人を殺す日が来たとしても、自分のプライドの為じゃなくて、他の誰かを守る為であって欲しいと願うわ」
「さぁ、それは分からないわね…」
捨て台詞にもならない言葉だけを残して、燈子はフラフラとした頼りない足取りで帰路に就いた。
その背中には、今朝までの孤独感の上に、更に敗北感までもが積み重なっていた。
≪第8話「噺」(はなし)
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