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柴田錬三郎(1917~1978)
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柴田 錬三郎(しばた れんざぶろう)は、日本の作家。本名は斎藤 錬三郎(さいとう れんざぶろう)。シバレン(柴錬)という通称でも名高い。岡山県邑久郡鶴山村(現・備前市)の地主・柴田知太の3男として生まれる。慶應義塾大学予科3年の時、『十円紙幣』を『三田文學』に発表。昭和15年(1940年)齋藤エイ子と結婚。齋藤家の婿養子となり齋藤錬三郎となる。昭和17年(1942年)召集され、昭和20年(1945年)衛生兵として南方へ派遣される途中、バシー海峡にて敵襲に会い乗艦が撃沈、7時間漂流する。戦後、田所太郎、大橋鎮子らと『日本読書新聞』の再刊にたずさわり、のち雑誌『書評』編集長となる。また『三田文學』等に文芸評論を発表する。佐藤春夫に師事して、昭和24年(1949年)文筆活動に入り、昭和26年(1951年)6月に『三田文學』に発表した『デス・マスク』が第25回芥川賞・第25回直木賞候補に入る。翌年『イエスの裔』で第26回直木賞受賞。同年『真説河内山宗俊』発表以後は、時代小説を次々と発表。昭和31年(1956年)から、創刊されたばかりの『週刊新潮』に連載された『眠狂四郎』シリーズでは、戦後を代表するニヒル剣士の眠狂四郎を登場させ、読み切りという斬新な手法をとった連載手法と通俗的な要素を織り込み、剣豪小説の一大ブームを巻き起こし、「剣豪作家」のイメージが定着した。また、後期の現代小説では『チャンスは三度ある』などがある。昭和44年(1969年)に、『三国志英雄ここにあり』で第4回吉川英治文学賞を受賞。随筆・エッセイも多数発表している。
●晩年考
晩年までテレビ番組「3時のあなた」(フジテレビ)や「ほんものは誰だ?!」(日本テレビ)などへの出演も積極的に行い、現代で言う文化人タレント的な一面も持っていた。肺性心の為、慶應義塾大学病院で死去。享年61。墓所は東京都文京区の伝通院。遺作は、赤穂浪士もの『復讐四十七士(未完)』。
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『眠狂四郎無頼控 5』(新潮文庫)
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伝通院(東京都文京区小石川)
★『柴田錬三郎賞』(集英社主催、一ツ橋綜合財団後援):前年の7月1日から、当年の6月30日までに刊行された小説が対象。受賞者には正賞として記念品、副賞として300万円が授与される。・・・第19回(2010年第23回)からの審査員は伊集院静、長部日出雄、田辺聖子、津本陽、渡辺淳一 であると。受賞目指して頑張っている人もいるのでしょうねぇ。
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