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仰木彬(1935~2005)
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福岡県出身のプロ野球選手、プロ野球監督、野球解説者。昭和30年代の西鉄ライオンズ黄金時代に正二塁手として活躍し、引退後は西鉄、近鉄、オリックスのコーチ・監督を歴任した。特に1980年代から90年代にかけて、10.19や10.12と呼ばれた名勝負や、阪神大震災後に『がんばろうKOBE』を合言葉に快進撃を果たし、率いたチームを11年連続でAクラス入りさせた名監督として知られる。様々な奇策による好采配は、恩師三原脩にならって「仰木マジック」と呼ばれた。
●晩年考
2005年、かつて自身が率いた近鉄バファローズとオリックス・ブルーウェーブの合併によって誕生した新生「オリックス・バファローズ」から監督就任要請を受け、4シーズンぶりの現場復帰を果たす。この時70歳。これは当時の歴代最高齢での監督就任だった(翌年に野村克也が更新)。闘病を続けていた肺癌は完治していなかったが、「グラウンドで倒れたら本望」と、病をおして監督に就任したという。就任後、グラウンドでは病状を隠し気丈に振舞っていたものの、たびたび過労によると思われる居眠りやベンチに腰掛けたまま動かないシーンも目立った。シーズンオフ、球団から続投要請を受けるも、高齢と前述の健康状態を理由に勇退。球団のシニア・アドバイザー(SA)に就任した。しかし、それから僅か二ヶ月後の12月15日午後4時10分、肺癌による呼吸不全のため、福岡県内の病院で死去、70歳没。葬儀は仰木の意向により密葬にて営まれ、「天国に送る会」は2006年1月21日午前11時からスカイマークスタジアムで行われた。オリックスは、仰木の遺志を尊重して球団葬としなかった。また出身地の福岡県中間市でも、神戸での会に日時を合わせ、友人らが「天国に送る会」を開いている。会の世話人には、西鉄時代の同僚だった稲尾和久らが名を連ねた。
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西鉄の選手時代
★仰木の死去の報に接し、同い年でプロ入りも同期の東北楽天ゴールデンイーグルス監督就任間もない野村克也は「もう一度監督としてアイツと戦いたかった…」とコメントしたんだって。野球殿堂入り(2004年)は生前だったんですねぇ。
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