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2017年11月08日
難問も易問も変わらない
目指すレベルは最初から高いほうがイイ
先に難問に挑戦していると
確かにはじめは引っかかってばかりで進まないし
振り返ると穴だらけ
でもまた同じ難問ばかりを何度もやり直すと
穴が埋まって
その上を走れるようになる
もちろん簡単なことから始めるのもありだけど
膨大な数と時間が必要で
簡単なことにしか慣れていないから
難問にぶつかったとき
すぐにその落とし穴に落ちてしまう
だからはじめから難問と向き合ったほうが
強くなるし
振り返ると、はじめに難問だとおもっていた落とし穴なんて
もうまったく浅い穴にしか見えず
大きくなったその足ですぐに飛び越えてしまうほどになる
もしも、慣れていないのなら
難問と簡単な問題を照らし合わせ、
簡単な問題に似ている場所を難問から探し挑戦して見るのも手だ
以外にも、難しく考えてさせられているだけで
できることは簡単な問題とあまりかわらない。
2017年11月07日
脳に休憩を。集中力を上げるコツ
集中力について
時間が無いとき
足りない時間の中で、ひたすらこなさなければならない。
それなのに、どうしてか
空回りばかり
やり終えた課題を振り返ると
色んなところで間違いを落としている
どうして、こんなに沢山やっているのに
間違いばかりで進めないのか
時間はまってくれないからやるしかないし
それなのに、こなしてもまた同じ場所でミスをしたり
焦りすぎて空回りばかり繰り返してしまう。
それはいわゆる
全くもって、集中できていない証拠である
重大なことをやりぬくには
ひたすらこなさなければならない
けれど、
自分でも知らないうちに、脳がいっぱいになって
疲れたー!休ませてくれ!と信号をだす
肩がいたくなったり腰がおもだるかったり
眠たかったり…
何度やっても覚えられないのは
脳が休憩を取りたいと叫んでいるからである。
だからそういう信号がでたら
一度やっていたことにストップをかけて
ゆったりお風呂につかり
30分でも良いから
休むこと
しかも、その最中は
とにかく何にも考えない
この、考えないがものすごく重要である。
考えると疲れがとれない。
とにかく脳を休憩させて、落ち着いたら
また、気合いを入れてはじめる。
その方が、おもいきり集中力がアップするのである。
※私の場合は、「やらない日、やらない時間」を決めている。
そのほうがメリハリがあり、やるべきときにおもいきり集中力があがるのである。
2017年11月05日
無と感情
少し難しい話。
My Art.
感情を通り越した脳の最終地点は
無である
思考、知識、理論、考える事は限りない
その中に、目に見えない膨大な数の感情まで入ると
計り知れない情報量で脳がパンクしそうになる
不思議なことに、理論・正論があるにもかかわらず
人間は、その正論よりも感情に支配されることが多い
コンピューターロボットのように、感情を消去した方が
生存率は高いのだろうか?
それに悲しみなどの負の感情に脅されることもない
負の感情は自ら身を亡ぼしたり、他者をも犠牲にする。
感情にはリスクが伴う、
それでも、人間は感情があるのはなぜだろうか?
何故なら感情とは、「欲」そのものだからである。
欲は生き抜くための原動力になる。
欲「感情」にはたくさんの種類があって
いくつか上げてみると
@承認欲求(信頼されたい、認めて欲しい)
A回避欲求(失敗したくない、責任を負いたくない)
B成長欲求(成長、向上したい)
C親和欲求(人と共感し合いたい、仲間と一緒にいたい)
D救援欲求(人に依存したい、人に同情してもらいたい)
E他者認知欲求(他人を知りたい、他人の恋愛、秘密、仕事プライベートなど)
F同調欲求(人と同じ事がしたい、憧れる人の真似をしたい)
G自律欲求(自分を制御したい、規律ある生活がしたい)
H内罰欲求(悲劇のヒロイン、悲観的になりたい)
I保持欲求(失いたくない、若さや美貌を保ちたい)
J対立欲求(他人に負けたくない、人と違うことをしたい)
K攻撃欲求(他人を傷つけたい、物や秩序を壊したい、復讐したい)
L独立欲求(人に干渉、命令。管理されたくない)
他にも、物欲、食物欲求、性的欲求、睡眠欲求、 .異性愛欲求(愛されたい、愛したい)
まだまだある…。
欲は希望に満ちているが
希望は絶望という感情に支配され破滅してしまう
もしもこの欲という感情がなしかねない。
人は無になり、苦しむことも、悩むこともないから
生き残れるが
無というものの代償は
欲という感情を手放すということで
楽しむことや、向上する、新たに作り出すことに威力もわかなくなり
完全な無は、生きたいと思う意味を忘れてしまう。
感情を手放すことは無を意味し、無は、生にも死にもなりえる。
感情がない方が生き残れるはずなのに、感情がない無の状態では
生きるということの意味が感じられない
この二つの矛盾を背負って
人間は生きている。
感情に傾いても、無にかたむいても
どちらかに傾き過ぎると、見失ってしまうのである。
2017年11月04日
「出来る」という事
諦めない
諦めたら終わり
自分の苦手な分野は
やっていてもさっぱり分からないし
他の人の何十倍も頑張らないと、追いつけない。
そこで、もう無理だと、勝手に自分の能力を決めつけたら、
本当は限りなく出来ることが隠されているのに
何もかもスタートにすら立てなくなってしまうのだ。
本当に出来ないのだろうか?
やってもやっても分からない、
進まないと、確かに嫌気もさしてくる
けど、それでもやるしかない
なぜ、出来ないのか
なぜわからないのか
なぜ、同じところでつまずいて、何度も繰り返すのか?
考えても、繰り返しても、また転ぶのは、
頑固か、真面目過ぎるからかもしれない、
そもそもの答えを知らないないで
正解なのかもわからない答えを探し、
何とか自分の力で解決しようと無理したり
真似もせずに意味をさがし、頑張りつずける
ある意味、正直すぎるのである。
出来ないことを可能にしたいなら
答えを見て、答えから導き出せばいいのである
答えに近いものの真似をしてみるのも手だ
自分のやり方でできないなら、その方法を変えてみたり
ただし方法があるなら、意味が分からなくてもいいから
何度も何度もその方法でやってみること、
そうすると、脳が勝手に記憶して
似たようなことが起こったときその方法が思いつき
なんだかわからないけれど、簡単に溶けてしまうのだ
理由は、後からついてくるのである。
後から、分かってくるのである。
だからまず、正しい答えからやってみる事、
そうやって、発想を逆にした方が
その方法を考え、正しい答えと確認し
それにいたるまでの努力がしっかり身につくのである
出来ないことというのは
本当は簡単で
正しい答えから
繰り返し繰り返し、出来るまでやってみて
出来たら、もうそれは自分の能力になるのである
一つできたら、また一つ
前の問題より少しだけ難しいものをまたやってみる
そうやって一つずつ諦めずにクリアしていけば
初めに出来ないと思い込んでいたことが
いとも簡単にできるようになり
出来る事よりももっと難しいことに、挑戦してみたくなるものなのである。
諦めないで、何度もやってみること
分からないなら答えを見る
答えがないなら、周りからヒントを探して真似してみる事
やり方を変えてみる事
そうやって苦手なことは得意に変わっていくのである。
2017年11月03日
欲と上手く付き合う
求めすぎない
My art.
何かに対し、ものすごく欲がある人は
その分野に自分の全てを注ぐため
誰よりも成長が早い。
けれど、やればやるほど終わりがなく
満足できない
次から次へと欲が膨らみ
求めすぎてハードルが高くなり
前まで満足できたことが、物足りなく感じてしまう。
それは、限りない成長が出来るから良い面でもあるが
行き過ぎるとパンクして
全てを失ってしまうこともある
ハードルが大きければ大きい程
その損失は恐ろしものである。
だから、もし欲が増え過ぎたら
一旦自分の感情をフリーにも戻すことをお勧めする
すると、見えなかったものや自分の穴か出てきて
いきずまっていた内容が
割とスムーズに解消されていく
もっと欲しい、満足できない、今よりも何倍にも上がりたい
その「もっともっと精神」は
使い方を間違えると、逆に圧がかかりすぎて
流れがストップしかねないのだ。
足りない足りない…と思っていたら本当にそちらの方向に向かってしまう
欲に押しつぶされそうになった時や、いきずまった時こそ
一旦、ハードルを下げて、
小さいことに目を向け、感謝してみよう
いっぺんにつかむのではなく
少しずつを確実に蓄え、「小さな積み重ね」で自分を守りながら
ここぞというチャンスのときまで待って
一気に出し切る
そうやって、欲と向き合うことが
望ましいといえる。