2017年11月05日
無と感情
少し難しい話。
My Art.
感情を通り越した脳の最終地点は
無である
思考、知識、理論、考える事は限りない
その中に、目に見えない膨大な数の感情まで入ると
計り知れない情報量で脳がパンクしそうになる
不思議なことに、理論・正論があるにもかかわらず
人間は、その正論よりも感情に支配されることが多い
コンピューターロボットのように、感情を消去した方が
生存率は高いのだろうか?
それに悲しみなどの負の感情に脅されることもない
負の感情は自ら身を亡ぼしたり、他者をも犠牲にする。
感情にはリスクが伴う、
それでも、人間は感情があるのはなぜだろうか?
何故なら感情とは、「欲」そのものだからである。
欲は生き抜くための原動力になる。
欲「感情」にはたくさんの種類があって
いくつか上げてみると
@承認欲求(信頼されたい、認めて欲しい)
A回避欲求(失敗したくない、責任を負いたくない)
B成長欲求(成長、向上したい)
C親和欲求(人と共感し合いたい、仲間と一緒にいたい)
D救援欲求(人に依存したい、人に同情してもらいたい)
E他者認知欲求(他人を知りたい、他人の恋愛、秘密、仕事プライベートなど)
F同調欲求(人と同じ事がしたい、憧れる人の真似をしたい)
G自律欲求(自分を制御したい、規律ある生活がしたい)
H内罰欲求(悲劇のヒロイン、悲観的になりたい)
I保持欲求(失いたくない、若さや美貌を保ちたい)
J対立欲求(他人に負けたくない、人と違うことをしたい)
K攻撃欲求(他人を傷つけたい、物や秩序を壊したい、復讐したい)
L独立欲求(人に干渉、命令。管理されたくない)
他にも、物欲、食物欲求、性的欲求、睡眠欲求、 .異性愛欲求(愛されたい、愛したい)
まだまだある…。
欲は希望に満ちているが
希望は絶望という感情に支配され破滅してしまう
もしもこの欲という感情がなしかねない。
人は無になり、苦しむことも、悩むこともないから
生き残れるが
無というものの代償は
欲という感情を手放すということで
楽しむことや、向上する、新たに作り出すことに威力もわかなくなり
完全な無は、生きたいと思う意味を忘れてしまう。
感情を手放すことは無を意味し、無は、生にも死にもなりえる。
感情がない方が生き残れるはずなのに、感情がない無の状態では
生きるということの意味が感じられない
この二つの矛盾を背負って
人間は生きている。
感情に傾いても、無にかたむいても
どちらかに傾き過ぎると、見失ってしまうのである。
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