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2017年03月03日
佐藤浩市ジュニア・寛一郎が俳優デビュー。映画「ナミヤ雑貨店の奇蹟」に出演
こんばんは〜
今日は、ブログを書きまくりです!
もう卒業のシーズンで慌しくなってくるので
書けるうちに書きためます!^^
ふと見た芸能ニュースより
目に留まったのでご紹介しますね。
故・三國連太郎さん(享年90)の孫で、
俳優・佐藤浩市(56)の息子が、
寛一郎(かんいちろう、20)の芸名で俳優デビューすることが
2日、分かった。
映画「ナミヤ雑貨店の奇蹟」(東野圭吾原作、廣木隆一監督、9月23日公開)で
主要な役を演じる。
・・・・・・・・・・本筋から外れますが、私はまだ作家の東野圭吾さんが無名のときに
娘が読んでた本が面白いと思い、東野さんシリーズをあれこれ読み漁っていました。
すると、その1年後、映画化されたり、賞に選ばれたりして、東野さんが一躍有名に!
驚きました!今では、押しも押されぬ売れっ子作家ですねー
それはともかく。
このほどスポーツ報知のインタビューに応じ、
役者になる決意に至るまでの経緯を語った。
プレッシャーも覚悟の上。
息子の選択に、佐藤はある言葉を返したという。
*佐藤浩市、亡き父三國連太郎さんに「感謝はある」
「よろしくお願いします。取材は初めてです」。
物静かな話し口調。
情熱が表に出る役を多く演じてきた父とは一見、
対照的でナイーブな印象を受ける。
スラリとした体形。
独特の雰囲気の持ち主だ。
幼いころは
「将来やりたいと思うものがない、夢のない子供でした」。
偉大な祖父、父のもとに生まれ
「いつも苦しさのようなものを感じていたのも事実です」
と言葉を選びながら、胸の内を明かす。
「それが思春期を過ぎて意識が変わった。17、18歳です」。
役者願望が芽生えたのは、
寛一郎をとてもかわいがっていたという三國さんが
旅立ったころと重なる。
父親の仕事をリアルタイムで見てきた。
その昔、父と祖父の間にわだかまりがあり、
父が苦しんでいたのも知っている。
そして「役を演じる」ことは
覚悟、真剣さ…全身全霊で臨むものだと理解している。
それだけに
「自分から『役者になりたい』と言うことが、
どれだけ恥ずかしいか。
他人にも、家族にもずっと言いませんでした」。
家族に将来を強制されたことは一度もない。
俳優になる決意を父親に伝えた。
世襲ではないのに親子3代。
わずかな沈黙の後、返ってきたのは「そうか」。
その一言だった。
「重くて、深い『そうか』だと受け止めました」
デビュー作「ナミヤ雑貨店の―」は、
たまたま入った雑貨店で起きる幼なじみの青年3人の、
時空を超えたファンタジーミステリー。
主演のHey! Say! JUMP・山田涼介(23)が
リーダー格の敦也役。
少年らしさを残す翔太に村上虹郎(19)、
寛一郎は、気は弱いが繊細で観察眼の鋭い幸平という
役どころを演じる。
三國さんと「釣りバカ日誌」シリーズで何度も共演した西田敏行(69)も
キーマンで出演しているのが心強い。
このほど撮影を終えた。
「すべてが興味深いもので、
これからもやらせていただきたい、と強く思いました」。
父も闘った重圧も覚悟の上。
「変なプレッシャーでなく、
むしろありがたいこと。
注目をプラスにできる強さを持っていたい」
穏やかに語る中に、
揺るぎないものを感じさせた。
◆寛一郎(かんいちろう)本名・佐藤寛一郎。
1996年8月16日、東京都生まれ。20歳。
父は佐藤浩市、母は俳優座に所属していた元女優の広田亜矢子。
高校卒業後、米ロスに短期留学。
映画「菊とギロチン」(来年公開)への出演も決まっている。
「5文字は長いので」と名字を取って名前を芸名にすることにした。
身長182センチ、体重60キロ。
なかなか、いいマスクをしている。
落ち着いた雰囲気を漂わせている。
今後に期待できそうな若手俳優だなと感じました。
今日はこの辺で。
おやすみなさい〜。
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今日は、ブログを書きまくりです!
もう卒業のシーズンで慌しくなってくるので
書けるうちに書きためます!^^
ふと見た芸能ニュースより
目に留まったのでご紹介しますね。
故・三國連太郎さん(享年90)の孫で、
俳優・佐藤浩市(56)の息子が、
寛一郎(かんいちろう、20)の芸名で俳優デビューすることが
2日、分かった。
映画「ナミヤ雑貨店の奇蹟」(東野圭吾原作、廣木隆一監督、9月23日公開)で
主要な役を演じる。
・・・・・・・・・・本筋から外れますが、私はまだ作家の東野圭吾さんが無名のときに
娘が読んでた本が面白いと思い、東野さんシリーズをあれこれ読み漁っていました。
すると、その1年後、映画化されたり、賞に選ばれたりして、東野さんが一躍有名に!
驚きました!今では、押しも押されぬ売れっ子作家ですねー
それはともかく。
このほどスポーツ報知のインタビューに応じ、
役者になる決意に至るまでの経緯を語った。
プレッシャーも覚悟の上。
息子の選択に、佐藤はある言葉を返したという。
*佐藤浩市、亡き父三國連太郎さんに「感謝はある」
「よろしくお願いします。取材は初めてです」。
物静かな話し口調。
情熱が表に出る役を多く演じてきた父とは一見、
対照的でナイーブな印象を受ける。
スラリとした体形。
独特の雰囲気の持ち主だ。
幼いころは
「将来やりたいと思うものがない、夢のない子供でした」。
偉大な祖父、父のもとに生まれ
「いつも苦しさのようなものを感じていたのも事実です」
と言葉を選びながら、胸の内を明かす。
「それが思春期を過ぎて意識が変わった。17、18歳です」。
役者願望が芽生えたのは、
寛一郎をとてもかわいがっていたという三國さんが
旅立ったころと重なる。
父親の仕事をリアルタイムで見てきた。
その昔、父と祖父の間にわだかまりがあり、
父が苦しんでいたのも知っている。
そして「役を演じる」ことは
覚悟、真剣さ…全身全霊で臨むものだと理解している。
それだけに
「自分から『役者になりたい』と言うことが、
どれだけ恥ずかしいか。
他人にも、家族にもずっと言いませんでした」。
家族に将来を強制されたことは一度もない。
俳優になる決意を父親に伝えた。
世襲ではないのに親子3代。
わずかな沈黙の後、返ってきたのは「そうか」。
その一言だった。
「重くて、深い『そうか』だと受け止めました」
デビュー作「ナミヤ雑貨店の―」は、
たまたま入った雑貨店で起きる幼なじみの青年3人の、
時空を超えたファンタジーミステリー。
主演のHey! Say! JUMP・山田涼介(23)が
リーダー格の敦也役。
少年らしさを残す翔太に村上虹郎(19)、
寛一郎は、気は弱いが繊細で観察眼の鋭い幸平という
役どころを演じる。
三國さんと「釣りバカ日誌」シリーズで何度も共演した西田敏行(69)も
キーマンで出演しているのが心強い。
このほど撮影を終えた。
「すべてが興味深いもので、
これからもやらせていただきたい、と強く思いました」。
父も闘った重圧も覚悟の上。
「変なプレッシャーでなく、
むしろありがたいこと。
注目をプラスにできる強さを持っていたい」
穏やかに語る中に、
揺るぎないものを感じさせた。
◆寛一郎(かんいちろう)本名・佐藤寛一郎。
1996年8月16日、東京都生まれ。20歳。
父は佐藤浩市、母は俳優座に所属していた元女優の広田亜矢子。
高校卒業後、米ロスに短期留学。
映画「菊とギロチン」(来年公開)への出演も決まっている。
「5文字は長いので」と名字を取って名前を芸名にすることにした。
身長182センチ、体重60キロ。
なかなか、いいマスクをしている。
落ち着いた雰囲気を漂わせている。
今後に期待できそうな若手俳優だなと感じました。
今日はこの辺で。
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What's your dream? 夢描くことを親に許されず、私は… 女優の山口智子さん
こんにちは〜
今日の記事より
ちょっと気になる内容を
チョイスしました!
山口智子さん談(夫は俳優の唐沢寿明氏)
人生は、自分で選びとるものだと思います。
人のせいにするのではなく、イエスかノーか、
自分で選択している限り後悔はない。
自分で選んだという自信が、人生を好転させていくと信じます。
大多数の声だけが、正解ではないはず。
人と同じである必要はまったくない。
自分の心の声に耳を傾け、
自分ならではの個性を育んで、
世の中の役に立つことだと思います。
今日、明日の結果だけではなくて、
たっぷりと時間をかけて、
色々な経験や感動を積み重ねていくことこそ、
人生のだいご味です。
まだ私も人生の旅の半ばですが、
もっとたくさん学んで、
自分は世界でいちばん幸せだと胸をはって誇れるような
、自分ならではの道を築いていきたいです。
でも、最初から自分のやりたいことが、
明確に見えている人は少ない。
私もずっと、親から強いられた道に従ってきました。
自分の夢を描くことを許されなかった、
子ども時代の苦しさがあったからこそ、
「選びとる人生」の素晴らしさを、
今実感できるのかもしれません。
小さいころからずっと、
家業の旅館を継いでおかみになるのだと、
親に言われて育ちました。
学生時代、週末はいつも旅館業の手伝いでした。
親は現場での実践修業が大切だから、
大学に進学する必要はないという考えでした。
私は家族の期待に応えたい一方、
本当にそれが自分の望む道なのか、
心を決めきれない葛藤がありました。
心のどこかで、自分の人生を見つけるチャンスを、
強く求めていたのだと思います。
受験が許されなかったので
受験せずに進学できる推薦入学という方法を見つけ、
「2年たったら帰ってくるから」と親を説き伏せ
東京の短大に入学しました。
期限付きの自由であることは、
もちろん覚悟していました。
女子学生寮での生活が始まりました。
門限も厳しい寮でしたがその中で、
何か新しいことを学びたくて、
声をかけていただいたモデルの仕事を始め、
色々なオーディションを受け続けました。
仕事の撮影がのびると門限厳守も徐々に難しくなり、
東京郊外の親戚の家に移り、
都心へ通いながら勉強と仕事を続けました。
そして23歳の時、たまたまモデル事務所に募集がきた、
NHKの連続テレビドラマ小説のヒロイン役のオーディションを受け、
幸運にも合格することができました。
まったく予想もしていなかった展開の中で、
俳優の仕事が本格的に始まっても、
「若い時にしかできない仕事だから」と親を説得し続けました。
しかし、仕事に全身全霊をかけているうちに、
いつのまにか親も私の選んだ道を認めてくれるようになりました。
目の前にある仕事が自分にあっているかなんて、
きっと誰にもわかりません。
でも、何かを変えたいと思ったら、
とにかく全力を注いで力を尽くして
これだと思える答えを、
自分で導いていくしかないのだと思います。
悩んでいる暇があったら、
イエスかノーか、自分の心に聞いて、
まず選択してみることです。
その選択の連続の先に、自分の未来が続いてゆく。
自分で選ぶ人生に誇りを持って進めば、
絶対に大丈夫!
自分の道を作っていくのは、自分しかいないのですから。
この7年ほどは、
世界の音楽文化を追う映像ライブラリー制作がライフワークです。
人間の共通言語である音楽を通し、
さまざまな土地の個性的な文化を学ぶことは、
俳優としての人間修業でもあると思います。
一生をかけて、学び続けていきたいです。
◇
1964年生まれ。栃木県出身。モデルを経て1988年、NHKテレビ連続ドラマ小説「純ちゃんの応援歌」で俳優デビュー。「ロングバケーション」などのドラマ出演のほか、世界の音楽文化を追う映像シリーズ「LISTEN.」(http://www.the-listen-project.com別ウインドウで開きます)をプロデュース。3月、スペシャルドラマ「LEADERS(リーダーズ)2」(TBS系列)に出演。
素敵な方ですね!
この話は
自由奔放に生きて、
親の思いとは違った人生を歩みつつある娘の半生と
それに反対しながらも少しずつ妥協点を見つけ
娘を応援していく方向に
傾きつつある私自身と、重なって見えます。・・
では、また!
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今日の記事より
ちょっと気になる内容を
チョイスしました!
山口智子さん談(夫は俳優の唐沢寿明氏)
人生は、自分で選びとるものだと思います。
人のせいにするのではなく、イエスかノーか、
自分で選択している限り後悔はない。
自分で選んだという自信が、人生を好転させていくと信じます。
大多数の声だけが、正解ではないはず。
人と同じである必要はまったくない。
自分の心の声に耳を傾け、
自分ならではの個性を育んで、
世の中の役に立つことだと思います。
今日、明日の結果だけではなくて、
たっぷりと時間をかけて、
色々な経験や感動を積み重ねていくことこそ、
人生のだいご味です。
まだ私も人生の旅の半ばですが、
もっとたくさん学んで、
自分は世界でいちばん幸せだと胸をはって誇れるような
、自分ならではの道を築いていきたいです。
でも、最初から自分のやりたいことが、
明確に見えている人は少ない。
私もずっと、親から強いられた道に従ってきました。
自分の夢を描くことを許されなかった、
子ども時代の苦しさがあったからこそ、
「選びとる人生」の素晴らしさを、
今実感できるのかもしれません。
小さいころからずっと、
家業の旅館を継いでおかみになるのだと、
親に言われて育ちました。
学生時代、週末はいつも旅館業の手伝いでした。
親は現場での実践修業が大切だから、
大学に進学する必要はないという考えでした。
私は家族の期待に応えたい一方、
本当にそれが自分の望む道なのか、
心を決めきれない葛藤がありました。
心のどこかで、自分の人生を見つけるチャンスを、
強く求めていたのだと思います。
受験が許されなかったので
受験せずに進学できる推薦入学という方法を見つけ、
「2年たったら帰ってくるから」と親を説き伏せ
東京の短大に入学しました。
期限付きの自由であることは、
もちろん覚悟していました。
女子学生寮での生活が始まりました。
門限も厳しい寮でしたがその中で、
何か新しいことを学びたくて、
声をかけていただいたモデルの仕事を始め、
色々なオーディションを受け続けました。
仕事の撮影がのびると門限厳守も徐々に難しくなり、
東京郊外の親戚の家に移り、
都心へ通いながら勉強と仕事を続けました。
そして23歳の時、たまたまモデル事務所に募集がきた、
NHKの連続テレビドラマ小説のヒロイン役のオーディションを受け、
幸運にも合格することができました。
まったく予想もしていなかった展開の中で、
俳優の仕事が本格的に始まっても、
「若い時にしかできない仕事だから」と親を説得し続けました。
しかし、仕事に全身全霊をかけているうちに、
いつのまにか親も私の選んだ道を認めてくれるようになりました。
目の前にある仕事が自分にあっているかなんて、
きっと誰にもわかりません。
でも、何かを変えたいと思ったら、
とにかく全力を注いで力を尽くして
これだと思える答えを、
自分で導いていくしかないのだと思います。
悩んでいる暇があったら、
イエスかノーか、自分の心に聞いて、
まず選択してみることです。
その選択の連続の先に、自分の未来が続いてゆく。
自分で選ぶ人生に誇りを持って進めば、
絶対に大丈夫!
自分の道を作っていくのは、自分しかいないのですから。
この7年ほどは、
世界の音楽文化を追う映像ライブラリー制作がライフワークです。
人間の共通言語である音楽を通し、
さまざまな土地の個性的な文化を学ぶことは、
俳優としての人間修業でもあると思います。
一生をかけて、学び続けていきたいです。
◇
1964年生まれ。栃木県出身。モデルを経て1988年、NHKテレビ連続ドラマ小説「純ちゃんの応援歌」で俳優デビュー。「ロングバケーション」などのドラマ出演のほか、世界の音楽文化を追う映像シリーズ「LISTEN.」(http://www.the-listen-project.com別ウインドウで開きます)をプロデュース。3月、スペシャルドラマ「LEADERS(リーダーズ)2」(TBS系列)に出演。
素敵な方ですね!
この話は
自由奔放に生きて、
親の思いとは違った人生を歩みつつある娘の半生と
それに反対しながらも少しずつ妥協点を見つけ
娘を応援していく方向に
傾きつつある私自身と、重なって見えます。・・
では、また!
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