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2024年10月27日

誰も知らない誕生日

誰からも
「おめでとう」と言われない
そんな誕生日

多くの人から祝ってもらえる人は
たくさんいるでしょう
いつもそれが当たり前で
そこに埋もれていく人のことは
忘れているのでしょう

当たり前なんてことは
ひとつもなくて
どれもこれも
奇跡のようなことなんだ

当たり前に思うことの
どれだけありがたいことか
そこに感謝えきてる人は
どれだけいるのだろうか

誰ひとり
自分の誕生日に声かけて
もらえないことを
想像できるだろうか
当たり前に多くの「おめでとう」を
いつももらえる人は
誰一人として言われないことなど
あり得ないと思うだろう

声かけられない人の責任と
思うだろう
起きている
奇跡に気が付かず
当たり前のことに感謝しない人は
それが消えた時
どう思うのだろうか

事実なんてものは存在しない
あるのは
解釈だけ

「おめでとう」をくれていた
たった一人の人も
消え去った

と解釈しようが
ただ単に勘違いしている
ただ単に忘れている
その人にとってはたいした問題ではなく
こちらがどう解釈するか
それだけ

たったひとり忘れずにいてくれたから
それだけで嬉しくて
日々がどんなにつまらなくなっても
生きてて良かったと思える日だったのが
もうなくなってしまったと
解釈した

それでいいじゃないか

明日からどう生きていようか
もうなにもない

嬉しかったのになぁ
親でさえ「おめでとう」など言わないから
何才になっても
誕生日は「おめでとう」が嬉しいものなのに
どうしてみんな
めでたくないとか言えるんだろう

がんばって生きてきたことに
おめでとうありがとう
なんじゃないのか
自分おめでとうこそ
当たり前の奇跡だ








posted by 彩沙 at 22:12 | 変な人の話

2024年10月26日

妬みの数は不公平の数

いろんなことを眺めて
ずるいなと思うことがたくさんある
なぜ
あんな無能野郎が
金もらってコーチやってんだとか
なんで力もさほどないのに
いつまでも同じチームにいられるんだとか
頑張っても損している人がたくさんいるのに
なんで
あんな奴がいつもひょひょいと
良い思いしてるんだよとか

ずるい
きたない
くそったれ

そんなことばかり
まったく納得できないことばかり
それでいて
損してる方が
妬みで恨むなんていけないことだとか
諭されて
損してる方が
相手の幸せ、成功を「よかったね」と
思わなきゃなんないとか
はあ?????
なんでそうなるの
いつもいい思いしてる奴らを妬んで
恨んで
何が悪いんだよ

同じように認めてほしいのに
「いいね」をくれる人もいないのに
なんで
たくさんの「いいね」やフォロワーや
常に反応してもらってる奴らを
妬んで当然だろ

そいつらのことを
良かったね!なんて思えるわけねーだろ

同じような投稿してても
勝手にお勧めされる投稿は
「いいね」がものすごくたくさんあって
んなもん
見たくもねーわ

自分はだれひとり見てもらえない
認めてもらってない
不公平なことばかりなのに
なんで
こっちがそいつらの幸せを願う必要
あんのか

意味わかんね

妬みしかないから
それに関わるものは見聞きしない
応援するなんて
ありえないね

不公平だろ
ずるいだろ
納得いかないだろ
そんなものに心から応援とか
「いいね」とか
思うわけないだろ

自分を棄てた相手のことを
「本当に好きなら相手の幸せを願うものだ」とか
えらそうな偽善ぶったこと言う奴いるけど
それはそれぞれの勝手だろ
偽善者のもの刺して他人のことに
口出してんじゃねーぞ
そういうことをできるあんたは
偉いんすねえ〜って言ってほしいのか?

無能野郎を恨んで何が悪い
来たねー野郎は死んでも許さない

ふと思い出しては

あのやろう まだ生きてんのか
とっととしんじまえ
と思っている

幸せなんか願う必要はない




posted by 彩沙 at 16:46 | 変な人の話

2024年10月25日

価格ではなく自分の機嫌を優先する

ウォーターサーバーを変えるか
ボトルの内容量を割高な半分のものにするか
決断の時がきた!

長年。ウォーターサーバーを利用し
もう10年以上同じメーカーだったが
最近は
上部にボトルを持ち上げて
好感することが異常にいらだつようになった

ボトルが重いのは10年以上わかっている
わかっていながら
少しずつ、負担だなと感じ始めたこの頃
持ち上げても上からストンとボトルを刺せず
脇に当たったり勢いついて投げ入れてしまったり
あちこち当たって中身の水に影響は
ないのかと
異常にきにするようになって
好感が ものすごいストレスになった

さっきも好感をしたが
どうにも昔のように
上から差し込めるところまで
どうしても持ち上げることができない
何回かやり直したが
どうしてもできない
だんだんイライラしてきて
最終的に
斜めから勢いで乱暴に投げ入れるように
重さに耐えられず手を放して
やっと交換したところだ
ものすごいストレス
こんなことでイライラが止まらない
何が気に入らないのか
「こんなものもう無理だ!!!」と
他者のサーバーを調べ始める

半分の量にすると割高なことは
わかっている
それでも
好感の旅に自分自身の機嫌が損なわれ
しばらく収まらないイライラ不機嫌を
毎回味わうことを解消するべきだ
そう思って
時間から半分の量のボトルにすることにした

以前、担当者にその話をしたら
半分になるとかなり割高だと
説明されて一旦は思いとどまったが
やっぱり
だめだよ
こんなことで不機嫌になってるんじゃ
その自分を責めてしまうなんて
自分がかわいそうだよ

なんでここで我慢しなきゃなんないの
いったい
いつまで
どれだけの我慢をし続けるの

こんなことでって
それで城東じゃないか

自分の機嫌を損なうことを
避けて何が悪い

半分のボトルを試してから
気に入らないなら
また別のサーバーを検討する

我慢とか妥協とか
いったいなんの意味があるんだ!!!




posted by 彩沙 at 16:33 | 変な人の話

2024年10月03日

美容室が怖くなった理由

プロとは言えない技術の美容師が
ずっとそこで勤めてるから!!


気に入ったお店もできず
毎回初めてのお店で
大満足とはいかないまでも
「こんなもんか」と思ってきたが

ロングだった髪を
ウルフカットでイメージの画像も
決めて頼んだのに
肩までのボブからの
顔周りのみ 少しだけ短いと言う
謎のスタイルにされたのだった

長さを肩までただ切るだけだったから
めちゃくちゃ時間が早く
両サイドが少し短いだけの

なんだこれ?
これがウルフかよ?
というのが率直な思いだった

こんなカットで
平気な顔して
「これなら動きも多少出ます」
って言いぐさにびっくり

こんな仕上がりであんたは
プロとして
いいと思ってんのか?
これでお金取るのも当たり前?
いつもこんな
自分でも切れるようなカットしてんの?

びっくりというか
ショックというか
言葉がなかったし
もうクレームする気にもなれない
クレームしても
またどんだけひどいカットされるかと
思うと怖すぎる
その人 何年もその店にいるんだよ
信じられない

何も言わずにいると
「もっといいのは縮毛ですよ」
だと?
カラーを勧められて
「白髪染めはしたくない」と言うと
「白髪染めじゃないと染まりません」と
言い切った
こんなカットしといて
あんたの言葉なんの信憑性もないんだが?

ウルフカットを頼んだのに
まったく違っていたという
口コミもあって
担当がそいつの名前だったが
そのコメントに対して
「中傷するような書き込みはやめろ」的な
返信してて
またびっくり

この辺にはろくな美容室がないんだと
他の店にも悪影響だ
他も似たような感じなの2件ありますけどね

だから
美容室はこわすぎて行けない
わざわざお金払って
嫌な目に遭いたくないもんね

人間性が変なのもいたし
お試しの客には手抜きする奴もいたし

だから自分で染めて
できるならセルフカットに挑戦するか
また美容室ジプシーか

めんどくさ



posted by 彩沙 at 21:50 | 変な人の話

2024年09月29日

家事が負担過ぎて自由になりたい話

これが当たり前だから
ずっとやってきたから
イヤになっても
やり続けるしかない
家事
得意なことでもない
好きでもない
家事
毎日一生休みなく
くり返される
家事
子供がいる時にはそれは
負担と感じることなく
当たり前にやってきたが
自分の人生を思うようになった
この頃には
年齢のせいか性格かしらんが
めんどくさくて苦痛な
家事
人が使ったコップを洗うのは私
さっき洗ったばかりなのに
また使いっぱなし
上手く作れない料理も
日に日に嫌いになるが
それなりに適当に
自分が少しでも楽になるように
食事の用意をする
断ちっぱなしで準備して
座って食べて15分ほどで
また立ちっぱなしの後片付け
のんびり食事を楽しむとか
何かの会話をするとか
ゆっくりする時間なんかありゃあしない
私が使ったものは
誰も片付けないのに
トイレも風呂も洗濯も食事も
私のために準備されることもないのに
たまに欲しい家電の話をしてみると
「よく買うなぁ」と
まるでいつも買いまくってるかのような
嫌味しか返ってこない会話
買うったって
私だけのぜいたく品とかじゃなくて
家電だ
接活用品だ
3年前に買った掃除機のあとは
何も買ってないだろうが!
それで「よく買うなぁ」とか
呆れた顔で嫌味とか言われるんだよ
人に尽くすことに幸せは感じていません
私は
あんたの母親じゃねーよ
自分で使ったコップを置きっぱなしにするのを
指摘すれば
「だって勝手に洗ったら怒るから」という
被害者意識の言葉しかない
それなら
使った後に私に聞けよ
母親が子供のことを当然のように
喜んでやってるのとは
わけが違うんだよ
毎日やっているときに
「なぜやりたくないことをやるんだろう」と
虚しい気分にさせられる
家事

たまには弁当でも買ってこい
たまには外食にしろ

たまには実家に行って
一週間くらい私を自由にしろ





posted by 彩沙 at 22:26 | 変な人の話

2024年09月28日

人生がかなしくなるくだらない理由

夕食の支度をしていて
ひとりで暑いことにイライラするのは
座っているだけの配偶者は
必要がないからたいがい
エアコンを点けないでいる
わざわざキッチンからエアコンのリモコンを
取りに行き
配偶者の目の前で付ける
イライラしながら
「こっちは断ちっぱなしで
火を使ってごちゃごちゃやってるから
暑いんだよ!!!!という気持ちが
爆発する
そうすると
「そんな怒って言わなくたっていいだろ」と
ものすごく嫌な顔をして半ギレで言う
その顔が私に意地悪だった姑とそっくりで
ますますキレて大声で言い返す
嫌味を言う姑を思い出す

普段 食事の時にしか一緒にいないが
会話するでもなく
テレビに向かい合うために
椅子を斜めにして食事をする
向かいに座る人間は無視で
テレビと食事をしている
その食事を用意している私のことは
なんだと思ってんだといつも思う

あの親にしてこの子ありとは
本当なんだと痛感する

どれだけ言っても
人の言ってることはあ最後まで
聴けない相手に
同じように怒鳴りまくるしかできない
そこで
あの婆そっくりな嫌なだみ声を
耳に入れるなんて絶対にしたくない
言い争いの時の
年寄りの声はとても汚い
聞くに堪えない声になる
だからそれが聴こえないくらいの
大きな声で怒鳴りまくるしかできない

こういう言い合いになるのは
人生の無駄だ

普段から会話しないのに
私の言うことを最後まで聞かずに
適当に返事をするような奴が
こういうときだけは
文句言うのか!!と言っても
自覚できないからしかたない

婆と一緒だから
次からはまた嫌味な言動をすると
予測される
だから
二度と話をしないようにする

自分のため
自分がずっと嫌な気分を引きずるのは
許せない
私は異常なんだ
ずっと気にしてばかりだ

誰とも暮らせないんだ
本当は
ひとりでいるほうが楽にいられるんだ
いろんなことを考えてしまう質が
無くなってしまえばいいのに
自分以外の人のことを考えたり
気にしたりしたくない
もうくたびれた

この年齢になって
人生が半分以上
自分のものじゃなくなってしまったなと
思うばかりで
どうしても
納得できないままだ

このまま一生が終わるのか
それが一番 さびしいな
なんとかしたいが何もできていない

くやしい
かなしい

人と関わるのがこわい
たとえ家族でも
こわい







posted by 彩沙 at 23:37 | 変な人の話

2024年09月24日

心の負担になっていることには

それをやらなければいいのだ
けれど
誰かと暮らしていてずっと
やってきた適当でもなんでも
食事の支度をやってきたことだから
心が楽になるために
やらないという選択肢を選べない

毎回毎回
たいしたものを用意するわけでもない
ものすごく適当だ
しかし
食事の支度そのものが負担になる

スマホゲームしてる誰かを視界に入れながら
準備して作って洗い物してることに
異常なほど
めんどくさくばからしく腹立たしい

わが子にすることは
微塵も負担なことはない
自分のカラダから生まれた子だから
当然だろう

なぜこんなに負担になっているのか
面倒ということが
心を重くする

私も座っていれば
食事が出てくるという幸せを
たまには味わいたいものだと思う
作らないでいいのなら
弁当でも外食でも
バラ色の毎日なのにと思っている

今時は美味しそうな冷凍の総菜が
多く販売されていて
ひとりで暮らしているのなら
これで十分
自分で創るよりずっと体によさそうだ

今はまだ
ぶつくさ文句を言いながら
なんとか
手抜きで
洗い物も少なく
包丁も使わずに済むように
朝食のようなおかずばかり用意する
それすら
面倒すぎる
なぜ
やりたくないことを続けるんだ
私は飯炊き婆じゃないんだ
料理は嫌いだ
キライなことを一生
毎日するなんて
もうなにも良いことないじゃないか

ここまで悲観し始める
自分の人生をずっと考える

子供ともろくに会えないし
楽しみもないし
自分の意思は無視されるし

自分を大切にって
自分をご機嫌にって
自分を愛するって
どういうこと

毎日
やりたくないことを
いやいやで面倒くさくて
やってらんねーよと
文句言いながら一生やるってことか

やらなくてもいいのか
それができないから
心が重くなるんだ

やりtかうない自分は
全然ダメじゃないんだ
文句言いながらでも
やけくそでも
食事の支度ができてるうちは
よしとするか

それしかできない
やめるこおtも
たまにはやってみればいい
どうしてもの時には
「やりません」と宣言したっていい

まだまだ
心の負担と言っても
「あーめんどくさ」と愚痴って
つまんねーなーとぼやいてるだけだ

この言葉すら発せなくなった時は
危険なのかもしれない
文句が言えるうちはまだ
めんどくさい中にも心には
余裕があるんだ

良い言葉を使えば
良いことが
なーんて言っても

愚痴ったっていいじゃんか
愚痴りたいんだよ
やってらんねーんだよ
あー食事の支度つまんねーーーー
言いたいんだから言えばいい
無理して
良い言葉を使っても
苦しいだけなら無意味だ

なぜ面倒なのかを探ってみれば
話は長くなることだろう
たくさんの時間が積み上げた
たくさんのことがあって
今 
飯炊き婆でいることが耐えられん
ただ それだけ

思うことは書くと少し気が晴れる
気がする




posted by 彩沙 at 00:05 | 変な人の話

2024年09月21日

自分の人生を生きたい

私には意思がある
好みもあるし
食べたいものもある
いつも私の意思はないものに扱われ
tyっと主張すると
「なにわたしわたしって」とか
「じゃあ勝手にしろ」とか
なんで
まともに聞かれないんだろう
私は意思をもってはいけないのか
言いなりでなきゃ
キレられるのか
私は飼われてるのか

私はショートケーキが好きではない
私は餃子以外のものも食べたい
私は料理するのがキライだ
私は人の世話なんか嬉しくない

誰かと暮らしていても
その人の世話しかない人生なんて
もううんざりだ
私が喜ぶことなど考えたこともないだろう

いて当たり前
家事して当たり前
座ってりゃいいだけの人には
わからない
養われてるのだからと
世間の常識かしらんが
私にだけ
ドケチなのを我慢しろというのか
十分すぎるほどの
小遣いをもらってるならともかく
私にはドケチ

私はなんの贈り物もされたこともない

世話してほしいなら
もっと
私に意思があることに気づけ

自分の人生なんかどこにある
これ一生おわるのかと思い
毎日
悲しくなる日々なんだ

私だけが感謝しなきゃいけないのか
なんでだ
なんで私は
なんにもやってもらえないのに
母親でもないのに
世話するだけの毎日なんだ

転勤で当然のように一緒に移動して
私のこれまでの生活がまたゼロになるのを
なんとも思わないのか
仕事があるならまた新たな場所でも
人と関わっているだろう
もう3年
仕事があることはいいことだと思うが
私は
ひとりで
いまだにこの街にはなじめない
友達などいらないが
生活環境はまるで違って
何もない日々だ
ますます出かける気も失せて
なんも無くなった

3年間いったいなにをしてきたんだろう
楽しみもなくなったし
気力もないし

つまらん

元気に前向きにポジティブに
なんて
もう無理らしい

美味しいものが食べたいなぁ
そうでなくても
変な人なのに
これからどうする

自分の人生



posted by 彩沙 at 23:20 | 変な人の話

2024年09月18日

楽しみが見つからない時は

しょうがない
ということだから
楽しみはみつかりません
楽しめません
それでいいよ今は!!!と
断言する
それしかできない
そういうお年頃なのかもしれない
精神的なことかもしれない
そんなことはどうでもいい

楽しくないから
だからどうした

それでも
何かやっているだけ
つまんなくても
とにかく生きてること
なんて
有難いことでしょう
つまらん文句言えることは
なんと幸せなことでしょう

お金がなくて
必死で現金を作っていた毎日
督促の電話や手紙に怯えて
1日に何度も郵便受けのチェックして
家族に先に観られないように
必死になっていた毎日

何かをゆっくり楽しむような
心境ではまるでなかった
それでも生きていた
それを思えば

今は なんて幸せなのか
楽しいことがなくたって
あんな必死にお金を集めてた日々より
全然
幸せ

あの時は
つまんない愚痴も不満も
感じる心の余裕などなかった
お金のことで精いっぱい
自分だけで全部解決する気でいたから
周りのことなんか
何も見えてない
だから
小さな文句は
今が けっこう幸せってこと

楽しいことなんか何もない!!
って不満を言えることが
幸せだってこと

愚痴言う余裕があるって
恵まれてるってこと

だからって
それに感謝しなきゃあねえ
とはいかない

感謝などしたくもない
無理に良い言葉を使う気にもならない
それはそれでよし

そうしたいから
そうする

楽しみが何もないけど
それがどうした

それはそれで
なんの問題もない!!!





posted by 彩沙 at 23:12 | 変な人の話

2024年08月31日

全否定な会話

私「明日、遊びに行こうかと思う」
母「暑いけど大丈夫?駅から10分は歩くわよ」
私「ものすごく暑くて仕方なければバスに乗るよ」
母「でも、バス待ってる時に暑いわよ」
私「屋根もあるし10分歩くよりいいよ」
母「でも、バス待つ時間で問着できるよ」
私「暑くて歩くのきつそうなら乗るしかない」
母「バス待つのも暑いのに大丈夫?」
私「どうしてもならタクシーに乗るよ!!」

最後は大きな声出して
言い切らないと
言うことすべてを
どうしても否定して返すから
話が進まずまとまらず
イライラするだけだ

以前は
駅から10分ちょっとあって
けっこう歩くの大変だという話には
私はその頃歩くのは今より全然平気だったので
「大丈夫でしょそれくらい」と言ったら
「いやあ、歩くの大変だからバス乗ればいい」と
言っていた母でした

結局
中身はどうでもよく
とにかく反対のこと
否定することしかしないから
その逆を言えばそれを否定してくるので
私が「はいはい」と聞き入れるまで
話は進まず終わらないのだ

相手の言うことを
まったく聞き入れていないのだ
聞いていったん理解するということを
すっ飛ばして
なにがなんでも否定して返す
それしかしないから
なんの話もできなくなるのだ

聴きたいことがあっても
全部自分の話に変えてえんえんと
話すので
こっちが何を話したかったのか
さっぱりわからなくなってしまう

否定して返すことが
頭のいい人のつもりか
考えてものを言ってるわけではない
ただただ
でも、だって、だけど

否定語を出して
それに合わせるように
何がなんでも否定することを言う

あれほどバスに乗る話に否定していたのに
帰りには
母「荷物持って10分も歩ける>大丈夫?」
私「平気でしょ、バス待つの面倒だし」
母「でも、途中で歩けなくてタクシーなんて」

ここで自分で何を言いたいか
わかってなかったのか
言葉が止まったが
私はもう何も言わなかった

きっと
バス待つの面倒だという私の言葉を
なんとか否定しようとしたが
うまく言葉が出なかったのかと思った

何が言いたいのかさっぱり
わからん
なんの意味もないから
こっちはわかるわけない

いつもいつも否定され続けては
何か言ってもイライラするばかりで
話す気も失せるし
期限も悪くなってしまう
態度が悪くあると
今度は私が悪者にされる

毎回、もう少し優しい気持ちで
母と過ごせればいいなと思うが
それができなくて
また今回も
やさしく対応できない自分を責めつつ
イライラは収まらず
自宅に戻ってから
「また優しくできなかったな」と
くたびれてしまう

元気で会いにいけるだけでも
元気で会えるだけでも
素晴らしく幸せなことなのに
辛抱できないことが増えるばかり

自分は息子の言うことを
否定していなかっただろうか
ちゃんと話を聞いて理解しようと
していただろうかと
何度も思い出してみる

人生をもっと楽しく生きたい

元気でありがとう
いつもすみません




posted by 彩沙 at 22:52 | 変な人の話
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