「おめでとう」と言われない
そんな誕生日
多くの人から祝ってもらえる人は
たくさんいるでしょう
いつもそれが当たり前で
そこに埋もれていく人のことは
忘れているのでしょう
当たり前なんてことは
ひとつもなくて
どれもこれも
奇跡のようなことなんだ
当たり前に思うことの
どれだけありがたいことか
そこに感謝えきてる人は
どれだけいるのだろうか
誰ひとり
自分の誕生日に声かけて
もらえないことを
想像できるだろうか
当たり前に多くの「おめでとう」を
いつももらえる人は
誰一人として言われないことなど
あり得ないと思うだろう
声かけられない人の責任と
思うだろう
起きている
奇跡に気が付かず
当たり前のことに感謝しない人は
それが消えた時
どう思うのだろうか
事実なんてものは存在しない
あるのは
解釈だけ
「おめでとう」をくれていた
たった一人の人も
消え去った
と解釈しようが
ただ単に勘違いしている
ただ単に忘れている
その人にとってはたいした問題ではなく
こちらがどう解釈するか
それだけ
たったひとり忘れずにいてくれたから
それだけで嬉しくて
日々がどんなにつまらなくなっても
生きてて良かったと思える日だったのが
もうなくなってしまったと
解釈した
それでいいじゃないか
明日からどう生きていようか
もうなにもない
嬉しかったのになぁ
親でさえ「おめでとう」など言わないから
何才になっても
誕生日は「おめでとう」が嬉しいものなのに
どうしてみんな
めでたくないとか言えるんだろう
がんばって生きてきたことに
おめでとうありがとう
なんじゃないのか
自分おめでとうこそ
当たり前の奇跡だ
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