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2024年09月24日

心の負担になっていることには

それをやらなければいいのだ
けれど
誰かと暮らしていてずっと
やってきた適当でもなんでも
食事の支度をやってきたことだから
心が楽になるために
やらないという選択肢を選べない

毎回毎回
たいしたものを用意するわけでもない
ものすごく適当だ
しかし
食事の支度そのものが負担になる

スマホゲームしてる誰かを視界に入れながら
準備して作って洗い物してることに
異常なほど
めんどくさくばからしく腹立たしい

わが子にすることは
微塵も負担なことはない
自分のカラダから生まれた子だから
当然だろう

なぜこんなに負担になっているのか
面倒ということが
心を重くする

私も座っていれば
食事が出てくるという幸せを
たまには味わいたいものだと思う
作らないでいいのなら
弁当でも外食でも
バラ色の毎日なのにと思っている

今時は美味しそうな冷凍の総菜が
多く販売されていて
ひとりで暮らしているのなら
これで十分
自分で創るよりずっと体によさそうだ

今はまだ
ぶつくさ文句を言いながら
なんとか
手抜きで
洗い物も少なく
包丁も使わずに済むように
朝食のようなおかずばかり用意する
それすら
面倒すぎる
なぜ
やりたくないことを続けるんだ
私は飯炊き婆じゃないんだ
料理は嫌いだ
キライなことを一生
毎日するなんて
もうなにも良いことないじゃないか

ここまで悲観し始める
自分の人生をずっと考える

子供ともろくに会えないし
楽しみもないし
自分の意思は無視されるし

自分を大切にって
自分をご機嫌にって
自分を愛するって
どういうこと

毎日
やりたくないことを
いやいやで面倒くさくて
やってらんねーよと
文句言いながら一生やるってことか

やらなくてもいいのか
それができないから
心が重くなるんだ

やりtかうない自分は
全然ダメじゃないんだ
文句言いながらでも
やけくそでも
食事の支度ができてるうちは
よしとするか

それしかできない
やめるこおtも
たまにはやってみればいい
どうしてもの時には
「やりません」と宣言したっていい

まだまだ
心の負担と言っても
「あーめんどくさ」と愚痴って
つまんねーなーとぼやいてるだけだ

この言葉すら発せなくなった時は
危険なのかもしれない
文句が言えるうちはまだ
めんどくさい中にも心には
余裕があるんだ

良い言葉を使えば
良いことが
なーんて言っても

愚痴ったっていいじゃんか
愚痴りたいんだよ
やってらんねーんだよ
あー食事の支度つまんねーーーー
言いたいんだから言えばいい
無理して
良い言葉を使っても
苦しいだけなら無意味だ

なぜ面倒なのかを探ってみれば
話は長くなることだろう
たくさんの時間が積み上げた
たくさんのことがあって
今 
飯炊き婆でいることが耐えられん
ただ それだけ

思うことは書くと少し気が晴れる
気がする




posted by 彩沙 at 00:05 | 変な人の話
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