けれど
誰かと暮らしていてずっと
やってきた適当でもなんでも
食事の支度をやってきたことだから
心が楽になるために
やらないという選択肢を選べない
毎回毎回
たいしたものを用意するわけでもない
ものすごく適当だ
しかし
食事の支度そのものが負担になる
スマホゲームしてる誰かを視界に入れながら
準備して作って洗い物してることに
異常なほど
めんどくさくばからしく腹立たしい
わが子にすることは
微塵も負担なことはない
自分のカラダから生まれた子だから
当然だろう
なぜこんなに負担になっているのか
面倒ということが
心を重くする
私も座っていれば
食事が出てくるという幸せを
たまには味わいたいものだと思う
作らないでいいのなら
弁当でも外食でも
バラ色の毎日なのにと思っている
今時は美味しそうな冷凍の総菜が
多く販売されていて
ひとりで暮らしているのなら
これで十分
自分で創るよりずっと体によさそうだ
今はまだ
ぶつくさ文句を言いながら
なんとか
手抜きで
洗い物も少なく
包丁も使わずに済むように
朝食のようなおかずばかり用意する
それすら
面倒すぎる
なぜ
やりたくないことを続けるんだ
私は飯炊き婆じゃないんだ
料理は嫌いだ
キライなことを一生
毎日するなんて
もうなにも良いことないじゃないか
と
ここまで悲観し始める
自分の人生をずっと考える
子供ともろくに会えないし
楽しみもないし
自分の意思は無視されるし
自分を大切にって
自分をご機嫌にって
自分を愛するって
どういうこと
毎日
やりたくないことを
いやいやで面倒くさくて
やってらんねーよと
文句言いながら一生やるってことか
やらなくてもいいのか
それができないから
心が重くなるんだ
やりtかうない自分は
全然ダメじゃないんだ
文句言いながらでも
やけくそでも
食事の支度ができてるうちは
よしとするか
それしかできない
やめるこおtも
たまにはやってみればいい
どうしてもの時には
「やりません」と宣言したっていい
まだまだ
心の負担と言っても
「あーめんどくさ」と愚痴って
つまんねーなーとぼやいてるだけだ
この言葉すら発せなくなった時は
危険なのかもしれない
文句が言えるうちはまだ
めんどくさい中にも心には
余裕があるんだ
良い言葉を使えば
良いことが
なーんて言っても
愚痴ったっていいじゃんか
愚痴りたいんだよ
やってらんねーんだよ
あー食事の支度つまんねーーーー
言いたいんだから言えばいい
無理して
良い言葉を使っても
苦しいだけなら無意味だ
なぜ面倒なのかを探ってみれば
話は長くなることだろう
たくさんの時間が積み上げた
たくさんのことがあって
今
飯炊き婆でいることが耐えられん
ただ それだけ
思うことは書くと少し気が晴れる
気がする
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