「まま、その話は後でいいとして…。もう一杯、どう?」
ポットの口から湯気と共に漂ってくる香りが、圭の脳を刺激してくる。
「あ…。じゃあ、もう一杯……」
話の腰を折られたこともあるが、圭は歩美の声に応じ再び注がれたお茶をゆっくりと堪能してしまった。
「あぁ…。本当に美味しいですのね。このお茶は…」
「でしょ?だからもう一杯」
圭の返事を待つことも無く、またまたお茶が注がれていく。
「あ、歩美さん。ありがとうございます…」
だが圭も断る気持ちはないようで、そのままカップに口をつけてお茶をごくごくと飲み込んでいった。
「ふぅ……。歩美さん……、もう一杯いただけませんでしょうか……」
今度は圭のほうから歩美におかわりを迫ってきた。
「いいよー。どうぞどうぞ」
「あ……、ああっ!」
圭は、歩美が注いだカップを奪うように掴むと息をするのも惜しいといった勢いで喉に流し込んでいった。
「ハアッ、ハアッ、ハアァッ……。おいしい、本当に、おいしいですわ……。歩美さん……も、もう一杯……」
歩美の前にカップを突き出す圭の瞳は尋常でない光を放っている。まるで、禁断症状に苦しむ麻薬患者のようだ。
「ち、ちょっと……、お茶もいいけど玉王のことについて話すことが……」
「そんなことはどうでもいいですわ!!とにかく早く!早く!!早く早く早くお茶をください!くださいぃ!!」
今の圭に玉王の話など何の価値も意味も無い。今、圭が考えられるのは自分の心を捉えて離さない魅惑的なお茶の事だけだった。
「そ、その…そのティーポットをよこしなさい!!」
目を異常にぎらつかせた圭は歩美が持っていたティーポットを強引に奪い取ると注ぎ口に直接口をつけ、そのままグビグビと飲み始めた。
(おいしい……なんて、なんておいしいのでしょう!!)
あまりにもはしたない姿を歩美の前で晒しているとか、熱いお茶を直接飲んで口を火傷しないのかとか考える余裕は無かった。そして、自分がどう考えても異常な行動に走っていることを省みる心も無かった。
「んっ…んんっ……んぐっ………ぷはぁっ………」
首が折れそうなくらいに反り返り、喉の周りをお茶でだらだらに濡らしながらとうとう圭はポットいっぱいのお茶を飲み干してしまった。
「あ……ない……。もう、ない………いいぃぃっ!!」
ポットの注ぎ口を限界まで下げ、落ちる滴すら出なくなると、圭はティーポットをパッと手放した。歩美の部屋の絨毯に落ちたポットはパチッと澄んだ音を立てて取っ手が割れ、ごろごろと転がっていった。
「歩美さぁん……もっと、もっとあのお茶をください!もっと、もっともっともっともっとぉ!!!」
圭は狂気をはらんだ目を歩美に向け、ガバッと飛び掛ると襟首を掴んでお茶をせがんだ。
「もう…圭ちゃんったら飲みすぎ……。まさかこんなに効くとは思わなかったよ……」
圭に力いっぱい掴まれながらも、歩美はどこか余裕のある口ぶりで話し掛けた。
「でもね…、もうあのお茶は無いの。今ので全部使っちゃったから、また新しく作らないといけないの」
「新しく……作る……?!なら早く!早く作ってください!」
目を血走らせてせがむ圭に、歩美は申し訳ないと言った風に頬をぽりぽりと掻いた。
「でも……面倒なのよ。あのお茶を作るの……だって……」
「だってもなにも!早く!!」
「だって…、あのお茶は……」
そこまで言ってから、歩美の顔に突然邪悪な笑みが浮かんだ。
「だってあのお茶、人間の心臓を磨り潰さないと作れないんだもん」
「えっ……」
歩美の言葉を耳にし、圭は狂乱状態の心にどっと冷や水が注がれたような衝撃を受けた。暴走して熱持っていた心は一気に冷静に帰り、お茶への堪えがたい飢餓感もさぁっと醒めていった。
「人間の……なんと仰いました……?」
もしかしたら聞き間違いだったのかもしれない。圭はそう思い改めて歩美に聞き尋ねた。しかし、
「し・ん・ぞ・う。今日のは肉人形にしたママのを抜いて言われたとおりに作ってみたんだけれどいい出来だったでしょ。あまりのおいしさに一時も手放せなるくらいに……
ああ、圭ちゃんは身を持って知っているよね。何しろ、私からポット奪ってまで飲んだんだもの!クフフフフッ!!」
歩美の口から嘲笑と共に返ってきたのは圭が先ほど聞いたとおりのものだった。
「どうだった?ママの心臓の味!おいしかったでしょ!!おいしかったでしょ!!キャーッハッハハハハァーッ!!」
圭に向けてゲラゲラと笑い狂う歩美の全身から、目に見えるほどの邪悪な気配が噴出してきている。それに伴い、歩美の髪が次第に赤く染まっていった。
「あ、歩美さん……あなたは………」
「ウフフフ……、圭ちゃん…。見て、この体……素晴らしいでしょ……。生まれ成った、私の体……」
燃えるような赤い髪。歪んだ欲望にぎらつく瞳。体の節々から噴き出る邪悪な瘴気。そして、はだけた胸の谷間に光る『玉』の字。
「私はアユミ。玉王様に選ばれ、偉大なる使命を仰せつかった性戯使徒・アユミ!!」
「歩美さんっ?!」
歩美の口から放たれた言葉に圭は言葉を失った。あの玉王に敬称を付けたのみならず、自らのことを『性戯使徒』と呼んだことに。