2015年10月18日
沖縄の真実!沖縄は昔は外国だった?!アロハシャツは沖縄にルーツがある!?知られざる琉球文化を学ぼう!!
先日沖縄に行ってきまして、現地の方「うちな〜んちゅ」の方々と島酒を飲みながら、いろいろな琉球文化について教えていただきました。目から鱗の話ばかりで、ぜひ皆さんにも沖縄の歴史と文化を知っていただきたいと思います。知れば知るほど沖縄が好きになること間違いなし!!
@沖縄は昔は外国だった!?
沖縄は、明治時代の始まる200年前までは日本とは別の琉球王国(りゅうきゅうおうこく)という外国でした。1429年から1879年の450年間、沖縄本島を中心に存在した王国で、正式には琉球國(りゅうきゅうこく、琉球語(琉球方言):ルーチュークク)と称していました。
最盛期には奄美群島と沖縄諸島及び先島諸島までを統治し、王家の紋章は左三巴紋で「左御紋(ひだりごもん、フィジャイグムン)」と呼ばれました。第一尚氏の時代より、使用され、紋章は尚氏王朝のみの特別なものとして扱われていたようです。沖縄に本格的に家紋が根付いたのは、薩摩藩島津氏の琉球出兵からとされ、目結紋や引両紋など、本土と同形のものも多く見られますが、沖縄独自のものも多いです。ぜひ首里城などで、家紋を探してみてください。
琉球王国の勢力圏は、総人口17万にも満たない小さな離島の集合でしたが、隣接する大国明・清の海禁や日本の鎖国政策の間にあって、東シナ海の地の利を生かした中継貿易で大きな役割を果たし、その交易範囲は東南アジアまで広がっていました。外交的に貿易上の理由から、明及びその領土を継承した清の冊封を受けていましたが、1609年に日本の薩摩藩の侵攻を受けて以後は、薩摩藩による実質的な支配下に入りました。ただし対外的には独立した王国として存在し、中国大陸、日本の文化の影響を受けつつ、交易で流入する南方文化の影響も受けた独自の文化を築き上げていました。
「琉球」の最初の表記「流求」が史書に登場したのは636年『隋書』の東夷伝、「沖縄」の最初の表記「阿児奈波」が史書に登場したのは779年『『唐大和上東征伝』なので、「おきなわ」という名前は昔からあったことがうかがえます。7世紀前後から13世紀までは、台湾も沖縄も奄美も小勢力の割拠状態であり、中国大陸や日本の中央政権からは認識が薄い状態でした。14世紀、沖縄本島中部を根拠地とする中山王が初めて明の皇帝に朝貢したことで認識が高まり、朝貢した沖縄地方を「大琉球」、台湾を「小琉球」とする区分が生まれ、その後、「琉球」は琉球王国(琉球國)の勢力圏を指す地域名称として定着していったようです。
「琉球」とは、かつての王国の名で、「沖縄」とは日本に帰属する名として沖縄人は認識しているようです。第二次世界大戦後、沖縄は米軍に占領統治されましたが、その時沖縄人に日本への帰属意識を持たせないために沖縄の自治政府の名を「琉球政府」としました。今でも、米軍が主導して作ったものには「琉球」の名が、沖縄人が作ったものには「沖縄」の名がつけられたものが多いです。沖縄の国公立大学が「琉球大学」で、私学に「沖縄大学」とつけられていることからもその名残がうかがえます。
沖縄の近代史はとても複雑でブラックなところがたくさんあります。第二次世界大戦で、沖縄では県で唯一地上戦が行われ、県民の25%である10万人という多くの民間人が命を落としました。沖縄で地上戦が行われたがために、戦争直後アメリカ軍が大量に上陸して占領し、たくさんの基地を作りました。第二次世界大戦でサンフランシスコ条約が締結されましたが、その第3条では沖縄がアメリカの統治下に置かれることが規定され、日本が敗北してからも沖縄には米軍の基地が作られ、在日米軍基地のうち75%が沖縄にあり、一般人が立ち入れないところがたくさんあるのです。そこにはもっと美しい場所があるはずで、そこはなぜかアメリカ人の兵士しか見ることができないんです。また、沖縄はアメリカのおかげで発展した、という考え方もあるそうですが、アメリカが沖縄のために出費したお金は沖縄返還の際に日本政府が全て支払っています。また、現在も沖縄在留の米軍基地への思いやり予算もたくさん支払っています。敗戦の賠償金だけでなく、現在もアメリカにお金を支払い続けているんです。言い方を変えれば、日本はアメリカに搾取されていると言えるかもしれません。そんな沖縄の悲しい部分を知っていましたか?美しいだけではない沖縄も知ってほしい、と思っています。
沖縄の歴史をもっと知りたいと思った方はここをクリック
漫画家小林よしのり氏は、他の人とは違う切り口で沖縄の歴史について切り込んでいます。こういう考え方もあるのかもしれないな、と参考までに。マンガですので、とても読みやすいですよ。
A日本人の祖先は沖縄から来た!?
沖縄の南部に沖縄ワールドというテーマパークがあるのはご存じでしょうか。ここでは、沖縄独自の文化、琉球文化を体験することができます。この沖縄ワールドの隣に「ガンガーラの谷」という洞窟があり、ここで、日本人の祖先と考えられている港川人の骨が発見されています。港川人は、約1万7000年から8000年頃の地層から発見されており、その骨格の形などからオーストラリア地方から渡ってきた可能性が高いとされています。
これが新たに作られた港川人のイメージ図です。オーストラリア地方の顔に似せられています。40〜50代に見えるのですが、当時のヒトはそんなに長生きはできなかったはず。ただ老けて見えるだけかなぁ。 |
ここで少しだけ琉球王国の歴史を語っておきますね。少し詳しい話になりますので、とばして読んでいただいて大丈夫ですww。
琉球王国の正史『中山世鑑』や『おもろさうし』などでは、12世紀、源氏の子孫である源為朝(鎮西八郎)が現在の沖縄県の地に逃れ、その子が琉球王家の始祖舜天になったとされています。日琉同祖論と関連づけて語られる事が多く、『中山世鑑』を編纂した羽地朝秀は、摂政就任後の1673年3月の仕置書(令達及び意見を記し置きした書)で、琉球の人々の祖先は、かつて日本から渡来してきたのであり、また有形無形の名詞はよく通じるが、話し言葉が日本と相違しているのは、遠国のため交通が長い間途絶えていたからであると語り、王家の祖先だけでなく琉球の人々の祖先が日本からの渡来人であると述べています。沖縄学の研究者の伊波普猷は、琉球の古語や方言に、中国文化の影響が見られない7世紀以前の日本語の面影が残っているため、中国文化流入以前に移住したと見ており、高宮広士札幌大学教授が、沖縄の島々に人間が適応できたのは縄文中期後半から後期以降である為、10世紀から12世紀頃に農耕をする人々が九州から沖縄に移住したと指摘するように、近年の考古学などの研究も含めて南西諸島の住民の先祖は、九州南部から比較的新しい時期(10世紀前後)に南下して定住したものが主体であると推測されており、遺伝子研究では、沖縄県民は遺伝子的に中国人や台湾人とはとても遠く、九州以北の本土住民と近く、同じ祖先を持つという研究結果も複数出ています。
B沖縄の正装はアロハシャツ!?
沖縄では、タクシーの運転手も、電車の車掌さんもアロハシャツを着ています。というより、スーツを着ている人など滅多にいない!!!
沖縄では、アロハシャツが正装なんです!もっともアロハシャツではなく、かりゆしウェアと呼ばれています。「かりゆし(嘉利吉)」とは沖縄方言で「めでたい」という意味です。議会でも沖縄の議員はスーツではなく、かりゆしが認められており、公的な制服となっている黒のかりゆしであれば、お葬式でも着ていけるそうです。
かりゆしとは、沖縄伝統の服で、暑い沖縄に適した素材と形。価格は千円前後の量産品から、芭蕉布や琉球紬などを利用した一着数万円の高級品まで様々です。
アロハシャツも、沖縄にルーツがあるものらしい。19世紀の終わりから20世紀初頭にかけて、戦後で貧しかった多くの日本人が夢を求めてハワイに移住し、主にサトウキビ畑で働きました。当時、農園で働く労働者は「パラカ」と呼ばれる開襟シャツを着ていました。パラカは、もともとヨーロッパの船員たちが着ていた上着がその起源といわれていますが、青いチェック柄の木綿地で作られたそのシャツは、日本人にとってなじみの深い「絣(かすり)」に風合いがよく似ており、多くの日本人移住者がこのシャツを愛用しました。そして、日本人の「もったいない精神」で、着古した着物を再加工して、暑いハワイの気候に合った洋服を作ったそうです。彼らが作った洋服は、その色柄の美しさもあいまって現地に根付き、次第にハワイ固有の自然や文化をモチーフに取り入れた、独自のデザインに進化していきました。
といっても、アロハシャツとかりゆしウェアは別のものです。その辺に売っているアロハシャツを議会に着ていっていいわけではありません。公的なものとして認められるには幾つかの条件があるんです。
@沖縄で裁縫されたもの。生地はどこで作ったものでもよいが、裁縫は沖縄でしたものでなければならない。
Aデザインが沖縄伝統のものであること。沖縄の伝統工芸の織物を模した柄や、ゴーヤーやシークヮーサー、シーサーやハーリーといった沖縄独特の風物をモチーフにしたデザインが採用されている。
柄については年に一度、「テキスタイルコンテスト」としてかりゆしウェアに使われる生地のデザインコンテストが行なわれているようです♪
このかりゆしウェアは、クールビズの一環ですが、本島のクールビズはネクタイがないだけで、上着は羽織るのが一般的であり、まだまだクールビズとは程遠い。会社内で見た目に気にするよりも、涼しい格好でして、冷房を抑え、地球に優しく仕事する方が、仕事も捗るのではないでしょうか。
本島ではそういった環境に合わせた臨機応変なまだまだ対応ができていません。その点、沖縄ではその地の気候に合わせた、服装が公的な場でも認められているんですね。
沖縄ではやはりかりゆしウェアで過ごしたいですよね。お土産屋さんでは「海人 うみんちゅ」と書かれたTシャツがたくさん売っていてそれを買う人も多いですが、やはり大多数の人とは一線を画したいところ。人と同じことはしたくない!沖縄通になりたい!そんなあなたはぜひかりゆしウェアをおすすめします。Amazonでも格安かりゆしウェアを買うことができます。これを着ていけば、沖縄に着いた瞬間からあなたも うちな〜んちゅ!!沖縄では、初対面の人でも姓ではなく、下の名前で呼ぶ習慣があります。なので、沖縄の人と知り合った時にはぜひ下の名前で自己紹介して、仲良くなっちゃいましょう!
C沖縄豆知識
@.サンピン茶
ツアーのおまけや自動販売機で見かけた方も多きはず、「サンピン茶」。街中のあらゆるところで売られています。沖縄といえば、サンピン茶!といっても過言ではありません。では、サンピン茶とは何なのか。その語源は中国の「香片茶(シャン・ペン・ツァー)」のようです。
A.ソーキそば
沖縄県内では単に「そば」、あるいは方言で「すば」「うちなーすば」とも呼ばれ、農山漁村の郷土料理百選に選ばれています。そばという名前ですが、蕎麦粉は一切使われず小麦粉のみで作られ、麺はかん水または伝統的に薪(ガジュマルも使用される)を燃やして作った灰汁を加えて打たれます。製法的には中華麺と同一であり、「中華めん」に分類されており、麺は一般に太めです。現在では「沖縄そば」という呼び名が全国的にも定着していますが、それまでは、「生めん類の表示に関する公正競争規約」の「『そば』とは、そば粉30%以上、小麦粉70%以下の割合で混合したものを主たる原料とする」という記述を根拠に、この名称に対してもクレームをつけられたこともありました。そして、10月17日に「沖縄そば」と呼ぶことを許可されたため、10月17日は「沖縄そばの日」に認定されています。いままで食べたことのない麺で、私はあまり好きではありません
B.豆腐
沖縄の豆腐は、成形されていません。買う時も、豆腐が作られる時間帯にお店に行って、出来たてを買うのだそうです。この沖縄独自の豆腐は「ゆし豆腐」と呼ばれています。
沖縄は世界的に「長寿の島」として有名ですが、沖縄長寿三大好物食品の一つに「ゆし豆腐」が含まれています。「ゆし豆腐」は「本土の豆腐」に比べて栄養価が優れており、特にタンパク質は優秀で「本土の豆腐」と比較して1.3倍にもなるそうです。ゆし豆腐はかつての日本で多く見られた昔ながらの販売方法を現在でも受け継いでいます。
「本土の豆腐」
・呉(ゴ)の煮沸分離
・凝固剤
・一丁約300g
・販売状態 水冷冷却 水漬状態のパック販売
「 ゆし豆腐」
・呉(ゴ)の生絞り分離
・天然ニガリ
・一丁約1kg
・販売状態 常温放冷 ビニール袋詰め販売
本土と沖縄の豆腐はこんなにも違うんです。ゴーヤチャンプルなど沖縄を代表するたくさんの食べ物にゆし豆腐が使われているので、沖縄を訪れた際ぜひゆし豆腐をご賞味ください。
新品価格 |
C.ちゃんぽん
ちゃんぽんと言えば、みなさんはどんな料理を思い浮かべますか?おそらく長崎ちゃんぽんに代表されるあの具だくさんの麺料理を思い浮かべますよね?しかし、沖縄では違います。野菜やお肉を卵でとじたものをご飯にかける。これが沖縄のちゃんぽんなんです。麺だと思って頼むと面喰らいますが、これはこれで美味しいので、そーきそばに飽きて、お米が食べたいな、という方にはお勧めです。
沖縄の綺麗な海の絶景が載った本も多数発売されています。残念ながら私が撮った写真は載ってないのですが、絶景の写真を眺めるだけでも癒しになるはず♪
沖縄の綺麗な海がたくさん載っている今話題の写真集
私が撮った写真も1枚50円で発売させていただいていますので、お気軽にコメントください。
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