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2019年08月30日

キューバで学んだ米国人医師 米国政府のキューバ批判を一蹴

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グラハム・ソワ医師。キューバ人の妻マイリン・サルディバルと、ハバナのホテル・ナシオナル前にて。ソワはキューバで医学の学位を取得し、ブランドンで常駐医として勤めている。

Radio Habana Cuba、2019年8月30日、PL

キューバの医科大学卒業生であるグラハム・ソワは、彼のキューバの同僚たちは人身売買の犠牲者である、という米国政府による非難を一蹴した。

今月初め、米国国際開発庁(USAID)が、海外での医療活動に従事しているキューバの医療関係者の人権侵害の疑いに関連する「情報を調査し収集し分析する」組織に300万ドルの提供を申し出ていることが明らかになった、とラティーナ通信(PL)は報じている。

ハバナのラテンアメリカ医科大学(ELAM)で学んだグラハム・ソワは、日刊紙タンパベイ・タイムズが報じたインタビューのなかで、USAIDの申し出の背後にある前提を否定した。

これは完全な嘘である、と33歳の青年ソワは話した。ソワは米国人としてこれらの医療活動計画には参加しなかったが、それらに参加した人たちを友人に持っている。

キューバ革命の歴史的指導者フィデル・カストロが主導して1999年にキューバ政府によってつくられたELAMは、100か国の2万9600人を超える卒業生を送り出してきた。このうちおよそ200人が米国人である。

無償教育がおこなわれているこの医科大学の目的は、そこで育成された職業人たちが自国に戻り、低所得地域で医療を提供することである。

テキサスのグレイプバイン出身のソワは、2008年に始まった不況の時期、いくつかの医大への入学申請をしながら、どうやって教育費を払おうかと思案していたとき、キューバで通学するという選択肢を見つけた。

キューバに到着後、ハバナの大学で2年間授業を受け、あるキューバの病院で、キューバ人医師たちとともに、総合医学の研修医として4年間働いた。

このときの同僚の医師たちが、海外での医療活動に従事している医師たちである。

人類に医療をささげたい、とキューバは言う。これが国際連帯における彼らの責務なのだ、と米国人医師ソワはタンパベイ・タイムズに語った。ソワは現在、フロリダのブランドン地域病院の内科常駐医師として働いている。

青年医師ソワによると、キューバの医療活動の批判者を激怒させていることは、その稼ぎが社会主義を支えている、ということである。

今週木曜日(8月29日)キューバ政府は、世界的に認められているキューバの医療協力を「妨害し、信用失墜させ、弱体化させる」ことを目的としたUSAID計画を、米国による新たな攻撃として非難した。

キューバ外務省は声明で、キューバが人身売買や奴隷制の運用に陥っているという米国政府の主張を、「不道徳な中傷」であり、世界各国の医療従事者や技術者の仕事を侮辱する主張である、と弾劾した。

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グラハム・ロワ(後列中央)。各国からの学生たちとハバナの医科大学で学んだ。キューバ人女性と結婚したテキサス・グレイプバイン出身のロワはいま、ブランドン地域医療センターで医師として働いている。

Médico estadounidense graduado en Cuba desmiente que sus colegas de la Isla sean víctimas de trata de personas
http://www.radiohc.cu/noticias/salud/200461-medico-estadounidense-graduado-en-cuba-desmiente-que-sus-colegas-de-la-isla-sean-victimas-de-trata-de-personas
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グランマ・マンサニージョでの交通事故死者の身元判明

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CNC TV Granma、2019年8月30日、Eliexer Peláez Pacheco記者

今週木曜日(8月29日)の午後、コボア地区にあるマンサニージョ・バヤモ間の道路上で起きた交通事故の死者は、ヤラ市のマリオ・ブリスエラ・オソリオ(乗用車の運転手)さんと、グアンタナモ出身・在住のヨレルディス・ベイスリエト・バレーラさんと判明した。

マンサニージョのセリア・サンチェス・マンドゥレイ外科クリニック病院の医師・救急隊チームは、事故の負傷者の治療を続けている。

セリア・サンチェス病院の院長アグスティン・デ・ラ・トーレス・レジェス医師は、同病院で負傷者の治療が続けられており、一部の負傷者はバヤモ市のカルロス・マヌエル・デ・セスペデス病院に移送された、と発表した。

Identificados los fallecidos en accidente de tránsito en Manzanillo
http://www.cnctv.icrt.cu/2019/08/30/identificados-los-fallecidos-en-accidente-de-transito-en-manzanillo/
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2019年08月29日

グランマで交通事故 2人が死亡 15人が負傷 乗用車と旅客用トラックが衝突

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La Demajagua、2019年8月29日

バヤモ市とマンサニージョ市を結ぶ道路で、きょう(8月29日)、乗用車と旅客用トラックが衝突する交通事故が起き、現時点で2人が死亡、15人が負傷した。

マンサニージョのセリア・サンチェス病院の院長アグスティン・デ・ラ・トーレ医師は、事故の被害者を受け入れ、介護するための緊急システムがすぐに作動した、と発表した。被害者たちは専門医によって診察されている。

デ・ラ・トーレ院長は、乗用車の運転手が現場で即死し、2人目の死者は重傷のため手術室で死亡した、と述べた。この2人目の死者も同じ乗用車に乗っていたとみられている。


キューバTV(2019年8月29日)

Dos fallecidos y 15 lesionados en accidente de tránsito en carretera vía Manzanillo (+ fotos)
http://lademajagua.cu/dos-fallecidos-y-15-lesionados-en-accidente-de-transito-en-carretera-via-manzanillo-fotos/?fbclid=IwAR3rC4fIsSnRqbeIruslWEZC8SEONycbxRfjMo_iCXXlnA4UVmV5cLPKu58
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今季キューバ野球リーグ成績 第五節終了時 ヨルダニス・サモン打撃成績トップを走る

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ユニエル・メンドーサ

今季キューバ野球リーグ成績

打撃(38打席以上)

打率
1、ヨルダニス・サモン(インドゥストゥリアレス).514
2、リスバン・コレア(インドゥストゥリアレス).458
3、アドリエル・ラブラダ(サンティアゴ・デ・クーバ).455
4、パベル・ケサダ(シエンフエゴス).440
5、アレクサンデル・アヤラ(カマグエイ).415

出塁率
1、フレデリク・セペダ(サンクティ・スピリトゥス).618
2、リスバン・コレア(インドゥストゥリアレス).594
3、パベル・ケサダ(シエンフエゴス).588
4、ラウル・ゴンサーレス(シエゴ・デ・アビラ).561
5、ヨルダニス・サモン(インドゥストゥリアレス).550

長打率
1、ヨルダニス・サモン(インドゥストゥリアレス).892
2、フレデリク・セペダ(サンクティ・スピリトゥス).775
3、リスバン・コレア(インドゥストゥリアレス).771
4、リカルド・ラモス(サンティアゴ・デ・クーバ).746
5、パベル・ケサダ(シエンフエゴス).740

投手(14イニング以上)

防御率
1、フレディ・アシエル・アルバレス(ビジャ・クララ)0.00
2、フアン・カルロス・ビエラ(ラス・トゥナス)0.47
3、ウルフリード・ガルシア(サンティアゴ・デ・クーバ)1.00
4、ヤスマニ・エルナンデス(ビジャ・クララ)1.17
5、カルロス・サンティエステバン(オルギン)1.29

チーム成績

打率
1、ラス・トゥナス.317
1、シエゴ・デ・アビラ.317
3、カマグエイ.306
平均.287

防御率
1、ラス・トゥナス3.19
2、ビジャ・クララ3.27
3、サンティアゴ・デ・クーバ3.47
平均4.72

守備率
1、シエンフエゴス.988
2、オルギン.985
3、イスラ・デ・ラ・フベントゥ.982
平均.972

本紙が選ぶ今週のベスト選手:ユニエル・メンドーサ。リーグ2000本安打を達成。シーズン100安打達成9回。

リーグ順位表
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第六節カード
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インドゥストゥリアレス対サンティアゴ・デ・クーバ(2019年8月28日)

La serie en cifras
http://www.juventudrebelde.cu/deportes/2019-08-29/la-serie-en-cifras-147
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キューバ外務省声明 米国政府はキューバの国際医療協力を妨害している

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Cubadebate、2019年8月29日

キューバ共和国外務省声明

米国はキューバの医療協力を妨害するために巨額の資金を投じている

キューバ外務省は、米国政府がキューバの医療協力を標的とし、米国国際開発庁(USAID)のプログラムを通じて最近行った攻撃について、これを非難し、強く糾弾するものである。同プログラムはキューバが数十か国で数百万人を対象に展開している医療協力を貶め妨害することを目的に、関連する活動と情報収集に資金援助するものである。今回の攻撃は、諸外国政府に露骨な圧力をかけてキューバの国際協力を妨害し、「パローレ・プログラム」(キューバ医療専門家臨時入国プログラム)などキューバからの人材流出を狙う、これまでに数多く実施された試みに続くものである。

不誠実な中傷の中心にあるのは、キューバが人身売買または奴隷制を実践しているという根拠のない主張であり、同時にキューバの医療関係者(医師・技師)数十万人が今日まで長年、第三世界をはじめとする各国で自発的に行ってきた崇高な活動を侮辱しようとしている。

これはキューバ政府と数十か国の政府の間で合法的に締結された二国間及び政府間協力プログラムに対する誹謗である。いずれのプログラムも国連の南南協力に関する指針に沿ったものであり、当該諸国政府が主権の下で決定した医療上の要請に対応したものである。

国際社会から高く評価され、国連や世界保健機関(WHO)、パンアメリカン保健機関の最高幹部から称賛された連帯の取組みに対する攻撃でもある。

これらの嘘は、反キューバ攻撃に励んでいる米国政府と政治家たちの低俗な道徳的資質を明らかにするものである。反キューバ・キャンペーンには巨額の資金が投下され、大手メディア数社と無節操なレポーターらが加担している。特に後者は米国政府の政治的利益に奉仕し、自らのあるべき中立性と客観性を犠牲にしている。

数十年前から今日に至るまで、医療協力は連帯の行為として、最も経済的に恵まれない国々に対して提供されており、その費用のほぼ全額をキューバが負担している。また同様の方法で、国連の発展途上国間協力に関する考え方に沿って、相互補完性及び提供された役務の部分的支払という基礎に立って、複数国に対して提供されている。

これは途上国間の完全に正当かつ合法的な相互交換に基づくものである。多くの途上国は天然資源やキューバを上回る経済規模または工業開発を有しているが、その一方で我が国が育成に成功したような人材、つまり自発的に厳しい状況下で働く意欲のある献身的で人間主義的な専門家集団が不足している。我々は年月をかけて医療制度を築き上げてきたが、それらの国では医療制度についての知識も不足している。

キューバの医療関係者は完全に自由かつ自発的に協力プログラムに参加している。任務に従事している間、キューバで引き続き給与の全額を受け取り、それに加えて派遣先国で報酬とその他手当が支払われる。

キューバが提供した協力の対価を受け取る場合、参加した協力者たちは医療制度の資金調達、持続可能性及び発展において、正当かつ合法的な価値ある貢献という多大な功績を挙げたことになる。大衆のための無償医療制度はすべてのキューバ国民がアクセスできるものだ。さらに、世界各地で展開されている協力プログラムにとっても大きな貢献である。

医療へのアクセスは人類の権利であり、米国は政治的理由または攻撃を理由にそれを否定し妨害するという犯罪を犯している。

キューバ外務省

2019年8月29日、ハバナ


キューバTV(2019年8月23日)

MINREX: Gobierno de EEUU destina fondos millonarios para obstaculizar cooperación médica cubana
http://www.cubadebate.cu/noticias/2019/08/29/gobierno-de-ee-uu-destina-fondos-millonarios-para-obstaculizar-cooperacion-medica-cubana/#.XXPPXygzbIU
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2019年08月28日

キューバ ハバナの子どもカーニバル開催

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Cubadebate、2019年8月28日、Jorge Luis Sánchez Rivera(写真), Antonio Hernández Mena(写真)

子どもたちも、ハバナでの自分たちのお祭りを楽しんだ。今週火曜日(8月27日)、午後5時から、ベダードの19番通りから、セントロ・ハバナのマリーナ通りに至る、ハバナのマレコン(海岸通り)全域で、子どもカーニバルが始まった。

児童劇団コルメニータやカリベ・カリエンテ、キューバ国立サーカス団、カルナバレアンドといった有名な人気集団のショーと交流しながら、およそ20の子どもグループが行進した。

ピエロたちも、グループの行進をもりあげ、子どもたちと写真を撮り、おなじみの冗談を言いながら、この日の主役になった。ハバナの着ぐるみたちも登場した。エルピディオ・バルデス、マリア・シルビア、パルミチェが行進した。ワニ、鳥、牛、象、キューバの漫画の無数の動物やキャラクターがいた。

これらの上にさらに、ハバナの15地区で製造されたお菓子やジャムなど、さまざまな食品の提供が加えられた。

フォトレポーターのトニー・エルナンデス・メナとホルヘ・ルイス・サンチェス・リベラのレンズは、ハバナのカーニバルのラストを飾った、このお祭りの楽しさと色どりを写し出した。

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Colorido y alegría sobresalieron en el Carnaval Infantil de La Habana
http://www.cubadebate.cu/fotorreportajes/2019/08/28/colorido-y-alegria-sobresalieron-en-el-carnaval-infantil-de-la-habana/#.XWe06egzbIU
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オーストリアのウイーン市 ハバナ市にごみ収集トラック10台を寄付

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ウィーン市がハバナ市に都市固形廃棄物収集トラックを寄付

Cubadebate、2019年8月28日

ハバナ市建立500周年のお祝いを機にウィーン市は、同市に都市固形廃棄物収集トラック10台を寄付した。

駐オーストリアのキューバ大使、フアン・アントニオ・フェルナンデス・パラシオスは、ウィーン市議会に対し、現在ハバナ市をよりきれいな街にするためにハバナ市内で進行中の取り組みと作業を補うひじょうに重要な寄付について、感謝を表明した。また、両都市間のこれまでの歴史的協力についても強調した。

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駐オーストリアのキューバ領事館職員たち

(駐オーストリアキューバ大使館のフェイスブックより)

Viena dona a La Habana 10 camiones colectores de basura
http://www.cubadebate.cu/noticias/2019/08/28/viena-dona-a-la-habana-10-camiones-colectores-de-basura/#.XWepRugzbIU
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2019年08月27日

カルラ・スアレス フリオ・コルタサル・イベロアメリカ文学賞受賞

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カルラ・スアレス

Radio Rebelde、2019年8月27日

キューバ人女性作家カルラ・スアレスが作品「エル・パニュエロ」(ハンカチ)で2019年のフリオ・コルタサル・イベロアメリカ文学賞を受賞した。アルゼンチンのロベルト・フェロやキューバのアルベルト・マレー
ロ、フリオ・トラビエソら優れた作家らで構成された第18回の同賞選考委員会は、全会一致で同作品への授与を決定した。

現在まで18年の作家キャリアを持つ小説家のスアレスは、電子工学科を卒業し、ハバナのアレホ・カルペンティエル基金の「ラソン・デ・セル」創作奨学金を受け取った。処女作「シレンシオス」でスペインのレングア・デ・トラポ賞を受賞し、フランスではいくつかの創作奨学金を受け取ってきた。

ハバナのドゥルセ・マリア・ロイナス文化センターのフェデリコ・ガルシア・ロルカ・サロンでは、完成したプロットの構成と巧みなストーリーテリングを示す作品「ラ・フェチャ」で次点となったアルゼンチンのフェデリコ・ビアンチニら同コンクールに参加した他の作家たちも称賛をあびた。

今回のコンクールで審査された300作を超える作品のなかでは、ボリビアのダニエル・アベランガ「アンブレ」、キューバのユニエル・リケネス「ロス・ニーニョス・ディフェレンテス」、アルゼンチンのマリア・マルタ・オチョア「イル・バロ・デル・マトーネ」なども評価された。

Gana cubana Karla Suárez XVIII de Premio de Cuento Julio Cortázar 2019
http://www.radiorebelde.cu/noticia/gana-cubana-karla-suarez-xviii-premio-cuento-julio-cortazar-2019-20190827/
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2019年08月26日

ユニエル・メンドーサ 2000本安打達成 キューバリーグ23人目

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ユニエル・メンドーサ(右から3人目)、2000本安打達成

Radio Sancti Spíritus、2019年8月27日、Oscar Alfonso Sosa記者

ホセ・アントニオ・ウエルガ球場はふたたび揺れた。今週月曜日(8月26日)サンクティ・スピリトゥスのユニエル・メンドーサ選手が通算2000本安打を本塁打で飾った。

これでサンクティ・スピリトゥスの名一塁手メンドーサは、キューバ野球リーグ史上23人目の2000本安打達成者となった。2000本安打を本塁打で決めたのは、ユニエルのほかには、イスラのアレクサンデル・ラモスと、ラス・トゥナスのダネル・カストロだけである。

この試合で4打数3安打1得点2打点と活躍したメンドーサは、チームがこのマヤベケ戦に3対2で快勝し、今季の3分の1となる第五節終了時点でリーグ首位を維持するのに決定的な存在となった。

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ユニエル・メンドーサ、2000本安打達成

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ユニエル・メンドーサ、右翼席への本塁打で2000本安打達成

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ユニエル・メンドーサ、同僚から祝福を受ける

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ユニエル・メンドーサ、キャリア20年で2000本安打達成

Yunier Mendoza en el Club de los 2 000 hits
http://www.radiosanctispiritus.cu/es/2019/08/yunier-mendoza-en-el-club-de-los-2-000-hits/
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フィデルも思わず立ち上がった伝説の野球試合から50年 ドミニカ共和国での1969年ワールドシリーズ

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(左から)大会首位打者の「カバイグアンのガージョ」オウェン・ブランディーノ、"クーロ"・ペレス、ビジャ・クララの外野手シルビオ・モンテホ、フィデル・カストロ最高司令官。ドミニカ共和国でのワールドシリーズからのキューバ代表チーム帰国時。

JIT、2019年8月26日、Rafael Pérez Valdés記者

まるで映画の脚本家によって編まれたような状況だった。しかしひじょうにリアルだった。野球の第17回ワールドシリーズ。1969年8月26日。キサケジャ球場。総当たり戦を無敗のまま勝ち進んだ米国とキューバが最終戦で対決する、という主催者の思惑通りと思える展開となった。

現地ドミニカ共和国の観衆は「ヤンキー・ゴーホーム」と叫んでいた(1965年に同国へ海兵隊などの軍隊が派遣されたことに対する拒否)。そしてひじょうに劇的な試合は8回を迎えた。彼らは・・・「勝っていた!」。

あの忘れがたき夜、この試合のラジオ中継に熱心に耳を傾けていた多くのキューバ人(何百万人だろうか?)の一人にフィデル・カストロ・ルスがいた。彼はファウルの数を数えてさえいた。そして、後述するように、彼が思わず立ち上がった瞬間があった。

彼が、自身も多く実践した野球や、その代表チームや、あるいはキューバのスポーツ界すべてに対し、つねに、長年気にかけていたことを考慮すれば、それ以外の状況はありえただろうか。

私はすべての読者に同意してもらおうとは思わない。あれはあらゆる世界大会の歴史上もっとも重要で劇的なキューバの試合であったかもしれない。

あれが意味していたこと、その背後にあったすべてのこと、をふまえて私はそのように提起する。なぜなら、キューバ革命勝利後のわが国の野球選手たちのすべての成功が、あの場面を通してこれまで語られてきてなかったからである。

疑わないでほしい。あの状況は本当に映画の脚本家によって編まれたかのようだった。そこに至る直近の経緯でさえ、安泰ではなかった。キューバは1967年ウィニペグでのパンアメリカン大会で米国に優勝を奪われた。キューバチームは予選ラウンドでは米国に2度も勝利しながら、そのあと追加の対戦がおこなわれ、1対2で敗北した。

さらにその1年後、五輪開催後のメキシコでおこなわれた大会で2度敗れた。確かにこれらの3試合では同点で8回を迎えていた。しかし...敗れた。

これらすべての状況が、フィデルをラジオに集中させたのだった。

非常に困難

1969年のキスケジャ球場でのあの忘れがたき夜に戻ってみよう。背番号22の左腕投手ラリー・オズボーンは試合をひじょうに支配していた。しっかり投げるだけでなく、打ってもいた(3打数2安打)。米国チームの得点は4回にはいった。こうして劇的な試合は、0対1で、8回を迎えた。

オズボーンは8回に3つのアウトをとれなかった。まずガスパル・"クーロ"・ペレス投手の適時打で同点に追いついた。ぺレスはこの試合キューバチーム3人目の投手だが、わが方の投手も打てるというところを見せており、それがベンチにいたすぐれた代打を起用しないという大胆な戦略に根拠を与えた。そしてその直後、二番打者で中堅手のリゴベルト・ロシケが、勝利を決めることになる勝ち越し打を放った。"クーロ"は、5回を投げ、打たれた安打はわずか2本で、8回裏も9回も、反撃を許さなかった。

打撃戦にはならなかった。これには投手陣の良さと、木製バットの使用が加えられる。そのことは数字が示している。キューバ(2得点、5安打、1失策)、米国(1得点、6安打、2失策)。キューバの安打は、"クーロ"とロシケのほかは、フェルミン・ラフィタ、ラサロ・ペレス、ロドルフォ・プエンテ(二塁打)によるものだった。

フィデルの告白

優勝チームの到着と、その後の空港でのセレモニーは、テレビで中継された。

飛行機が着陸したとき、フィデルは空港からおよそ15kmのところにいた。雨がとても強く降っていて、停滞を余儀なくされた。しかし最終的に着くことができた。

フィデルに質問があった。

- きのうの試合でもっとも感動した場面はどれでしたか。

(フィデル)そうだな、"クーロ"の安打の場面と言わせてほしい。間違いなく、2ストライクで、5回のファウルのあとだった。"ボビー"・サラマンカが.、ボールが投げられた、と実況したあと、クーロはそれをファウルで返し、そのあとまたファイルで粘った。

- あなたはカウントを数えていたんですか? (とそのとき、偉大なアニメーターのフェルマン・ピネリが尋ねた)

(フィデル)"カグアソ"が3つ...(笑)
*訳者注:カグアソcaguazoはボビー・サラマンカ独特の言い回しで、ファウルのこと。

そのとき、”クーロ"のライナーで試合は同点になった。間違いなく皆にとって偉大な瞬間だった。というのは初回からすでに緊張が続いていたからだ。8回になって、試合に負けている。相手投手はひじょうに効率よく投げていた。

そしてもちろん、そのあとロシケが外野右翼へ安打を放ったときも、もうひとつのクライマックスだった。さらに最後に、もうひとつの素晴らしい瞬間が、"クーロ"・ペレスによる2奪三振だった。クーロは自信満々に、まったく危なげなく、最終のストライクを奪った。観客の姿もとても感動的なものだった。ドミニカ共和国の人びとがキューバに送った声援。その期待が裏切られて終わっていたとしたら、彼らは大いに傷ついたことだろう。

フィデルは、ほかの質問に対して、この試合のときに自分がおこなっていたことについて告白した。

(フィデル)まず自分は椅子に座った。試合のラジオ中継に耳を傾けていた。それで8回には本当に私は立ち上がった(笑)。いてもたってもいられず立ち上がった。そのときは部屋を動き回っていた。そのあと9回になって座ろうとした。自分に言い聞かせたんだ。私は座らなければならない(笑)。それで座った。でもあの場面を聞いて私はまた立ち上がった。もう最後のアウトのときには立ったままだった...。

有名な野球アナウンサーのバック・カネルまでが、あの米国チームに勝つのはひじょうに難しいと言っていた。

その日、優勝チームを出迎えたとき、フィデルは左投手に対する我が国のチームの弱点を指摘し、意気揚々と歴史に残るフレーズを吐いた。

彼らは月を征服したが、アマチュア・ワールドシリーズを征服することはできなかった。
*訳者注:同年7月20日米国は人類初の月面着陸に成功したとされている。

"クーロ"

カメラの前に立った”クーロ"・ペレスに対し、あの打席に向かい、同点打を放ったときはどんな気持ちだったか、という質問があった。「うむ、私が感じていたのは、打つことへの期待。キューバ国民がラジオでこの様子を聞いていてくれることを知っていたから。安打を打って同点にしてくれという期待を感じていた」

- でも緊張などは何もなかった?

(クーロ)ない。私は緊張はしないんだ。

- 最終回に、あの2三振をとって終わらせたときは?

(クーロ)余力を全部出した。あそこでは残っていた力を全部出す必要があった。誰も打てなかった。

あれらのストライクが投げられていたとき、"ボビー"・サラマンカは「アスーカル!」と叫んでいた。1000万トンの砂糖生産にちなんで彼が生み出した言い回し「カーニャ・デ・ウン・トロソ」(サトウキビ1本=安打)、「カーニャ・デ・クアトロ・トロソス」(サトウキビ4本=本塁打)と同じ、あの見事な実況スタイルだった。

キューバスターティングメンバー

1、フェリクス・イサシ (二塁手)

2、リゴベルト・ロシケ (右翼手)

3、フェルミン・ラフィタ (中堅手)

4、オウェン・ブランディーノ (三塁手)

5、シルビオ・モンテホ (左翼手)

6、フェリペ・サルドゥイ (一塁手)

7、ラサロ・ペレス (捕手)

8、ロドルフォ・プエンテ (遊撃手)

9、ロベルト・バルデス (投手)

このあと、4回にバルデスを救援したサンティアゴ・"チャンガ"・メデーロス投手の代打としてアンドレス・テレマコが出場。クーロは5回から登板。8回にアントニオ・ゴンサーレスがラサロ・ペレスの代走で出場し、最初の得点をあげる。それからラモン・エチャバリアがマスクをかぶった。

二塁手に関しては興味深いことがある。アンドレス・テレマコは前半の5試合に出場し、フェリクス・イサシが残り5試合に出場している。

さらなる告白

あの1969年8月26日の忘れがたき夜、フィデルがなぜ椅子から立ち上がったのか、明らかになっただろうか。

告白の時間だ。ここまで私が書いたことは、1冊の古い野球のガイドブックをもとにしたものだ。この本を父からプレゼントされたとき私は10歳だった。すぐれたジャーナリストだった父は2008年に亡くなった。

このときはすでにグローブも買ってもらっていたと思う。このグローブで私は何年もの間たくさんのゴロを処理した。ラティーノアメリカーノ球場にも何度か連れていってくれた。多くの理由から、父もこの記事の著者である、と私は思いたい。実際のところ、私の記事というよりはむしろ父の記事と言えるほどだ。

キューバチーム全10試合の結果

対ベネズエラ、8対0

対ニカラグア、10対1

対パナマ、8対0

対グアテマラ、17対0

対ドミニカ共和国、10対3
*ドミニカ共和国は6回に入ったとき3対2とリードしていた。

対コロンビア、9対3

対プエルトリコ、9対1

対メキシコ、5対3
*メキシコは5回表で3対0とリード。キューバにとってここまでで最も苦しい試合だった。

対オランダ領アンティル、12対1

対米国、2対1

補足:ドミニカ共和国の人びとはキューバチームの勝利に喜んだだけでなく、この大会を7勝2敗(この2敗は上位2チームに負けただけ)で終えた自国チームの、米州全体の11チームのなかでの3位獲得にも歓喜した。

表彰チーム・選手

優勝チーム:キューバ(10勝0敗、勝率1.000)

首位打者:オウェン・ブランディーノ(キューバ)40打数20安打、打率.500

得点:オウェン・ブランディーノ(キューバ)13得点

本塁打:フェルミン・ラフィタ(キューバ)3本

盗塁:カルロス・ウリオラ(ベネズエラ)、オルランド・ラミレス(コロンビア)5個

投手(勝利):ガスパル・ペレス(キューバ)4勝0敗、勝率1.000

*初出:Un juego que levantó a Fidel
Cubahora、2017年11月27日、Rafael Pérez Valdés記者
http://www.cubahora.cu/especiales/hasta-siempre-fidel/noticias/un-juego-que-levanto-a-fidel


MUNDIAL DE BEISBOL DE 1969


Cuba campeon 1969


swing 1969

Quisqueya 1969: un juego de béisbol que levantó a Fidel
http://www.jit.cu/NewsDetails.aspx?idnoticia=122800
posted by vivacuba at 08:20| Comment(0) | TrackBack(0) | beisbol
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