アフィリエイト広告を利用しています

広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog

2021年05月25日

厭離穢土

大金剛輪陀羅尼

のうまく しっちりや じびきゃなん さらば たたぎゃた なん びらじびらじ まかしゃきゃら ばじり さたさた さらてい さらてい たらい たらい びだまに さんばんじゃに たらまち しったぎりや たらん そわか

IMG_9039.JPG

 








真言を唱える

shingon.png

真言は不思議なり 観誦すれば無明を除く 一字に千理を含み 即身に法如を証す

弘法大師様は、仏教、密教で唱える真言を、このように言われました。
この1年、毎日真言を唱え、確かにと肯かされることばかり起こります。

そもそも、50年以上、夜更かし、寝坊、それが日常でありました。 しかし今や、夜は9時前に寝、朝は3時に起きています。午後の2時になると眠くなってきます。9時はPMで、3時はAMです。

そもそも30年以上、何事もお酒に頼って生きてきました。嫌なことがあれば酒、良いことがあれば酒、何もなくてもとりあえず酒、そういう人生を送ってきました。
我慢のきかない人間です。

日常の連続に、うわーっとなり、今日はサボろうかとなり、大学に入っても校舎には行かず、サークルの部屋に通うような男でした。

そして、 邪淫、女、人生を踏み外した原因です。

無明の塊のような男でした。
そして気がつけば、 足下には、わずかな足場しか残っていませんでした。

真言を唱えだして、唱えだしたのは去年の10月ですが、高圧電線に群がっていたカラス。 この家の近辺はカラスの鳴き声で騒々しかったのですが、最近はほとんど見なくなりました。

カラス同様、この家の上を、毎日のように飛んでいた米軍のヘリ、米軍の輸送機、流石に戦闘機は見たことありませんが、そういうカラスのような色の飛行機が飛ばなくなりました。こんなことを書けば、また復活するかもしれませんが、明らかに減ったと思います。軍荼利明王様の真言の効果かもしれません。

家の周りの子供たちは、以前は公園で遊ぶことが少なかったのですが、私が定期的に真言を唱えるようになってから、公園に彼らの笑い声が戻ってきました。

また私は、小さい頃から鼻を患い、蓄膿症です。しかもここへ来て花粉症を併発しているわけですが、これもまた、 仏様の勤行に入る前は、散々鼻水をかんでいるのですが、真言を唱えだすとピタリと止まるのです。

私は30年近く熱帯の気候の中で生活をした浦島太郎ですが、2年前に日本に帰ってきて何度も風邪をひき熱を出し、寒いところでは生きていけないのではないか、と諦めていたところ、、真言を唱えだしてから風邪一つ引きません。季節の切り替わりの時に、 調子の悪くなる時もあったのです。ところがそういう時でも、真言を唱えるとあら不思議、勤行が終わった後は直っています。

どの真言が何の効果をもたらしてるのか、それは明確には分かりませんが、毎日、

何よりも最強の守護神である聖天様の真言を唱え、

朝の太陽の光を浴びながら、光明真言(こうみょうしんごん)を唱え、

全ての魔を退散させると言う、尊勝仏頂陀羅尼(そんしょうぶっちょうだらに)を唱え、

過去の罪業を全て 消失させると言う、一切如来心秘密全身舎利宝篋印陀羅尼(いっさいにょらいしんひみつぜんしんしゃりほうきょういんだらに)を唱え

大金剛輪陀羅尼(だいこんごうだらに)で、日々の 細かい悪業を滅消し、

消災吉祥陀羅尼(しょうさいきっしょうだらに)を唱えることで自分の頭上が、ぐるぐると回り、それとともに大きな運命の歯車も一緒に回るのを観じ、

阿弥陀如来根本陀羅尼(あみだぶつこんぽんだらに)で、自らの命が尽きた時の為、終活をし、

延命十句観音経(えんめいじゅっくかんのんきょう)と、妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈(みょうほうれんげきょうかんぜおんぼさつふもんぽんげ)で、観音様の大いなる慈悲に触れ気持ち安らかになり、

大悲心陀羅尼を唱えることで、自分の周りにいる、或は、死んだ祖先や、生き別れの子供、死んだことになっている旧友、一切の有情に対する慈悲心を養い、

あらゆる不安、煩悩、欲望、貪瞋痴、一切を、般若心経が滅消してくれます。

そして、この素晴らしい密教を広めた、偉大なる弘法大師に、私の感謝の真言を三遍唱えます。

ありがとうございました
ありがとうございました
ありがとうございました

合掌








中有

降三世辟除

おん そんば にそんば うん ぎゃりかんだ ぎゃりかんだうん ぎゃりかんだはやうん あのうや こく ばぎゃばん ばざら うんはった


IMG_6781.JPG









タグ:伽藍

目覚め

mezame2.png

ふと耳に、潺々、水の流れる音が聞えた。そっと頭をもたげ、息を呑んで耳をすました。すぐ足もとで、水が流れているらしい。よろよろ起き上って、見ると、岩の裂目から滾々と、何か小さく囁きながら清水が湧き出ているのである。その泉に吸い込まれるようにメロスは身をかがめた。水を両手で掬って、一くち飲んだ。ほうと長い溜息が出て、夢から覚めたような気がした。歩ける。行こう。肉体の疲労恢復と共に、わずかながら希望が生れた。
青空文庫「走れメロス」より
誕生

気がつくと、私は病院のベッドにいました。
周りでは白い服を着た人が、それは後で、看護婦さんだと知りましたが、忙しそうに働いていました。時々私を振り返り、顔を作り、私を笑わせようとしました。私は決しておかしくもなかったのですが、笑った方がいいと思い笑顔を見せました。その頃から嘘つきだったのです。

それが思い出と言うならば、それは私を傷つけない思い出です

事故

気が付くと私は病院のベッドにいました
そしてなぜか足が動かず、顔も何かで覆われていました。
後で私の右手と左足はギプスをつけられていると知りました。
私は幼稚園の前で小型トラックにひかれる事故に遭い、3ヶ月入院していたのです。
ここでもまた、看護婦さんは私に優しくしてくれました。
隣のベッドにはスキーで足の骨を折った男の子がいて、その子も同じ位の長さのギブスを足につけていて、どちらが先に取れるか競争をしました。

頭に何をつけているのかよくわからなかったのは、私の複雑頭蓋骨折のギブスだったのです。その時点で私は隣の男の子にギプスの数で勝ち、競争で勝てないことを知りました。

お医者さんから母は、命の保証はできませんと言われたくらい重傷でしたので、この頭のこともあり私は3ヶ月入院することになったのです。

自由のきかないうちは苦しい入院だったはずですが、なぜかその苦しさを覚えていません。むしろそのギブスを外した後、あるいは点滴を外しても良い、食事をしても良いと言われた時の、嬉しかった思い出だけが残っているのです。お医者さんが来るたびに、良いニュースがもたらされたました。

毎日、太い注射をされたことを覚えていますが、それすらも嫌な思い出ではありません。
何より水を飲んでいいと言われ、事故以来初めて、水を浸したガーゼを口に含ませられた時、水って美味しいものだな、と感動したものです。

白い看護婦さん、白いガーゼ、白いギぷス、屋上に上がると看護婦さんとお手伝いさん達が笑いながら、毎日、白いシーツを国旗みたいに棚引かせて、何枚も干していました。

不思議なもので、当時はまだカラーテレビはなかったのですが、あの頃の思い出は全て白黒なのです。

この思い出もまた、私を苦しめることはありません。

手術

次に目が覚めると、いや正確には手術が終わると、私の陰部の右側に何か大きな違和感を感じました。ヘルニアの手術です。部分麻酔なので私は目を開けたままで手術をしました。そんなに長いこと入院していたわけではありません。思い出といえば看護婦さんにからかわれたことぐらいです。

ここまでの思い出はすべて白黒です。色がありませんが、苦しみの思い出ではありません。

この頃のことを思い出そうとすると、何故か、西武池袋線の江古田駅の駅前の風景が浮かび、(しかも行ってみるとそんな風景ではない。) 赤い鳥の「翼をください」が流れます。
また、どこかの住宅街の長い坂を、自転車を押して上がる白い少女の姿と共に、松任谷由美の「ひこうき雲」が流れることもあります。

それから何十年と経ちました

私は目が覚めたらどこそこにいました、というようことで病院に行くことはなく、大概は見舞いか、誰かの病気の診断の付き添いか、今となっては偽りであった出産の立会いか、あるいは生まれた子供だと偽られそれを見に行くか 、難病だというその人の看病を何ヶ月もさせられ、幸いにも、病院に行く私そのものは健康でした。

集中治療室

目が覚めると、私は階段の踊り場に転んで血まみれになって倒れていて、二人の見たことない警備服の男達が、私を一生懸命抱き起こそうとしていました。
抱きかかえられ、外に運ばれると、一緒に暮らしていた不悲落涙餌牛魔(ふひらくるいえぎゅうま)が、涙ひとつ見せず、わんわん泣いておりました。

そう、私は自殺を図ったのです。ところがそれはうまくいきませんでした。
頸動脈を狙って、ホームセンターで購入した彫刻刀を刺したところ、確かに血は吹き出したのですが、悲しいかなその血は、高脂血症の為、ある程度血が出た後、すぐ固まって血が止まってしまったのです。
不摂生であれば、自分で死ぬこともできないのです。

最初の病院で腎臓が悪いと言われ、そこが私立で高いので、国立の、その国の王様の名のついた病院に行くことになり、その病院で集中治療室に入れられました。
実際にはそんなに重い症状ではなかったので、私だけ不釣り合いな患者でした。後で思うのですがあればわざわざああいう場所に放り込み、今日も知れぬ命を生きてる人を見せるためだったと思われます。あの人たちはどうなったのでしょうか?

看護婦は私に、私が彼女の言葉を分からないと思っているのか知りませんが、自殺をするものを軽蔑すると目前で言いました。しかしながら、それ以上の軽蔑が込められていたことを後で知りました。

結局、その病院に2週間近くいましたが、そこで起こったことは、つまり、妊自在中絶魔(にんじざいちゅうぜつま)の親子と縁を切り、不悲落涙餌牛魔(ふひらくるいえぎゅうま)と一緒に暮らすことでした。
私は甘かった。まだその段階で、甘いことを考えていました。病院のベッドにいる私は、誕生の時と何も変わっていませんでした。

ベッド

次に目が覚めると、あの不悲落涙餌牛魔 (ふひらくるいえぎゅうま)が 横で寝ていました。私は毛布を深くかぶり、右にも、左にも横にならず上を向いてまっすぐに寝ていました。
昨晩この女に、この国家公務員に、無理やり何か毒のようなものを飲まされたので私は覚悟してもう二度と目を覚ますことはないと思っていました。

それは精神安定剤と言われていましたが、私の目を潰すか、あるいは私を眠らせて二度と起きないようにするか、あるいは私を眠らせどこかに閉じ込めるか、そんな用途の薬に思われました。どんなに太い注射も、どんなに長い手術も、麻酔のマスクで口を塞がれた時も、この一粒の薬に籠められた悪意には適いせんでした。

もう駄目だと言っても、しつこく、拒否しても、飲ませようとするものですから、もう駄目だと思い、私は覚悟を決めて飲んだのです。

ところが目が覚めると、昨日と同じベッドにいたものですから、そんな不幸の連続、狂気の沙汰、百鬼夜行の中で、一服の清涼剤でした。あの時だけは、未だ生きていけるという思いに久々に安堵したのです。

子供の頃、命拾いしました。お蔭で、自分はラッキーな人間であると内心、満足しておりました。
確かに、1億人に一人も遭わない不運に恵まれました。

白黒の甘い思い出と、カラーの辛い現実。
目が覚め、潺の水をガーゼに浸して口に含み、メロスのように希望を持って生きて行けるかしら?
でも、確か、卒論は太宰治で、「走れメロス」のこの文章は、川で何度も無理心中し、死に損ねた人でないと分からない表現などと書いて、卒業することが出来たのです。

つくづく、罰当たりである。

合掌









智慧

迎請本尊 おん じのうじきゃ えいけいき そわか
IMG_7158.JPG
タグ:お釈迦様

眼下の空

IMG_7956.jpg


見下ろせば、一面の白い
雲海。






タグ:雲海

他力本願

請車輅 真言

のうまく しっちりや じびきゃなん たたぎゃたなん おん ばざらぎにょう きゃらしゃや そわか

IMG_7691.JPG






タグ:お釈迦様
カテゴリーアーカイブ
プロフィール
声聞さんの画像
声聞
オン アボキャ ベイロシャノウ マカボダラ マニハンドマ ジンバラ ハラ バリタヤ ウン
プロフィール
最新記事
写真ギャラリー
検索

神社・お寺巡りランキング
仏教ランキング
映画評論・レビューランキング
写真ランキング
引きこもり日記ランキング
ファン
タグクラウド
最新コメント
日別アーカイブ
×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。