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2015年02月28日

『最貧困女子』

頑張ると言っていた翌日に頑張れなくなるのが貧困だ。
鈴木大介『最貧困女子』幻冬舎新書 35頁

貧困に陥るのは、本人の責任というよりは、巡り合わせによると思われますね。所詮は、運ではないだろうかと思います。

貧困に陥らなかったのは、運が良かっただけと考えるのがよいでしょう。

頑張ればどうにかなるというのは、その通りでしょう。
しかし、頑張りたくとも、頑張ることができない。これが貧困なのでしょうね。

周りから「頑張れ、頑張れ」と声援を送ったところで、何にもならないようです。

ある意味、社会のしくみそのものに変化をつけないことには、解決は難しいでしょう。なにせ、運なのですから。

彼女たちのワンコインは「500円ではなく100円」だという。
同書 42頁

貧困とは、どういうことなのか。この一節が教えてくれます。

通常、ワンコインといえば500円であり、私もそう思っており、いまどき、ワンコインでは、大したものは食べられないなどと思っていましたが、貧困状態のワンコインは100円なのですね。

やはり、貧困とは、通常の感覚を越えた次元なのですね。

ためしに、100円で食事を作るとなると、さまざまな知恵を出さなければなりません。普通の考えでは、まともな食事はできないでしょう。

そして、貧困とはどういうことか。明確に示す一節があります。

圧倒的に「何も持たざる者」だった。
同書 58頁

「持たざる者」ではないのですね。「圧倒的に」、「何も」、「持たざる者」ということです。

一般的に、「持つ者」と「持たざる者」との格差がどうのこうのと議論しますが、本当の貧困は、「持たざる者」にも含まれていません。よって、議論の対象にすらないっていないというのが現状でしょう。

本書で紹介されている「最貧困女子」は、普段見るテレビや新聞等々のマスコミから紹介されることは稀であり、可視化されていません。

著者はそのことを危惧し、本書を執筆しています。

紹介されている事例のあまりの貧困さ、悲惨さに驚愕するばかりです。

世界各地での貧困についてのレポートを見聞きし、遠くの世界は大変な状態なのだなと思うところですが、日本国内という身近なところで、最貧困という状態があるわけで、本書のような本を読むことにより、まずは、事実を見つめていきたいものです。

その上で、何ができるのかと考えるのですが、大したことができるとは思えないにしても、常に考え続ける習慣は持っておきたいと思いますね。

その中で、妙案が浮かぶかもしれませんし、浮かばないにしても、ちょっとした心掛けを持つきっかけになるでしょう。

少なくとも、日本における最貧困について、関心を持ち続けるということが大切だろうと思います。

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posted by lawful at 15:44| 雑感

2015年02月15日

お金を持って謙虚になるのは困難?

かれらの小説の一部登場人物たちが贅沢だとしても、19世紀の小説家たちは、格差はある程度必要不可欠なものとして世界を描いている。もしも十分に裕福な少数の人々が存在しなければ、誰も生存以外のことに頭がまわらなかっただろうと考えていた。このような格差に対する考えは、少なくともそれを能力主義に起因するものとして描かなかった点では賞賛に値する。ある意味で、この少数の人々はその他のみんなのために生きるように選ばれた人々であったが、誰もこの少数の人々が、他の人々よりも能力が高いとか高潔だとかいうふりはしていない。それにこの世界では、財産がなければ尊厳のある人生が送れないのはまったく明らかだ。学歴や技能があれば、平均の5倍や10倍は稼げるかもしれないが、それ以上はない。現代の能力主義社会、特に米国は敗者に対してずっと厳しい。なぜならその社会は、根柢の人々の低い生産性は言うに及ばず、正義、美徳、能力が優れているから自分たちの優位性は正当化されると主張したがるからだ。
トマ・ピケティ『21世紀の資本』山形浩生 守岡桜 森本正史 訳 みすず書房 432頁

19世紀の世界は、まさに格差社会であり、階級社会ですが、当時の小説家からその社会が糾弾されていたかというと、そのようなことはなく、格差社会は当然という描写であったようです。

ただ、裕福な暮らしをしている少数の人々が、人間的に優れ、能力があるから裕福な暮らしをするにふさわしいというものの考え方ではないようです。

言ってみれば、たまたま裕福な家に生まれたというだけのことであり、運がよかっただけということです。

裕福な家に生まれた少数者が、貧しい人に対して、自らが優れていると主張しないというのは、能力主義社会の観点からすると、不思議に思えますが、当時の裕福な人からすれば、自らが優れていると主張する必要もなかったのでしょうね。

いずれにしても、古今東西を問わず、財産がなければ話にならず、尊厳などあったものではありません。

まともな生活をしたければ、財産がなければなりません。

お金なんて、などとほざいている場合ではありません。

この世の中がお金で動いている以上、どのようなことがあろうとも、それなりの財産は確保しておくべきです。所謂、恒産というものですね。

ピケティの指摘で「学歴や技能があれば、平均の5倍から10倍は稼げるかもしれないが、それ以上はない」という点は興味深いですね。

平均の5倍10倍も大したものですが、「それ以上はない」と言われると、大したことがないように感じられます。

ピケティが論じているのは、10倍をはるかに超える報酬を得るスーパー経営者のことであり、5倍10倍などもののかずではないということでしょうね。

そして、ピケティが難じているのは、特に米国のスーパー経営者の自らが優れていると強調したがる点です。

人間的に優れていると言うそのもの言いに不遜なもの、思い上がり、勘違い、滑稽さ、実のところおバカさんという点を見ているのでしょう。

確かに、10倍を超える報酬は多すぎるでしょうね。運が良かったという分には、その通りでしょうと首肯できますが、私が優れているからですよと言われると、失笑しますね。そんなことはないだろう、と指摘することになるでしょう。

たくさんの報酬を得るのは結構なのですが、思い上がる必要はないでしょうね。

多額の財産が得られても、それは運が良かったからと考えるのが正しいでしょうね。

ただ、人間は、お金を持つと名誉が欲しくなるために、自分が優れていると言いたくなるのでしょうね。

こうなりますとお金の問題というよりは、精神性の問題といえるでしょう。

お金があるからこそ出てくる名誉欲、これを制御することができれば、それなりの一級の人間になったといえるでしょう。

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posted by lawful at 16:45| 生き方

本音と建て前とを使い分けること

アメリカ革命とフランス革命はどちらも、権利の平等を絶対的な原理として認めた――当時としては進歩的な立場だ。でも実際問題としては、19世紀を通じ、こうした革命から生じた政治体制は、主に財産権保護に専念したのだった。
トマ・ピケティ『21世紀の資本』山形浩生 守岡桜 森本正史 訳 みすず書房 500頁

権利の平等を絶対的な原理として認めることは大切なことだとは思います。

しかし、権利の平等を絶対的な原理として振りかざしたところで誰も相手にしないでしょう。

実際のところ、権利は平等ではありません。権利を行使できる人と権利を行使したくてもできない人とがいます。よって、権利は平等とはいえないでしょう。

簡単に言うと、財力がある人にとっては、権利は行使しやすく、実際、行使しています。また、権利を行使する術を知っています。

財力がない人は、権利を行使したくとも、どのように行使すべきかを知りませんし、知ったところで、タダで権利を行使することはできず、それなりのお金がかかります。そのそれなりにお金すらないのが財力のない人ですから、権利は平等という以前に、そもそも財力のない人にとっては権利などないのですね。

権利を行使できる人、つまり、財力がある人が政治体制を作り上げますから、財産権保護に専念するのは当たり前でしょうね。

財力のある人は、建て前では、権利の平等を絶対的な原理として謳ったにしても、本音では、権利が平等なわけがないと思っているわけです。当然でしょうね。

左がかっているのかどうかは分かりませんが、権利の平等を絶対的な原理として叫んでいる人がいますが、よく見るとただの貧乏人であったりします。

まずは、真面目に働けば、と思ってしまいますし、まずは、貯金すれば、と思いますね。

権利、権利と言えば、どうにかなるというその発想が貧困なのですね。よって、生活も貧困というわけです。

現実の世の中をみれば、建て前と本音とがあり、それを上手に使い分けることが大切なのですね。

いつまでも子供じみたものの考え方で生きていくのは危険極まりないことです。厳しくとも現実を見つめ、そのメカニズムを解明していく癖を付けておく必要があるでしょう。

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posted by lawful at 14:54| 生き方

時代の変化に合わせ成長すること

30年の単位で見ると、年率1パーセントの成長率は累積成長率として35パーセント以上になる。年率1・5パーセントの成長率は、累積成長率50パーセント超だ。実際には、これはライフスタイルと雇用にとっては大規模な変化を意味する。具体的に言うと、ヨーロッパ、北米、日本が過去30年で見せた1人当たり産出の成長率は、1―1・5パーセントであり、それでも人々の生活は大きく変化した。1980年にはインターネットも携帯電話網もなく、多くの人は飛行機に乗ったこともなく、今日では普通に使われる先進医療技術の多くはまだ存在せず、大学進学者も少数派だった。通信、運輸、保健医療、教育の分野ではすさまじい変化が起きている。
トマ・ピケティ『21世紀の資本』山形浩生 守岡桜 森本正史 訳 みすず書房 101頁

確かに、1980年の頃を思い出しますと、インターネットはなかったですね。軍事の面ではあったようですが、一般には解放されていませんでした。

携帯電話もありませんでしたね。当時は、固定電話であり、プッシュホンもありましが、ダイヤルであったような。

さすがに飛行機に乗ったことはありましたが、頻繁に乗るものではなかったですね。

先進医療技術もなかったですね。ガンになった人は、死んでいましたからね。ガンの宣告をするかどうかで悩んでいた時代でしたね。今から思えば、なぜ、ガンを宣告しないのか、となりますが、当時は、ガンを宣告されただけで死を覚悟し、自殺までする人がいたのですね。医療の進歩は人間の人生そのものを根本的に変えましたね。

大学進学も大変でしたね。受験戦争という戦争があったころです。

あれから30数年、我々の暮らしは激変しています。

冷静に考えますと異常でしょう。よって、鬱になる人も出てくるのかもしれません。時代に付いていけないでしょうね。

それでも、多くの人は、どうにかこの激変に合わせて生きているのですから、相当タフなのでしょうね。または、変化が大好きなのかもしれません。

たった年率1パーセントの成長率であっても、長い目で見れば、激変をもたらします。

我々としても、人間として、年率1パーセントの成長を続けるならば、30年後には、相当な人間になっていることでしょう。

しかし、実際は、年率マイナス1パーセント以下の水準で推移し、30年後にはみっともない人間になるのでしょうね。

やはり、ここは踏ん張って、人間として年率1パーセントの成長を堅持すべきでしょうね。

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posted by lawful at 14:07| 生き方

トマ・ピケティ『21世紀の資本』から今後のことを考える

低成長経済では、過去の富が当然ながら重要性を大きく高めることとなる。
トマ・ピケティ『21世紀の資本』山形浩生 守岡桜 森本正史 訳 みすず書房 28頁

元々、資本、所謂、お金や富というものをもっている人が有利ですね。ピケティによると低成長経済では、その有利さが際立つということです。

もし資本収益率が長期的に成長率を大きく上回っていれば(これは経済成長率が低いときには、必ずとは言わないまでも起こりやすい)、富の分配で格差が増大するリスクは大いに高まる。
同書 28頁

それ故、元々、持つ者と持たざる者との差があったのが、より一層、その差が開くというわけですね。

その格差が増大しますと、住むところも、学ぶところも、仕事をするところも、遊ぶところも別々になるでしょうね。所謂、住み分けが完成するわけです。

現今の日本を観察したところ、やや、このような傾向が見受けられますね。

資本収益率が経済の成長率を大幅に上回ると(19世紀まで歴史のほとんどの時期はそうだったし、21世紀もどうやらそうなりそうだ)、論理的にいって相続財産は産出や所得よりも急速に増える。相続財産を持つ人々は、資本からの所得のごく一部を貯蓄するだけで、その資本を経済全体より急速に増やせる。こうした条件下では、相続財産が生涯の労働で得た富より圧倒的に大きなものとなるし、資本の集積はきわめて高い水準に達する――潜在的には、それは現代の民主社会にとって基本となる能力主義的な価値観や社会正義の原理とは相容れない水準に達しかねない。
同書 29頁

ここで明らかなように、有史以来、経済は低成長であり、持つ者と持たざる者との差は歴然であったところ、二度の世界大戦を経験し、高度経済成長の時代であった20世紀は、その差を縮小させました。

いってみれば、驚異的な時代だったといえるでしょう。このような時代に「能力主義的な価値観」や「社会正義の原理」が広まるのは当然のことと思われます。

しかし、21世紀は、世界大戦を経験しておらず、経済は低成長です。19世紀以前に戻っているわけですね。

「能力主義的な価値観」や「社会正義の原理」といっても、最近は、空々しく感じられていましたが、低成長の時代という観点から考えると首肯できます。

20世紀とは時代が違うということは認識しておくべきですね。もう変わっているのですよ、ということですね。

今後数十年で、人口と経済双方の成長率は低下する見通しが高いので、このトレンドはなおさら懸念される。
同書 29頁

今後のことを考えますと、多額の相続財産があればよいのですが、そのような人は一握りであり、ほとんどの人にとって、大した相続財産はないわけですから、まずは、自らが財産を築くことでしょうね。

そうしませんと、貧困層に陥ってしまいます。

最初にすべきことは、貯金でしょうね。その貯金が一定金額に達したのちは、そのお金を投資にまわすことですね。

流動性のことを考えますと、株式投資あたりがよいでしょう。

株式といいますと、株価が上昇することによって得られる利益のキャピタルゲインに目が行きますが、配当による利益のインカムゲインに注目しておくのがよいでしょう。毎年、一定の金額が配当されるということは、長い目で見ますと非常に大きなことです。

最初は、ごく僅かな株式投資であっても、少しずつ投資を続けているならば、それなりの財産になり、その財産からの配当もそれなりの金額になります。

ピケティの指摘は、その通りだと思われますので、我々としては、時代が変わっていることを認識し、その上で、持つ者となるべく、然るべき財産を自らの手で作り上げることですね。

安易に浪費することなく、よく分からない詐欺に引っ掛からないよう、十分に注意しておくことです。

考えてみますと、持つ者が考えていること、行っていることを真似ればよいですね。そのようにしますと、今まで自分が考えていたこと、行っていたことが、いかに庶民とやらの振る舞いであったかが分かります。

今後、庶民として生きていくならば、貧困層まっしぐらでしょう。決して、そうなってはいけません。

20世紀は、ある意味、庶民の時代だったでしょうが、21世紀は違うとピケティは教えてくれているわけですから、いいことを教えてもらったと感謝しながら、自らの生き方の軌道修正を図ることですね。

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posted by lawful at 13:51| お金

2015年02月08日

本当の読書

読書して疲れるようではまだ本当でない。疲れた時読書して救われるようにならねばならぬ。
『安岡正篤一日一言』致知出版社 27頁

至言ですね。

本ブログにおいて、常に気を付けておくべき点です。

確かに、読書をして疲れているようでは、話になりませんね。

単に知識を得るために読書しているわけではなく、ある意味、救われるために読書しているわけですから、疲れた時こそ、読書の妙味があらわれなければ意味がありません。

また、そのような書を読むべきでしょうね。

御書、法華経は、まさにこの要求に応えてくれる書です。

他の書であっても、魂の救済を為す書がありますので、そのような書をたくさん読んでいきたいものです。

安岡正篤一日一言

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posted by lawful at 07:45| 読書

2015年02月01日

感応妙

されば一遍此の首題を唱へ奉れば一切衆生の仏性が皆よばれて爰に集まる時我が身の法性の法報応の三身ともに・ひかれて顕れ出ずる是を成仏とは申すなり、例せば篭の内にある鳥の鳴く時・空を飛ぶ衆鳥の同時に集まる是を見て篭の内の鳥も出でんとするが如し
聖愚問答抄下 498頁

Therefore, if you recite these words of the daimoku once, then the Buddha nature of all living beings will be summoned and gather around you. At that time the three bodies of the Dharma nature within you−the Dharma body, the reward body, and the manifested body−will be drawn forth and become manifest. This is called attaining Buddhahood. To illustrate, when a caged bird sings, the many birds flying in the sky all gather around it at once; seeing this, the bird in the cage strives to get out.
『英語で学ぶ御書』第三文明社 28頁
The Writings of Nichiren Daishonin Volume I p.131

この御文は、感応妙のことを言っていますね。

衆生が仏を感じ、仏がそれに応え、そのさまが妙であるということです。

まずは、衆生自らが仏の名号、つまり、南無妙法蓮華経を唱え、その唱えられた南無妙法蓮華経に仏が応じることによって、衆生の内にある仏が迸り出るわけですね。

感応妙は、仏の次元のことをいっていますが、感応妙の原理そのものは、十界すべてにあるといってよいでしょう。

つまり、自分自身が瞋りの感情を出しているならば、地獄界がこれに応じ、より一層、瞋りの世界、つまり、地獄の世界に陥っていきます。

所詮、自分自身が何を目指しているかで、その人の境涯が決まります。

仏を目指す人にとっては、仏に親和性があるといえます。

その仏を目指す人に、地獄界の生命を持った人間が近づいた場合、親和性がありませんから、仏を目指す人は、違和感を持ちます。イライラするわけですね。

自分にふさわしくない人が近づくと拒否反応が出るのですね。身の危険を察知しているのですから、これは、大切なことだと思います。イライラすることも重要なのですね。

仏とは、取り澄ました人間なのではなく、邪悪なものを寄せ付けない存在といってよいでしょう。邪悪なものを許さない生命状態といってよいでしょうね。

邪悪な人間は、調子に乗っており、無礼であり、悪態をつきます。困った存在です。このような人間と接した時に、すぐさま、拒否反応が出るようでなければ、邪悪に染められてしまいます。

このような邪悪な生命状態と親和性を持つならば、いくら南無妙法蓮華経と唱えたところで、地獄界直行でしょう。

南無妙法蓮華経と唱えるならば、南無妙法蓮華経らしくあるべきです。つまり、仏の境涯を目指すという点をゆるがせにしてはいけません。

南無妙法蓮華経らしくあるとはどのようなことなのか、その詳細については、御書及び法華経を研鑽する中で身に付けていきたいですね。
posted by lawful at 17:42| 御書

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