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2019年09月20日

【ポケモン】シオンタウンのBGMと都市伝説が怖すぎる!

ポケモンって可愛いですよね〜。

私はニンテンドースイッチを持っておらず、
最近のゲームの操作が難しく感じることもあって
サン&ムーン以降のポケモンはプレイしていないのですが
それでもポケモンの最新情報やネタなどを
ネットで見かけると覗いてしまいます


この間も、最新のポケモン情報を見て、
ついでに気になった関連記事を読んでいました。

そしてそこで、「ポケモンブラック」と
「シオンタウン症候群」の都市伝説を知ってしまいました……。


都市伝説に出てくるポケモンブラックというのは、
↓こちらの「ブラック&ホワイト」のブラックではありません。





(画像をクリックするとAmazonの商品販売ページに飛びます。)


噂のブラックとは初代ゲームボーイ版のソフトのことです。

初代ポケットモンスターのバージョンは
「赤・緑・青・ピカチュウ」だそうですが
あと一つ、呪われたバージョン「ブラック」というものがあり
それをフリーマーケットで買ってプレイした人がいるというのです。
(「ブラック」は改造されたソフトだと言われているようです)

「ブラック」では、オーキド博士からもらえる最初のポケモンの選択肢に
「ゴースト」が入っています。
そのゴーストは実在するポケモンのゴースト(下の画像↓)ではなく
シオンタウンに出てくる「ゆうれい」の姿のポケモンなのだそうです。



そのゴーストを使ってストーリーを進めると、
通常版のポケモンとは演出やエンディングが変わります。

プレイヤーがゴーストを繰り出すと、相手ポケモンは
「怖すぎて攻撃できません」という表示が出て
何もできなくなるらしいです。
ここもシオンタウンのゆうれいと同じですね。

そしてゴーストは「のろい」という技しか使うことができないそうです。
(この「のろい」も実在する技の「のろい」とは別物)
この「のろい」をかけられた相手は……。


この続きと、衝撃のエンディングについては
良ければ検索してみてください。
「ポケモンブラック 都市伝説」などで検索してみると
たくさん出てきます。


次に知った都市伝説、シオンタウン症候群というのは
「シオンタウンのBGMを聴いた子どもたちの具合が悪くなる」
という話のようです。

「ポケモンをプレイしていた子どもたちが死んでしまう事件が多発」
「亡くなった子どもたちがプレイしていた
 ポケモンのソフトを確認してみると、
 みんなシオンタウンで止まっていた」という噂があるそうなのです。

シオンタウンで子どもたちが亡くなる……?
怖すぎます。


実際シオンタウンの曲は不気味というか恐ろしく、
ずっと聴いていると気持ちが暗くなってきます。
夜中に一人で聴くと動けなくなりそうです

「『暗い日曜日』という歌を聞くと死んでしまう」
などという都市伝説がありますが、
シオンタウンの曲もかなり恐ろしく、また
町で発生するイベントや町の人のセリフも怖いことから
シオンタウンのBGMがトラウマになっている人は多いようです。



シオンタウンに関するもう一つの都市伝説としては
主人公のライバルが大事に育てていたポケモンが
旅の途中で亡くなっていたのではないか? というものがあるそうです。

主人公はポケモンタワー(ポケモンたちのお墓)の中で
ライバルとポケモンバトルをすることになるのですが、
そのとき、それまでライバルの手持ちに入っていた
ラッタ(コラッタから進化させた)がいなくなっているらしいのです。

バトル前のセリフも意味深で、
ライバルがお墓にいた理由もポケモンの埋葬や供養以外なさそうなため
このような噂になっているんだとか。

しかも「実録ポケモンホラースポット」という
ポケモンの公式なサイトの中に
この説を裏付ける記載があるそうです。



都市伝説も怖いですが、
そもそもシオンタウンはゲーム内で見られる公式な設定も怖いですね。
シオンタウンの民家にいるカラカラのお母さん、ガラガラは
ロケット団に殺され幽霊となっています。

「シオン」というのは花の名前だと思いますが
なんだか「シオン」という言葉の響きまで意味深に聞こえてきますね。


ポケモンの都市伝説はこれ以外にもたくさん出ています。
もしご興味がありましたら、調べてみてください。

ということで、今回は初代ポケットモンスターの
「シオンタウン」に関するお話でした!


(↓こちらはリメイク版(GBA)です。私がプレイしたのはこれでした)







最後までお読みいただき、ありがとうございました。
もし宜しければこちらのブログもご覧ください。

 ↓ ↓ ↓

GBA ポケットモンスター サファイアの思い出

【CD】ファミコン&ディスクシステムの音楽

2019年09月19日

「毎日誰かの誕生日」って素敵な言葉ですね

「毎日誰かの誕生日」って素敵な言葉ですね。

誕生日は必ず、
366日のうちのどれかになるわけで

「366」って多いような気もしますが、
SNSを始めて
たくさんの投稿や数字を見かけるようになって
わりと少ない数字のようにも思えてきました。


誕生日が366種類なら、

単純に考えて

366人集めたら、
誕生日コンプリート(?)できますね!


実際はそうはならないかもしれませんが
1000人くらいいれば、
毎日が誰かの誕生日であることは
ほぼ確実です。

駅や町でもきっと
誕生日の人とすれ違っているでしょうね(*^-^*)


外出先の飲食店で
誰かの誕生日のお祝いをしているのを見かけたり


誕生日じゃなくても、
たまたま何かのイベントをやっているのを見かけたり、
今旅行中の人がいたり。

今日自分に予定がなくても、
誰かにとっては楽しみだった日なんですね。
そう思うとちょっと楽しい気分です。

「毎日誰かの誕生日」って素敵な言葉ですね。





posted by 四月一日 at 18:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2019年09月18日

最近何を言っても矛盾しかしてない(汗

今回のブログは主に学生時代の話です。
そしてこれを書いているとき私は
「時間の感覚」が疎かったです。

+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+


差別や偏見、いじめ、環境破壊などなど
「良くない」と言われていることはたくさんありますね。

私はそれらが「良くない」と聞いて、
わずかな情報を耳にしたのみで
言った人の言葉を鵜呑みにして

「そうだ! 差別も偏見もいじめも環境破壊も全部いけない!」
って思っていたのですが


よく考えたら、
「偏見や差別って何か?」
って未だに分かっていない気がします (°ー°;)


「いじめ」は分かります。
やられたことあるんで(ノ∀`*)


環境破壊も分かります。
川が汚れるとか地球温暖化とか、
ビデオで見たので。


けど「偏見や差別とは何か?」
という、人の醜い部分、
生の「差別や偏見」って
あんまり記憶にありませんでした(*'ー')


というか、気づいていませんでした。


そういや学生のとき、
「◯◯ちゃんをみんなで無視しよう」って言われたんですが

「ああ! コレいじめか!」
って気づきませんでした。

後になって気づきました。
情けないことに。


そのときの理由が「無視したら面白いから」とかじゃなく
人間関係でなんやかんや色々あったみたいで
ややこしくて、複雑に感じたので
一発で「いじめだ!」と認識できなかったんです。


もう倫理観に自信ないです……。


どんな時でも、誰が相手でも、
「そういうやり方好きじゃない!」
ってぶつかれたら良いんですけどね(ノД`;)


特に、いつも仲良くしてくれている人や
そんなに悪い関係じゃない相手に。

関係が壊れても、ターゲットが自分になっても、
真っ向からぶつかれる力が欲しいです。

まぁできればそんな状況になってほしくないし、
ぶつかる必要がない状況で
むやみに体当たりするのもダメですけどね(´ーωー`;)


しかし自分は
普通に会話しているだけでもオドオドするほど
対人恐怖症で……。

毎度何もせずに後悔ばかり。
しかも発言も勝手な偽善で、
誰の心にも寄り添っていませんし
ホント弱くて情けないです。


しかし、どれが正義とかって……そんな単純じゃないですね。


「欠点を直して」って何度も言っているのに
直してくれない人に対して
制裁的な態度をとるとかあったみたいで……
「ちゃんと言えば絶対伝わる」ってもんでもないし、
それも一つの方法かもしれませんね。

でも人それぞれ苦手なことはあって
言われている方も自覚はありつつ
なかなか変えられないのかもしれないし、
制裁で直る訳じゃないだろうから変ですが……。

「どうにかしてほしい」と思って言っている側も
何が最善か分からないんだろうから難しいです。


もちろん私も何が最善かとか分かりません。

私が「できる人」だったらもうちょい胸張って
「そのやり方は違うんじゃない?」って言えるのですが
自分は「の◯太くん」みたいなタイプなので
堂々と意見言える立場じゃないです(×_×;)

言い訳ですけどね。


私は最近まで、
「頑張っている人・できる人」が優遇されて
「頑張らない人・できない人」が冷たくされるのは
変だと思ってきました。

頑張るとか頑張らないとか、どのくらいできるとか、
それぞれ違うのが個性であって
押し付けることじゃないと思うんで。


けどそれも……。

「できる人」と「できない人」が同じ扱いだったら
平等じゃなく不平等ですよね……。


最近自信ないし、軸がブレまくりです。本当に。


あと、前述の通り自分は「の◯太くん」みたいなタイプで
鈍くさくて、何をやっても駄目なタイプなのですが
不思議とかまってくれたり気遣ってくれたり、
とにかく気にかけてくれる人がいたりしました。


で、「優しい人多いなあ……」って思っていたのですが


その自分に優しい人が、
他の人の容姿を馬鹿にして大笑いした、
って場面を二回見ました。

それぞれ別の人(たち)です。


それを見て、
「あの人たち、トロい私には優しくしてくれるのに、
 なんで急に人の外見を馬鹿にするんだろう」
って変な気分でした。


けどその時も何も言えませんでした。
卑怯ですね……。


でも自分は欠点だらけだし
人も全員欠点があるような気がするし
何が卑怯でどれが正義とか
誰をかばうべきとか無い気もします。

「できる人」だけど性格悪い人、
「できない人」だけど優しい人、
色々いそうですね。

自分も、みんなも、結局自業自得かもしれません。
でもどうせみんな同じなら、
自分は自分の価値観で動けるようになりたいですね。





posted by 四月一日 at 22:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2019年09月17日

座るときの姿勢が悪すぎて、腕が痛くなりました

今回は、姿勢が悪すぎて腕が痛くなった話です。

私は椅子に座るより床に直座りする方が好きで
よく家の床に座っています。
その時、利き腕でない方の左腕を床について
タブレット端末を使っていることが多くありました。


そして最近。
急に左肘が痛くなりました。

これといって、強くぶつけたとかはありませんが
以前から姿勢が悪いので、そのせいだろうなと思いました。

以前、寝る前に両肘に体重をかけるような姿勢で
マンガを読んだり絵を描いたりしていたことがよくあって
肘を長くついていると痛みを感じるようになったので
あまり腕に体重をかけないよう気をつけようと思っていたのですが
ついつい、悪い姿勢をやめられずにいました。


痛いのは多分肘なのですが
腕全体が筋肉痛のようにだるく痛みがあり
指の先までピリピリとしびれている感じで
手を握りしめてみても違和感がありました。

また、腕や手を床についても痛みがあり、
二の腕まで痛いような気もします。

この、どこを痛めたのかよく分からない感じは……
以前すべって転んで右手を骨折したときのものに似ています。
あの時も手をつくと痛みがあって、楽な姿勢を探していました。


まぁ……
骨折みたいといったって、今回は大した痛みではなく
何かに集中すれば痛みのことを忘れてしまうレベルで
腕も指も動かそうとすれば普通に動くのですが

今まで腕に体重をかけていることを軽く見ていたせいで
不調が出てきたんだと思うので
これは対応を間違えると悪化するかもしれない、
できるだけ左腕に体重をかけないようにしようと思いました。

ということで、重い物は右手で持ち、
左腕はあまり使わないようにしながら過ごすことにします。


傷みを感じた日の翌日。
まだ痛みは消えておらず、あまり変化がありませんでした。
まさかこのまま治らないんじゃないだろうかと少々不安になりましたが
まだ二日ぐらいじゃ分からないと、様子を見ることにしました。

3日目。
しびれはなくなっており、痛みも和らいでいました。
これは翌日には痛みが消えるかもしれないと、ホッとしました。

4日目。
少々油断して左腕を動かしたりしたせいか、
ちょっぴり痛みが増してしまいました。
しかし夜になり、気づくと痛みがほとんどなくなっていました。
「あれっ、痛くない!?」と
思わず腕を曲げたり伸ばしたりしてしまいましたが
ここで調子に乗ってはいけないですね。
しばらく、できるだけおとなしくしています。

5日目。
少し痛みがありましたが、夜になるとほとんどなくなりました。
やっぱり、夜の方がマシになる……?

6日目。
だいぶマシになりました。
痛みも違和感もほとんどありません。

7日目。
庭が雑草まみれになっていたので草むしりをしました。
もう少し暑さが和らいでから……と思っていましたが、
ここ数日暑さが増すばかり、草もぐんぐん伸びているようで
待っていても仕方ないと思いました。
こんなことなら腕の調子が悪くなる前、
涼しい日が続いたときにやっておけば良かったです……。

8日目。
前日に草むしりをしたものの、悪化したりはしませんでした!
もう痛みはなく左腕も普通に使っていますが、
激しい動きをしたり重いものを持ったりすることは避けています。

9日目。
痛くないです。変化なし。

10日目。
痛くないです。もう治ったと思います!


ということで、10日間で治りました。

まだほんのちょっとだるいときがある気もするので
激しい動きは避けようと思いますが
今後も気をつけていれば大丈夫かと思います。


腕だけでなく手にまで痺れや痛みを感じたときは、
このまま治らなかったらどうしよう、
悪化したらどうしようと不安でしたが
無事元に戻って良かったです!

できるだけ左腕を使わないようにしたのが良かったと思いますが、
腕の痛みがなくなってくると
気づいたらついうっかり軽いストレッチをして
左腕を動かしていた、なんてこともありました。

怪我をしたときでも、
せっかく治りかけた傷をかきむしってしまって
また血が出る、なんてこともありますし
なんでも治りかけのときほど注意しないといけないですね。


それから……

今回私は痛みがあってもそのまま様子を見ましたが、
皆様には痛みがあったら素直に病院へ行くことをオススメします。


以前私がすべって転んで右手を骨折したとき、
まさか骨折しているとは思わず
そのうち痛みが治まるだろうと何日も放っておいたのですが、
結構痛みが長引いたので病院に行ったところ
お医者様から骨折だと言われました。

もうだいぶ治りかけだったそうです。
そして聞いた通り、その後すぐ治ったのですが、
折れた骨を固定もせず放っておいたため
変なくっつき方をしたようで
骨折した指の動きが少し悪くなってしまいました。

幸い、人差し指や親指ではなく薬指だったので
動きづらくてもなんの支障もなかったのですが、
折れたのが別の場所だったら、影響があったかもしれません。


ということで、骨が折れたかもしれないと思ったら
すぐ病院に行って固定とかしてもらった方が良いと思います。
折れた骨がそのままくっついたら、変形してしまうかもしれません。


さて、今回のことがあったので、腕を痛める原因や
痛めないための方法について少し調べてみたのですが、
硬い机などに肘をついて不安定な姿勢で
スマホやパソコンを操作したりしていると
思わぬうちに肘に強い力がかかっている可能性がある
という情報を目にしました。

スマホ・PCを使うときにはクッションや衣服で肘を保護し、
片手だけに負荷がかからないようにするのが良いそうです。
また、頬杖をつくのはできるだけやめるようにした方が良いようです。


頬杖も体に悪いんですね……。
私は頬杖をつく癖はありませんが、
腕にかけている負荷の状態は頬杖に近いものがあるので
気をつけようと思いました。

また、今回私が痛めたのは腕でしたが、
姿勢が悪いままだと背中や腰も悪くするかもしれないなぁと思いました。

姿勢は大事ですね。
皆様もお気をつけください。









posted by 四月一日 at 21:12| Comment(0) | TrackBack(1) | 雑記

2019年09月16日

小さなシンクロニシティ

自分の好きなもの、気になるもののことを
「あれってどうなったっけ? 最近見ないなぁ」などと考えていると
お返事のように、テレビやネットを通して目の前に現れます(>∀<*)

最近好きになったものでも
やけにたくさん、関連情報を見かけるように
なったりしました( ̄▽ ̄*)

類は友を呼ぶとか
シンクロニシティとか
ホントだなぁ…… と薄々思います。


逆に、嫌なことであっても、
そのことばかり考えていると
頭の中で巨大化するし

モヤモヤし続けると
その嫌なものを目にすることが
増えるように感じます。


気のせいかもしれませんが、
自分の中ではホントです。


事件・事故のニュースとかでも
似たようなこと、続いたりしますね。
事件は模倣犯の場合もあるかもしれませんが
事故は違う気がします。
(メディアさんが、わざと似たような話ばかり
取り上げているのもあるかもしれませんが……。)


悲しいこと・嫌なこと
色々あるから難しいですが、
せっかくだから
嬉しい連鎖・幸せな連鎖をたくさん起こしたいですね。







posted by 四月一日 at 21:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2019年09月15日

なんで食物連鎖の世界にしたんだろう……

自然のサイクルにおいては……
みんな誰かの「たべもの」なんですね。

蝶々も小鳥もトンボも。


肉食動物だって、最終的には
虫や微生物や植物の養分になるし

草食動物だって草を食べるんだし

みんな何かを「食べる側」であると同時に
「食べられる側」ですね。


小さい頃見た、生き物の番組でも
しっかりそんな話が出てきていたし……

理科でも習ったのに……


なぜか未だに納得していません( ̄▽ ̄;)


「みんな食べられて当たり前」ってなかなか飲み込めなくて……。
でも、「そんなはずない」と抵抗しても答えはなくて。


なぜだか分からないけれど、

動物の世界ってもっと夢みたいで、魔法や愛や優しさで満ちていて、
思いやりや正義や美学があって、ゆったりと穏やかな、心地いい、
「自由」な空気で溢れていると思っていました。

だから人間もいつか「自然」に還り、
のんびり楽しく暮らせるのではないかと。


なぜそんな勘違いをしていたんでしょうね。

絵本の世界ではそうだったかもしれないけれど、
自然界の答えなんて、早いうちから教わっているのに。
ライオンは肉を食べるってことも知っているはずなのに。

信じていないのか?
誤解したイメージの方が強かったのか?
真実を知ってもなお、「どこかに夢の扉がある」と寝ぼけていたのか?

随分と長いこと、
「自然界は自由で夢いっぱい」と思いこんでいました。


でも本当はみんな忙しくて、一生懸命で、
命がけなんですね。

ゆっくりと「それ以外ない」ことを知っていき
動物の世界にも食べ物や縄張りの奪い合いやいじめがあると聞き
私の中の「夢」がゆっくりと崩れていきました。


「動物はやはり動物か」と思ったんじゃありません。
「動物界も、人間と一緒なのか」と思ったんです。


動物も人間も、悪い存在だとは思いません。
そうじゃなく、システムが変だと思うんです。

システムってのは人が一生懸命造った社会のシステムのことじゃなく
もっと根本的な、弱肉強食のことです。

奪わなきゃ生きていけない。
もし真の「優しさ」というものがあったって、
それは結局誰かを選び、誰かに味方し、
他の誰かを犠牲にするということ。
それが悲しいなと。


しかし私には、ある特定の生き物だけに味方したくなる、
「ひいき」というかエゴもありました。

勝手に良いイメージや悪いイメージを付けて、
「この生き物は好きだから」と応援するのも変なんですけどね。


可愛い生き物だけもてはやされ、
醜いとされる生き物は魔物呼ばわりされたりするのも。

「害虫」「害獣」は明確な理由があるからしょうがないけれど、
それ以外はこちらの勝手ですよね……。


本来誰がどうとかいうことなく平等なんですよね。
自然のサイクルにおいては。

誰かが誰かを食べていたら、
「獲物がとれておめでとう」と祝福すべきかもしれません。

大体、私も生き物を食べているのに、
生き物を食べているという実感もなく、
自然の中の本物の「食」のシーンを見たら
違和感を覚えるのってすごく変ですね。


そして

美しい花々や山や海や川、害のないもの、
目に心地いいものだけを「自然」と呼び
愛すべき風物詩とするのも不自然ですね。

「本当の自然はそれだろうか?」と思います。
綺麗な部分しか見ようとしていないような。


けどそんな矛盾だって
愛情のあらわれじゃないかとも思います(*´ω`*)

グサッとくるようなものを見たって、
モヤモヤするだけで嬉しくありません。

美しいものを求め、自然に癒やしや温かさを求め、
「心の故郷」として何が悪いのかと。


……しかし

結局いつまで経っても腑に落ちる答えが出ません。
そもそも弱肉強食や自然に、美学や答えなんてないのかも。

「生きる」
……良くも悪くもそれだけ。

でも自然が自然なら、
自然を不自然と感じる心もまた、
自然だと思うのです。









posted by 四月一日 at 22:22| Comment(0) | TrackBack(5) | 雑記

2019年09月14日

世界を見ているのは誰?

実は、世界に本当に存在しているのは自分だけで
他の人や物はマボロシかもしれない…… とか、
想像することありますよね(*´ω`*)


実はアレもコレもニセモノで、
本当は存在しないんじゃない? とか

今電車に乗っている時間って、
本当は夢なんじゃないの? とか。


この世界の不思議、
感じようとすればいくらでも見つかりますね。
実際に。



考えてみりゃ、
こんなにたくさんモノや概念があるのって不思議です。

生まれて、そして人生が終わるまでの間に
いろんなことがあって いろんな話を聞いて
いろんなものを見るでしょうが

最後まで「使わなかった」「しなかった」
ものやこともいっぱいあるはずです。


パラグライダー…… スカイダイビング……
乗馬…… スキューバダイビング……。
やるかもしれないしやらないかもしれないです。

「知っていたけどやらなかったこと」
「読むかもしれなかったけど読まなかった本」
「見ようかと思ったけど見なかった映画」
きっといっぱいあります。


そしてこれから好きになるもののことを、
今はまだ知らないかもしれません。
今は存在していないもののことを
未来で好きになるかもしれません。


パソコンも携帯電話もCDも……
比較的新しいですよね。

ちょっと前まで無かったなんて不思議で
「今あるもの」のことは「無かった」と思えないし
「今ないもの」のことを「昔はあった」と
なかなか想像できないです。
記憶が薄れていくので……。



唐突ですが、多分私は……
死ぬまでスズメバチのことは苦手な気がします(´ω`;)

スズメバチという種族(?)は
私が生まれる前からずっと存在していて、
戦争とか、高度経済成長期とか
地球上の環境の変化など
いろんなことがある中でずーっと生き続けていて

私がスズメバチの存在を忘れているときも
スズメバチを見ていない期間も
どこかで活動しているんですよね。
苦手だけど…… 尊敬はしています。


ずっと存在しているといえば、
他の生き物たちもみんな。
クモもダンゴムシもカエルもヘビも。

そして絶滅した生き物も……
確かに存在していたんですよね。


ハチドリとかアルマジロとかコアラとか……
これから先、どこかで出会うかもしれないけれど
何日も、何時間も共に過ごすことはなさそうだし
よく知らない存在のまま終わる可能性が高いです。


でも長いこと一緒にいたら
絶対に分かるというものでもないですね。

ずっと一緒にいたけどお互いぎこちなかったという関係もあるし、
ネットで出会って数時間話しただけの人と
心が通い合った感覚を覚えたこともあります。


ネットで会って、数時間話して、別れた人とは
ほんの一瞬人生が交差しただけ…… で
最後まで、また会うことはないだろうけど
でもお互いの世界は、ずっと続いているんですよね。

街ですれ違う人も。
旅行先ですれ違った人も。
外出先で出会った人とちょっとした交流をした後も。

歩いた道や、見かけた建物、信号機や看板、街路樹も
一瞬一瞬、一ミリ一ミリ、全部。
形は変わっていっても……。


すべてのものが意味や役割を持ち
それぞれの世界で長い「時」を過ごし
なんらかのイメージを人から持たれて

「そのモノ」を中心としたネットワークが広がって
あちこちで繋がっているんでしょうね。


でも一生のうちにすべて知り尽くして
すべての視点を理解したり、
認め合うってことはおそらくできなくて


けどきっと、それでも良いんだなと思いました。

お互いに出会った、見た、
それだけで何か得たものはあったかもしれないと。



学校を卒業したときとか
お気に入りの場所がなくなった時とか
なんか不思議でした。

これまで普通に会っていた人と会わなくなって、
今まで普通にあった環境が変わって
また違う所で違うことが始まって……。


だからきっと「終わり」はこんな感じだと思います。


その先に何があるかは分からない、
誰と出会うかは分からない、
けど永遠にそれぞれの世界が続くのだろうと。


今は使われなくなって姿を消した道具たちも
絶滅した生き物たちも
消えた風習や文化、想像上の生き物たちも
みんなどこかにいる気がします。

姿を変えているかもしれないし、
変えていないかもしれない。

存在していたモノや概念が完全に「消える」ことはないだろうし
消えていいもの、必要のないもの、存在しないほうがいいものは
最初から無いような気がします。


存在するものは現時点では必要なもの、
尊ぶべきもの…… なのかもしれませんね。
すべてはきっと、
誰かから見て善で誰かから見て悪だから難しいですが……。



この世界、実際に見ているのは誰ですかね。
自分ですかね。


他者と自分の違い、境界線はどこでしょうか。
今認識している自分が、本当に本当の自分でしょうか。


本当の自分は……

セミもムカデもスズメバチも
火や水も
木も星もインターネットの世界も
心の中の世界まで

一度見たもの、一度も見なかったもの
想像したこと、しなかったこと
これから起こること


ぜーんぶ合わせて丸ごと、かもしれません。


自分じゃできないこと、考えられないこと、
違う生き方や姿形を 他者の中に見ていますが

ホントは「できなかったこと」も「しなかったこと」も
一つもないのかもしれませんね(*^-^*)


無限の可能性ってそのことかもしれません。







posted by 四月一日 at 23:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2019年09月13日

グッときたとき…… 理解しているとは限らないけれど

共感できるものを見つけることって多々あるけれど
本当に気持ちが分かっているのかどうか疑問だから
「それ分かる!」って言う自信がないですね(´▽`;)


「言葉は大事だ」って歌を聴いて メロディ

うんうんと頷き、

「大事なのは言葉じゃない」って歌を聴いて 八分音符

これにもうんうんと頷く。


言っていること、大事だと思うことはそれぞれ違えど
みんな最終的に同じことが言いたいんじゃないかなー
と思うことがありますね。

言葉じゃどうしても意味が限定されて
その言葉以上の意味にはならないけれど、
それでも時々「言葉以上の何か」を垣間見る気がします。


本当に気持ちが分かっているのかどうか疑問だから
「それ分かる!」って言う自信はないですけどね(二度目


自分と同意見、同じ価値観の人の言葉を見ても
なんか表現的にしっくりこないこともあります。

「命は何よりも大事だ」とか
便利な言葉を使って本音を隠したり
都合よく別の意見にすり替えようとしているんじゃないかとか
流行っている言葉に乗ってみただけじゃないかとか。


「こういう時代だから」と
時代に合わせているだけじゃない?
って、不安になることもありますね。


右と言われりゃ右に。
左と言われりゃ左に。

風向きになびくだけなんじゃなかろうかと。


けど今の時代の流行の考え方って
グッとくるものが多いので、
まぁなびいてるだけでも良いよね…… って思っています(*´ω`*)


違う時代に生まれてりゃ違う性格になったんですかねー。

けどきっと、「今ここに生まれた」ってことも合わせて
人の個性なんですね( ̄▽ ̄*)



posted by 四月一日 at 22:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2019年09月12日

コミュニケーション上手な人って憧れますね〜(*´Д`*)

コミュニケーションが上手い人って良いですよね(>∀<*)

一言でコミュニケーション上手って言っても色々あるでしょうが、
しっかりと言葉を組み立てて意見を言える人とか、
逆に、「言葉だけじゃない魅力」を放っている人とか、素敵です。

この人が来ると場が明るくなるなーとか、
なんかチャンスをつかめる人だなぁとか。


隣の芝生は青く見えるものですかね(*´ω`*)

……ちょっと違うか。


喋るの上手い人って他の人の魅力も
引き出せる気がしてすごいです。

「あの人ともこの人ともあんなに楽しそうに喋れるなんて……」
って尊敬しますね〜。

「自分が喋ってもこうはならないだろうな」
って会話を目の前でどんどん繰り広げられたりすると
なんだか……。いいなぁと思います(´ー`*)

きっと視野が広くて、いろんな世界が見えているんでしょうね。

オープンな世界観で生きているんだろうな〜、
誰とでもすぐに仲良くなれる人って。


憧れますね。


会話術に関する本を読みまくれば、
コミュニケーション下手の自分でも
少しはコミュニケーションについて理解することができるでしょうか。

でもまず、人の意図を理解するのが下手すぎて
本を読むこともままなりません(T∀T;)

読もう読もうと思いつつ「積ん読」ばかり増えております。
しかも、積んでいるのになぜか新しい本ばかり買うという……。


先は長そうです。







posted by 四月一日 at 22:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2019年09月11日

12星座占いを見てみて良かったこと

「世の中色々な人がいる」ってよく聞きますよね。
それは確かにそうだろうし、
できれば理解したいとは思っているけれど
(とことん話し合うとか関わるとかではなく
 「存在を認め合う」的な意味で……)

ついつい、
「自分と同じ感覚を共有してほしい」とか
「こういう対応をしてほしい」とか
「みんな違うとは言っても、同じ人間なんだから
 考え方にそこまで差はないだろう」とか
人に期待したり、決めつけてしまうことがあります(・_・*)

そして望み通りの反応が得られないと
モヤモヤしたり。

勝手ですが……。

そんな風に思っていました。


でも星座占いを見ていたら、
ちょっと寛容な気分になれました。

気分だけで、態度は変わらないんですけど(ノ∀`;)

「なんでああいう言い方するかな……」
ってこちらが思うような方にも
それぞれキャラクターがあるんですよね。


自分は、人が誰かの陰口を言っているのを見かけると
自分のことを棚に上げて、変に正義感燃やして
「陰口言うなんてひどい!」とか思ったりしてしまうんですけど

陰口事情もなんとな〜く分かりました。


どうしても飲み込めないこと、
腑に落ちないこと、
許せないことって
人によって全然違うんですよね。

そして、気持ちのやり場に困るようなことがあった時に
発散する方法は人それぞれなんですね。

常々こまめに文句を言って発散するタイプの方もいるし、
どこでも発散していないように見える方もおられます。

あまり出さないようにしている方は、別の場所で、
別の方法で出せているのかもしれないし
発散上手かもしれません。

でもそれができるから良いとか、
こうじゃなきゃダメとかでなく、個性ですよね。


そんなこんなでちょっぴり 人の言動に対して
「興味深い」と受け止められる余裕が持てた気がします( ̄v ̄;)
(まだ「個性だよね〜」で済ます自信ないですが)


うまくいかないのは、誰かが悪いからとかじゃなく
タイプの違いなんだなって思えるようになれば
お互い楽なんじゃないかな〜と思っていたのですが

やはり「これ」と言える判断基準があると
分かりやすいですね。

そういう意味で占いは自由でラクそうです。
(本当は占いももっと複雑なものかもしれませんが)


そして自分が誰かに対してモヤモヤするのも
許せるというか。


はなから崇高な思考など持ち合わせていませんが、それでも
「人に対してこんなこと感じるなんて、自分が悪いんだろうか」とか
少しは思っていたのですが

「みんな違うんだからモヤモヤするのも当たり前じゃない?」
って気持ちになれました。


あと、少し話変わりますが
たま〜にネットで、初対面の方から突然
頭の良さそうな意見コメントを頂くことがあって

「なぜこんな頭の良さそうな方が突然コメントしてくるの?
 そしてなんて返したらいいの!?」
とオロオロしていたのですが

それも星座ごとの性格を見ていてなんとなく分かりました( ̄v ̄;)
(その方が何を求めておられるのかまでは分かりませんが)


さて、今回は星座占いに関する話のつもりで語ってみましたが
「星座占いが当たるかどうか?」については
自分には分かりません。

今は初心者ですので(ノ∀`*)


それに

地星座っぽくみえて火星座の方とか
水星座っぽくみえて風星座の方とか
たくさんおられると思います。


誰かの性格が、他の誰かに影響を与えることも
性格が変わってゆくこともあるでしょうし

血液型とか地域の特性とか
あるいはもっと(?)現実的なことからも
人は影響を受けるでしょうし

星座だけでは決まらないかも、と思います。


でも「12星座ごとの性格」って本当に完成度が高いというか
キャラクターがつかみやすいです。

どういう人がどういう考え方をするか
リアルに描かれていて、人物像が見えてきますね。

人の性格について興味を持つ
良いきっかけになりました。


興味持ったついでに人のこと理解できたらいいんですが( ̄▽ ̄*)


それにしても星座占いって本当に魅力的です(*´▽`*)

属性とかあるのがカッコいいですよね〜。

星で人の性格が決まるってのもロマンチックですし、
元々ギリシャ神話に出てくるモンスターとかに
少し興味がありましたので
そういった世界に自分も入り込めるようで楽しいです(*^-^*)

星座占いは興味が持てる要素がいっぱいです。


今回はちょっと理屈っぽく(?)言いましたが

本当は理屈抜きで、
12星座がなんだか気になって惹かれました。

「なんとなく」の興味に従って
面白い世界に気づけて良かったです(*゚▽゚)


しかし占星術っていつからあったんですかね?
そして、12星座それぞれが今みたいなキャラクターになったのって
いつのことなんでしょう?

まだまだ面白そうなことがいっぱいです(*>v<)


では今日はここまでで。
最後まで読んでいただきありがとうございます!







posted by 四月一日 at 20:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記
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